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タイムリープ・後悔に塗れたアラフォー元ゲーマー~未来技術と魂の叫びで最愛の彼女との別れを書き換える~  作者: 星野サダメ


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第5話 真の目覚め、悪意の種

 第5話 真の目覚め、悪意の種


 大会が近づく。

 秋の深まりは、単なる季節の移り変わり以上の速度で街の色を奪っていった。

 夕暮れ時、ビルの隙間を吹き抜ける風は冷徹な刃のような鋭さを帯び始め、行き交う人々の襟を縮めさせる。


 大学の最後の講義を終えた昴は、身を切るような寒風を避けるようにして、いつものルートを歩いていた。

 隣には、他愛のない雑談を交わす草野、そしてどこか緊張した面持ちで歩幅を合わせる蘭の姿がある。

 三人が向かうのは、商店街の片隅、ネオンの明かりが路地を照らすゲームセンターだった。

 自動ドアが開くと、電子音と重低音が混ざり合った特有の熱気が、冷え切った身体を包み込む。


「……よし、今日で完成させる」

 筐体を満たすブラウン管の鈍い光に顔を照らされながら、昴が静かに、しかし確固たる決意を込めて呟いた。

 その声に、隣に腰掛け、ポテトチップスを無造作に口へ運んでいた草野がピタリと手を止めた。

 指先に残った塩を払うのも忘れ、草野は目を丸くする。


「完成って、おいおい……何がだよ? 昨日の時点で、お前もうこの界隈の強豪を全員文字通り『分からせて』ただろ。店内の誰も寄せ付けないレベル、いや、この地域じゃ敵なしの怪物状態じゃねえか」

「いや、まだ足りないんだ。今のアレンは、ただ『ミスをしないだけ』の精密機械に過ぎない。それじゃあ、土壇場……本当の修羅場で牙を研いだ鮫島のザガドと対峙した時、あの理不尽なまでの判定の強さと一撃のパワーに、力任せに押し切られる可能性がある」

 昴が見つめる画面の中、ドット絵の魔術によって描かれた格闘家アレンが、静かに拳を握って佇んでいる。

 この『アイアンファイターズ4』におけるアレンというキャラクターは、誰もが最初に触るスタンダードな主人公キャラという位置づけでありながら、当時は「器用貧乏」「全般的に並以下」という評価がコミュニティの常識だった。

