ふうが
街はずれの森へと足を踏み入れた三人は、風牙を先頭に無言のまま進んでいく。先頭を歩く風牙は、特に森への違和感などを抱くことなく、獣道のような荒道を行く。
風牙はどこか焦っている―――その背中を見ていた咲夜は、風牙への心配が増すばかりだった。この奥に待ち受けているものがどんなものであれ、風牙がこれ以上ショックを受けてしまえば、もう立ち直れないかもしれない。そう思うほどに、風牙は疲弊している。
――――――道が開ける。
森へ入ってものの数分で、三人の前に小屋が現れる。石造りの壁に囲まれ、大きな扉があるだけで窓はない。殺風景でどこか緊張感のある雰囲気に、三人の足が止まる。
「……」
風牙はためらいもなく小屋に近づいていく。錆びた鉄製の扉が、来訪者を歓迎するかのように、少しだけ開いていた。
咲夜はただならぬ気配に、ごくりと喉を鳴らす。風牙が扉を開くと、中からひんやりとした空気が放たれた。埃の臭いの中に、僅かな薬品の臭いがする。
小屋の中は真っ暗な階段だけがあり、三人を深淵へと誘っているようだった。
風牙は階段を下りていく――――――それに、二人は続く。
三人の足音だけが響く暗闇。重々しい空気。そんな中、風牙が不意に口を開く。
「……なあ。てめえはここ、入ったことあんのか」
「あるはずなかろう。初めてだ」
「でも、この下にあるものが何か、知ってんだよな?」
「想像することはできるが、確信はない」
――――――長い道のりだった。どれだけ下りたかわからない。
ようやく階段が終了した時、目の前に短い廊下が現れた。古いが、現代の建築技術で作られている廊下の先に、また鉄製の扉がある。
風牙はその扉の奥から、よく見知った傀朧の気配が漂っていることに気づく。
風牙の呼吸が浅くなる。心臓の鼓動が早くなり、緊張感が増す。
「何だよ……この気持ち悪ぃ感じは……」
風牙はドアノブに手をかけたところで停止する。
――――――回せない。
回してはならないと、本能が拒否しているようだった。
「風牙さん?」
「あ、あれ……おかしいな……なんだよこれ」
風牙は明らかに動揺している。緊張で手が震え、ドアノブがガタガタ震えはじめる。
咲夜はそれを見て、いてもたってもいられず、風牙の手をそっと握った。
「大丈夫。私もいるから」
咲夜の手のぬくもりが伝わり、風牙は深呼吸をする。
「わりいな咲夜……」
咲夜は内心、開けずに引き返そうと提案したかった。だが、それを言うことが風牙を傷つけることになるかもしれないと思い、どうしても言えなかった。
ゆっくりと扉が開く――――――空間が広がっているようだが、何一つ見えない。
紅夜は壁に電源があるのを見つける。一歩ずつ闇に向かって進む風牙と咲夜を一瞥し、口を開いた。
「点灯しようか」
風牙は間を置いて小さく、「ああ」と返事する。
パチン、と音がして、一気に空間に明かりが灯った。
巨大倉庫のような空間に、人が入れそうな巨大な試験管が所せましと並んでいる。
大きなモニター、何かの検査機、散らばる資料、並ぶ本棚――――――三人の前に現れたのは、巨大研究施設という言葉が当てはまる空間だった。
そしてその奥、むき出しの岩肌の中、隕石が落ちたクレーターのように地面が埋没した場所がある。
三人は驚きのあまり声が出なかった。つい最近まで稼働していたかのような巨大研究施設は、功刀家が封印してきた佗汰羅という傀異と深い関係にある――――――それだけははっきりとわかった。
風牙と咲夜の思考が停止する。紅夜は静かな足取りで試験管の中を進むと、岩肌の上からクレーターの下を覗き込む。
「……なるほど。ここが」
幾重にも張り巡らされた封印術式。式札や呪具が配置され、中央の存在を封印するために傀朧が循環している、はずだった。
