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美しすぎる王太子の妻になったけれど、愛される予定はないそうです  作者: 榛乃


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噂と、信じるもの

 一日の殆どを王宮で過ごしていると、否が応でも、聞きたくもないものまで耳にしてしまう。それは自ずから近づかずとも、勝手に届いてくるのだ。王城のそこここから、ひっそりと忍び寄るようにして。


 王城だろうと侯爵家の屋敷だろうと、そこで日常を送る人々の基本に、大きな違いはない。それは、ルイスという存在から距離がある者ほど顕著だ。使用人の階級が末端へゆけばゆくほど、或いは、ルイスに敵対心を抱いていればいるほど。

 彼ら彼女らは、一様に口さがない。あることもないことも、真実などお構いなしに、平気で囁き合う。


 それを聞く度に、リオネルの存在の大きさを、ひしひしと思い知らされる。死して五年経った今でも、「彼こそが本当の後継者だった」と言って憚らない者もいるほどだ。それほど彼は、偉大な人物だったのだろう。誰からも愛され、尊敬されていた、この国の未来を背負う若き後継者。


(見殺し……)


 破片が刺さったままの赤い掌を見つめ、リリアはそっと息をつく。異能は感情の昂りによって暴走を起こしやすい。それは顕聖隊に所属する隊員でも起こり得るというのだから、鍛錬を積んでいない者であれば、尚のこと制御が難しいだろう。

 ミレイユが顕現者であることは聞いていたけれど、彼女の持つ異能は遠隔でカップを割れるようなものではなかったはずだ。激しい怒りに触れると、異能の本質までも歪んでしまうということだろうか。


「リオネル殿下の死を踏み台にして、王太子になった男の、どこに“後継者としての器”があるというのっ!」


 ミレイユの叫びに驚いて、バードバスで羽休めをしていた二羽の小鳥が、慌ただしく飛び立ってゆく。皮膚に突き刺さる破片をゆっくりと丁寧に抜き取りながら、リリアはただ静かにその羽音を聞いていた。不思議と、痛みは感じない。血濡れた掌が、まるで他人の手に思えてしまうほど、少しも。


「あんな、女のように綺麗な顔をしただけの男が――」


 ミレイユの勢いに気圧され、誰も、何も言わない。身動ぐことすらも。それでもリリアだけは淡々と、破片を取り払った真っ赤な掌を検める。清潔な水ですすいで、消毒をしなければならないだろう、とひどく冷静に思いながら。


「リオネル殿下のような強さも、器の大きさもないくせに、どうして“王”になんてなれるのかしら」


 宮廷には、ここぞとばかりにルイスとリオネルを比べたがる人が多くいる。リオネル殿下がいれば、リオネル殿下だったなら――。それらを聞く度に疑問に思ったものだ。何故そんなにも、ルイスとリオネルを比べたがるのだろう、と。リオネルはリオネルであり、ルイスはルイスであるというのに。


 確かにリオネルは、素晴らしい王太子だったと聞いている。王城内はもちろん、市井でも彼は未だに根強い人気があるほどだ。誰に対しても分け隔てなく優しくありながら、強い信念を持つ一本筋の通った人。リオネルがいるだけで士気が上がるほどのカリスマ性を備え、強力な異能を用いた戦闘で立てた武勲も多い。そんな彼に憧憬を抱き、崇拝をする者がいるのも仕方がないだろう。それほど輝かしい人だったのだ。誰もが未だに“リオネル・クラウディウス”という亡霊に囚われてしまうほどに。


 ルイスは兄のことについて、どう思っているのだろう。血の滲み出てくる傷口に布製のナフキンを押し当てながら、リリアはそっと目を伏せる。一瞬、カトリーヌのかんばせが脳裏を過ったような気がした。幼い頃からずっと両親に可愛がられ、愛情をたっぷり注がれながら育った、才能豊かな異母妹。フローレット家の、“唯一の娘”。


 誰かと比べられ、優劣をつけられる。そんな経験を、ルイスもまたしてきたのだ。今も変わらず、ずっと。そう考えると、自分と彼は似ているのかもしれない、と思った。もちろん能力に恵まれたルイスとでは、全く同じというわけではないのだけれど。それでも、誰かと比べられ、優劣をつけられる人生を踏んできたという点では似ている、と。


 ――価値というものは、他者から与えられるのではなく、自分で見つけるものだ。


 だからこそ、真っ直ぐに、力強い声で紡がれたその言葉が、胸に深く、重く突き刺さる。つくづく凄い人だ、と、リリアは胸の内で静かに微笑む。彼は似たような境遇を経ながらも、きちんと前を向き、凛と背筋を伸ばしてひとりで立っている。そんな彼の眩い強さが、羨ましい、と思った。心の底から、純粋に。