 飛び道具も対空技も一通り揃ってはいるが、裏を返せば特化した強みが何一つない。

 尖った性能を持つ上位キャラの引き立て役に過ぎない——それが、二〇〇九年という時代における格ゲー界の「絶対的な常識」だった。


 しかし、精神だけが未来から逆行してきた昴は、その常識の先にある真実を知っている。

 もう少し先の未来で研究を重ねた一部の求道者たちが発見することになる『アレン』の真の姿を。

 特定のキャンセルルートと、当時「硬直が長すぎて使い道がない」とゴミのように切り捨てられていた特殊技。

 これらを狂いなく組み合わせることで、相手の行動選択を完全にコントロール下に置き、攻防一体の絶対防御にして苛烈極まる「要塞」へと変貌を遂げる未来のセオリーを。


「蘭、ちょっと見ててくれ。これが、俺たちが競合のひしめく大会で泥をすすってでも勝ち上がるための、最後のピースだ」

「うん……!」

 蘭が、潤んだ、しかし熱い熱を帯びた視線を昴の横顔に送る。

 彼女はこの数週間という短い時間の中で、昴への信頼を日ごとに、より確固たるものへと変えていた。

 ゲームのレバー捌きの上手さもさることながら、ふとした瞬間に彼が覗かせる、同年代の大学生とは思えない大人の余裕と達観。

 そして、自分を真っ直ぐに見つめてくる、射抜くような強い瞳。

 彼女のピュアな心は、既に格ゲーの「師弟関係」という窮屈な枠組みを飛び越え、もっと別の、名前のつかない場所へと踏み出し始めていた。


 レバーが鋭く叩かれる。

 昴の指先がボタンの上を滑り、これまで以上に高速で、かつ恐ろしいほど精密なリズムを筐体に刻み始めた。

 画面の中のアレンが、一見すると何の変哲もない中パンチを繰り出す。

 だが、その拳が相手のガードに触れたか触れないかの刹那、直後に繰り出された必殺技への繋ぎが、ゲームの物理法則を無視したかのように不自然な速さで発生した。

 通常、どんな技であっても、攻撃の終わりにはキャラクターが動けない「硬直フレーム」が存在する。

 だが、昴が体現しているのは未来のトッププレイヤーたちが編み出した極限の技術だ。

 特定のフレームに一瞬の狂いもなく特定のコマンド入力を重ねることで、その硬直そのものをシステム的に消滅させる「ゼロフレーム・キャンセル」。

 開発者すら想定していなかったであろうバグ寸前の高等テクニックを、彼は完璧に再現してみせた。


「なに、今の……? 技と技の間にあるはずの隙間が、完全に繋がって……」

 蘭の綺麗な目が見開かれ、言葉を失う。

「これがアレンの真骨頂、隠されたシステムだ。スタンダードに見えて、実は全キャラクターの中で最も発生が速く、最も重い攻めを継続できる。……未来の……いや、俺が死に物狂いで見つけた『最強』の答えだ」

 それは、二〇〇九年の格ゲー界というタイムラインには存在しないはずの、時代を先取りしすぎた圧倒的な「暴力」そのものだった。

 隣で見ていた草野は言葉もなく呆然と口を開け、蘭は胸の高鳴りに突き動かされるように、感極まった様子で昴の細い腕をきつく掴んだ。


「凄いよ、昴! これなら、絶対に負けない。これを見せられたら手も足も出ないよ!」

「ああ。……でも、これを使うのは大会当日、本当に追い詰められるまで伏せておく。手の内は見せず、切り札は最後まで隠しておくのが勝負の鉄則だからな」

 昴は、自分の腕を掴む蘭の小さな手の上に、そっと自分の手のひらを重ねた。

 以前の彼なら、こうした距離感に少なからず戸惑いや気恥ずかしさを覚えていただろう。

 だが、今の彼にはそれがない。

 もう二度と失いたくない、守りたいものがあるという退路を断った決意が、彼の精神を芯から強く、冷徹にさせていた。


 練習の帰り道。

 夜の帳が下り、駅へと続く頼りない街灯の下。

 蘭は、少しでもこの時間を引き延ばしたいかのように、名残惜しそうに歩みを緩めていた。

 アスファルトに伸びる二人の影が、ゆっくりと重なり、また離れる。

「ねえ、昴。最近、ゲームセンターの人たちや周りのみんなが、昴のこと噂してるよ。『急に覚醒した、とんでもないアレン使いが店に居着いている』って」

「まあ、あれだけ連勝してりゃあね。目立つのは仕方ないかな」

「それだけじゃないよ。……その、ゲームの話じゃなくて、女子の間でも。昴、最近なんか雰囲気が変わってかっこよくなったねって、大学の友達が噂してたんだから」

 蘭が、少しだけ不満げに形の良い唇をツンと尖らせる。

 嫉妬が混じったその愛らしい仕草に、精神年齢三十八歳という大人の経験と理性を持つ昴も、思わずドクンと胸の奥が疼くのを止められなかった。

「……蘭は、どう思う?」

「えっ?」

「俺が、かっこよくなったって噂の話」

 昴はふと足を止め、振り返って蘭の瞳を真っ直ぐに見つめた。

 頭上から降り注ぐ街灯の、どこかノスタルジックなオレンジ色の光が、彼女の少し潤んだ瞳の奥にキラキラと反射していた。


「……私は、前から知ってたよ。みんなが気づく前から、昴が本当は凄くて、優しい人だってこと。でも、今の昴は……なんだか、私の知らない遠いところへ行っちゃいそうで。それが、少しだけ怖いの」

