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美しすぎる王太子の妻になったけれど、愛される予定はないそうです  作者: 榛乃


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過去の記憶

「――異能だねえ」


 男性は飄々とした口調で言った。驚くでもなく、恐れるでもなく、面白がるでもなく。まるで、今日の天気が晴れであることを告げるのと同じような、軽い調子で。侍女が用意してくれたクッキーを、指先でひょいと摘み上げながら。


「開花したのは、幼少の頃じゃないかな。随分と色が濃いから」


 何でもないことのようにそう言って、男性はチョコレートでコーティングされたクッキーを頬張る。「これ美味いね」と、呑気にケーキスタンドへ手を伸ばす彼を、リリアはただ呆然と見つめていた。異能、開花、幼少の頃――。ぶつ切りにされた言葉たちが耳に入り込んでいるのは分かるけれど、なにひとつうまく呑み込めない。まるで全く違う国の言語を使っているのではないかと思うほど。何度頭の中で反芻してみても、全く以て理解出来ない。


 お茶会の翌日、ルイスの指示で全ての授業を取り止めることとなったリリアは、朝食を終えて早々、セドリックに連れられ応接の間へと足を運んだ。

 そこで待っていたのは、すらりとした長駆の、軍服に身を包んだひとりの男性だった。首の後ろで細い三つ編みに結わえられた、ラベンダーグレイの長い髪の毛。凛としたした切れ長の目に、すっと通った鼻梁。何よりも視線を惹いたのは、左右で色の異なる瞳だった。右が紫紺で、左が琥珀の、蠱惑的な光を滲ませたオッドアイ。


 ユリウス・ヴァレンティヌスと名乗った彼は、顕聖隊の副隊長を務める軍人だった。確かに、ゆるく着崩された上着の左胸に、顕聖隊であることを示す印が輝いている。その割に、セドリックやモーリスに比べると、本当に副隊長なのかと訝りたくなるほど彼は悠然としていた。飄々としている、といえばいいのだろうか。しかしその掴みどころのなさが、彼の纏う空気をミステリアスに染めているような気がした。


(まさか私に、異能があるだなんて……)


 今まで“ない”と思っていたものを、いきなり“ある”と言われても、俄には信じられない。いくらそれが、異能を用いて“視た”ものであったのだとしても。何年もの間、異能はないと自他ともに思い込んでいたのだから。今更その凝り固まった観念をひっくり返すのは、難しい。


 ユリウスの持つ異能は、“魂視”というもので、言葉の通り人間の魂を“視る”能力だという。そこに揺らぐ色や形で、相手の持つ異能や、その時の感情などを読み取れるのだ、と、彼は小さなチョコレート菓子を食べながら言っていた。左目の色が違うのはそのせいだ、とも。


 異能とは、“神が魂を認めた者に与える祝福”だとされ、故にその力の根源は、人間の魂に宿るものと信じられている。そうであるのなら、魂を“視る”ことのできる彼が、その力の有無を見抜けるというのも、道理だ。

 けれど、だからといってすぐに納得出来るわけではない。


「しかも、君のは精神系の異能なんだよね」


 グラスに注がれた葡萄酒を舐めるように飲み、ユリウスはソファの背凭れにゆったりと寄り掛かる。開け放たれた窓から流れ込む穏やかな風が、レース地のカーテンをふわりと膨らます。


「精神系の異能ってね、稀有なんだよ。王国中から顕現者を集めた顕聖隊の中でさえ、僕を含めた三人しかいない。それくらい珍しいもんなんだ」


 いつの間にか腿の上にのせられていた小ぶりな籠から、こんがりと程よく焼けたスコーンをひとつ選び、ユリウスは一思いに齧り付く。たっぷりつけられた苺ジャムの、甘酸っぱい香りが鼻先を掠める。真ん中に挟まれていたクロテッドクリームが押し出され、今にもスコーンの端からこぼれ落ちそうだ。


「何で精神系の異能が少ないか、知ってる?」


 唇の端についた赤いジャムを唇の先でぺろりと舐め取り、ユリウスはふっと目を細める。そんな彼の、左右で色の異なる美しい瞳を見つめながら、リリアはゆるゆるとかぶりを振った。


