目覚め
――――――白い視界が広がる。
部屋に光が差し込んでいた。
意識を取り戻すと同時に、懐かしい実家の匂いが飛び込んでくる。
天井は、いつも風牙が見ていたものだった。
実家にいる。それだけは間違いない。なぜ、実家にいるのだろうか――――――。
風牙は働かない頭を持ち上げ、体を起こす。土壁と襖で仕切られた、十二畳ほどの自分の部屋。ふかふかの布団に、いつも着ていた和装の部屋着を着ている。
どことなく漂う安心感に包まれていた風牙は、自分の置かれた状況に違和感を覚える。
「俺……」
記憶があいまいだった。断片的に、嫌な記憶が蘇って来る。
そうか――――――自分は死んだのか。そんなことを認識した時、状況が少しだけ鮮明になった。
憎しみに負け、佗汰羅という名の傀異に体を乗っ取られたこと。
精神世界で両親と再会し、浄霊院紅夜が敵ではないという事実を突きつけられたこと。
厳夜が、命を賭して佗汰羅を滅したこと。勾陳という朝服の男に襲われ、咲夜の中にある膨大な傀朧から生成された傀玉を奪われた時、それを取り返そうと、舞川永久と足掻いた。そして―――風牙は首を絞められ、殺された。
「な、んで……」
風牙は無意識に自分の首に触れていた。あの時、確かに首を折られた。しかし、首は元通りになっており、確かに生きている。夢かと思い、頬を叩いてみるが、じーんとした痛みが頬に奔るだけだった。
これは、夢ではない。自分は生きている――――――ならば。
風牙は、残された咲夜と永久がどうなったのか考え、一気に不安が募る。
いてもたってもいられなくなり布団から飛び出すと、襖を開ける。
「……ぁ」
風牙は目の前に広がっている故郷、屋梁落月の光景を見て、息を飲んだ。
雲に覆われて視界は白かったが、丘の上に立つ実家から望む自然豊かな光景が、風牙の心を浄化する。
両親と共に過ごした楽しかった日々も、復讐に囚われて修行していた日々も、変わらずこの街は、風牙を包み込んでくれていた。
そんな屋梁落月の街は、何も変わらず風牙の目に映っている。それが、どうしようもなく嬉しくて、どうしようもなく寂しい気持ちにさせた。
「……風牙さん?」
風牙はその声に振り返る。そこには、驚いて固まっている咲夜がいた。手に持ったお盆の上に、湯気の立つお茶と濡れタオルが乗っていた。
「よかった……!!」
咲夜はお盆を床に落とし、涙を流して風牙に駆け寄った。ぎゅっと抱きしめられ、温かい温度が肌に伝わると、風牙の目じりも熱くなった。
「咲夜……無事だったんだな」
「私は大丈夫……でも、貴方と……永久ちゃんが……」
風牙は咲夜の言葉から、永久の身が危機的な状況にあることを察する。
「私……もうだめだと思った……怖かった……」
「悪ぃ……俺が、弱かったから」
風牙は勾陳という男のことを思い出し、無力感に打ちひしがれる。あの男には、普通の想術師にはない圧倒的な存在感とプレッシャーがあった。まともに戦うこともできず、咲夜と永久を守り切れなかった。
風牙は咲夜の肩にそっと触れ、真剣なまなざしで問いかける。
「なあ。教えてくれ。あの後……どうなったんだ?」
咲夜はその問いかけに、視線を外して答える。
「あの後……永久ちゃんが、あの男の人にやられて……でも、すいかねこちゃんが助けてくれた」
すいかねこ――――――あの時、浄霊院幾夜に体を打ち抜かれ、やられてしまったはずだ。
「すいかねこちゃんはね、本当は人間だったの。それも、あの勾陳って人と同じ、〈十二天将〉だって。でも、私たちを助けてくれたの。ねこちゃんのおかげで、私たちは助かった。私はねこちゃんに助けられて逃げて、最終的には爆発に巻き込まれた。もうだめかと思ったんだけど、意識を取り戻したら、ここにいたの」
風牙はすいかねこの話を思い出す。
浄霊院家の歴史、〈六壬神課の御札〉という予言書の存在――――――そして風牙の中にいる佗汰羅という傀異が、世界を滅ぼすのだと知った。
佗汰羅は、厳夜の手により、風牙の体から解き放たれた。厳夜は命を懸けて風牙を救ってくれた。
そのおかげで、今もまだ生きている。
「そう、か……」
風牙は力なく縁側に座り込む。考えれば考えるほど、自分の無力さを嫌悪した。浄霊院家の宿命、功刀家の過去、そして、自らの生きる目的であった浄霊院紅夜の真実――――――複雑に絡み合い、理解が進まない自分たちの置かれた状況。それらが余計に、残された者たちの無力さを嘲笑っているようだった。
「……なんで、俺の家にいるんだろうな」
「うん……目が覚めたらここにいて、それで、紅夜さんが色々と教えてくれたの」
「紅夜!? 奴がここにいるのか!?」
