シルの喜び
「それじゃあ先生、色々とありがとうございました」
薬の入った袋を抱え、リシテアさんが丁寧に頭を下げる。
先生はそれに優しく応じると、傍にいた俺へ視線を向けた。
「シル、リシテアさんと一緒に行って、奥様の様子を見てきてくれないか?」
「えっ……」
その言葉に、俺は思わず顔を上げた。
ついさっき、公爵家へ行くのは駄目だと言われたばかりだったから。
「でも、俺……」
行きたい気持ちはあった。
いや、本当は今すぐにでもニーナさんに会いたかった。
けれど、俺が行くことでニーナさんに迷惑をかけてしまうのなら、それは駄目だ。
会いたい。だけど会えない。
そんな思いが胸の中でぐるぐると渦を巻き、言葉が続かなくなる。
すると先生は、そんな俺の気持ちを見透かしたかのように微笑み、ぽん──と頭に手を置いた。
「大丈夫ですよ。今回は私からお願いしたのですから」
穏やかな声だった。
けれど、その言葉には不思議と人を安心させる力があった。
「それに奥様も、きっとシルに会えたら喜ばれると思いますよ」
「……っ!」
その一言に、胸がどくんと大きく鳴る。
ニーナさんが、俺に会って喜ぶ。
そんな当たり前のことなのに、今の俺には何よりも嬉しかった。
「本当に……?」
今度はリシテアさんに向かって尋ねる。
先生が良いと言ってくれても、リシテアさんが駄目と言えば終わりだ。
それに、さっき俺ははっきりと断られたばかりだった。
先生が許してくれたからといって、簡単に考えを変えてくれるとは思えない。
正直、また怒られるんじゃないかと思った。
それでも──。
ニーナさんに会いたい気持ちを捨てきれなくて、俺は祈るような気持ちで返事を待った。
すると──。
「そうですね。公爵家に住み込むのは無理ですが、夜会で奥様を助けてくれた少年が遊びに来た……という設定であれば、問題はないと思います」
そう言って悪戯っぽくリシテアさんが笑った。
俺は一瞬、言葉の意味を理解できず、ポカンとしてしまう。
それから遅れて胸の奥にじわりと温かいものが広がり、張り詰めていた力が一気に抜けた。
「よ、よかったあぁぁぁ……」
ぺたりとその場に座り込み、大きく息を吐く。
もうニーナさんに会えないのかと思っていた。
平民である自分には、彼女に会う権利などないのだと。
でも、違った。
短時間なら、会えるんだ。
安心と喜びがないまぜになって、どう表現したらいいか分からないまま複雑な気持ちを噛み締めていると、不意に目の前にしゃがみ込んだリシテアさんが、人差し指を立てた。
「でもね、シル。あなたは“会いたいから行く”だけではなく、“奥様の状態を見て判断する”ことを忘れないでくださいね」
「……はい」
そこは、素直に頷く。
それから、ニーナさんを診るための道具の入った鞄を先生に渡されながら、俺の胸の奥には抑えきれない期待が膨らんでいった。
ニーナさんに、会える。
その事実だけが、頭の中で何度も繰り返されていた。




