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18 黒魔天


 ギアよりも先に、別の何かが落ちて来た。


 風を切って高空から落下して来たそれは、大音響と共にグラウンドに深々と突き刺さった。古代ギリシャ神殿の石柱ほどもある、四本の巨大な石の杭だ。


 垂直に突き立った石杭の上に黒いブレイン・ギアが次々に降り立つ。


 どれも人型のギアだが中世の騎士のような鉄兜と甲冑であったり、ギリシャの仮面劇のような奇怪なマスクをかぶっている。

 大柄で威圧感のある三機が前に並び、その後ろの石柱にコマンダーらしいギアが着地する。その小柄なフォルムは明らかに子供の姿だった。


「ブレイン・ギアが入れ替わっているわ」

 レイブンが石柱を見上げた。


「なんだって?」ケインは叫んだ。


「あんな子供はいなかった。別のコクーンからエントリーしたのね」


「どういうことだ?」狼は唸り声を上げた。


「オブジェクション!」

 レイブンが空に向かって高く叫んだ。

「相手チームの不正エントリーを申告する!」


 凛とした声が無人のスタジアムに反響する。

 エコーは小さくなって消え、空間は再び静寂に満たされた。

 レイブンは予想していたように小さく溜息をついた。


「ジャッジも知覚カメラも来ていない。コントロールも応答しない。この仮想空間は隔絶されているわ」

 レイブンは腕を上げ、石柱の黒いギアを指差した。

「これはあなたたちがやったのね?」


 中央の石柱に立った、がっしりした甲冑のギアがケイン達を見下ろした。鉄兜の隙間から暗い眼が覗いている。


「厳密にいえば、我々ではないが」

 低く響く声でいう。

「否定はしない」


 いきなり風牙の身体から旋風が巻き起こった。

 柱に立った黒ギア達のマントが強風に煽られ、翻った。


「好き勝手にやりやがって」

 銀狼は四肢を踏みしめ、牙を剥いた。

「てめぇら、どういうつもりだ!」


「質問が抽象的で答えられない」甲冑のギアが答える。


「なぜこんなことをした?」


「答えられない」


「他に誰も聞いていないわ」

 レイブンが割って入った。

「モニターもされていない。ここにいるのは私達だけ。そうじゃないの?」


 石柱の上のギアは黙っている。


「せめて教えて。あなた達の目的はなに?」


「君だけは状況を理解しているようだな」

 仮面をつけ、長いローブを羽織った司祭のようなギアが言った。

 大学教授のような口調には相手を見下すような響きがある。

「では特別に教えよう。目的はふたつ。まずレプリカ・ギアの最終チェック」


「レプリカ・ギア?」風牙は言った。


「繰り返さなくて結構」

 司祭のギアは鬱陶しそうに言った。


 空に手を差し伸べると、四角い窓が開いて映像が映し出される。

 暗闇の中で閃光が交錯し、濡れたトンネルのような岩盤が浮かび上がる。地底の鍾乳洞のようだ。


「何だ、あれは?」

 ケインは凝然として映像を見上げた。


 抜刀したアカツキと風牙が入り乱れるように進路を変え、暗く狭い洞窟の中を疾駆している。背後から黒いギアが急迫し、突き出した両手から火山弾のような火球を連射した。

 アカツキはすれすれで火球を躱し、岩壁に命中した火球が爆発する。

 飛び散る火焔と黒煙の中から反転した風牙が飛び出し、黒いギアに襲いかかった。臨場感とスピード感あふれる映像だった。


「あれはコピーね」

 レイブンは冷静に言った。

「私たちの過去の戦闘行動パターンをトレースしてある」


「コピーではない。AIによる自律プログラムだ」

 司祭のギアが言った。

「君達の過去の戦闘行動記録はすべて解析され完璧にプログラム化された。レプリカ・ギアはAIが作り出した想像的構築体だが、同じ状況下であれば君達も同じ行動を取る。あれは、君達そのものだ」