 蘭の華奢な指先が、昴の着ているジャケットの裾を、微かに震えながらギュッと握り締めた。

 かつての未来では、彼女がプロゲーマーとして世界の華やかな舞台へと駆け上がり、実力の通用しない自分がただ置いていかれる恐怖に怯えていた。

 だが、今はその構図が完全に逆転している。

 未来の知識と、それを実践できる圧倒的な実力を手に入れた自分が、彼女の目には「底の知れない、得体の知れない強者」として映り、距離を感じさせてしまっているのかもしれない。


「どこにも行かないよ、蘭」

 昴は一歩踏み出し、蘭の細い肩を引き寄せると、壊れ物を扱うように優しく、しかし力強く抱きしめた。

「俺がこんなふうに強くなったのは、他のみんなのためじゃない。蘭、君と一緒にいたいからだ。君を一人にして絶望させないために。俺は、誰が相手だろうと勝ち続けるんだ」

「昴……」

 腕の中で、蘭の柔らかな体温と甘い香りが伝わってくる。

 彼女もまた、小さく息を呑んだ後、昴の胸にそっと顔を埋めた。

 その確かな温もりを確かめるように、深く、愛おしそうに息を吐き出す。


「信じて、いいの……?」

「ああ。約束する。大会で優勝して、俺たちの強さが本物だってことを世界に証明しよう。……それから、もっとその先の話を、二人でしよう」

 二人の身体的な、そして心の距離が、かつて昴が過ごしたどの未来よりもずっと近く、そして確かな熱を持って結ばれた瞬間だった。



 しかし、書き換えられようとする運命の歯車が、そう平穏なまま回るはずはなかった。

 三人が熱気の残るゲームセンターを去ってから、数時間が経過した深夜。

 客の足も途絶え、筐体のファンが回る音だけが響く薄暗い店内の奥で、一人の男がフードを深く被ったまま、昴が先ほどまで使用していた筐体のプレイ記録を画面に呼び出し、凝視していた。

「……何だ、今の不自然なリプレイは。技の繋ぎがおかしい」

 低く、地を這うような声の主は、鮫島だった。

 彼は、昴の「常軌を逸した急成長」に強い不信感を抱き、裏で店員に大金を握らせて買収して、対戦データを抜き出させていたのだ。

 画面の中で何度も、何度もスロー再生される、アレンの異常極まる挙動。


「あり得ねえ。こんなフレーム単位のジャスト入力、人間の手で、実戦の緊張感の中でできるはずがねえ……」

 鮫島の顔が、驚愕からやがて狂気じみた激しい怒りへと歪んでいく。

 青白いブラウン管の光が、彼の引きつった表情を不気味に浮かび上がらせた。

「ハメ技だろうが、非公式のチートだろうが、そんなことはどうでもいい。……春原、大会のステージでお前のその澄ましたツラを、絶望と涙でぐちゃぐちゃに染め上げてやる」

 鮫島はポケットから荒々しく携帯電話を取り出すと、登録されたある番号をコールした。

 呼び出し音が数回鳴り、相手が繋がる。

「……ああ、俺だ。例の大会、予定通り『あの件』を頼む。……あの中に、一人生意気な『化け物』が混じり込んでやがる。金ならいくらでも積む。そいつの心を、ゲームごと徹底的にブチ折って潰してくれ」

 スピーカーの向こうから、低く冷酷な笑い声がノイズ混じりに響く。

 それは、二〇〇九年当時の格ゲー界において、「勝つためならリアルでの手段も選ばない」と暗に恐れられていた、裏社会に近い場所にいる無法者の強豪プレイヤーたちの介入を予感させるものだった。


 静かに、しかし確実に吹き荒れる嵐の予感。

 昴たちが過去を塗り替えるために手にした「未来の力」と、利権とプライドを守るために鮫島が引き寄せる「現実の悪意」。

 運命のトーナメント開始のゴングが鳴り響くまで、残された時間はあとわずか。

 昴はまだ気づいていない。

 彼が必死に書き換えようとしている歴史の修正力が、より険しく、より巨大な絶望の壁となって、彼の前に立ちはだかろうとしていることを。


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