風牙は思わず咲夜を睨みつけてしまう。その迫力に、咲夜は身を竦めた。
「ご、ごめん……」
「ううん。ごめんなさい。私も、紅夜さんから色々と聞いたからわかってる」
その時、襖がゆっくりと開き、真新しい雑巾を手にした浄霊院紅夜が現れる。
「目覚めたか」
「てめえ……なんで俺んちに……」
「言っただろう。屋梁落月に向かえ、と」
「だからって、てめえが俺んちに入るんじゃねえ!!」
「首は、大事ないか」
「……ッ」
風牙は歯を食いしばると、隣の部屋へ行ってしまった。それを見た紅夜は、雑巾で咲夜のこぼしたお茶をふき取り始める。
「火傷はしてないか」
「……」
「私は、風牙の両親を手にかけた。それは事実だ」
咲夜は着物の袖をぎゅっと握る。紅夜から聞かされたのは、すいかねこが言っていた話の続きだった。浄霊院家と〈十二天将〉の関わり、風牙の抱える運命について。
風牙はこの街で育ち、両親と街に愛され、人と自然を愛して生きていた。それが風牙の性格や、人を助ける信念の大本になっている。
しかし、七年前に起きた事件により、復讐が生きる目的になってしまった。その復讐相手こそ、今咲夜の目の前にいるこの男なのだ。
「貴方が、風牙さんを変えてしまったの……?」
「そうだ。私はお前の祖父も、風牙も、巻き込んで変えてしまった。私の罪だ」
紅夜は畳の水気をふき取ると、悲しい顔でほほ笑んだ。
「許されようなどとは思わぬ。風牙が私を拒絶するのも、当然のこと。それでも、私にはやらねばならぬことがある」
咲夜は部屋を出て行く紅夜の後をついていく。
「……感謝しています。私たちを助けてくれたこと」
「感謝などしなくともよい。それよりも、其許が考えるべきは、これからどうするのかということだ」
これからのこと――――――咲夜は自分が何をすべきかについて考えあぐねていた。家も、祖父も、友も失った咲夜にとって、これからを生きていくビジョンなどない。それは風牙も同じことだ。風牙は自分の比ではないほど困惑しているだろう。
咲夜はそう思えば思うほど、無性に悔しくなった。
紅夜は功刀家のリビングである大きな和室へ向かった。
不気味なほど物が無く、引っ越し後の部屋に来たようだ。それは他の部屋も例外ではなく、風牙の部屋以外の場所はすべて物が撤去されていた。
「何なんだよこれ……」
しばらくすると、風牙が目を泳がせ、真っ青な顔で大きな和室にやってくる。
「お、俺……どんだけ寝てたんだ……」
「意識を失ってから二週間経つ」
「は……」
妙な雰囲気の我が家を前に、風牙の心は乱れていた。風牙は紅夜の胸倉を掴み、怒りをむき出しにする。
「じいちゃんは!! どこ行ったんだ!!」
「解らぬ。あの後すぐ、其許らと共にここへ来たが、既にこの状態だった」
「ふざけんじゃねえ……!! なんで……なんで……!!」
風牙の唯一の心の拠り所である故郷。もし、それすらも失ってしまえば、今度こそ風牙は絶望に押しつぶされてしまう。
風牙は何とか理性を保ち、紅夜を睨みつける。
「なんで……故郷に向かえとか言いやがったんだ!」
「……真実と向き合わねばならぬからだ」
「真実? なんだよそれ!」
「祖父の居場所を、其許は知りたがっていたな」
紅夜は、屋梁落月の街と反対方向の森を指す。
「両親に止められていなかったか。あちらの森には行くな、と」
風牙は怒りに塗れた青い瞳を、僅かに揺らす。
「其許の精神世界で告げた通り、この街は五百年間、封印されていた佗汰羅の傀朧に支えられて成立していた。その封印場所があるのがあちらの森だ。特定の人間以外封印場所に入れぬよう術がかけられている」
風牙の額に汗が滲む。呼吸が浅くなり、胸が締め付けられる。
自分が五百年間生まれなかった佗汰羅の器なのだとしたら、自分がそこに向かうことは、佗汰羅にまた体を奪われてしまう恐れがあるのではないか。だからこそ両親も祖父も、風牙を森に近づけなかったのだろう。
――――――また佗汰羅に体を乗っ取られるかもしれない。そうなれば、次はない。
風牙の恐怖が膨れ上がり、その場で蹲ってしまう。咲夜は咄嗟に風牙を支え、優しく背中をさする。
「大丈夫だ。もう佗汰羅はいない。今、佗汰羅がいるのは、厳夜が作り出した爆心地の中央……特上傀具、〈鉢特摩〉の中。其許の体に干渉することはできない」
紅夜は部屋を出て、玄関へ向かう。咲夜は風牙の様子を案じ、紅夜に詰め寄る。
「待って! これ以上風牙さんに負荷をかけたら……」
しかし、風牙は立ち上がると、紅夜の後に続く。
「……大丈夫。ありがとな」
咲夜は力なく言い放たれた礼に、不安を募らせた。
「行こう……封印場所に」




