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タイムリープ・後悔に塗れたアラフォー元ゲーマー~未来技術と魂の叫びで最愛の彼女との別れを書き換える~  作者: 星野サダメ


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 第3話 嵐の前の、茜空

 第3話 嵐の前の、茜空

 鮫島を圧倒的な実力差で退けた日から、数日が経った。

 十月に入り、長く退屈だった夏休みが明けた大学のキャンパスには、後期授業の再開を告げる独特の活気が戻っていた。

 行き交う学生たちの賑やかな話し声、それとは対照的などこか気怠げな空気。それらすべてが混ざり合い、懐かしい喧騒となって校舎を包み込んでいる。

 講義棟。

 歴史を感じさせる古びた木製の机と椅子が階段状に並ぶ大講義室の片隅で、昴はノートを取る手を止め、シャーペンを置いた。

 そして、大きく開け放たれた窓の外に広がる、燃えるような茜色の空をじっと眺めていた。

 夕暮れの光が室内に長く伸び、机の上の教科書をオレンジ色に染め上げていく。

(……間違いない。すべてが、あの頃のままだ)

 タイムリープという非現実的な現象に直面してから、すでに数日が経過している。

 しかし、目の前に広がる世界は驚くほど精巧に、そして冷酷なまでに昴の記憶通りに推移していた。

 擦り切れたノートの質感も、教授の単調な講義の声も、すべてがかつて経験した過去の再現だ。

 唯一のイレギュラーがあるとするならば、それは自分自身の存在——正確には、二十歳の若々しい肉体に宿ってしまった、「三十八歳の経験値と記憶」だけだった。

 かつて格ゲーにすべてを捧げ、環境の過酷さに言い訳を重ねて挫折していった男の魂が、今ここにいる。

「おい、昴。さっきから完全に上の空だぞ。教授、今あそこテストに出るって言ったのに、お前ノートが真っ白じゃねえか」

 隣の席で、大あくびを噛み殺しながら、草野光彦が肘で小突いてきた。彼の前髪は相変わらず少し跳ねており、手元のルーズリーフには落書きが散らばっている。

「悪い、少し考え事をしてたんだ」

 昴は苦笑しながら、視線を窓の外から光彦へと戻した。

「格ゲーのことか? ……まあ、この界隈じゃ誰も手が付けられなかった鮫島を、あんな子供扱いするなんてさ。お前、夏休みに山にでも籠もって秘密の修行でもしてきたのかよ」

 草野は呆れたように肩をすくめて笑うが、その切れ長の目には、隠しきれない畏敬の念が浮かんでいた。

 未来の記憶が、昴の脳裏をかすめる。実際の歴史では、草野は格ゲーの限界を感じて早々にコントローラーを置き、手堅い中堅企業に就職し、卒業後は自然と疎遠になっていった。やがて連絡も取らなくなる、かつての友人。だが、今の彼は違う。純粋に友人の驚異的な上達を我がことのように喜び、からかってくる、最高に気のいい相棒がそこにいた。

「……光彦。お前さ、将来の就職とか、どう考えてる?」

「はぁ? 何だよ、突然に。まだ二年の十月だぞ? 気が早すぎるだろ」

 光彦は怪訝そうに眉をひそめ、頭の後ろで手を組んだ。

「まあ、普通に適当な商社かメーカーにでも滑り込んで、人並みなそこそこの給料もらえりゃ御の字だろ。都会で一人暮らしできて、たまに美味いもん食えればさ。お前だって同じようなもんだろ?」

 ありふれた、そしてかつての二十歳の自分も間違いなく持っていたはずの、無難で現実的な未来設計。普通の人間ならそれでいい。

 だが、三十八歳の精神を持つ昴は知っている。

 数年後、この界隈に「プロゲーマー」という明確な職業が確立されることを。そして、かつて大人たちから「ただの子供の遊び」と蔑まれていたものが、世界中から莫大な熱狂を集め、数千万円、数億円という富を生み出す狂気の時代がやってくることを、彼は確信していた。

