病状の悪化
「ニーナさんって、このお屋敷で嫌な目に遭ってない?」
シルの唇から紡がれた言葉に、どきりと胸が鳴った。
確かにここ最近、嫌なことばかりが続いている。
セルディオ様からは冷遇され、リンカ様が屋敷へ押しかけてきて──。
極め付けは、昨夜あの二人が関係を持ってしまったこと。
でも、どうしてシルにそんなことが分かったのだろう。
不思議に思いながらも、私は努めて穏やかに微笑んだ。
「どうしてそんなことを聞くの? 私は別に、嫌な目になんて遭っていないわ」
誤魔化すように笑う私とは対照的に、シルは険しい表情で俯く。
「だったら、おかしいな……。うちの医院にいた時より、ニーナさんの心音が弱くなってるから……」
「そうなの!?」
背後から勢いよく声を上げたのはリシテアだった。
まずい──と思うも、既に病状は彼女の耳に入ってしまっている。
もう今更誤魔化せない。
「奥様のご病気……悪化しているの?」
「リシテア、落ち着いて──」
「落ち着けるわけないじゃありませんか!」
今にも泣き出しそうな顔で、彼女はシルに詰め寄る。
「奥様の身体はどうなっているの? 何か私にできることはない? 教えてちょうだい」
ガクガクと全身を揺さぶられ、シルは焦った顔をしながらも口を開いた。
「一概に悪化したとは言い切れないけど……心音が弱くなってるってことは、その可能性は高いと思う。先生も、精神的な負担が大きいほど病気は悪化しやすいって言ってたから──」
「だとしたら、旦那様のせいだわ!」
シルの言葉を遮るように、リシテアがぎゅっと拳を握り締める。
「え……でも、旦那様って……?」
困惑したように問い返すシルへ、リシテアは悲しげに目を伏せた。
「旦那様は……ここ最近、奥様にとても冷たいのよ」
「冷たいって……?」
「リシテア」
止めようとするも、彼女は「言わせてください」とばかりに、緩く頭を横に振る。
こんな小さな子に私と旦那様の話を聞かせるのは大人の汚い部分を見せるようで気が咎めたけれど、リシテアはそうではないようだった。
一度深呼吸して息を落ち着け、彼女はシルに向かって話し出す。
「少し前までは、お二人は本当に仲の良いご夫婦だったわ。旦那様は誰よりも奥様を大切にしていらしたし、奥様も旦那様を心からお慕いしていて……見ている私まで幸せな気持ちになれるくらいだった」
懐かしむように微笑んだリシテア。けれどその表情は、すぐに曇る。
「それが、ある出来事をきっかけに、お二人はすれ違ってしまったの。それから旦那様は奥様を冷たく突き放すようになって……」
「そんな……」
シルは信じられないというように目を見開く。
リシテアは悔しそうに唇を噛み、続けた。
「しかも旦那様は今、リンカ様という女性を屋敷へ招いているの。昨日の夜だって……」
そこで言葉が止まる。
昨夜のことまで話せば、私の心をえぐってしまう。
そう思ったのだろう。
俯いたリシテアに代わり、シルが静かに口を開いた。
「……その人のせいで、ニーナさんが苦しんでるんだね」
「っ……!」
リシテアは悔しさに目を潤ませ、小さく頷く。
「奥様は何も悪くありません。それなのに、一人で全部我慢して……。ご病気のことまで隠して、笑顔でいようとなさるんです」
「リシテア……」
私は思わず彼女の名を呼ぶ。
これ以上、シルに心配をかけたくなかった。
けれどリシテアは、またしても首を横に振る。
「もう我慢できません。奥様はいつも『大丈夫』と仰るけれど、全然大丈夫なんかじゃないですから」
震える声が部屋に響く。
それを聞いたシルは、ぎゅっと拳を握り締めた。
「……許せない」
普段の無邪気な笑顔はどこにもない。
真っ直ぐな瞳に宿っていたのは、大切な人を傷つけられた怒りだった。