「殆どの異能はね、遺伝が珍しくないんだよ。例えば、セドリックがそうだね。彼は父親と同じ白炎を操る能力を持ってる」


 こぼれ落ちそうなクリームに気付いて、ユリウスは慌てて残りを口の中へ押し込む。

 実力もあり、頭も切れるが、顕聖隊一の変わり者――。ここへ来る道中、セドリックはユリウスについて、苦笑を滲ませながらそう言っていた。今なら彼の言わんとしていたことが分かるような気がする、と、こくりと上下する白い喉仏を見るともなく眺めながらリリアは思う。けれど、不思議とそれが嫌ではない、とも。


「でも、彼らと違って精神系の異能は、遺伝しないんだ。所謂、“突然変異型”だから」


 他者の感情、記憶、意識、五感などに影響を及ぼす精神系の異能は、攻撃などに特化した他の異能とは異なり、“魂”に干渉をする力だ。それは本来、人知を超えた存在である“神”のみが司る領域とされる。つまり精神系の異能は、“神の領域に触れる力”ということだ。それ故、“神の意志により、特別に選ばれた者”にしかその力は与えられないと信じられ、その神秘性から、精神系の顕現者を“神に最も愛された者”として崇拝する宗教団体まであるという。


「だから、精神系の異能は唯一無二なものも多いんだよ。同じ時代に、同じ力を持った顕現者がいないのが殆どだ。しかも、目に見えるような異能じゃないからさ、気付くのが遅れがちにもなる。君がずっと異能持ちじゃないと思ってたのも、まあ、しかたがないね」


 葡萄酒をちびちびと飲むユリウスから目を逸らし、リリアはそっと、腿の上に広げた右掌に視線を落とす。そこにはもう、カップの破片でついた傷跡は、どこにもない。破片が突き刺さっていたことも、赤い鮮血が滲み出ていたことも、じくじくとした痛みが疼いていたことも、まるでなかったかのように。青い血管を薄っすらと透かした白い皮膚が、以前と変わらぬ様相で広がっている。


「ちょっとひとりで喋りすぎちゃったかな。何か質問はある?」


 軽やかな声音に促され、リリアは俯けていた顔をそろそろとあげながら、言葉を選ぶようにゆっくりと間をおく。そうして、ユリウスの双眸を、真っ直ぐに見つめた。


「……この異能は、殿下のお役に立てるものなのでしょうか」


 控えめながらも、どこかに静かな決意を孕んだその問いに、ユリウスが僅かに目を見開く。驚いたというよりも、意外だ、というふうに眉を顰め、それからすぐに肩を竦めて息を吐いた。開け放たれた窓から、愛らしい鳥の囀りが微かに流れ込んでくる。


「君、正気なの? “お飾り”でいいって言った男だよ?」


 呆れたような口ぶりだったが、その声音は心做しか愉しんでもいるようにも聞こえ、リリアは苦笑を浮かべながらこくりと頷く。


 “白昼夢”だと思っていたものが、実は異能で視た“過去の記憶”だった――。ユリウスのその断言を、今も完全に受け入れられているわけではないけれど。それでも、それを聞いてすぐ頭に浮かんだのは、ルイスの背中だった。たったひとりで政務をこなす彼の、小さくも逞しい後ろ姿。


「それでも……」


 今までは、何の取り柄もない人間なのだと、思っていた。才能も異能も何も無い、役立たずの人間なのだ、と。


 けれど、実際は異能を発現させていた。重宝される戦闘向きの力ではなく、ただ“過去を視る”ことしか出来ない精神系の力ではあるけれど。それでも、“過去を視る”ことで何らかの役に立てられれば、と思った。ルイスの為にその力を使うことが出来れば、と。

 王太子妃教育の只中で、書類ひとつ捌くことの出来ない今、唯一役立てそうなものといえば、魂に宿った異能の力だけしかないのだから。それは漸く見つけた、たったひとつの“価値”だ。


「それでも……私は殿下のお役に立ちたいのです」


 強い意思の籠もった眼差しで見つめ返すと、ユリウスはほんの一瞬呆気にとられたような顔をして、それから、ふっ、と吹き出した。肩を揺らし、くつくつと声を漏らしながら笑い出した彼に、今度はリリアが呆然としてしまう。あまりにも楽しげな様子に、どこか拍子抜けしたような気さえして、戸惑いながら目を瞬かす。


