閉ざされた扉
「……もう、いい」
そう言って、セルディオ様は私から離れた。
伸ばしかけていた手が、力なく宙をさまよう。
セルディオ様は一度私を冷たい眼差しで見下ろした後、背を向けた。
「無理をして子供を作ったところで、その子を愛せるはずがない」
低く押し殺した声が、静かな部屋に響く。
「いや……そもそも、昨夜は事前に避妊薬を飲んでいたのか?」
「違……っ」
思わず漏れた否定の言葉。
私が飲もうとしていたのは避妊薬ではない。
妊娠を補助するための薬だ。
あなたとの子供が欲しくて。
あなたとの未来を諦めたくなくて。
けれど、セルディオ様は私の声など聞こえていないかのように続けた。
「……今さら、どちらでも同じか」
自嘲するように呟き、ゆっくりと扉へ向かう。
「悪いが、離縁はできない」
その声に、私ははっと顔を上げた。
セルディオ様は振り返らない。
「筆頭公爵家の嫡男が、妻に裏切られた挙げ句、離縁までしたなどと知れ渡れば、いい笑い者だからな」
淡々と告げられた言葉に、胸が締めつけられた。
裏切った覚えなんて、一度もない。
それなのに、セルディオ様の中では、もう全てが決まってしまっているようだった。
「セルディオ様、違うんです……」
震える声で呼び止める。
けれど彼は振り返らない。
「何が違う?」
冷え切った声だけが返ってくる。
「わ、私は……浮気なんて……」
「だったら、なぜ僕を拒んだ?」
その一言に、喉が詰まった。
「どうして何も話してくれなかった? どうして、今も理由を言ってくれない?」
言えるわけがない。
あなたの身体から、別の女性の香りがするなんて。
昨夜、あなたが誰と過ごしていたのか知ってしまったなんて。
そんなことを口にしてしまえば、もう元には戻れない気がして。
だから、何も言えない。
唇を噛みしめたまま俯く私を見て、セルディオ様は小さく息を吐いた。
「……やはりな」
諦めと失望が滲んだ声。
「僕たちは夫婦なのに、君は結局、僕を信用してくれていないんだな」
「それは違──」
「だから何も話せないんだろう?」
私の言葉を遮るように、セルディオ様は力なく笑った。
「学生の頃の君は、どんな些細なことでも僕に話してくれた」
懐かしむような眼差しが、一瞬だけこちらへ向けられる。
「嬉しかったことも、悲しかったことも。不安なことだって、全部」
その目に浮かぶのは、過去の思い出。
まだ、こんなにもすれ違っていなかった頃の私たち。
「なのに、僕達はいつからこんな風になってしまったんだろうね……」
自嘲するように呟いたセルディオ様の横顔は、ひどく寂しそうだった。
「あの、セルディオ様……!」
何か言わなきゃ。
違うと。
あなたのことを信じていないわけじゃないと。
私は今でも、あなたのことが好きなのだと。
そう伝えたくて、私は慌ててベッドから立ち上がろうとした。
けれど──。
「結局、信じようとしていたのは僕だけだったんだね」
振り返ることなく告げられたその言葉が、鋭い刃のように胸に突き刺さる。
「……っ」
違う。
違うのに。
信じようとしていたのは、私だって同じなのに。
昨夜だって、朝までずっと待っていたのに。
声にならない想いが、喉の奥でつかえて消えていく。
「……さようなら、ニーナ」
静かな声とともに、扉が閉まる。
カチリ、と小さく響いた音が、やけに大きく耳に残った。




