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美しすぎる王太子の妻になったけれど、愛される予定はないそうです  作者: 榛乃


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20/45

不穏なお茶会

 翌週開かれた王太子妃主催のお茶会は、朝もやが晴れきらぬうちから、侍女たちの駆ける足音とともに、慌ただしい幕開けとなった。


 前日から会場の設営や茶器類の準備などをしていたとはいえ、それでも、来賓を迎えるまでにこなさなければならないことは山程あった。庭園や温室から摘んできたばかりの花を活けたり、テーブルのひとつひとつに清潔なクロスをかけていったり。もちろん、会場となる庭園の手入れも欠かせない。枯れ葉や花びらが落ちていないか、何度も歩き回って丁寧に目を配る。特に厨房はひときわ忙しく、料理人や使用人たちが各々に任された作業に追われ、てんてこ舞いのようだった。


 それは総指揮を執るリリアもまた同じことだった。報告を伝えに来る使用人ひとりひとりの話を聞き、その度にきちんと労をねぎらい、そうしながらもてきぱきと身支度を整える。いつもはクラリスが身の回りの世話を取り仕切っているが、今日は“公爵家の子女”としてお茶会に列席する立場のため、その役は侍女長に引き継がれている。元々は王妃付だったのだという彼女は、クラリスにも劣らぬ敏腕さで、物事を的確に進めていく。終始笑顔を絶やさず、持ち前の明るさで場の空気を和らげながら。


 ドレスは淡い桃色のものにした。会場である庭園に合うように、花の飾りがたっぷりとあしらわれた、流れるようなラインの美しいドレス。なるべくルイスの瞳に近い色味のものを、と思っていた。王太子妃としての立場を示す為にも。けれども、鮮やかなルビー色ではあまりに強すぎるので、侍女長と相談を重ねた末、ピンクブロンドの髪にも自然に馴染む、やわらかな桃色に決めたのだった。


 身支度を終え、最後の確認に目を通す頃には、太陽はすっかり真上に登っていた。雲ひとつない、澄み切った青空。やわらかな陽射しは心地よく、暑くもなければ寒くもない天候は、まさにお茶会日和だった。


(とうとうこの日が来てしまったのね……)


 準備は整っているはずなのに、胸の奥がそわそわと落ち着かない。何度も深呼吸を繰り返し、その度に空を仰いでは、眩い陽光に目を細める。

 そうして不安も緊張も一緒くたに抱えたまま、遂に来場の時間を迎えた。リリアは会場の入口に侍女長とともに控え、薔薇のアーチを潜ってやってくる賓客たちを、ひとりひとり丁寧に出迎えていく。


 最初に来たのは、クラリスだった。彼女はセドリック付き添いのもと足早にリリアへ歩み寄ると、淑女然とした挨拶もそこそこに、いつもの調子でリリアをやさしく抱擁した。今日もとても美しいですわ、と、どこか誇らしげに言いながら。たくさん楽しみましょう、と笑顔を弾けさせて。そんな彼女の明るい声に、少しだけ緊張がほぐれた気がした。


 最終決定はリリアが下したとはいえ、社交界に疎い彼女に代わり、招待客のざっくりとした選定を行ったのはクラリスだ。派閥のバランスをとりながら、それでも比較的穏やかで難のない性格をした令嬢を中心に。


 とはいえ、二大巨頭といわれる公爵家はどちらも外せない。一方は、セドリックやクラリスといったルイスに明確な忠誠を誓うエルンスト家だが、もう一方のモンレーヴ家は未だルイスを王太子と認めない、所謂敵対勢力だった。両家の因縁はかなり複雑に絡み合っているようで、それは先代から続く根深いものであるらしい。


 現に、モンレーヴ家の令嬢であるミレイユは到着そうそう、不躾な視線を冷ややかにリリアへ投げつけた。表面上は婉然とした微笑を湛えているものの、言葉の節々には棘が散りばめられ、声は取り繕っていてもなお冷たく嗤っているようだった。


