終わりゆく世界の中で終わる世界
【===日後 ? 】
――――――辛かった。悲しかった。苦しかった。
――――――憎んだ。血反吐を吐いた。追いかけた。
――――――手を伸ばせば届きそうで、追いかけ続けた。でも。
――――――その生き方は、間違っていたと思い知らされた。
ひたすら泣いている幼い頃の俺。
無力で、無価値で、ちっぽけだったあの頃の俺と、今の俺は何も変わっていない。
手を伸ばそうとしたところで、幼い俺がこちらを向いた。
「ッ……」
凄まじい憎悪で支配されたその目は、他でもない俺に向けられていた。
「……お前のせいだ」
「……ぇ」
「お前が弱いせいだ。お前が何もしなかったせいだ。お前が生まれたせいだ。全部全部、お前のせいだ」
ぽた、と額に赤い血が滴れ落ちてくる――――――。
恐る恐る見上げた先にあったのは、血まみれで動かなくなったじいちゃんだった。
「……じいちゃんも」
「あ……ああああああああっ!!!」
「とうちゃんも、かあちゃんも、みんな死んだ」
「うっ、うあああああああっ!! もう……やめてくれぇ!!」
「お前のせいで」
――――――死んだ。死んだ。死んだ。
頭の中で声が繰り返される。
無力な自分が嫌だった。恐ろしかった。もう二度と、誰も失いたくなかった。だから復讐という硬い殻を被せ、ひたすら強くなろうと試みた。でもそれは、本質から目を背けただけだったのかもしれない。
遠くから、俺を見つめていたじいちゃんを、見て見ぬふりしてた。
じいちゃんは、俺に戦い方を教えてなどくれなかった。
じいちゃんの心など、一切わからなかった。なんであんなことをしたのかも、なんで腹を切って死んだのかも。
――――――わからない。わからない。わからない。
何も、守れなかった。
浄霊院家の人たちも、家族も、全て守れなかった。
もう、自分に価値などない。
厳夜のじいさんが命を懸けて守ってくれた俺には、何の価値もなかったのだ。
――――――死ね。死ねよ。死んでくれ。死ねばいい。お前なんて。
闇の中から無数の手が伸び、闇に引きずり込まれていく。その手が、俺とそっくりなあの死体の手だと気づいた時、自然と抵抗するのを止めた。
寒気が止まらない。胸が張り裂けそうなほど動悸がする。
巨大な自己否定と、誰かの死に挟まれている――――――俺の心はとっくに限界を超えていた。
溢れた涙が布団に落ちる――――――。
「……」
布団。布団を、俺はぼんやりと見ている。
「……がさん」
誰かが泣いている。誰かが、俺の横で泣いている。
「……ねがい……て!!」
悲痛な叫びが。温かく強い命の熱が、俺の腕にぽとりと落ちた――――――。
「……あ」
意識を取り戻した俺は、五感を取り戻した。
周囲が暑い。まるで炎に巻かれているようだった。
――――――俺の手がそっと握られる。
「咲夜……」
「風牙さん……!! うっ……よかった……よかったよぉ……」
咲夜が顔を真っ赤にして泣いている。
咲夜は俺を抱きしめ、ひたすら謝り続けた。
「私ッ……何もできなかった……風牙さんと代わってあげたかった。でも、もうできない……」
「俺……今まで」
「私に……もっと力があったらって……そう思い続けてた。そうすれば、貴方の苦しみを分かち合えるのかもって」
――――――違う。
咲夜は幼いころの俺と同じことを考えている。自分を責め、力を求めている。
でも――――――その末路に、失敗した今の俺がある。
だから、それは間違っているのだと、そう口にしたかった。
でも、目の前で弱弱しく泣いている咲夜を見たら、どうしても言い出せなかった。
代わりに、俺の目から、大粒の涙が零れ落ちた。心の中から溢れてくる後悔が、俺の心を締め付ける。
「咲夜……俺、やっぱ間違ってたんだ。本当は強くなんてなりたくなかったんだ。とうちゃんと、かあちゃんと、じいちゃんと、街のみんなと……ずっと一緒にいたかったんだって。寂しかったんだって。一人じゃ生きていけなかった。だから復讐を選んじまった。一人で何とかできるって、強く生きて行かなきゃって、そう勘違いして」
「ッ……」
「でもそれは間違ってた……! とうちゃんもかあちゃんもそれは望んでなかったんだ。俺はずっと、たくさんの人たちに生かされてたんだ。厳夜のじいさんも、俺のじいちゃんも、みんな俺を守ってくれてたんだって……そんなことに……なんで気づかなかったんだろう……ッ!」
咲夜は黙って、俺の話に耳を傾けていた。
まっすぐな瞳が、俺をじっと見つめている。
咲夜はにっこりと笑う。そうして返された咲夜の言葉は、
「でもね、私は風牙さんに助けられたんだよ」
「……ッ」
ただひたすらに、心に突き刺さる言葉だった。
「体調が悪くて、私の傀朧が原因で友だちを傷つけて、消えてしまいたいって思った。おじいさまが記憶を消してくれなければ、私は絶望に押しつぶされていた。その代わりに、あの離れでずっと一人ぼっち。私の世界には何もなかった。無機質で価値なんてないって、そう思ってた。
でも、貴方が助けてくれた時、世界が大きく変わったの。他でもない、貴方が変えてくれた。私は貴方がいたから、大きく一歩踏み出せたの。
咲夜は心の底から嬉しそうに笑っていた。その笑顔が、暗く沈んでいた俺の心に光を差し込む。
「だから……一緒だね、私たち」
呼吸が浅くなる。嗚咽が止まらない。
暑くて息苦しくても、俺は泣き続けた。
