リシテアの怒り 2
「では、なぜ!?」
思わず一歩踏み込む。
「わざとでないなら、なぜ奥様の元へいらしては下さらなかったのです?」
声が震える。
怒りのせいか、それとも別の感情のせいか、自分でも分からない。
「奥様は……昨夜、旦那様をずっと待っていらっしゃったのに!」
どれほど緊張していたことか。
どれほど勇気を振り絞っていたことか。
それを思い出しただけで、胸の奥が痛くなる。
「来てくださると信じて! たとえどんなことがあろうとも、旦那様は最後には奥様を選んでくださると信じていたのに!」
ぎゅうと、旦那様の襟を掴んだ。
「それなのに、どうして……」
こんなの、奥様が可哀想すぎる。
「奥様は、最後まで旦那様を信じていらしたんですよ……」
朝が来るまで、恐らく一睡もせずに。
「来てくださるって。旦那様なら約束を守ってくださるって……」
信じて。信じ続けて。そうして、一人きりで朝を迎えたのだ。
「なのに、どうして……」
それ以上は言葉にならなかった。
奥様の辛い心情を考えると、喉が詰まって。
気づけば視界が滲んでいた。
苦しんでいたのは奥様なのに。
それを思うだけで、私まで涙が出そうになってしまう。
けれど──。
次の刹那。
「ニーナは僕を、ずっと待っていてくれたのか……?」
旦那様の口から漏れたのは、謝罪でも言い訳でもなかった。
むしろ、どこか喜びを滲ませたような声。
「……は?」
思わず眉をひそめる。
何かがおかしい。
今の話のどこに、そんな反応をする要素があったというのだろう。
分からないけれど、ここで嘘を吐いても仕方がない。
「はい……。恐らくですが、夜を徹して旦那様の訪れをお待ちになっていたと思います」
正直に答えると、旦那様の口元が目に見えて歪んだ。
「そうか……。ニーナが僕を……そこまでして……」
「旦那様……?」
その表情に、一種の恐怖のようなものを感じ、私はそっと旦那様から手を離す。
旦那様は、私に襟を掴まれていたことなど、まるで気にも留めていないようだった。
それどころか、焦点の合わない目でどこか遠くを見つめている。
その顔には、先ほどまでの動揺も罪悪感もなく。代わりに浮かんでいたのは、信じられないものを目にした人間の歓喜だった。
「ふふ……そうか……」
「だ、旦那様?」
思わず一歩後ずさる。
怖い。
怒っている旦那様も恐ろしいけれど、今の旦那様はそれとは別の意味で怖かった。
「それで、ニーナは今どうしている?」
先ほどとは打って変わって、爛々と瞳を輝かせて尋ねてくる旦那様に、私は戸惑いながら答える。
「今は……泣き疲れて眠っていらっしゃいますが……」
それを聞いて、旦那様はとても満足げに頷いた。
「そうか、泣き疲れて……。それは当然、僕が昨夜ニーナの部屋に行かなかったことが原因なんだよね?」
ぞわり、と背筋を悪寒が走る。
どうしてそんなことを確認する必要があるのだろう。
どうしてそんなに嬉しそうなのだろう。
理解できない。
理解できないからこそ怖かった。
「当たり前です!」




