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美しすぎる王太子の妻になったけれど、愛される予定はないそうです  作者: 榛乃


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ここではない何か

「……君に、俺の何が分かる」


 僅かに自嘲の滲んだ、ひどく冷たい、まるで突き放すような声だった。返せる言葉を見つけられず、リリアは打ち拉がれながら目を伏せる。彼の言う通りだ、と思った。彼の言葉こそ現実なのだ、と。


 分かっているつもりになっていた。彼の様々な姿を見てきたから。ただそれだけで、分かったつもりになってしまっていた。

 けれどそれは、ただ外側を見ていただけに過ぎない。外側を見て、それで感じたものを、自分が勝手に抱いていただけ。それは、ルイスのことを本当に理解しているのとは違うのだ。実際は、何も知らない。何も理解出来ていない。異能の詳細さえ把握していないかった人間に、彼が今何を考え、何を思っているのかなど分かるはずもない。


 何も知らないことへの情けなさと、知ったようなことを口走ったことへの羞恥が、腹の底から苛烈な勢いで込み上げてくる。いたたまれなかった。ルイスの目の前にいることが、今はひどく耐え難い。

 けれどそれ以上に、悔しくて悔しくてたまらなかった。自分の無知さが、無力さが。それらはぐちゃぐちゃになって、心臓の裏側あたりまで深く沁み込んでくる。つんとした疼きとともに。


 渾然一体となった感情に足をとられ溺れると、途端に、どうしようもないほど痛切な欲求が身体を突き抜けた。もっと知りたい、と。重ね合わされただけの手を、そっと握り返すように、ほんの僅かやさしく力をこめながら、リリアは切々と思う。彼のことを知りたい、と。彼のことをもっと理解したい、と。ルイスが何を考えているのか、ルイスが何を思っているのか。どういう過去を歩み、どういう未来を思い描いているのか。もっと、ちゃんと――。


 穏やかな風が静かに吹き抜け、薔薇の華やかな香りがふわりと鼻先を掠める。その匂いに、胸がざわついた。鼓動が、ふとずれたみたいに。


 忽ち、周囲から音が消えた。水の膜によって隔たれたように、ぼんやりと。

 その瞬間、世界の輪郭がじわりと滲んだ。こまかな波紋が広がるように。視界に映る全てが揺らぎ、すうっと溶けるようにして色を失ってゆく。


 そうして眼前に、ここではない何かが広がった。一瞬にして。


 暗く翳った芝生の上に、誰かが横たわっている。地にぐったりと手足を投げ出して。ぴくりとも動かずに。傍らには見知らぬ男が膝をつき、顔を伏せている。横たわっている誰かの服を握り締めながら。それを、横に縦にと激しく揺さぶって。

 そんな二人へ向かって、微かに震えた白い指先が伸ばされる。分厚くかたい何かに行く手を阻まれ、それでも藻掻くようにして。何かを叫んでいるような気がするけれど、声は少しも聞こえない。騒然としているように見えるのに、辺りはひどく静かだ。無音の世界。そこでただひたすら、指先が足掻いている。赤く色付いた、まるで人形のように微動だにしない誰かへ向かって。必死に。太陽のように眩い金色へ。或いは、瞼の裏に隠された青色へ――。


「――リアッ、リリアッ!」


 ぷつん、と糸が切れたように我に返った刹那、視界を埋め尽くしていた光景が、まるで硝子のように砕け散る。


 いつの間にか詰めていた息を吐き、新しい空気を肺いっぱいに吸い込むと、それとともに押し寄せた大きな何かに、胸を貫かれた。生き物のように脈打ったそれは、胸の傷口から体内へと流れ込み、そこここを抉るように激しく回れまわる。怒り、後悔、或いは――哀感。乱暴に鷲掴みにされた心が、今にも爆ぜてしまいそうなほど、きりきりと締め付けられている。苦しい、と思った。胸の内側を擦り、軋ませる苛烈なそれらが。痛い、とも。けれどそれ以上に、悲しい、と――。


 ぐらりと視界が揺らぎ、リリアはたまらず崩折れる。その身体を、ルイスが既のところで抱き留めた。


「おい、どうしたっ」


 爽やかな匂いに包まれながら、リリアは乱れた呼吸を何度も繰り返す。激しく肩を上下させて。その振動に合わせ、俯いた顔からぽろぽろと何かがこぼれてゆく。透明で小さな、たくさんの粒。それは足先で弾けると、幾つもの沁みを作った。次から次へと、絶え間なく。


「おいっ!」


 すぐ傍で聞こえた声に身体が無意識に反応し、リリアはゆっくりと顔をあげ、ルイスの双眸を仰ぎ見た。ぼんやりとした、心ここにあらずな、虚ろな目で。真紅の瞳を。赤い、鮮やかなほど真っ赤な――。


 似ている――と、どこか遠いところでそう思った瞬間、再び音が消えた。


「          」


 何かを言ったはずなのに、その言葉は形がなく、リリアの耳には届かなかった。いや、届いてはいたのかもしれない。届いていたけれど、聞こえなかった。水の膜に隔たれて。全てが無音の世界の外側で動いている。リリアだけをそこにひとり残して。


「……何故、君がそれを……」


 朧な視線の先で、ルイスが目を見開いた。じわりじわり、と、少しずつ大きくなってゆく、赤。愕然と開かれたそこから、今にも真っ赤な瞳がこぼれ落ちてしまいそうだ、と、リリアは漠然と思う。まるであの“赤”のように――。

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