リンカの後悔
人の気配がまるでしない部屋の中で、アタシは広いベッドの上を、ごろりと大きく寝返りを打った。
やることが何もない。ただ毎日が、無意味に過ぎていくだけ。
あまりの退屈さに、アタシは今の暮らしから逃げ出したくなっていた。
「あの頃は楽しかったなぁ……」
まだ奥様が屋敷にいた頃。
セルディオとの仲をこれ見よがしに見せつけ、アタシなんかよりずっと立場が上だった奥様を見下し、蔑み、傷つける。
そんな日々は、アタシの歪んだ心をこれ以上ないほど満たしてくれた。
なのに、奥様がいなくなった途端、全てが色褪せてしまったのだ。
アタシをまるで空気のように扱うセルディオ。
そして、主人に倣うようにアタシを無視する使用人達。
食事や衣服など、生きるために必要最低限のものだけは用意される。
けれど、それ以外には誰一人として関心を向けてくれない。
話しかけても返事すら返ってこないのだ。
セルディオに至っては、近づこうとしただけで突き飛ばされる始末だった。
──どうして?
アタシは、あなたの愛人でしょう?
愛人なら、愛されるのが当たり前じゃないの?
そう詰め寄っても、返ってきたのは冷たい一言だけだった。
「契約書に、そんな条項はない」
だったら色仕掛けならどうだろうと、わざと服を乱して身体を寄せても、向けられるのは嫌悪に満ちた視線だけ。
「あの日は酒と薬のせいで、貴様とニーナを間違えただけだ。でなければ誰が貴様のようなクソ女を……口にするだけで穢らわしい」
そこまで言われた。
アタシがセルディオに純潔を捧げたのは、こんな扱いを受けるためじゃなかったのに……。
こんなことになるくらいなら、以前の暮らしの方がまだマシだった。
家族が多くて暮らしは貧しく、満足に食事もできない毎日だったけれど、それでも家族みんなで他愛ない話をして笑い合う時間があった。
働いていたカフェでも、仲良くなった人達や常連のお客さんが、いつも気さくに声をかけてくれた。
あの頃のアタシは、貧しくても独りじゃなかった。
──だけど今は違う。
この屋敷でアタシに優しくしてくれる人は、一人もいない。
使用人達は、奥様を追い出した厄介者を見るような冷たい目を向けるだけ。
誰も話しかけてこない。笑いかけてもくれない。
広くて豪華な屋敷にいるはずなのに、あの頃よりずっと寂しかった。
「どうしてこんなことになったのよ……」
奥様を追い出せば、セルディオに愛されて公爵夫人になれると思っていた。
彼に愛されさえすれば、誰もが羨むような暮らしが手に入る。もう二度と、平民同然の貧しい生活には戻らずに済む──そう信じていた。
なのに。
蓋を開けてみれば、アタシはただの愛人で。
しかも愛される存在ですらなく、都合よく使い捨てられる駒でしかなかった。
貴族は表面を取り繕うのが上手い。だから騙されてはいけない。
セルディオとの逢瀬に浮かれていたアタシへ、友達は何度もそう忠告してくれていた。
それなのに、アタシは耳を貸さなかった。
その報いが、今のこの有様だ。
公爵家の人間として相応しい教養を身につけるため派遣された家庭教師も、アタシのあまりの出来の悪さに匙を投げ、早々に辞めてしまった。
その結果、一般常識すら身についていないアタシを人前へ出すわけにはいかないと判断され、半ば幽閉されるように別邸へ移されたのだ。
使用人がほとんどいないこと自体は気にならなかった。
アタシはほぼ平民育ちだ。一通りの家事くらい、自分でこなせる。
だけど、最低限の体面だけは保ちたかったのだろう。
セルディオは数人の使用人を配置し、身の回りのことを何もかも任せるようにした。
そのせいで、アタシは何一つやることがなくなってしまったのだ。
いっそ使用人がいなければ、食事の支度や掃除でもして気を紛らわせることができたのに。
貴族の嗜みだからと刺繍道具だけは渡されたけれど、そんなものに興味はない。
アタシが好きなのは体を動かすこと。針を持って細かい作業をすることじゃない。
やることもなく、かといって外へ出ることも許されず、ただ何も変わらない毎日だけが過ぎていく。
せめてセルディオに会わせてほしいと頼んでも、返ってくるのは、「次期公爵様は執務でお忙しいそうです」という、事務的で冷たい言葉だけだった。
寂しい。
苦しい。
家に帰りたい。
──これが、身の丈に合わない幸せを望んだ代償なの?




