???
巨大な門のような扉がある――――――。
そびえ立つ鋼鉄の扉が、ゆっくりと音を立てながら開いていく。
白い霧が視界を覆い、冷たい空気と花の香りが漂ってきた。
「……」
一歩、また一歩――――――俺は歩みを進める。
何も考えられない。空っぽの脳みそと、空っぽの器。俺は死人のようにふらふらと、ただ前に進んでいる。
不意に霧が晴れ、美しい夜空と蒼い花の群生地が俺を出迎えた。
息を飲むような美しい光景でさえ、今の俺の心には一切響かない。俺の世界はただ、まっさらで平坦。どこまでも無色の、終わった世界だった。
歩みを続ける俺の前に、荘厳な漆黒の机が現れる。
美しい花畑の、ど真ん中にある丘の上。そこに巨大な机が置かれ、誰かが座っている。
「はあああああああああああああああつまんねぇ!!」
空っぽの玉座が物寂しそうに机の奥に置かれており、奇妙なアンバランスさを醸し出していた。
「なァにこれ。クソすぎてワガハイ、禿げそうなんだけど? ええ? つまんないのも度を越しすぎると清々しくなるっていうけどサ、それをさらに通り越したら、ただクソしか残らねえじゃん感想」
黒い机に細い脚を乗せ、不満を露わにする少女が一人。美しい青髪のツインテールをがしがしと掻くと、真っ赤な瞳をこちらに向けた。派手なロリータファッションがやけに目を引く。
しかしそれ以上に、少女に睨まれた瞬間、寒気が背筋を支配した。一目見て、ただならぬ人物であると確信する。
「はああああああ……応援してたはずの貴公の顔も見たくないなんて、こりゃ重症だネ。ワガハイは貴公の大ファンで、同担拒否してるくらい敬愛してるのに……」
何を言っているのか、俺にはさっぱりわからない。
ただわかるのは、俺の意識がこのよくわからない空間に在る、ということだけだ。
「なあ……ここってあの世なのか」
「ひゃあ!! ふーが様が喋った!! ワガハイの前で!?」
少女は顔を真っ赤にし、俺の手を掴んでブンブン振り回す。
「夢みたいぃ……ってかここは夢みたいなものだったネ。ワガハイの夢が叶ったってことにしとこ。それは本当に本当に素敵で……絶望的なことだよネ」
少女は舌なめずりすると、俺をじっとりと睨みつける。俺は少女から距離を取った。
「何なんだよお前……それにここはどこなんだ」
「きゃあ♡ カワイイセリフっ! ワガハイ、もっとふーが様のことが好きになりそう!」
「答えろ! ここはどこなんだ」
俺が睨むと、少女は邪悪に口元を歪ませる。
「あの世だよ? 明確に、鮮明に、絶望的に、貴公は死んだ。これは事実」
「……」
俺は言葉を失う。これまで経験してきたことが一気に脳裏を駆け抜け、俺はその場に膝を付いてしまった。
俺は死んだ。確かに死んだのだ。頭が痛い。恐怖でどうにかなってしまいそうだった。
「わかっているはずサ。世界は滅んだ。佗汰羅によって滅ぼされた。その原因は、貴公の心が壊れ、意識を保てなくなったからサ。貴公は我を忘れ、滅亡の時まで功刀家を出られなかった……最後に、浄霊院咲夜の思いが届いて、ちょいと奇跡が起こったみたいだけどネ。ほんと、クソ以下の所業だよねまったく」
少女は俺の肩を掴むと、ギリギリと締め上げる。その痛みが、最後に影斗の姿をした佗汰羅を連想させ、不快感が込み上げてくる。
俺はその手を振りほどくと、恐怖に震える。
「なんなんだよ……! 死んだ? じゃあなんでこんなとこに……痛みも感じるし、俺は確かに生きてる。適当なこと言ってんじゃねえのか?」
「ふむ。一理あるよ。だってここは、正確に言えばこの世とあの世の境目、どちらにも属さぬ隔世……つまり、神の領域だからネ」
「神の領域……?」
「そう。貴公は選ばれたのサ。神の領域たるここ、|運命の庭《TAKAMAGAHARA》を統べる者として」
意味が解らない。この少女が言っていることの、何一つ理解できなかった。だが、少女は嬉々として続ける。
「今から貴公には、壮大で最ッ高のエンターテインメントをワガハイに提供してもらう。理由は簡単、貴公が世界の運命の特異点だからと、単純にワガハイの好みだから。ワガハイ、暗い絶望を抱えた元気っ子少年、すっげー好みなんだよネ。そういう子がブチ犯されて絶望して、発狂するとことかすっげーソソラレルぅ!! というわけで、わかった? これは強制イベントだからね。貴公に拒否権はないのサ」
「お前……何を……言って……」
「理解する必要はない。貴公は自ずと知ることになるからネ。永遠の回廊に迷い込んだ貴公は、絶望の悲鳴を上げながら、ギリギリと心と体を犯され続ける……イヒヒッ! やっぱワガハイ、貴公の大ファンだわ」
「いい加減にしろ!!」
俺は少女の肩を掴み、怒りをぶつける。