 それはなにもミレイユだけではない。賓客の殆どは礼儀正しく、やわらかな笑みを浮かべて、穏やかに挨拶を交わしてくれたが、中には遠巻きに品定めをするような目を向けてくる者もいる。お飾りの王太子妃――と、社交界で噂になっているのだからそれもしかたがない、と、リリアは思う。事実、お飾りであることに変わりないのだから。

 それでも一切動じず、リリアは一様に丁寧に挨拶をし、笑みに笑みを返した。作り物でも構わない、と、礼法講師に言われた通りに。


 やがて、会場に静けさが満ちる。ゆるやかに吹き抜けたやわらかな風が、沁み一つない真っ白なテーブルクロスを揺らめかす。

 全員が席に着いていた。ぴんと背筋を伸ばし、微笑んでいるようにも引き攣っているようにも見える面持ちをして。


 そんな彼女たちをそっと見回し、リリアはゆっくりと立ち上がる。胸の奥が、ひとつ小さく脈打った。控えめな、或いは無遠慮な視線が、顔のそこここに次々と突き刺さる。不安がないわけでは、ない。緊張は、まだまだ身体を強張らせてもいる。けれども、もうここまで来てしまったのだ。後戻りは、出来ない。


 心を落ち着けるように目を閉ざし、リリアはひっそりと深呼吸する。ひとつ、ふたつ。そうすればそうするほど、瞼の裏に、青いデルフィニウム越しに見たルイスの、美しいかんばせが鮮明に蘇った。凛とした、意志の強い声とともに。


 ――価値というものは、他者から与えられるのではなく、自分で見つけるものだ。


 その声に背中を押されるように、リリアは目を開けた。


「本日はお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。微力ではございますが、皆様にとって心安らぐひとときとなりますよう、ささやかなお茶会を設けさせていただきました。至らぬ点もあるかと存じますが、どうかごゆるりと、お過ごしください」



***



 柔らかな陽光と花の香りに包まれながら、お茶会は、懸念していたよりもずっと穏やかに、和やかに進んでいた。

 時間をかけて選んだ茶葉はとても好評で、専属の料理人が丹精込めて創ったお菓子にも興味を示す声が聞こえる。会場を取り囲む色鮮やかな花々の香りは、目でも鼻でも客人を楽しませ、そこここで笑みがこぼれているのを見かける度、リリアはほっと胸を撫で下ろした。


 このまま何事もなく終わりを迎えられれば――。そう切に願うけれど、事が起こるか起こらないかは全て自分の判断と言動にかかっているのだろう、と、リリアはゆっくりとお茶を飲みながら胸の内で溜息をつく。傍からひしひしと伝わってくるひりついた空気が、重苦しい。


 席順は爵位をもとに決められている為、リリアの目の前には必然的に、公爵家の娘がふたりとも座っている。なるべく場を和らげられるよう、それぞれが最も親しくしている令嬢をひとりずつ同席させているが、彼女たちの顔もまた、ひやりとした空気に耐えかねて、ひどく引き攣っていた。


 会話は、終始途絶えがちだった。ミレイユが話し出せばクラリスが横から言葉を挟み、クラリスが話し出せばミレイユが言葉を挟む。明らかに二人の間で火花が散っていた。今もにも燃え滾りそうな、激しい火花が。

 普段のクラリスは、天真爛漫そのもののような明るくやさしい女性であるけれど、良くも悪くも感情が豊かで、喜怒哀楽がはっきりとしている。それが、兄であり軍人でもあるセドリック以上に表に出やすいのだ。恐らくは、ミレイユも。


「けれど、驚きましたわ。ルイス殿下がご結婚なさるなんて。……しかもお相手が、あのフローレット家のご長女なんですもの」


 小花の絵付けされたティーカップのハンドルに指を絡ませながら、リリアは傍らから向けられる刺々しい嘲笑に、ただ静かな笑みを返す。クラリスの纏う空気が微かに揺らめいたが、リリアの目配せを受け、彼女は大人しくケーキを頬張っている。