「守られるのってちょっと辛いよね。私も恩返ししたいって、させてくれって強く思ってる。他でもない風牙さんに対して。貴方みたいになりたいって、前にも言ったっけ」
「俺は……お前が思ってるような人間じゃねえって……」
「そう言った。でもね、どれだけ風牙さんが自分を否定しても、それ以上に私は貴方を肯定する。貴方がどんなに傷ついたって、絶対に傍にいるんだから。私は……」
咲夜は俺の口にキスをした。
「貴方が好き。大好きだから」
震えていた唇同士がそっと触れ、離れていく――――――よく見ると、咲夜の目は真っ赤だった。
――――――ああ。
死を願っていた頑なな気持ちが、自然と意識から消えた。代わりに、温かい感情が湧き上がってくる。
――――――俺はなんて、幸せものなんだろうって。
俺は体を起こし、咲夜を優しく抱きしめ返す。
そして正直な俺の気持ちを、咲夜に伝える。
「俺も、お前のことが好きだ」
「……えっ」
俺は咲夜の頬に右手を添えた。
咲夜の頬は、周囲の状況と正反対に、冷たくなっていた。
咲夜は緊張の糸がほどけたように破顔すると、
「ありがとう」
ぐったりと俺に全体重を預けた。
= = = = = =
「……ぇ」
――――――流血。
咲夜の背中から、大量の血が流れている。
それは周囲の業火と混ざり合うように、床を赤く染め上げていた。
咲夜の背後に、長槍を片手で抱えた小さな少年が立っている。
邪悪に口元を歪ませた少年は、風牙たちを見下すように嘲笑っていた。
「さく、や……? どうしたんだ? おい咲夜?」
咲夜の体はすでに冷たくなっていた。目を見開いたまま、頬に残った涙の跡だけが、くっきりと残されている。
「よかったなァ兄弟。最後に憂世で、愛する女と一緒になれるなんてさ」
少年は長槍で貫いた咲夜を持ち上げると、そのまま外へ放り投げた。
咲夜の小さな体は襖を突き破り、ごろごろと芝生を転がると、うつ伏せの状態で動かなくなる。
「ま、一時でもオレの器だったよしみだ。最後にいいこと教えてやるよ」
風牙はただ茫然と、少年の顔を見つめていた。
もう、心はどこにもなかった。虚ろで暗い双眸が、少年の姿を映しているだけだ。
そんな風牙を見た少年は、険しい表情で風牙を蹴り飛ばした。
「テメエは……負け犬の風上にも置けねえな」
少年は、転がる風牙に馬乗りになり、首を掴むと、ぎりぎりと締めつけていく。
僅かに残った痛みの感覚が、風牙の意識を現実に引き戻す。
風牙の瞳に映ったのは、よく見知った少年の顔だった。
「……かげと?」
「まだ意識が残ってやがったのか。そりゃ結構だなァ」
咲夜を殺したのは、影斗の姿をした少年――――――。
「だったらよォ……見てみろよこの美しい世界を」
影斗のような少年に引きずられた風牙は、無理やり外の世界を見させられる。
炎柱があちらこちらから上がり、屋梁落月の街が燃えていた。
――――――それはあの日と同じ光景。いや、あの日よりも酷い光景だった。
「最高の景色だろ? 人間どもの悲鳴、怨嗟の声、復讐を叫ぶ者どもの血反吐が、争いを呼び続ける……!! これぞ、オレが望んだ世界。オレの世界だ!」
「ぁ……」
「なあ兄弟。オレは復讐が大好きだ。人間どもは何時の時代も、人間を虐げる力を求め続ける。復讐ってのは、その大義名分として優秀だ。見ろよ、みんなテメエとおんなじになったぞ」
燃える世界の中で、優しかった街の人たちが殺しあっている。
大人も、子供も、老若男女問わず、恐ろしいまでの純粋な殺意が、全ての人間に向けられている。
その地獄絵図が、風牙のくすんだ青い瞳に映し出されていた。
「愛だの正義だの結構だ。そいつらも結局、力を求めるからな。でも人間の本質は他者を虐げることだ。綺麗で澄み切ったお題目を雁首揃えたとて、本質を曲げることはできねえ。人間は滅びるんだ。復讐によってな」
風牙は、全ての感覚を閉じた。
願っていた死が、もう間もなく訪れる。
世界の滅亡は避けられなかった。これは夢ではない。影斗の姿をした佗汰羅が、世界を壊してしまったのだ。
もう、全てが終わる――――――。
それでも、たった一つだけ、風牙は考えた。
影斗。
どうして、佗汰羅が影斗の姿をしているのか――――――そんなことを考えた。
最後に残された風牙の意識が、小さく言葉を吐き出させる。
「……ごめんな、影斗」
「!!」
その言葉を聞いた佗汰羅は、首を押さえて苦しみ始める。
影斗の目から涙が零れ落ちる。縁側に倒れた風牙の目に、苦しそうに涙を流す影斗が映る。
「な、なんだァ……憑依は完璧なはずだ。影斗の心は完璧に沈んでる……!」
影斗は右手に短刀を召喚すると、首に突き立てた。
それを、左手が必死に止めている。
――――――押す力は強く、短刀の切っ先が、影斗の首元に当たる。
「ククク……ぶははははっ!!」
焦る素振りを見せていた佗汰羅は、突如豪快に笑った。
「いいぜ、好きにしな。褒美は取らせてやる」
そして、短刀が、影斗の首を切り裂いた――――――。
影斗は倒れていた風牙の上にのしかかるように倒れる。
温かい血だまりが、風牙の体まで届く。
――――――もう、風牙はそれを認識することができなかった。
深淵に沈んだ風牙の意識が、確かな死を告げた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
END 1
復讐は夜明けと共に
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