112話 軍事国家の王族を甘く見ないことです
壁際で、私に毒を飲ませていた男性使用人と侍女は、この世の終わりの顔をしておりました。
……地獄へ転がりかけた彼らを、助けようとしたのは、医者伯爵の王子様。
人の命を救う、医者の血筋を色濃く受け継いだ、ローエングリン様です。
「……おどかすのは、これくらいで良いかな?
あのね、僕らは全員、春の国の英雄善良王の子孫なの。
極悪非道な残虐王の直系子孫である、人の皮をかぶった化け物一家。西の公爵のような真似をするわけないじゃないか。
君たちが暗殺しようとしていたと知った今でも、君たちの家族を助けようと『雪の天使、アンジェリーク王女殿下』は、手を差しのべてくれているよ」
……はい? 将来の義弟殿?
どうやったら、そんな思考ができるのですか?
心の動揺を隠すため、雪の天使の微笑みを消しました。
無表情で、妹の婚約者に問いかける視線を送りましたよ。
「ほら、姉君。照れ屋だからって、そんな顔しないの。
ほら、オデットも機嫌を直して。可愛い顔が台無し。皆が怖がるよ?」
「ローエングリン様。お姉様は、被害者である手前、彼らにバツを与えるふりしないと、雪の王族として示しがつきません」
「あ、そっか。建前上は、暗殺されかけた懲罰として、毒を飲ませるんだもんね。厳しい顔つきしないといけないか」
……ごめん。お姉様、実の妹と将来の義弟の会話についていけない。
なに、その会話? あなたたち、何を想像しているの?
「けれども、私は本気で、彼らに怒りを感じています。
極悪非道な残虐王の血を持つ、西地方の世襲貴族らしいですわ!
そして、騎士の家系、塩伯爵のひ孫として、心から軽蔑します。
彼らの祖先は、国のために戦争で戦い、命を散らした誇り高き騎士でしたのに……。
その祖先の誇りを踏みにじり、貴族の爵位を取り上げた西の公爵に頭が下げるなんて、本当に権力の犬ですね。
ご先祖様は犬死にしたと、子孫がしっぽをふって認めるなんて、みっともないですよ。
騎士と貴族の誇りを捨てた彼らを救うおうとする、お姉様の提案には、賛成できませんわ!」
……妹よ。誰がウマイこと言えと?
分かんない。妹の考えが、お姉様には理解できない!
「おい、ロー。毒については、お前たちの方が詳しいんだ。
状況を理解していない罪人どもに、理解できるように説明してやれ」
仲間が居た! レオナール様も、理解できないんですね♪
罪人たちに説明するふりをして、王太子にも説明しろとお願いしてくれましたよ。
「君たちには、家族ぐるみで罪を償ってもらうことを、『雪の天使のアンジェリーク王女殿下』は、お望みなんだ。
病気の家族だろうと容赦せずに、いろいろな薬……じゃかった、毒を飲んでもらうとね。
まあ、薬と毒は、表裏一体だからね。ちょっと分量を変えるだけで、薬にも、毒にもなる。
毒の効果は、ちょっとづつ増やして観察していかないと、効いてるかどうかなんて分からないから、素人のアンジェリーク王女殿下には判断できないよ。
変わりに妹君で、自分の婚約者である、『雪の天使のオデット王女殿下』に見届け人を頼んでるだけどね。
オデット王女殿下は、姉を毒殺しようとした相手に薬……じゃなかった毒を飲ませて、病気から解放させたくないって、反発してるんだ」
あー、なるほど。
『西地方の元貴族なんて、残虐王の子孫なんて、大嫌いです!
冗談抜きで毒飲んで、家族全員死に絶えなさい! 地獄に落ちて苦しむが良いのです!』
と言う、私の本音は伝わらなかったんですね。
医者になりたがっている、王子様と私の妹には……
『いいですか? これは毒です。毒を飲ませるんです!