「ははっ。健気だねぇ、君」


 気が済むまで一頻り笑い、ユリウスは目尻に滲んだ涙を指先で拭い取ると、腿にのせていた籠をテーブルの上へ戻し、悠然とした動きで長い足を組んだ。


「でも、ルイスが君の力を意図的に使うことはないだろうね」


 口調こそ軽いものの、迷いのないきっぱりとした言葉に、胸の奥がつんと痛む。そんなリリアを、ユリウスは組んだ足に頬杖を付きながら、ふふっと笑った。からかうでもなく、嘲るでもなく。まるで、安心しなよ、とでも言うように、やわらかく。


「べつに、君の力が役立たないわけじゃないよ。使い道はいくらでもあると思う。だからこそルイスは、君の力を使わないはずだ」


 リリアは小さく息を吸い込み、こくりと唾を呑み込む。震える指先をそっと重ね合わせ、膝の上でぎゅっと握り締めた。

 そんな彼女に、ユリウスはにこりと笑みを深める。まるで何もかもを見透かした上で、それでもそっと寄り添うように。咎めるでも、諭すでもない。ただ、やさしく包みこんでくれるような笑み。


「“ルイスの役に立ちたい”という気持ちが嘘じゃないのは、分かるよ。君の魂は、とても綺麗な色をしてるからね。……でも、君が清らかな心を持っていても、周りが必ずしもそうとは限らない。特に宮廷ってのは、そういう場所だからねえ」


 ははっ、と乾いた笑い声をこぼし、ユリウスは葡萄酒をひとくち啜る。


「精神系の顕現者はね、狙われやすいんだよ。腹に一物抱えた奴らにね」


 まるで独り言のようにそう呟いて、ユリウスはそっと視線を逸らす。まるで、誰もいない部屋の片隅に、かつての誰かの影を見出すかのように。その横顔に、鋭さとも哀しさともつかない深い色を滲ませながら。


「だからきっと、ルイスは君の異能を秘匿事項にするだろう。そういう奴らの企みから君を護る為に、ね」


 再び真っ直ぐに向けられた眼差しを受け止めながら、リリアは握り締めた両手に、僅かばかり力をこめる。


 護る――。その言葉が、どうしても腑に落ちない。意味は、ちゃんと分かっている。理解出来ないわけではない。けれど、それが彼の行動理由になるということが、どうしても呑み込めないのだ。だから、実感も納得も、出来ない。


 確かに最近、ほんの少しだけ、以前より彼との距離が近づいたような、そんな気はしている。声の調子や、ふとした視線の温度がやわらいだような気が。

 けれど、それでも――所詮、“お飾り”の王太子妃にすぎない。そう言われたあの日の言葉は、今も胸の奥に、しこりのように残っている。そんなただの役立たずな配偶者に、彼がわざわざそんな配慮を向けるだろうか。


「まあ、君が信じられないのは無理もないけどね」


 そう言ってユリウスはゆったりと立ち上がると、両手を上に突き上げ、ぐっと伸びをした。


「さあて、そろそろ戻ろうかな。ルイスへの報告もあるしね」


 最後に一枚だけクッキーを摘み上げ、それを口に運びながら、ユリウスはひょいと軽やかに身を翻した。そのまま、まるで散歩でもするかのような足取りで、扉の方へと歩いてゆく。その動きに合わせ、長く垂れたラベンダーグレイの三つ編みが小さく揺れる。


「あ、そういえば」


 ドアノブに手をかけたところではたと足をとめ、ユリウスは肩越しにリリアを振り返る。さっきまでと変わらない、飄々とした笑みを浮かべたままだというのに、左右で色の異なる瞳だけは、どこか底の読めない静けさを湛えているような気がした。


「君が視たルイスの記憶だけど」


 ふたりの間に、小さな沈黙が落ちた。ほんの数度、瞬きをするほどの短い間。けれどその静寂が、リリアの胸をざわりと波立たせる。空気が僅かに張りつめ、何かが訪れる予感だけが、肌の奥をひんやりと撫でてゆく。


 そんな心の揺れを、果たして彼の琥珀は視えているのだろうか。そう思いながら、やわらかな陽光に包まれたユリウスの双眸をじっと見つめ返せば、彼はふっと切なげに微笑み、そうしてゆっくりと唇を開いた。


「――それ、リオネルが死んだ時のものだよ」

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