第8話 精密機械の復讐、そして冬の足音
全話に変更点があります。 大会に参加しているライバルチーム 変更前→チーム・鮫島のみ 変更後→ チーム・鮫島 & チーム・影山の2チームとなっています。
第8話 精密機械の復讐、そして冬の足音
会場は影山が作り上げた重苦しい空気と、昴を期待する静かな熱気が混在していた。
対戦筐体の重厚な椅子に深く腰掛けた昴の背中からは、言葉を介さずとも周囲を圧倒するほどの、静かで冷徹な怒りが陽炎のように立ち昇っている。
「昴……」
隣で草野に肩を支えられながら、まだ震える手で涙を拭う蘭が、その頑なな後ろ姿を縋るように見つめた。
対面側の席では、勝利の余韻に浸る影山が、相変わらず歪んだ下品な笑みをその下卑た顔に浮かべている。
「おっ、怖いねぇ。……けどよ、格ゲーってのは頭に血が上って怒った奴から、順番に負けるって決まってんだぜ?」
「影山。一つだけ、お前のような人種が忘れていることがあったな」
昴は使い込まれたコントロールレバーを一度だけ、垂直にカチリと倒した。
その極めて無駄のない、機械的な動作一つにすら、常軌を逸した凄まじい集中力が宿っている。
「今からお前は『無様』という言葉の意味を知ることになる」
——対戦開始。
電子音声のコールが響き渡ると同時に、両者の画面が激しく動き出す。
影山は先ほどの試合と全く同じく、ヨガシムのリーチの長い手足を画面いっぱいに使い、バックジャンプを交えて距離をとりながら執拗に牽制する戦術に出た。
だが、昴が操作するアレンは、一ミリの無駄なフレームすら存在しない完璧な歩きとガードを見せ、ヨガシムが形成する鉄壁の間合いを完全に無効化していく。
焦った影山が、牽制のために不用意に長い腕を伸ばしたその瞬間、昴は自らの中に封印していた「未来の知識」を完全に解禁した。
それは二〇〇九年当時、まだ概念すら確立されておらず、誰もが「人間の反応速度では不可能」と切り捨てていた、敵の攻撃の空振りに一フレームの猶予もなく自らの技を完璧に差し込む神技『差し返し』だった。
「なっ……!?」
影山が伸ばしたヨガシムの腕の先端に、吸い込まれるような超反応でアレンの鋭い拳が突き刺さる。
そこから始まったのは、コンボという名の、慈悲なき一方的な「処刑」のステージだった。
レバーを弾き、ボタンを刻む昴の指先のアジリティは、もはや人間のそれではない。
それは、遥か未来のトッププレイヤーたちが研究の果てに極めた、最も高いダメージ効率を叩き出すための確定ルート。
重低音を響かせて一撃が入るたびに、影山のヨガシムは無様に空中へと打ち上げられ、地面に落ちて受身を取る猶予すら与えられずに次の追撃を浴び続ける。
完全にパニックに陥った影山が、窮地を脱しようと無敵時間のある必殺技を放つが、昴はそれすら完全に予期していたかのように、わずか一歩だけ後ろに下がることで軽々と回避し、そこへ最大級の威力を誇る確定反撃を冷酷に叩き込んだ。
「なんだよ、これ……動けねえ! 俺のターンが、一度も来ねえぞ!」
影山が狂ったようにレバーをガチャガチャと叩いて叫ぶが、昴は一言も発せず、ただ冷徹に画面を支配し続ける。
第一ラウンドは、相手に一本の髪の毛ほどの傷もつけさせない、完全なるパーフェクト勝利。
続く第二ラウンドも、影山が苦肉の策として何を仕掛けようとも、昴の脳内にある未来のデータはすべてを完璧に予見していた。
決死の飛び込みには寸分の狂いもない対空技、起死回生の投げ技に対しては吸い付くような完璧な投げ抜け。
影山がさきほど蘭に対して行ってみせたような、相手を愚弄する屈伸運動をする精神的余裕など、一秒たりとも与えられない。
最後は、アレンの放つ究極奥義が、画面の端で縮こまる影山のヨガシムを木端微塵に粉砕した。
K.O.の赤い文字が画面に躍ると同時に、静まり返っていた会場からは割れんばかりの歓声——いや、もはや人間の限界を超えたプレイに対する、畏怖に近い悲鳴のような叫びが上がった。
筐体から静かに席を立った昴は、レバーを握ったままガタガタと敗北の恐怖に震える影山に視線一つ向けず、ただ真っ直ぐに蘭の元へと戻っていった。
「昴……凄かった。あんな、格好いいアレンの動き、今まで見たことない」
「……終わったよ。もう大丈夫だ」
昴はそっと、蘭の華奢な肩を優しく抱き寄せる。
その瞬間、昴の鋭い眼光から冷徹なプロゲーマーの顔がすっと消え、いつもの穏やかで優しい大学生の表情に戻った。
準決勝は、昴が圧倒的な実力差を見せつける三タテのストレート勝ちで決着した。
しかし、その様子を遠巻きに眺めていた鮫島は、この最悪の事態すら最初から予見していたかのように、薄暗い椅子の影で冷酷に笑っていた。