「わけわかんねえこと言ってんじゃねえぞ。さっさとここから……」
その時、少女が俺の腕を掴んだ。
ボキ――――――。
鈍い音と共に、俺の腕が粉砕される。
「いっ、がああああああっ!!」
「あのさ……つまんねえこと言うなよ、負け犬。なんだそのセリフ。三流のシナリオしか書けねえくせに粋がってんじゃねえぞ」
少女は豹変し、漆黒の机を叩くと、一冊の大きな本が召喚された。
その本を俺に投げつけると、本が地面を転がった。
――――――復讐は夜明けと共に。
それが、本のタイトルだった。
「ワガハイ、バットエンド大嫌いなんだよね。ほんと、死ぬほど嫌いなの。メリバでも不快感募るのに、何あの終わり方……舐めてんのかこのクソ犬」
少女はドスの聞いた声で、俺を蹴り飛ばした。俺の体は丘をゴロゴロと転がり、青い花の中に堕ちる。
激しい痛みが、俺に現実を突きつける。鮮明になった俺の記憶がありありと思い起こされ、俺の目から涙がこぼれた。
「いいか。ワガハイは非常に不愉快のサ。クソみてえな、一切鑑賞に値しない貴公の物語を見させられて、めっちゃ腹が立ってるの。絶望に負けて、運命に負けて、何も知らないままただ死んだ貴公を、惨めと呼ばずに何と呼ぶのかナ? はっきり言うけど、貴公の物語は三流とも呼べない。クソ以下だ。普通なら犬死してそれで終わり。なんつったって主人公の貴公が間抜けだからネ。それをワガハイ、わざわざ拾ってやったんだヨ? 貴公がやることは、ワガハイの眼前で全裸で土下座した上で許しを請うことだろ。それすらもしないで、状況すらも理解しようとしないなんて、マジで脳みそ詰まってんのか?」
少女は俺を罵倒し、何度も上から踏みつける。それはとても無機質な圧だった。感情など微塵も感じない、純粋な暴力。まるで俺を人扱いしていないようだった。
その痛みが、俺の最後の絶望を想起させた。
――――――そうだ。俺は惨めだ。何も守れず、何も為せず、あんなにも俺のことを想ってくれていた咲夜を、最後まで不幸にしてしまった。
俺は全てに負けてしまったのだ。受け入れがたい絶望が、俺の心を侵食して破壊したと思い込んでいたが、それは間違っている。俺がただ、弱かっただけだ。
拳を握りしめ、歯を食いしばる。
「主人公のくせに、悲劇のヒロインぶってんのも大概にしろよ。貴公の周りのサブキャラはみんな、貴公にゾッコンだったじゃねえか。きっしょ。ちやほやされて鼻の下伸ばしてたから、あんな終わり方するのサ。守ってもらえてよかったでちゅねー」
「ッ!」
俺は少女の足を何とか掴んで止める。
「あ? なにいっちょ前に怒ってんだよ犬の分際で」
「いや……お前の……言う通りだ……」
「だったら何だよ。わかってんならあんなラストにならねえだろって」
悔しかった。何も言い返せなかった。周囲にいた俺の周りの人たちは、みんな俺のことを信じてくれていた。
家族も、故郷の人たちも、浄霊院家の人たちも、みんな――――――俺のことを信じてくれていた。それなのに、俺は自分のことしか考えていなかった。
周囲の人たちがどんな気持ちで生きてるのか、考えることをしなかった。一番身近にいたじいちゃんのことでさえ、全くわかっていなかったのだ。
「俺はッ……最低だ……」
泣いても誰も帰ってこない。
泣いても時間は戻らない。
もうすべて、遅いとわかっていた。俺の行いが、俺の選択が、俺の弱さが、世界を壊したのだ。
「やりなおしてェ!! みんなに恩返しをしてえよ!! あいつは、佗汰羅は、復讐が世界を壊したって言った。それなら!!」
「復讐を止める? 貴公の人生を目的だろ? それを捨てるってのかナ?」
俺はその問いに、首を縦に振って答えた。
「俺は……大切な人を守るために強くならなきゃいけなかった。それが、本当の俺の願いだったって、そう気づかされた。それこそが、俺の信念だった……!!」
俺は、少女の目をまっすぐ見据える。
少女は一転、腹を抱えて笑い始めると、親指を立ててウインクした。
「そうサ! ワガハイはその言葉が聞きたかったの」
少女は俺の手を引いて立たせると、漆黒の机の先、大きな玉座へ誘った。
「|運命の庭《TAKAMAGAHARA》は、貴公の願いを叶える。その代わり貴公は|運命の庭《TAKAMAGAHARA》の主人公……皇となって、壮大なゲームに挑まなければならない。世界を救うたった一人の孤独な英雄として、ネ」
「……」
少女は、玉座へ座れと言ってきた。
そして同時に、座れば二度と、戻れないとも。
「降りることは許されない。貴公は必ず、世界を滅亡から救わなければならない。どれだけ残酷な運命が待ち受けていようとも。どんな酷い目にあっても止めることは許されない。貴公は世界の生贄になる覚悟があるかナ?」