ちょっと分量間違えて、薬になるかもしれないけど……。
観察している途中で、ひょっこり病気が治るかもしれないけど……。
基本は毒薬の人体実験ですからね!』
と、聞こえたわけですね。
……さてはて、どのように次の言葉をつむぐべきでしょうか?
将来の義理の弟殿の発案は、一考の余地があります。
西地方の元貴族と言うことは、騎士の家柄ですからね。
話の持っていき方では、西の辺境伯のように、医者伯爵に寝返るかもしれません。
まあ、簡単に寝返るような輩は、個人的には信じられないのですけどね。
あと、西地方の世襲貴族なのが、気に入りません。
やっぱり、処分しておく方が、将来の憂いがなくて良いでしょう。
「……おい、ミケ、ジャック。お前たちは、どう考える?
被害者の身内として、この処罰に賛成するのか? 反対するのか?」
私が考えている間に、部屋の中の空気と化していた、私の弟とはとこは、春の王太子から話をふられましたよ。
「……なんで、西地方の貴族を助けなきゃならないんだよ?
僕たちの祖先、塩の王子ラミーロと雪の王女アンジェリークを殺した、残虐王の子孫を!
四年前だって、僕たちの親戚から爵位を取り上げて、見殺しにしたんだよ?
そして、今度は姉さんの暗殺。
こいつらは、どこまで行っても、残虐な『人殺し』の血筋なんだよ。存在自体が、害悪だ!」
弟は、地獄から聞こえると錯覚させる声を出しました。
腹の底に響く声は、北地方の貴族としての本音に満ちていましたよ。
「俺も、ミケと同じ意見だ。こいつら、平気で人に毒を与える『人殺し』だぜ!
今も昔も、『人殺し』である西地方の世襲貴族なんて、一番信用できるかよ!」
はとこも、嫌悪感丸出しの表情で、西の公爵の捨て駒を見下ろします。
鋭く尖ったツララを連想させる視線を向けて、心が凍えるような台詞を吐き出しました。
二人は、「人殺し」と言う言葉を強調します。
北地方の貴族が、西地方の世襲貴族に抱く感情そのものを。
言いたいことを言った弟は、乱暴に、ソファーの背もたれに身を預けましたよ。
私に視線を向けながら、ポツリと呟きます。
「……だけど、姉さんは一度は救いの手を伸ばすだろうね。
春の国の英雄、善良王の血を受け継ぐ、北地方の貴族だから。
そして、春と雪、二つの王家の血筋を誇りにしている、気高き雪の天使だから」
「……まあな。例え、祖先の血筋を誇れない、『人殺しの子孫』だろうと、一度は慈悲を与えてくれるぜ。
春の国の世襲貴族は、全員、初代国王の創始王の血を持つことを理由にな」
弟とはとこは、私を買い被る発言を残しました。
……あのですね。お姉様は、罪人たちの処刑を望んでいるのですが。
なぜか、弟たちにも、伝わらなかったようです。
やれやれ。この状況では、私の本音をきちんと言っておいた方が、良さそうですよ。
「……私は救う気なんて、更々ありません。さっさと、刑罰を受けて欲しいのに、待ったをかけて、救う提案をしたのは、医者伯爵の王子様ですよ。
彼らと同じく元西地方の貴族であり、人の命を助ける医者の一族、ローエングリン王子。
ここは、大事な所なので、お間違えなく」
「……姉君の立場としては、そう言うしかないよね。
建前上は、毒殺を希望しておかないと、雪の国の王族の誇りを下げてしまうもん。
暗殺されかけた大陸の覇者が、暗殺実行犯をかばうなんて、春の国王様の顔に、泥を塗る行為だしね。
彼らは忘れてるみたいだけど……、春の国の民である君たちが仕えるのは、西の公爵ではなく、春の国王様だよ。
没落する前の貴族の時代であっても、貴族で無くなった平民の今であっても、それは変わらないの」
将来の義弟は、予想の斜め上の発言をしてくれます。
思わずムキになって、命じてしまいましたよ。
「私は、心から毒による処分を希望しているのです!