「違う!」

 ケインは声を上げた。

「あれはオリジナルではない。お前達はイミテーションのギアを使ったバトルで観客を騙している!」


「騙してはいない」

 司祭のギアはアカツキに仮面を向けた。

「認識の違いだな。君は知らないだけだ。ブレイン・バトルにおける戦闘行動パターンは実は百種類もない。シチュエーションを絞り込めば更に限定される。再現は可能なのだ」


「よくいうぜ」

 風牙は吐き捨てた。

「何がレプリカだ。お前達はよほど暇らしいな!」


 司祭のギアは苛立ったように仮面を振った。

「まったく頭の悪い連中だ」


「なんだと!」


「これは仮想空間内での創造的構築体同士による戦闘行為。つまり、通常のブレイン・バトルと何ら変わらない」


「無意味な議論よ」

 レイブンは冷ややかに言った。

「もう一つの目的は?」


 中央の甲冑のギアが暗い双眸をレイブンに向けた。レイブンはその視線を見返し、ぞっとするほど静かな口調で言った。


「答えなさい」


 一瞬で周囲の空気が張りつめた。一触即発の緊張感が走る。


 甲冑のギアは片手の動きで空間の映像を消し、重々しい声を響かせた。


「もう一つは、お前達の消去だ」


 地響きを立て、鋼鉄板がケイン達の周りを輪になって取り囲んだ。

 アイアン・グレイブが防御のために展開したのだ。


「現実世界で殺せば簡単でしょう? わざわざこんなことをする必要があるの?」

 レイブンは挑発するように言った。


「シャドウ!」

 司祭のギアが横から口を出した。

「まだ決まった訳じゃない。どうしてそんなに殺したがるんだ!」


 明らかに非難する口調だったが、シャドウと呼ばれた甲冑のギアは平然として言葉を続けた。


「お前達の特殊な能力について調べる。この仮想空間はそのために用意された」


「調べたら、殺すわけ?」レイブンは低く言った。


「殺しじゃない!」

 司祭のギアは声を上げた。

「構築体を解体するだけだ!」


「ふざけるな」

 風牙が唸った。

「お前らはバトラーじゃねぇ。この殺し屋どもめ!」


「口を慎め! この無礼者!」

 司祭のギアが激高して叫び、風牙に指先を突きつける。

「君がなぜ狼の姿をしているのか我々は調べ上げてある」


「……なに?」

風牙は躯を強張らせた。


「同情を禁じ得ない体験だが」

司祭のギアは嘲るように言った。

「野生の獣と自己を同一視するなどまともな感覚の人間ではありえない!」


 狼の銀毛がばりばりと逆立った。

 風の柱が轟々と唸りを上げて垂直に立ち上がる。


「てめぇ」

 風牙は形相を変えた。

「……バラバラにしてやる」


「やめなさい!」

 レイブンが鋭く声を掛けた。

「挑発よ!」


「それが破壊衝動だ!」


 甲高い声が響いた。初めて小柄なギアが声を上げた。


「破壊衝動は人間の本能。君は正しい反応をした」


 小柄なギアは石柱からふわりと浮かび上がると、前に立つシャドウのがっしり

した肩に腰を降ろした。慣れた様子で細い足をぶらぶらさせる。


「衝動は抑制できない。しかし消費することはできる」

子供の声でギアは言った。

「ブレイン・バトルは人類にカタルシスを与え、世界を安定させる装置として機能しているんだ」


「なんだと?」

 ケインは不審を感じた。

「お前、なんで連盟のようなことを言ってるんだ?」


 黒いギアたちは黙っている。


「まさか……」

 レイブンが息を呑んだ。

「あなた達は、連盟のギア?」


「その通り」

 小柄なギアはあっさりと認めた。

「隠すつもりはない。どうせここで聞いたことを、君達は他の誰にも伝えられないんだからね」


 アッシュと同じ連盟のギアとは到底思えない。ケインは叫んだ。


「どうして連盟直属のギアがこんなことをするんだ?」


「言っただろう、君達には特殊な能力があると」

 小柄なギアは短い両手を伸ばし、レイブンとアカツキを指差した。

「ブレイン・バトルは健全な娯楽として全世界の人々に愛されている。レギュレ

ーションに収まらない特殊なタイプは、健全な興行の妨げとなる。つまり、君達は秩序を乱す異分子なんだよ」


「だから連盟が排除に乗り出したっていうこと?」とレイブン。


「突出したスキルや特異な能力が戦闘行動で示されることで一番懸念されるのは、それらが人々に強い影響を与えることだ」

 ギアは小さな肩をすくめた。

「大衆は超人的な強さに憧れる。それは破壊衝動を消費するどころか、自己に投影されてより増幅させてしまうんだ」


 司祭のギアが厳かに言った。

「連盟はブレイン・バトルを正しくコントロールする必要がある。それがひいては、世界平和のためになる」


「世界平和とは、よく言ったわね?」

 レイブンははっきりと揶揄する口調で言った。

「お題目はいいわ。あなたがたの、連盟の本当の狙いはなに?」


 子供のギアは一瞬黙り込み、ゆっくりと聞き返した。


「それは、どういう意味かな?」


「繰り返させないで。本当の狙いよ」


 スリットのような細い眼がレイブンを睨む。


「連盟はブレイン・テクノロジーの様々な研究分野を援助している。米軍とも密接な関係を維持しているわ。特殊な能力、つまり特異なイメージング能力を持った人間を蒐集して研究しているんじゃないの?」