 王太子妃になったとはいえ、出自は侯爵家だ。公爵であるモンレーヴ家の娘からすれば、格下の女にしか思えずともしかたがない。寧ろ、爵位関係なく、王太子妃としてきちんと敬いつつも気さくに接してくれるクラリスの方が珍しいのだろう。


「その“お美しいお顔”で、殿下を誘惑なさったのかしら。……まあ、噂では殿下のご寵愛にはあずかっておられない、“お飾りの王太子妃”と伺っておりますけれど」


 視界の端で、フォークを握るクラリスの手が、微かに震えていた。怒っているのだろうことは、きつく引き結ばれた淡色の唇からも見て取れる。


 けれどもリリアの胸には、少しの苛立ちもなかった。嘲られることには、慣れている。そういう人生を、ずっと歩んできていたのだ。それが、フローレット家での日常だった。産まれてきたことを否定され、顔だけしか価値がないと言われ、その顔さえも蔑まれ、役立たずだと罵られてきた、あの日々。永遠にも感じられたあの頃を必死に耐えて生きてきたのだから、ミレイユのいっときの言葉にいちいち感情は揺さぶられない。


「まあ、心配してくださってありがとうございます、ミレイユ様」


 そう言いながら、リリアはミレイユの、モーブ色の丸い瞳を見つめる。濃い睫毛に縁取られた、アーモンド型の、ぱっちりとした大きな目。アイリスの花のような色をした長い髪の毛が、穏やかな陽光を浴びて淡い光を湛えている。


「お飾りと言われても仕方のない私ですが……それでも、殿下の隣に立つ者として、恥じぬよう在りたいと願っています」


 落ち着いた声音で、しずしずと言葉を紡ぐ。僅かに視線を逸らすと、ぱっと弾かれたように顔を上げたクラリスと、目が合った。薄黄色の瞳が、揺れている。悔しさか、安堵か――そのどちらでもあるような、複雑な感情を滲ませて。


 そんな彼女に微笑みかけ、リリアはゆっくりとティーカップを持ち上げる。その動きを映してか、澄んだ赤茶色の水面が、微かに揺れたような気がした。つるりとした陶器の表面ごと。


「随分と立派なことを仰るのね」


 けれどもそれは、気の所為などではなかった。持ち上げたティーカップが、かたかたと小刻みに揺れている。まるでミレイユの感情に呼応してでもいるかのように。

 

「所詮、お飾りはお飾りでしかないのよ。それなのにっ……」


 ミレイユへ目を向けると、彼女の丸い瞳にはどろりとした憎悪と嫉妬が、色濃く滲んでいた。引き結ばれた唇が、震えている。それはティーカップの揺れと、ほぼ同じだった。


「……何も知らずに、あの男の隣に立つと言ってのける貴女に、吐き気がするわ」


 一瞬、言葉を呑み込むように睫毛が伏せられる。花の香りが、ふっと遠のいた気がした。辺りがしんと静まり返る。怯えの滲んだ、張りつめた静寂。

 しかし瞬く間もなく、アーモンド型の瞳が、かっと見開かれた。リリアを睨んでいながら、その実、どこか遠く、誰にも見えない何かを睨みつけるように。


「リオネル殿下を見殺しにした男が王太子だなんて……そんなの、許されるはずがないんだからっ!」


 甲高い声でミレイユが叫んだ瞬間、リリアの右手で、ティーカップが勢いよく弾け飛んだ。テーブルのそこここで小さな悲鳴が上がり、クラリスが青白い顔で立ち上がる。


 そんな周囲とは裏腹に、リリアはひどく落ち着いた心地で、カップの爆ぜた右手を見下ろした。衝撃で掌に突き刺さった破片と、傷口からじわりと滲み出て、皮膚の上をつたい落ちる細く赤い鮮血。ああ、これが異能なのね――と、まるで他人事のように思いながら、リリアはそれをただぼんやりと見つめていた。傍らで、クラリスが息を呑む気配がしたのに気付いていてもなお。

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