第4話 重なる指先、加速する心
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第4話 重なる指先、加速する心
鮫島から突きつけられた宣戦布告から数日。
大学の退屈な講義が終わるやいなや、昴、蘭、草野の三人は、まるで何かに急き立てられるようにいつものゲームセンターへ集まることが完全に日課となっていた。
十月末に迫った大会に向けて、昴は二人に二十年後の未来で洗練された「未来のセオリー」を容赦なく叩き込み始めていた。
「いいか、蘭。ブランの最大の強みは、その圧倒的な機動力と裏表が判別しにくい『めくり』の視覚的な分かりにくさにある。でも、今の蘭はコンボの技を出すことだけに必死で、相手との命綱である距離(間合い)がまったく見えていない」
「うう……。頭ではね、ミリ単位で分かってるんだけど、焦ると指が勝手にレバーを動かしちゃうの」
蘭はコントロールパネルにしがみつくようにして、悔しそうに唸っていた。
彼女が相棒として使う『ブラン』は、画面の端から端まで獣のように跳ね回る、極めてトリッキーなキャラクターだ。
しかし、そのあまりにも奔放な動きゆえに、ガードが鉄壁な上級者を相手にすると、途端に攻め手を欠いて手詰まりになりやすいという致命的な弱点も抱えていた。
「ちょっと失礼するぞ」
思考より先に体が動いた昴は、蘭のすぐ背後に回り込み、そっと彼女の右手に自分の大きな手を重ねた。
「っ!? す、昴……?」
不意の接触に、蘭の華奢な肩がびくりと小さく跳ねる。
二十歳の瑞々しく、どこか甘い香りのする肌の熱が、昴の手のひらを通じてダイレクトに伝わってきた。
未来の時間軸では何度も愛おしく繋いだはずの手。
だが、まだ何も知らない今の彼女にとっては、これは心臓の鼓動が止まるほどに劇的な急接近だ。
背後のベンチで見物している草野が「お熱いねぇ、ごちそうさま」とニヤニヤしながら茶化しているが、昴の瞳はどこまでも真剣そのものだった。
「レバーを握る無駄な力を抜け。手のひら全体じゃなく指の腹で、ボタンの『カチッ』という微小な感触だけを鋭敏に感じ取るんだ。……ほら、焦れた相手がラインを上げて飛んだ。ここで一瞬だけ我慢して、限界まで引きつけてから……今だ」
昴が蘭の震える手を優しく導き、完璧なフレームで対空迎撃の必殺技を繰い出させる。
画面の中のブランが、まるで計算され尽くした芸術的な軌道を描いて、空中から襲いかかった相手を冷酷に叩き落とした。
「あ……。今、すごく相手の動きが『見えた』気がする」
蘭が肌を紅潮させて感嘆の声を漏らし、勢いよく振り返る。
その拍子に、吐息が届きそうなほどの至近距離で、二人の視線が真っ直ぐに混じり合った。
蘭の大きな瞳が、未来への純粋な期待と、それ以上の熱っぽい感情を帯びて昴をじっと見つめている。
「……あ、ごめん。ちょっと距離が近すぎたか」
三十八歳の精神が持つ理性がようやくブレーキをかけ、昴は慌ててその手を離した。
だが蘭は、離れていく昴の手の温もりを名残惜しそうに見つめた後、小さく、愛らしく首を振った。
「ううん。……もっと、私に教えて。私、昴の隣で胸を張って戦えるようになりたいから」
その一切の計算がない真っ直ぐな言葉に、昴の胸の奥が締め付けられるように疼く。
かつての未来の自分は、このあまりにも純粋な言葉に勝手に劣等感を抱き、彼女の手を放して無様に逃げ出したのだ。
今度は、どんなことがあろうとこの手を絶対に離さないと、昴は心に誓った。
特訓の張り詰めた合間、草野がジュースを買いに自販機へと席を外したとき、蘭がふと悪戯っぽさを消した真剣な顔で昴に尋ねてきた。