それらは全て破壊されていた――――――式札も呪具も、バラバラになった破片が周囲に散っている。
風牙と咲夜が恐る恐るやって来ると、紅夜に促されてそれらを見る。
「なんで……佗汰羅は五百年間ずっとここにいたって言ってたじゃねえか」
「……私も驚いている。ここには功刀藤次郎という功刀家の祖の体があったはずだ」
紅夜は岩場の中に立ち入ると、周囲を調べ始める。壊された術式を構成する呪具を拾い上げ、傀朧を検知し始めた。
そんな中、咲夜は背後に広がる巨大な試験管に近づいた。
「何なんだろうこれ……」
中は緑色の液体で満たされており、下部には『L3―検体番号053』と書かれている。
咲夜はいくつかの試験管を見て回りながら、様子を確認する。誘われるように奥へ進むと、中にまだ何か入っている試験管を見つける。
「きゃあ!!!」
咲夜は中に入っているものが、人の形をしていることに恐怖を抱く。その声を聞いた風牙は、咲夜の元へ急ぐ。
「どうしたんだ!?」
「ご、ごめんなさい……これ」
緑色の液体の中に浮かんでいたのは、小さな胎児だった。サッカーボール程度の大きさのソレは、液体の中で目を瞑っている。それを見た風牙の表情が曇る。
「なんだ……これ……」
「わかんないよ……でも」
咲夜はその周囲の試験管全てに、何かが浮かんでいるのを目視する。人型からそうでないものまであった。見ていられないグロテスクな肉塊もある。咲夜は口を押えて蹲った。
「『L5―検体番号115』……再生強化あり……?」
風牙は試験管下部に表示された文言を読み上げる。
「風牙さん、これって……」
二人は目を合わせて押し黙る。風牙は恐る恐るその場から離れ、近くにあった机に突っ伏す。机上には大きなパソコンがあり、細かなデータが表示されていた。
「こちらは大体わかった」
紅夜が二人の元へ近づく。咲夜ががくがく震えているのを見て目を細め、試験管を凝視した。
「人為的に封印が解かれていたのは間違いない。それもつい最近ではなく、随分前に」
「どういうことだ?」
「風牙、其許が佗汰羅の器として覚醒するより以前から、ここに佗汰羅は封印されていなかった、ということになる」
紅夜は静かに言い捨てると、風牙の見ているモニターに目を通す。
「じゃあ、これって……」
「考えたくはないが、研究資料を閲覧すれば、自ずと答えは出るだろう」
紅夜は本棚からチューブファイルに閉じられた資料を取り出すと、パラパラめくり始める。
「ほう……これは研究記録のようだ」
紅夜は珍しく顔を顰め、チューブファイルを乱雑に投げ捨てる。
その様子を見た二人は目を見開く。
「とても……人道的な行いとは言えぬ」
風牙は恐る恐るチューブファイルを拾い上げ、中を確認する。
経過記録、と書かれたそれは、試験管の中の胎児のような存在の生育記録だった。
専門的な言葉やよくわからない数値で埋め尽くされる中、最後のページの写真を見て、ファイルを握る手の力が無くなる。
「……ぅ、ぁ」
風牙は絶望のまま、込み上げてくる不快感に負け、その場で吐いてしまった。
「風牙さん!?」
「なん……だよ……これ」
風牙は腕を組み、ガタガタと震え始める。咲夜は落ちたファイルの表紙に書かれた言葉を見て戦慄する。
――――――クローン計画、F.3シリーズ、タイプL生育記録。
クローンと、そう書かれていた。
風牙は、それが誰のクローンなのか自ずと理解していた。
「じゃあ、これ全部……」
「ここで行われていたのは、佗汰羅の器となり得る完璧な風牙のクローンを造る研究……ということだろう」
「そ、そんな……」
風牙の恐怖が増していく。平和で、長閑な故郷。それも実家のすぐ裏で、自分のクローンが造り出されていた――――――その事実は到底受け入れられなかった。