「そうか。……まあ、お前なら真面目だし、どこでもやっていけるだろうな」

「なんだよ、急に真面目腐った顔して。気持ち悪いな。……お、噂をすれば。あっちも昨日の『伝説の目撃者』のご登場だぜ」

 光彦が顎で、開いた大講義室の入り口を示す。そこには、一際華やかで、周囲の空気を変えるような人影が現れた。

 飯森蘭。

 白い清楚なブラウスに、秋の訪れを感じさせる落ち着いた臙脂色のカーディガンを羽織った彼女は、長い髪を揺らしながら教室内を見渡した。

 そして、最後方の席にいる昴の姿を見つけると、パッと花が開いたように顔を輝かせた。

「昴! 草野くんも。やっぱりここにいた」

 彼女が軽い足取りで歩み寄ってくるだけで、周囲にいた男子学生たちの視線が一斉に集中し、ひそひそとした囁き声が広がる。

 未来の彼女が、海を渡ったアメリカの地で圧倒的な脚光を浴びたのも頷ける話だった。

 他を寄せ付けない圧倒的な「華」が、この頃からすでに彼女の身に纏っていたのだ。

「蘭、そっちの授業はもう終わったのか?」

「うん、もう終わったよ。ねえ、今日もこの後、いつものゲーセン行くんでしょ? 私、どうしても昴に聞きたいことがあるの」

 蘭の大きな瞳は、純粋な好奇心と、ゲーマーとしての隠しきれない勝負欲でキラキラと輝いていた。

 昨日の昴が見せた、常識外れの圧倒的なプレイ。

 それが、彼女の心の中に眠っていた「格ゲーマーとしての本能」を、完全に呼び覚ましてしまったらしい。

 ________________________________________

 放課後のゲームセンター。

 西日が差し込む夕方の時間帯はまだ客足も疎らで、薄暗い店内に整然と並んだ『アイアンファイターズ4』の筐体群は、電子音のハミングを響かせながら、静かにプレイヤーの到来を待っていた。

「教えて、昴。……昨日の、ザガドの『バイパーショット』を完璧に抜けた後のあのコンボ。あれ、どうやって繋げてるの?」

 蘭は昴と隣り合わせの筐体に座るなり、待ちきれないといった様子で身を乗り出して聞いてきた。

 彼女の手元を見れば、デモ画面をキャンセルした1P側の画面には、彼女の愛機である野性味溢れるキャラクター「ブラン」の姿がすでに選択されている。

 獰猛に吠える画面の中のブランと、それを見つめる蘭の可憐で美しい容姿。

 その鮮烈なギャップが、筐体の青白い光の中で奇妙な存在感を放っていた。

「それは、アレンの弱パンチの戻りフレームを、必殺技の先行入力でキャンセルしてるんだ。二〇〇九年の今の理論だとシステム的に『繋がらない』と言われてるんだけどさ。実は、1フレーム——つまり60分の1秒だけ、猶予がある」

 昴は慣れた手つきでレバーを握り、実演して見せる。

 カツン、カカクン、と小気味よい音が響く。画面の中でアレンが流れるような無駄のない動きを見せ、本来なら繋がらないはずの連続技が、鮮やかにヒット数を刻んでいった。

「1フレーム……。そんなの、ただの人間業じゃないよ」

 蘭は筐体を見つめたまま、驚きに目を見開く。

「感覚じゃないんだ、蘭。これは純粋な『知識』と『リズム』の問題だ。タイミングさえ身体に染み込ませれば、蘭なら三日練習すれば平然とできるようになる」

 それは決して、彼女を喜ばせるための嘘ではなかった。

 蘭には、生まれ持った天性の指捌きと動体視力がある。

 未来の記憶の中で、世界に羽ばたいた彼女は、これより遥かに難易度の高い1フレームの目押しコンボを、大観衆が息を呑む大会の大舞台で、平然とノーミスで決めてみせていたのだ。