「ねえ、昴。……どうして急に、そんなに手の付けられないくらい強くなったの? 鮫島との対戦もそうだけど、今の昴って、勝っても負けても全然ブレないよね。私たちくらいの年齢って、もっとゲームに一喜一憂して、頭に血が上ったりするハズなのに……」
核心をあまりにも正確に突く問いに、昴の心臓がドクリと激しく跳ねた。
「……そんな風に、冷めて見えるか?」
「冷めてるっていうか、ううん、違うの。なんだか、すごく大きな挫折をして、一度全部を失くした後に這い上がってきた……まるで、何十年も修羅場をくぐってきたベテランみたいな目をしてる。私を見る目も、優しいけど、どこか私の知らない遠い過去を悔やんでるみたいで」
蘭という女性が持つ天性の洞察力は、この当時から恐ろしいほどに鋭かった。
昴は少しの間だけ言葉を失って沈黙し、ネオンの光が混じり合う、夜の帳が下り始めた窓の外の景色を見つめた。
「……もし、本当に一度人生に大負けして、何もかも失いかけた俺が、今度こそ大切なものを守るためにここにいるんだとしたら。蘭は俺を信じてくれるか?」
冗談めかして笑い飛ばそうとしたつもりだったが、蘭は決して茶化さなかった。
彼女は静かに昴の隣の椅子に座り直し、自分の小さな手を、彼の着ている服の袖口にそっと添えた。
「信じるよ。だって、今の昴が、私を必死に助けようとしてくれてるのは絶対に本当だもん。理由なんて、なんだっていいよ」
「蘭……」
「でもね、一つだけ約束して。……一人で、全部の重荷を背負い込まないで。私、昴が思っているほど弱くないよ?」
蘭の向けた笑顔の奥には、数年後に世界を魅了するプロゲーマーとしての、凛とした強さが既に確かに宿り始めていた。
昴は胸の熱さを誤魔化すように深く息を吐き、自分の中に燻っていた最後の「迷い」を完全に断ち切った。
これまでは、未来の知識を使ってどこかお試し期間を過ごしていたに過ぎない。
だが、ここからは本気で、自らの手でこの残酷な世界線を書き換えなければならない。
「分かった。……じゃあ、俺もこれからは一切の手加減なしで本気を見せるよ。蘭、明日から俺、アレンの戦い方を変える」
「えっ? アレンのまま?」
昴は激しい光を放つ画面を鋭く見つめた。
アレン。
それは彼が昔から今までずっと使っていた、スタンダードな歴代の主人公たちのハイブリッドのような扱いやすいキャラクターだ。
確かに万能ではあるが、これといった突き抜けた強みに欠ける器用貧乏というのがこの当時の一般的な評価だった。
だが、この『アイアンファイターズ4』というゲームにおいて、時代を越えて真に頂点を目指すための唯一無二の「解答」となる、隠されたポテンシャルを彼は未来の記憶から知っている。
「キャラはアレンのままだ。だが、中身を変える。明日から、誰も見たことのない『アレン』を見せてやるよ」
昴は使い古された筐体の設定画面を素早く開き、キャラクターのカラーセレクトを選択した。
「今まで見せていたのは、模範解答通りの誰にでもできるアレンだった。これからは、今の世界で俺にしかできない『アレン』に完璧に仕上げる。……このゲームの、本当の主人公としてね」
アレンという不遇なキャラクターは、数ヶ月後に行われる開発元のバージョンアップで、歴史的な「最強の一角」へと変貌を遂げる。
その隠されたポテンシャルを一足早く引き出す超絶的な操作法は、未来のトッププレイヤーたちが血の滲むような研究の果てに編み出した技術の極致だった。
それからの数日間、昴のプレイは周囲が息を呑むほどにさらに鋭く、研ぎ澄まされていった。