「……ここがどこであるか、お分かりですか」


 落ち着いた声音でそう言いながら、リリアはゆっくりと腰を上げた。そうしながら、腹の底の方からじわじわと込み上げてくる冷たいものに意識を向ける。まるで氷のように冷たいそれは、けれど触れると火傷してしまいそうなほど悍ましい。それは随分と久しい感覚だった。諦めというものを覚えてから、ずっと身体の奥底に押し込められてじっと眠りに就いていた、それ。


 母の形見であるドレスをぼろぼろにされた時ですら、それは少しも顔を覗かせなかったというのに。薄く自嘲を滲ませながら、リリアは傍らに立ち尽くすミレイユへと目を向ける。視線が交わった瞬間、彼女は気色ばんだ顔のまま、びくりと肩を震わせた。


 ――宮廷には、いつだって噂が絶えません。良きも悪しきも。それが真実か否かなど、口さがない者たちにとってはどうでもいいのです。


 いつだったかモーリスは、苦笑を浮かべながらそう言っていた。噂はひとつの娯楽なのだ、と。それは甘い毒のようなものなのだ、とも。


 ――ですから私は、己の目で見て、己の心で感じたものだけを信じるようにしているのです。


 リオネルがどんなに素晴らしい王太子だったのかは、知っている。けれど、五年前に亡くなった彼とは一度も顔を合わせたことはなく、言葉を交わしたこともない。彼の人となりを知るのは、いつだって伝聞だ。王城や市井で囁かれる、たくさんの噂話。


 けれど――。傷口を押さえる左手にぎゅっと力をこめ、リリアはすっと目を細めながら、思う。けれどルイスは違う、と。リオネルのことは伝聞でしか知れなくとも、ルイスのことはしっかりと己の目で見れるのだ、と。


 そして実際、“王太子”としての彼の姿をいくつも目の当たりにしてきた。渦高く積まれた書類の処理に追われる彼を。多忙すぎてろくに休むことも出来ず、執務室のソファで僅かばかりの休息をとるだけの彼を。常に民のことを考え、彼らの生活に寄り添えるよう配慮している彼を。兄を亡くし、父は病に倒れ、それでもひとりで王国を支えようとしている彼を。


 所詮は“お飾り”の王太子妃だ。愛も情も何もない、心の通わぬ夫婦。故に、常に傍にいるセドリックや、幼馴染であるクラリスほど、ルイスの全てを知っているわけではない。けれど、それでも――結婚をしてから今まで、しっかりと見てきたのだ。己の目で見て、己の心で感じてきた。


 だから、私は――。


「私のことは、どれだけ貶していただいても構いません。私自身への侮辱であれば、いくらでもお受けいたしますわ。所詮、“お飾り”の王太子妃ですもの」


 息を整えながら、ゆっくりと瞬く。瞼の裏に、ほんの一瞬だけ、ルイスの背中が浮かんだような気がした。


「けれど、殿下はそうではありません。どんなにお忙しい時も常に民を想い、誰よりも国の未来を考えておられる。そんな素晴らしいお方なのです。だからこそ――」


 己の目で見て、己の心で感じるものだけを信じるのならば。

 キャンバスに描き留められたリオネルの肖像画もまた、信じるもののひとつだ。そこに滲む溢れんばかりの愛情は、正にそうだと思う。リオネルはこの国や民と同じくらい、或いはそれ以上に、弟であるルイスを大事に想っていた。まるで宝物のように。嘘偽りのない、美しいまでの清らかな兄心で。どの肖像画を見ても、そこに描かれたリオネルの瞳には、弟を想うあたたかな光が浮かんでいた。ただの油絵具でしかなくとも。それでも、そこに滲むものが愛情だと感じ取れるくらい、はっきりと。


 だからあの瞳を、信じるのだ。勝手に比べ、優劣をつける他人の言葉なんかよりも。今は亡きリオネルの、キャンバスの中にだけ残された、あの眼差しを。


「殿下への侮辱だけは、看過出来ません」


 きっぱりと言い放ちながら、まるで別人のようだ、とリリアは思う。フローレット家で過ごしていた頃も、王城へ来てからも、こんなに凛とした口調で、強くはっきりとした言葉を誰かへ向けたことは、一度もなかった。


 少しでも気を緩めれば震えてしまいそうで、リリアは密かに奥歯を噛み締める。お茶会で問題を起こしたことをルイスが知ったら、どういう反応をするだろう。呆れるだろうか。怒るだろうか。面倒事を増やしてくれるな、と。まともに社交が出来ないのなら王太子妃失格だ、と。


 それでも――。ミレイユが、お茶が残ったままのティーカップを引っ掴むその様子を見つめながら、リリアは思う。それでもこれだけは譲れない、と。今まで身体のどこに眠っていたのか分からない意固地さで。ここで逃げることだけはしたくない、と。


 白く細い指に掴まれたティーカップの中で、澄んだ赤茶の水面が揺らぐ。その全てが、まるでスローモーションのようだった。

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