「こ、こんなの……!!」
風牙は紅夜の着物を握りしめ、涙を流しながら詰め寄る。
「お、俺……こんなの……知らねえよ……なんで……なんで……」
「私も知らなかった。おそらく、其許の両親も知らぬことだろう」
「だったら……これをやってたのは……」
その時、近くの机が倒れる音が響き渡る。それを聞いた三人は、音の方へ身構えた。
「な、なに……」
ずる、ずる、ずる――――――。
何かを引き摺る音がする。風牙と咲夜は、恐る恐る倒れた机をどかす。
そこにいたのは、ぐずぐずの肉塊と化した少年のようなモノ、だった。
「グァ……」
ソレは二人に向かって腕のようなものを伸ばす。顔は膨れ上がり、目玉は飛び出し、醜悪なその顔を見た咲夜は発狂する。
風牙は衝撃で動けず、伸ばしてくる腕に体を掴まれ、馬乗りにされた。
「ア……」
大きく口が開き、生え切っていない歯がむき出しになる。ソレは風牙に首元に向かって歯をつきたてる――――――。
「風牙……!」
噛まれる寸前、ソレの周囲に紫色の煙が充満し、一気に爆発した。
肉塊は霧散すると、赤い血が風牙の全身にべっとりと付く。
その爆発を皮切りに試験管が次々と爆発し、ゾンビのように醜悪な肉塊が正者たちに襲いかかる。
「こちらへ急げ!」
咲夜は怯え、風牙は魂が抜けたように目を泳がせて放心している。
紅夜は風牙を抱え、咲夜と共に別室へ避難する。
ドンドンと鉄の扉を叩く音がするが、鍵をかければ入って来れないようだ。
紅夜は、二人を優しく下ろすと、小さくため息を吐いた。
――――――無理もない。あれらはすべて風牙のクローン実験の失敗作と考えると、不快感は想像を絶する。
紅夜は、助けるために肉塊を攻撃したのは愚策だったと省みる。
「とにかく、ここから脱出することを考えねばな」
逃げ込んだ部屋は倉庫のようだった。紅夜は入り口に近く、壁を破壊すれば階段に戻れそうだと提案する。
奥にもう一つ扉があるが、そちらに気を配るよりも、壁を破壊することを優先する。
「は、はは……ははははは」
その時、風牙が頭を抱えて笑い始めた。そんな、震える笑い声を聞いた咲夜は、正気を取り戻して風牙を見つめる。
「おれの……せいだ……全部おれの……」
「違う! 貴方のせいじゃない!」
「違わねえよ。全部、おれが……おれが、生まれた、から……」
「やめて!」
咲夜は風牙の肩を強引に揺らす。
「貴方のせいじゃない! これは……貴方がやったんじゃないでしょ!?」
「でもじいちゃんがこんなことしたのは!!」
風牙は自ら口にした内容に、不快感が募る。
気づいていた。両親が知らないのなら、これを先導したのは、祖父しかいないと。
その事実を認識してしまった風牙の精神が限界を迎える。
「じい、ちゃん……あああああああっ!!!!!」
風牙は叫び、もう一つの扉へ走った。
扉を強引に開き、中に入った風牙は、その部屋の役割を視認してしまった。同時に、鼻をつんざく腐敗臭が、風牙の胃液を再び噴出させる。
「ぁ……」
そこに広がっていたのは、全裸の少年の大量の死体―――否、自分とよく似た人間が、大量に折り重なって捨てられている光景だった。
そして、死体の山、という表現が正しいそれの正面で、膝をついて動かないよく見知った姿がある。
「じい……ちゃん……?」
風牙はふらふらになりながらも、その背中に近づいていく。風牙が祖父の肩を叩くと、ずるっと力なく体が風牙の方へ倒れた。
「……ぁぁ」
右手に握られた短刀が落ちる――――――風牙の祖父、功刀斎牙は、大量の風牙のクローン体の前で、自ら腹を裂き、命を絶っていた。
絶望の咆哮を上げた風牙の意識が、暗転する。
――――――。
――――。
――。




