溢れる涙
「違うよ」
静かな声だった。
けれど、その一言には強い意志が込められていた。
そちらを見ると、シルが真っ直ぐ私を見つめている。
「それは仕方ないことなんかじゃない」
「シル……」
「子供ができないことと、人を裏切ることは全然別だろ」
迷いのない言葉だった。
それだけに、その言葉は私の胸にストンと落ちた。
「ニーナさんは病気になって、それでも旦那さんのことを考えて、毎日ハーブ茶まで用意して、ずっと一人で苦しんできたんだ。なのに旦那さんは、その気持ちを知ろうともしなかった」
シルは悔しそうに唇を噛み締める。
「俺はまだ子供だから、貴族のことなんてよく分からない。でも、人として大事なことくらいは分かる」
一歩、私に近づく。
「誰かを傷つけてまで後継を作ることが正しいなんて、そんなの絶対におかしい」
「……っ」
その言葉は、まるで固く閉ざしていた心の扉を叩くようだった。
私は必死に「仕方ない」と思い込もうとしていた。
そうしなければ、自分があまりにも惨めで、あまりにも報われなさすぎるから。
けれど、シルはそんな私の諦めを認めてくれなかった。
「だから、もう自分を責めないでよ」
その一言で、胸の奥に押し込めていたものが音を立てて揺らぎ始めた。
「あ……」
温かいものが頬を伝う感覚に、そっと手を添える。
気づけば、涙が頬を伝っていた。
「私……私は……」
「奥様……!」
駆け寄ってきたリシテアが、ぎゅっと私を抱きしめてくれる。
「泣いてください。お好きなだけ。このリシテアが、ずっとお傍におりますから」
「俺もいるよ!」
私とリシテアの間に割って入るように潜り込んできたシルも、小さな腕で精一杯私を抱きしめてくれた。
二人の温もりに包まれた、その瞬間だった。
胸の奥に押し込めていた悲しみが、堰を切ったように溢れ出す。
「うっ……うぅっ……!」
涙が次から次へと零れ落ちる。
止めようと思っても止まらない。
苦しくて、悲しくて、悔しくて。
今まで一人で抱え込んできた想いが、嗚咽となって喉から溢れ出た。
「私だって、赤ちゃんが欲しかったのに! セルディオ様の子が……ずっとずっと欲しかったのに! なんで……なんでリンカ様が……」
指先が白くなるほど、シーツを握りしめる。
信じたかった。
たとえリンカ様と閨を共にしていても、セルディオ様が本当に愛しているのは私なのだと。
リンカ様との関係は、後継を残すために必要なことなのだと。
だからいつか、私にも笑いかけてくれる日が来る。
いつかまた、以前のように優しく名前を呼んでくださる。
そんな淡い希望に、必死ですがり続けていた。
「でも、本当は……」
気づいていた。
それがただの願望でしかないことくらい。
セルディオ様の視線が向く先は、もう私ではないことも。
私を見つめる瞳に、かつての温もりは残っていないことも。
全部、分かっていた。
ただ、それを認めてしまえば、私の心は壊れてしまう気がして。
だから知らないふりをしていただけ。
「それでも私は……」
震える唇から、か細い声が零れる。
「……愛して、いたのに……」
その一言ともに、またも涙が溢れ出した。
もう、止めることはできなかった。