さっさと、医者伯爵家の知る、すべての毒を準備してください!」
「はいはい。立場上、天の邪鬼な発言しかできない、『雪の天使、アンジェリーク王女殿下』。
殿下のご希望にお答えして、最高の薬で治療……いや、最悪の毒薬で人体実験を行いましょう」
私の不機嫌な声に対して、恭しく紳士の礼で返事をする、医者伯爵の王子様。
「黙れ! 公爵様を暗殺しようとした、殺人鬼め! だまされないぞ!」
絶望から復帰した、使用人の男性は、私や弟を睨みました。
渦巻いた怒りの矛先は、大嫌いな北地方の貴族に向いたようです。
「あなた、ファム嬢並みに、頭が悪いようですね。
私が本気を出したら、暗殺なんて、まどろっこしいことしませんよ。真正面から殺しに行きますよ。
私は雪の国の王女です。雪の国の軍隊を差し向けて、武力で春の国を制圧します。
その後、医者伯爵派以外の、西地方の世襲貴族は、すべて処刑しますからね。
もちろん、残虐王の血を色濃く受け継ぐ、あなたのような元貴族も処刑対象ですよ」
「侵略者の言うことなど、国民が信じるものか!」
「ふう……分かってませんね。
私は、雪の国の王族であると同時に、『春の国の英雄、善良王の直系子孫』なんです。
春の国の民たちの尊敬を一心に集める、春の国の国王陛下と同じ血を持つわけですね。
それに対して、あなたや西の公爵は、春の国の民から嫌悪される、『残虐王の子孫』と言う肩書きを、生まれたときから背負っているのです。
『善良王の子孫』と『残虐王の子孫』の言い分では、春の国民はどちらを信じると思いますか?」
理詰めで相手を論破するのは、私の得意とするところです。
格下相手だろうと、反論は木っ端微塵にしてあげますよ。
「善良王の子孫の私を暗殺しようとした、あなたの行動は、『悪徳非道な人殺し、残虐王の子孫』と説明するだけで、国民は納得するんですよ。
実際に、私に毒を飲ませた証拠が、医者伯爵家に残っていますからね。
そして、医者伯爵は西の世襲貴族ではありましたが、先代国王陛下の姉が輿入れされたお陰で、善良王の直系血筋を名乗ることができるのです。
残虐王の血筋に負けず、正義の告白をした、新しい春の国の英雄の名声つきでね。
ですから、あなたのような人殺しの血筋の罪人の処刑は、お祭り騒ぎで春の国民は喜んでくれましょう。
雪の国の侵攻も、善良王の子孫の危機に、雪の国が力を貸してくれたと言う美談として、歴史に語り継がれるわけです。
ご自分の立場が、お分かりいただけましたか?」
立場がわかってないおバカさんに、淡々と説明してあげました。
善良王の子孫と、残虐王の子孫。その言葉だけで、国民は魔法にかかってくれるのですよ。
「……アンジェ。春の王太子である僕の前で、『春の国を武力制圧する』とか、精神を削るような絵空事を言わんでくれ」
「絵空事? 現実主義の私が、想像だけで言うわけないでしょう。
本腰入れれば、東の倭の国の最強歩兵や、南の海の国の最強艦隊なんかも、動かせますよ。
それから、私の抱える私兵は、春の国や周辺国家にも潜んで居ますからね。
今すぐ挙兵の合図を出せば、春の国の王都を陥落させるくらい、一日あれば十分でしょう。
あ、春の国を占領しても、安心してください。レオ様が国王になれる未来は、残しておきます。
私が許さないのは、うちの親戚……北地方の貴族を暗殺して皆殺しにした、西の公爵一派だけですから」
軍事国家の王女としての微笑みを浮かべて、部屋を見渡しました。
春の国の王子様たちが、たちどころに顔色を変えましたよ。
「だから、冗談言うな! 心臓に悪いだろうが!」
「……レオ。アンジェなら、実現可能ですよ。
オデットのためだけに、雪の国王を動かせるほどの権力を持つんですから」
「僕は、何も聞いていない! 何も聞こえない!」
「あっ、現実逃避した!