「影山、本当に使えねえゴミが。……まあいいさ、本番の決勝は来月だからな。春原、お前のその『化け物じみた操作』が、どこまでメッキを剥がされずに続くか、今から楽しみにさせてもらうぜ」
迎えた決勝戦、昴がこちらでも大活躍をする。
対戦相手は因縁のチーム・鮫島、だが奴がいない……。
奴は、この決勝戦に上ったことで得られる次の大きな大会への出場権だけを手に入れ、この場から去っていたのだ。
結果はこちらでも昴の三タテ、そうして大会は熱狂の中終わった。
息を呑むようなあの大会の熱狂から、数日が過ぎた。
慌ただしく十月が終わりを告げ、部屋の壁に掛けられたカレンダーは十一月へとめくられた。
大学の広大なキャンパスには、本格的な秋の終わりと冬の到来を告げる、乾いた冷たい北風が木々を揺らしながら吹き抜けている。
「……ふわぁ。すっかり寒くなったな、おい」
午前中の講義の合間、大学の中庭にあるベンチで、草野が身を縮こまらせながらポケットに手を突っ込んだ。
「ああ。後期が始まって、気がつけばもう1ヶ月以上が経つんだな」
昴はベンチに座りながら、自分の手のひらをじっと見つめた。
二十歳の若く瑞々しい体と、三十八歳という酸いも甘いも噛み分けた大人の記憶。
この奇妙で矛盾した存在としての生き方が、今や自分自身の新しい「日常」として、違和感なく定着しつつあった。
「あ、昴! 草野くん!」
遠くのイチョウの並木道から、声を弾ませた蘭がこちらへと駆けてくる。
今日の彼女は、新調したという薄手の白いダウンジャケットに、季節感を先取りした暖かそうなチェック柄のミニスカートを合わせていた。
冬の訪れを優しく感じさせるその可憐な装いが、彼女の持つ透明感のある白い肌をより一層美しく引き立てている。
「ほら、これを見て。十一月末に開催される大会の案内。鮫島のチーム、今度は私たちの鼻を明かすために、県外から超有名なプロゲーマーを助っ人として呼ぶって噂だよ」
蘭が少し小さな手で差し出してきたチラシには、十一月下旬に開催予定の『オータム・カップ』という太い文字が印刷されていた。
十月に開催されたあの大会は、あくまで地域ごとの予選に近い位置づけであり、十一月末に控えるこの本戦こそが、このエリアの地域最強を決定する本当の戦いの舞台だった。
「……鮫島のあの執念も、大したもんだ。だが、こっちだって何の準備もしていないわけじゃない」
昴は隣に座る蘭の横顔を見つめた。
あの大会で味わったあまりにも理不尽な屈辱を乗り越え、今の彼女の瞳には、以前よりも格段に強く激しい情熱の炎が宿り、日々の練習にも熱が入っている。
キャンパスでの穏やかな大学生活、そして互いのプライドを賭けて戦う格ゲーの世界。
その二つの異なる世界が複雑に重なり合いながら、時は進む。
「ねえ、昴。今日の練習を始める前に、少しだけ寄り道していかない? 駅前に新しく美味しいクレープ屋さんができたんだって」
蘭が少し照れくさそうに頬を染めながら、昴のコートの袖をちょこんと引いた。
「いいぜ、行こう。光彦、お前はどうする?」
「……はぁ。俺は空気を読むことに関しては自他共に認める天才だからな。一人で先にいつものゲーセンへ行っているよ」
草野が呆れたような苦笑いを浮かべながら、ひらひらと手を振って一人で背を向けた。
秋風が吹き抜ける、二人きりになったキャンパスの並木道。
足元でカサカサと心地よい音を鳴らす色鮮やかな落ち葉を踏みしめながら、昴と蘭はゆっくりと歩き出した。
「……昴。私ね、あの大会のステージで負けた時は本当に悔しくて怖かったけど、今はあの出来事に少しだけ感謝しているの」
「感謝?」
「うん。だって、昴が私のために、あんなに本気になって怒ってくれたから。……私、いつまでも守られるだけじゃなくて、昴の隣に立つにふさわしい、本当に強いプレイヤーになりたいって、心から思ったんだ」
蘭がふと足を止め、潤んだ瞳で昴の目を真っ直ぐに見つめた。
冷たい寒風に少しだけ赤らんだ彼女の愛らしい耳元で、小さく揺れるお気に入りのピアス。
それは、昴が持っているはずの「未来の記憶」のどこを探しても存在しない、新しく紡がれた蘭の美しい表情だった。
「……ああ。一緒に行おう、蘭。この先にどんな強敵が待っていようと、新しい未来へ」
昴は蘭の冷たくなった小さな手を、包み込むように強く握りしめた。
あの不可解なタイムリープを経て、この世界軸での生活は、過去の歴史をなぞるだけの単なる「修正」ではなく、自分たちの手で未来を切り開く新しい「創造」へと、確かに変わり始めていた。
だが、その穏やかで幸福な時間の裏側で、晩秋の嵐は静かに、そして着実に彼らを破滅させるための牙を研いでいた。
鮫島が裏から呼び寄せるという、格ゲー界「最強の刺客」。
二〇〇九年、十一月。
彼らの物語は、さらなる過酷な激闘の時へと突入していく。




