狂気
「さあ、ここだよ」
公爵邸の最も奥まった場所にある扉の前で、セルディオ様が立ち止まった。
その扉は他の部屋に比べて明らかに重厚で頑丈な作りをしており、私は言い知れぬ嫌な予感に襲われる。
「あの、セルディオ様。話し合いなら、別のお部屋にしていただきたいのですが……」
胸騒ぎを覚えて場所の移動を申し出たものの、セルディオ様は不思議そうに首を傾げるだけだった。
「どうして? この部屋は、僕が君のために用意した特別な部屋なんだよ?」
言うが早いか、彼は使用人に扉を開けさせ、室内へと足を踏み入れる。
中に入った瞬間、あまりの広さに私は目を見張った。
豪華な家具が所狭しと配置され、大きな窓からはあたたかな陽光が差し込んでいる。セルディオ様の手によってそっと下ろされたベッドはとても柔らかく、優しく包み込まれるような心地よさだったのだけれど──。
「ちょっと待ってよ!」
突然、シルの緊迫した大声が響き渡った。
「え……シル、どうしたの?」
驚いて振り返ると、シルは足早に窓辺へ駆け寄り、ビシッと外を指差した。
「なんで窓に鉄格子なんて嵌まってるわけ!? ドアだって妙に頑丈だし……この部屋、なんかおかしいよ!」
それは、私が先ほど感じた嫌な予感の正体そのものだった。
どれほど豪華で快適にしつらえられていようと、この部屋を囲む構造は、まるで囚人を閉じ込めるための檻だ。
けれどセルディオ様は、至極当然といった風に微笑む。
「何もおかしなことなどないさ。これらは全てニーナを外敵から守るために必要な防護だよ。決してニーナを閉じ込めるための檻なんかじゃない。勘違いしないでくれ」
穏やかな言葉とは裏腹に、背筋を凍らせるような違和感は消えない。
異常なまでに痩せ細り、深いクマを刻んだ今のセルディオ様。かつての面影がないほどの容姿もさることながら、先ほどリンカ様の名を出した際の言葉には、正常な理性を感じられなかった。
「……やはり、別の部屋でお話を」
私はシルに目配せをし、傍に車椅子を寄せてくれるよう頼んだ。
しかし次の瞬間、セルディオ様は車椅子を乱暴に蹴り飛ばすと、逃がすまいと私を強く抱きすくめた。
「駄目だ! ニーナはもうどこにもやらない! 絶対に離さない! やっと僕の元へ戻ってきてくれたんだ、ずっとずっと探していたんだよ! 僕はもう、君のいない生活なんて考えられないんだ!」
「だからって、こんな所に閉じ込めるのは違うだろ!」
シルが懸命に私を引き剥がそうと取りすがるが、子供の力が狂気に満ちた大人に敵うはずもない。無慈悲に振り払われ、猛烈な勢いで床に尻もちをついた。
「シル、大丈夫!?」
リシテアが駆け寄ろうとするよりも早く、シルは素早く跳ね起きると、蹴り飛ばされていた車椅子を掴み、セルディオ様に向かって勢いよく突進する。
「ニーナさんを離せえっ!」
「ぐうっ……!?」
車椅子が脇腹にぶつかり、セルディオ様が苦痛に顔を歪める。
その衝撃で腕の力が緩んだ隙を逃さず、私は素早く車椅子へ腰を下ろした。
「いくよ!」
それと同時にシルは車椅子の押手を掴み、全力で廊下へと飛び出した。