そんな地獄のような特訓が終わった深い夜、疲れ果てた二人は一緒に最寄りの駅まで歩くのが二人の暗黙の恒例行事になっていた。
十月の街を吹き抜ける夜風は容赦なく冷たさを増している。
「今日もすっかり寒くなったね」
蘭が寒さに身を縮め、小さな肩をすくめる。
「……ほら、これ使えよ」
昴は自分が着ていた薄手のグレーのパーカーを脱ぎ、蘭の細い肩にふわりとかけた。
「えっ、でもそれじゃあ昴が寒くて凍えちゃうでしょ?」
「俺はさっきまで台を叩いて体を動かしてたから、むしろ熱いくらいだ。……それに、大事な時期に蘭に風邪でも引かれたら、チーム全体の戦力が大幅に落ちるからな」
口から出たのは、自分の本心を隠すためのひねくれた照れ隠しの言葉。
だが蘭は、パーカーの大きな襟元からふわりと漂う昴の匂いに包まれ、本当に幸せそうに目を細めた。
「……じゃあ、お言葉に甘えて。……ねえ、昴。この大変な大会が終わっても、こうしてずっと一緒に歩いてくれる?」
潤んだ瞳で小首を傾げる、愛らしい上目遣いの蘭。
薄暗い街灯の下、彼女の瞳がまるで星のようにキラキラと潤んで見える。
「当たり前だろ。こんな大会はただの通過点に過ぎない。俺たちの『これから』続く未来は、もっと気が遠くなるほど長いんだから」
昴の手が、引き寄せられるように自然と蘭の小さな手に伸びた。
蘭はそれを決して拒まず、それどころか愛おしそうに指を絡ませ、壊れ物を扱うように、だけどしっかりと握り返してきた。
互いの体温が混ざり合うように、十本の指が深く交差する。
かつての残酷な未来ではどうしても繋ぎ止められず、零れ落ちてしまった大切な絆が、今、確かな熱量を持って再び結ばれていた。
「……負けないよ、私たちなら」
「ああ。絶対に勝つ」
背後にあるゲームセンターの、電子音の喧騒が静かに遠のいていく。
いよいよ、大会の日が目の前まで近づいていた。
2009年サブカル的トピック
『けいおん!』第1期終了と「放課後ティータイム」の旋風
2009年春にスタートしたテレビアニメ『けいおん!』は、同年6月末に本編の放送を終えたあとも、その熱狂が後半戦(7月〜12月)にかけてさらに加速し、音楽チャートや楽器業界を巻き込む巨大な経済・社会的潮流へと発展していった。女子高生たちが軽音部でゆるやかな日常を過ごし、時にバンド活動を行う――かきふらいの4コマ漫画を京都アニメーションが卓越した作画と演出で映像化した本作は、「日常系アニメ」というジャンルを日本のポップカルチャーの中心へと押し上げる決定打となった。
2009年後半において特に凄まじかったのが、劇中バンド「放課後ティータイム」名義でリリースされた音楽CDの快進撃である。7月に発売されたミニアルバム『放課後ティータイム』は、アニメのキャラクター名義のアルバムとしてはオリコン史上初となる週間チャート初登場1位を獲得。さらに、彼女たちが作中で使用していた楽器(ギブソンのレスポール・スタンダードやフェンダーのジャズベースなど)や、オーディオテクニカの高級ヘッドホンなどがまたたく間に特定され、初心者の若者がこぞって楽器店へと走る事態が発生した。
全国の楽器店でエレキギターを始める若者や、軽音部に入部する中高生が急増したこの現象は「けいおん効果」と呼ばれ、サブカルチャーの枠を越えて一般の経済ニュースでも大きく取り上げられた。アニメが単なる「観賞用のコンテンツ」にとどまらず、若者のライフスタイルやリアルな音楽市場を直接的に動かす原動力になることを証明した。秋には早くもテレビシリーズ第2期の制作が発表されるなど、アニメビジネスにおけるメディアミックスの可能性を大きく広げた、2009年最大のヒット作である。