「私なら……本当にできる?」

「ああ。蘭は、俺が思っている以上に凄いプレイヤーになるよ。……いや、俺が責任を持って、そうさせてみせる」

 不意に口を突いて出た真っ直ぐな言葉に、蘭は一瞬だけ呆気に取られた後、急に頬を林檎のように赤らめて視線を逸らした。

 パチパチと瞬きをしながら、照れ隠しにコントローラーのボタンをそっと指先で叩く。

「……なんか、今日の昴、ずるい。前よりずっと大人に見えるし、言うことも自信満々だし」

「そうかな」

「そうだよ。……でも、嫌いじゃないな。その方が、私にとっても追いかけ甲斐があるっていうか」

 二人の間に、筐体の喧しい稼働音に混じって、甘く、それでいてどこか切ない空気が流れる。

 未来の世界で別れた時、彼女は寂しそうに「もう、あなたの隣にはいられない」と言った。

 それは、トッププレイヤーとして走り続ける彼女と、成長を止めてしまった自分への、絶望の言葉だった。

 だが今は違う。

 彼女が、かつての自分を追おうとしてくれている。

 その時だった。

 店内の空気が一瞬で凍りついたような緊張感に包まれた。

 自動ドアから入ってきたのは、数人の取り巻きを連れた、大柄で威圧感のある男。

 数日前、昴にプライドを粉々に砕かれたはずの男——鮫島剛だった。

 だが、先日のような尊大な笑みはどこにもない。

 その顔には、一晩中考え込んだような青白い隈と、隠しきれない屈辱、そして獲物を泥沼に引きずり込もうとする蛇のような執念がべっとりと張り付いていた。

「……春原。やっぱりいたか」

 鮫島が、ドカドカと足音を響かせて昴の背後に立つ。

「また負けに来たのか? 鮫島」

 昴は画面を見たまま、冷淡に言い放つ。三十八歳の擦り切れた精神は、不良崩れのこの程度の威圧では、微塵も揺るぎはしなかった。

「抜かせ。この前はただ不意を突かれただけだ。……あの後、一晩中考えたぜ。お前のあの動き、ネットの限定動画か、どこぞの有名強豪のプレイでも盗み見てきたのか?」

 鮫島は、自分が負けた理由を必死に外部へ求めるように、早口で捲し立てる。

「ただの練習不足だよ、あんたの」

「……いい度胸だ、春原。もうすぐ隣町の『ビッグ・トップ』で三対三のチームトーナメントがある。そこで白黒つけようじゃねえか」

 チームトーナメント。

 その単語を聞いた瞬間、昴の記憶の回路が激しく火花を散らした。

 そうだ。二〇〇九年十月。

 隣町の大型ゲームセンター『ビッグ・トップ』で開かれる、この地方最大級の大会。

 県外からも猛者が集まり、後に全国区へと名を上げるプレイヤーたちが、まだ無名のまま火花を散らしていた時代の分岐点だ。

 そして——未来の蘭は、この大会に出ていない。

 当時の彼女はまだ「上手い女子プレイヤー」の域を出ず、本格的に才能が見出されるのはもっと後になってからだった。

 だがもしここで、その存在が“発見される側”に回れば。

 この時代の強豪たちに、その才能が刻まれれば。

 未来は、確実に変わる。

「……どうした、春原。怖気づいたか?」

 鮫島は口元を歪める。

「それともアレか? そっちの女の方が怖いか? “可愛い格ゲー女子”ってやつだ。大会に出しゃそれなりに客も呼べるだろうな。負けたチームはこの界隈から永久追放。ついでに、その女もプロモーションの飾りにでも使ってやるよ」

 蘭の肩がわずかに強張る。

 その瞬間、昴の中で静かに、だが確かに何かが切り替わった。

 蘭は、そんな扱いを受けるためにいるわけではない。

 そして彼女の才能は、本来ならもっと早く世界に届いていいはずのものだ。

 この場はむしろ好都合だ。蘭の未来を動かす起点になる。

 そしてもう一つ、自分自身もまた、この先へ進むための入口に立てるという確かな感触があった。

「いいだろう。受けて立つ。その大会、俺たちも出る」

 昴の声は静かで、しかし揺るがない芯があった。

「ただし勘違いするなよ、鮫島。蘭はお前らの飾りじゃない。それに——お前らが思っているほど弱くもない。この大会で全部分かる。誰が本物で、誰が思い込みで動いてるのかをな」

 鮫島は鼻で笑い、踵を返した。

「……後悔すんなよ」

 自動ドアが閉まり、店内に静寂が戻る。


 張り詰めていた空気が緩むと同時に、草野が心底心配そうに、おずおずと声をかけてきた。

「昴……本当に大丈夫なのか? あいつのチーム、噂だと県外からもかなり強い遠征組の奴らを呼ぶって話だよ」

 蘭もまた、不安と信頼の入り混じった瞳で昴を見上げていた。

「大丈夫だ。……光彦、蘭。二人とも、俺についてきてくれるか?」

 昴の真っ直ぐな問いに、二人は一瞬だけ驚いたように顔を見合わせた。

 やがて、草野が頭をガリガリと掻きながら呆れたように息を吐き出した。

「……しょうがねえな。お前があんな格好いいこと言っちゃったら、ここで俺だけ逃げられねえだろ」

 光彦が不敵に笑うと、隣で蘭もまた、小さく、だが力強く拳を握りしめて頷いた。

「私、あんな奴らに絶対に負けたくない。昴と一緒に、勝ちたい!」

「……よし。それじゃ、今日から特訓だ。まずは蘭のブランから、当時の『常識』をぶち壊していくぞ」


 未来の知識という名の最強の武器を手に、過去を塗り替える。

 それは、ただのゲームの勝敗を競うだけのものではない。

 隣にいる大切な人を守り、自分が望む未来へ進むための戦いの幕開けだった。


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