俺はその答えの代わりに、玉座へ腰を下ろした。
それを見た少女は、恍惚とした表情で腕を組む。
「契約成立♡」
――――――少女の邪悪な笑い声が、俺の意識の遠くへと消えていく。
ブー、と古めかしいブザーが鳴り、俺の前に巨大なスクリーンが出現する。カタカタとフィルムが動くと、俺の物語がリバイバル上映されていく。
始まったのは、滑稽で、最悪な結末を迎える俺の物語。
俺は、覚悟を決めて見続ける。決して、目をそらさぬように――――――。
「イヒヒヒヒ……くれぐれもハッピーエンドを見逃してくれるなよ功刀風牙。生半可な意志など道端の石ころよりも無価値だ」
少女は俺の手に重厚なあの本を乗せる。
『復讐は夜明けと共に』
俺の物語に付けられたタイトルは、俺の求めるものではない。
「さあ告げよ! 貴公の意志を」
両親が死んだ夜、その夜明けが、俺の心を復讐へと向かわせてしまった。
黎明に輝く朝日が、俺に守りたいものを思い起こさせる。
「復讐は……夜明けとともに消え去った。俺は復讐のためじゃなく、みんなのために強くなる。かっこいい父ちゃんや、優しい母ちゃんみたいになりたい」
俺は、スクリーンの中へ吸い込まれた。
たった一つの願いを叶えるために、俺はこれまでの記憶を失う。
そして、全てをもう一度やり直す。
= = = = = =
「助けて」
ふと、小さく呟かれた。無意識な心の声だった。
隔離された空間で、ずっと孤独に耐えてきた少女の声。
風も、匂いも、天気も一切変わらない空間。来訪者は祖父とお目付け役の老紳士だけだった。
祖父から与えられた、何でも実体化させることができるプロジェクター型の傀具を抱え、一日を過ごした。本で見たたくさんの事象を、その傀具で実体化させる。 この二年、世界にはたくさんの面白いことがあるのだと知った。
それを、映し出す。実体化させる。
――――――繰り返す。
――――――ただ、繰り返す。
一人は嫌だ。
寂しかった。誰かと話をしたかった。
傀具で実体化させた祖父と母を、ぎゅっと抱きしめてみた。
ただのまやかしに、熱はない。冷たい感触が肌に当たるだけ。
実体化させたどんなものも、少女の孤独を癒してくれなかった。
本当は、屋敷の外に出たかった。本で見た、たくさんの場所に行ってみたい。本物に触れてみたい。
――――――色々な世界を見てみたい。
「咲夜」
「えっ」
自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がする。
分厚く無機質な壁の向こうから、確かに自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がする。
――――――少年の声。
全ては幻だ。声など聞こえてはいない。
でもその声は、なぜかずっと前から知っているような、そんな気がした。
= = = = = =
少年は、右の拳をゆっくりと握りしめていく。
指先一つ一つに、力を込める。
大きく息を吸い、吐き出すと、拳に傀朧を纏わせた。
傀朧は青黒く濃縮され、次第に渦を巻く。
まっすぐな、少年のイメージが、傀朧を風へと変化させていく――――――。
「俺は、泣いてる奴を見過ごしたりしねえ」
少年は、体を引き、体重を乗せ、渾身の拳を壁に叩きこむ。
しかし、壁はびくともしなかった。
壁は傀朧を吸収し、力を分散させた。術がかけられているせいで、衝撃への耐性は相当なものだった。
少年の拳の先は、皮膚が削れて出血していた。
――――――少年はニカッと笑った。
絶対に壊すという意思が、少年を奮い立たせる。
「大丈夫だ。俺が助け出してやる」
――――――何度も、何度も殴った。
少年の手はボロボロになった。五本の中手骨すべてにひびが入っている。
痛みで意識が揺らいできた――――――。
少年はボタボタと落ちる血を、頬で強引にふき取る。
「どうして……どうして、そこまでしてくれるの?」
「んなもん。決まってんだろ」
少年はもう一度、拳に傀朧を込めた。
――――――困っている人を、不幸な人を、泣いている人を、守りたい。助けたい。
「それが、俺の信念だからだ」
自分を貫く。ただそれだけのために。
少年は血だらけの拳を、もう一度構える。
――――――青いイナズマが、少女の目の前で爆ぜた。
――――――木っ端みじんに吹き飛んだ壁。立ち上る土煙。
「俺の名前は功刀風牙! お前の名前は?」
少年は、血だらけの右手を少女に差し出した。
「私は……咲夜……浄霊院咲夜」
何度やり直しても、風牙は少女を救い出す。
――――――何度、運命に打ちひしがれたとしても。
復讐は夜明けと共に
完