まあ、姉君の実力を考えたら、東と南の国に加えて、西の戦の国の軍隊も動かせるツテも、隠し持ってるだろうからね」
「ローまで、驚かせないでください!
西国まで動くなんて、あり得……ますね……。
アンジェの外交手腕なら、私のおじい様も、動かせるでしょうね」
私の本気の脅しに屈して、両手で耳をふさぐ、王太子。
母方の祖父を思い浮かべ、遠い視線になる、宰相の一人息子。
この二人が、将来の春の国の政治の中心になるのです。
様子を見ていて、少々、先行きが不安になりましたよ。
将来に向けて、精神を鍛えるように、仕向けていきませんと。
国王と宰相には、どーんと落ち着いて構えてもらわねば、国民は安心できませんからね。
「ねぇ、君は雪の国のアンジェリーク王女殿下が、西の公爵ごときを暗殺するくらいで、納得すると思うの?
分かってる? 彼女は、軍事国家、雪の国の王女だよ?
周辺国の軍隊すら、個人的な感情で動かせる女の子なんだからね!」
私を殺人者呼ばわりした、西の公爵の捨て駒に、必死で言い聞かせる、軍師の家系の王子様。
将来の義理の姉を、引きつった顔で見てきました。
私と視線が合うと、急いで反らし、再び捨て駒たちに話しかけましたよ。
「えっと……それから暗殺しようとしている殺人者は、君たちだよね?
今も、自分たちに毒を飲ませようとしているくせにさ」
ロー様は、話題を切り替えようと、慌てておりました。
周囲の注意を引く言葉を放ち、ソファーに座りましたよ。
静まりかえった部屋の中で、全員の視線を一身に受けながら、緊張を紛らわせるようにティーカップの紅茶を一口のみ、罪人たちに顔を向けました。
「んーと……君たちがこのお茶に混ぜた毒は、ニセジャスミンだよね?
普通の貴族なら気付かないだろうけど、毒の知識がある王族なら、一口飲めば気付くよ。
現に、さっき一口飲んだ後は、誰も飲んでないでしょう?」
小馬鹿にした表情を浮かべて、西の公爵の捨て駒たちに説明する、医者伯爵の王子様。
先ほど、最初に毒味したロー様が「お茶を飲むな」と言う、秘密の合図をくれたので、一口だけ手をつけた後は、誰も口にしなかったんですよね。
「ああ、自分は別。これくらいの毒なら、子供の頃から、西の公爵の手先に飲まされていたから、慣れてるんだ。
この場に居る使用人たちの半分は、西の公爵の元手駒だったから、君たちみたいに、僕に毒を飲ませてたんだ。
西の公爵にしたら、自分が生まれたせいで、医者伯爵が王族に格上げになったからね。
他の分家王族が誕生することになった元凶が、許せなかったんだろうね」
医者伯爵の王子様は、紅茶を全部飲み干した後、空っぽのティーカップをひっくり返してみせました。
毒を入れた犯人に向かって、にっこり笑いかけます。
「この分量を普通の人が飲んだら、呼吸がおかしくなって、胸の苦しみを訴えただろうね。
西の辺境伯……先代騎士団長の奥方みたいに、原因不明の胸の病と診断されて、ほぼ寝たきりになったはずだよ」
医者伯爵家は、春の国で一番医学に精通する一族です。
噂では……毒も、薬も、匂いでかぎ分けたり、無臭でも少量味見するだけで、すぐに判別できるとか。
なので、王位継承権一位のレオナール王子と三位のラインハルト王子を守るために、三人でお茶会をするときは、使用人の他にも、ローエングリン王子が毒味役をして、飲む飲まないの判別をしていたのでしょう。
……そこまで理解していても、毒を飲み干したあげく、ヘラヘラ笑う相手は、規格外だと思いますけど。
西の公爵の捨て駒は、想像を越えた化け物を見る目付きになりました。