責任
「シル、こっちよ!」
車椅子を押すシルを先導し、リシテアが応接室へ向かって駆け出す。
その背後から、焦りに満ちたセルディオ様の声が追いかけてきた。
「待て、お前達! ニーナを返せ!」
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
私はただ、セルディオ様と冷静に話をしに来ただけだったのに──。
この状況では、まともな話し合いなどできるはずがない。いや、できるわけがなかった。
背後から迫る切迫した声に、私は車椅子の上で小さく身を震わせる。
「ここよ、早く!」
リシテアが客間の扉を勢いよく開ける。
シルはそのまま車椅子を押して室内へ飛び込み、ほぼ同時にリシテアが外側から扉を閉めた。
その直後、セルディオ様も追いついたらしい。
「ここを開けろ!」
扉の向こうから怒声が響き、それに負けじとリシテアが毅然と言い返した。
「奥様にお触れにならないとお約束いただけるのでしたら、お通しいたします」
「貴様! 使用人ごときが主人に逆らっていいと思っているのか!?」
セルディオ様の怒号が屋敷中に響き渡る。
けれどリシテアは怯むことなく、静かな、それでいて揺るぎない声で答えた。
「私の今の主人は奥様です。奥様のお言葉になら、私は何があっても逆らいません」
あまりにも真っ向から言い返したリシテアに、私は思わず息を呑んだ。
(そんな強気なことを言って……叩かれたりしないかしら……)
胸を締めつけられるような思いで扉を見つめていると、シルがそっと扉を細く開け、外の様子を窺った。
「とにかく、そこをどけ!」
「いいえ、どきません。奥様に手を出さないとお約束いただけるまでは」
セルディオ様もリシテアも、一歩たりとも譲ろうとしない。
互いに鋭い言葉を交わす二人を見つめていたシルは、やがてこちらへ振り返り、小さく肩をすくめた。
「ここに来る前に俺が言ってたこと、本当に現実になっちゃったみたいだね」
「ええ……そうね」
ここへ来る前、シルは心配してくれていた。
屋敷に閉じ込められたり、「帰さない」と無理を言われたりするかもしれない、と。
その時の私は、そんなことがあるはずないと笑っていた。
まさか、その不安が現実になるなんて思ってもいなかったから。
久しぶりに会ったセルディオ様は、以前とはまるで別人のようだった。
数日前に再会した時にも違和感は覚えていたけれど、人の自由を奪おうとするような方では決してなかったはずなのに。
「セルディオ様は……一体どうしてしまったのかしら……」
いつも自信に満ち、誰よりも堂々としていた彼が、今日はまるで別人だった。
子どものように私へ縋りつき、必死に手を伸ばしてくる。
まるで、大切なおもちゃを取り上げられるのを恐れる子どものように──必死になって。
もしも──それが、私のせいなのだとしたら。
私がセルディオ様のもとを去ったことが、彼をここまで変えてしまった原因なのだとしたら。
置き手紙だけを残し、何も告げずに屋敷を出た自分にも、きっと責任はあるのだろう。
「……シル。扉を開けてくれる?」
できるだけ落ち着いた声で、私はそう頼んだ。
「ニーナさん!? それは……」
驚きに目を見開くシルへ、私は小さく微笑みかける。
「私は今日、セルディオ様と向き合うためにここへ来たの」
一度だけ静かに息を吸い、続けた。
「だったら、ここで逃げるわけにはいかないわ」




