涙
私が無断外泊したせいで、ノヴェント公爵家が大騒ぎになっていた頃──私は通い慣れた医院の病室で、温かいお粥をいただいていた。
「……美味しい」
ほっとするような温かさに、口からつい溜息が漏れる。
それをベッドにしがみつくようにして見守っていた“シル”と呼ばれた少年は、満面の笑みを見せた。
「うまいだろ? それ、俺の母ちゃんの直伝なんだぜ。先生は料理がからっきしだから、先生の食事の世話は、いつも俺と母ちゃんがしてるんだ」
「まあ、そうなの。じゃあシルは、お料理がとっても上手なのね」
得意げな顔をする少年に、ふふっと笑い、もう一口お粥を口にする。
このお粥がこんなにも温かくて心を癒してくれるような気がするのは、きっとシルの優しい気持ちが入っているからなのだろう。
リシテアが私に作ってくれるものと同じ、温かな気遣いを感じられる食事──。
セルディオ様の食事やお茶には、日々私が彼の体調に合わせて、様々な薬草を混ぜ込んでいた。
ずっと元気でいて欲しいから。彼に体調を崩してほしくはないから。
時間を見つけて少しずつ薬草の勉強をし、寝る間を惜しんで本を読み漁ったこともある。
次期公爵夫人としてではなく、一人の妻として彼の力になりたかったから。
なのに──どこでどうして、歯車が狂ってしまったのだろう。
私達は愛し愛される関係で、お互いが唯一無二の存在だったはずなのに。
リンカ様が現れるまでは、まだ夫婦としての体裁を保っていられた。例えそれが公の場でしかなかったとしても。セルディオ様は公の場だけでは、まだ私のことを妻として扱ってくれていた。
それが崩れたのは──リンカ様が彼に連れられて公の場に姿を現すようになってからだった。
行き先が同じであるため、夜会に出席する際は同じ馬車で会場へと向かうものの──馬車を降りた瞬間に、彼はリンカ様のもとへと向かってしまう。まだ馬車から降りていない私に手を貸すことすらなく、一直線に彼女のもとへ──。
以前は私も、情熱的に愛されていた。
私の世界の全ては彼で、彼の世界の全ては私だと信じて疑いもしていなかった。
なのに今では、最後に二人で穏やかに笑い合った日さえ思い出せない。
「……っ、うっ……、ふっ……」
ポタリ、と透明な雫が温かいお粥の上に落ちた。
「えっ、どうしたの? そんな泣くほど俺のお粥が美味しかった!?」
勘違いして慌てるシルに、『違う』と言いたい。
確かに彼のお粥は美味しいけれど、これは悲しみの涙なんだと。
けれど同時に、それをわざわざ伝えなくても、誤解させたままでいいような気もしていた。
涙の理由を説明したところで、この胸の痛みが軽くなるわけではないのだから。




