幻
「……ニーナ、君も元は子爵令嬢だったから、爵位に関する偏見などは持っていないと思っていた。だが……そうではなかったんだな、残念だよ」
言いたい事だけを言うと、セルディオ様はリンカ様を庇うようにしながら身体の向きを変える。
恐らく、二人で会場に戻るつもりなのだろう。けれどこのまま戻られては、私は彼に誤解されたままになってしまう。
「お待ちください、セルディオ様」
それだけは嫌だと声をかけるも、彼は足を止めるだけで振り返ってはくれなかった。
「君がリンカを泣かせたせいで、僕はその尻ぬぐいをしなければならなくなった。彼女を喜ばせるために、もう一曲ダンスをしてくる。君もいつまでも外にいないで、会場に戻るように」
弁解する隙もない、冷たい物言い。
私は何も悪くないのに、どうして分かってくれないの?
私は今日、セルディオ様とダンスをしてはいない。本来なら夜会のファーストダンスは、夫婦で踊るのが決まりなのに。
“もう一曲”と言った以上、彼が今日既にリンカ様とダンスを踊っている事は確かだ。
「なのにどうして私は……」
ダンスにさえも誘ってもらえないのか。
こうなると、仲睦まじいと言われていた頃が、本当に夢だったかのように思えてくる。
あの時の幸せは幻だったんじゃないか、辛い今だけが現実で、その現実から逃れるために自分が都合良く作った幻想だったんじゃないか──と近頃は考えるようになっていた。
「そんなこと……あるわけないのにね……」
あの幸せな頃がなかったら、私はセルディオ様と結婚なんてしていなかった。筆頭公爵家の嫡男と、平凡な子爵家の令嬢が結ばれる──なんてこともあり得なかっただろう。
たくさんの困難を乗り越えて結ばれた二人なのに、終わりはこんなにも呆気ないものなのか。
「出会ってから四年……まだ、たったの四年しか経ってないのにな……」
ベンチに深く座り直し、もう一度星空を見上げる。
セルディオ様には会場に戻るよう言われたけれど、二人がダンスを踊っているのを目の当たりにするのは辛く、どうしても戻りたくなかった。
もしあの二人が「お似合い」なんて言われていたら、涙が堪えきれなくなってしまうかもしれないから。
若くて可愛らしいリンカ様。彼女は笑うだけで人を惹きつける。
一方の私は愛想よく振る舞うことも得意ではなく、ただ真面目に公爵夫人としての務めを果たそうとしてきただけだった。
彼女のような愛嬌や無邪気さを、私は持ち合わせていない。もしかしたらセルディオ様は、彼女のそんなところに惹かれたのかもしれなくて。
「だったら私に、勝ち目なんてないじゃない……」
呟いた私の声は、知らず震えていたのだった──。