 ケインは驚き、隣に立つレイブンを見た。

「どういうことだ?」


「仮想空間で戦闘が起きれば、戦うのは仮想装置同士よ」


「じゃぁ、ブレイン・ギアのスキルが」

 風牙がうめくように言った。

「兵器になるってことか?」


 レイブンは黒い子供のギアをじっと見つめた。

「突出したスキルを持つブレイン・ギアは、それだけで性能のいい優秀な兵器といえるのよ」


「いやぁ驚いた。随分とユニークな意見だ」

 小柄なギアが声を上げた。


「そうかしら?」

 レイブンは乾いた声で言った。

「あのレプリカ・ギアも生産された兵器と考えれば、すべてつじつまが合うわ」


「残念ながら、その意見には賛成できないね」

 子供のギアは呆れたように言うと、シャドウの耳元に顔を寄せた。


「困ったね、シャドウ」

 小声で囁く。

「彼女は気づいている。どう思う?」


「消すべきだ」黒い甲冑のギアが答える。


「訊くまでもないか」


 子供のギアは頭を振るとケイン達に顔を向けた。


「名乗っておくよ。僕はインフィニティ。この彼はシャドウ・ライダー」

 子供のギアは左右を指差した。

「プリーチャーにレクイエムだ」


「くたばりやがれ!」アイアン・グレイブが罵った。


 ケインはレクイエムと呼ばれた女性型のギアに視線を向けた。

 このギアだけが今まで一言も発していない。喪服のような黒いロングドレスを着て、顔には黒のレースがかかっている。表情を窺うことはできないが、そのすらりとした立ち姿には確かに見覚えがあった。


「まさか……エヴァか?」


 喪服のギアがぴくりと震え、微かに顔を背ける。


「エヴァ!」

 ケインは叫んだ。

「エヴァなのか?」


「やっと気がついたか」インフィニティが呟いた。


「エヴァ!」

 ケインは繰り返し名を呼んだ。

「どうしてこんなところに?」


 黒い喪服のギアはただ彫像のように佇み、動こうとしない。シャドウ・ライダーが重々しく声をかけた。


「レクイエム。あのサムライは、お前がれ」


 レクイエムは顔を伏せたまま答えない。やり取りを見ていたプリーチャーがうんざりした様子で腕を振り上げた。


「なんで私がこんな殺人ギアと一緒に!」

 プリーチャーは憤慨して叫んだ。

「もう耐えられない! 帰ったらアイラーに抗議してやる!」


「わお」

 インフィニティは肩をすくめ、小さく笑った。

「今のはまずかったね、プリーチャー」


「あ」

 司祭のギアは凝固した。


「アイラーだと? そいつがお前らの元締めか!」風牙が叫ぶ。


 インフィニティはシャドウの耳元で囁いた。

「問題なのはサムライと大鴉だったのに、これで誰も帰せなくなっちゃった」


 ケインは石柱に立つギアを降り仰いだ。


「何を話している?」


「お前達二人は」

 シャドウ・ライダーはケインとレイブンに顔を向けた。

「非常に特異な領域を発動した。それが何か、連盟は解明しなくてはならない」


「はっきりいっておくよ。軍事目的でブレイン・ギアが研究されているというのは誤った考え方だ」

 インフィニティは声を高めた。

「連盟は、人類の進むべき未来を見ているんだ」


「おいおい、今度は人類ときたか」

 アイアン・グレイブは機体を震わせた。

「いいかげんにしやがれ!」


「連盟がブレイン・バトルを世界中に広めたのは、こう言った希少なケースを採取するためでもあるんだ」

 インフィニティは気にした様子もなく言葉を続けた。

「長い話だけどできるだけ簡単に説明しよう。ブレイン・テクノロジーの創発によって人間は電子情報の世界に知覚を延長することが可能になった。今まで見えなかった赤外線が見えるようになった感じかな。でもそこは現実の物理法則に縛られない未知の世界だ。何しろ肉体というデバイスを経由せずに、イメージすることで電子情報に干渉できるんだからね。ただ人間の脳ではイメージできないこともある。例えば光速をイメージしてもギアを光の速さでは動かせない。脳神経繊維はイオンと化学物質伝導で情報を送っているから、光速どころか100分の1秒以下の時間差だってわからないんだ。しかし、本当に『脳は知っていることしかイメージできない』のか? 脳が思い描いたイメージがこの仮想世界では構築化される。では人間の脳が生み出すイメージに法則はあるのか。限界はあるのか。僕たちはそれを知らなくてはならない。しかも早急に」


「早急に?」レイブンが訝しんだ。


「ブレイン・バトルはそれを調べるための実験場なんだ」


「なぜそれを調べなくてはならないの?」


「人間はいずれこの世界に住まなくてはならないからだよ」


「どういうこと?」


 プリーチャーがそわそわして声をかけた。

「急がなくては! レプリカのバトルが終わりそうだ」


 インフィニティはケイン達を見下ろし、支配者のように手をかざした。

「見せて欲しい。その特異な能力を!」

「てめぇら!」

 銀狼が背を低くして咆哮した。

「調子に乗るんじゃねぇ!」


 銀狼を中心に竜巻が立ち上がった。

 ただの風ではなく、内側は吹雪のように氷雪が轟々と渦巻いている。

 あっという間に風牙の姿は白い竜巻の中に掻き消えた。白い竜巻は間欠泉が噴き上がるように一瞬で石柱の高さを越し、周囲に広がった。


「どうした?」

 ケインは空を見上げた。

 動きがおかしい。アカツキは腰を落とし、刀の鯉口を切った。


 上空に拡散した吹雪の中から狼が落下して来た。


 アイアン・グレイブの鋼鉄板が角度を変えて素早く移動し、風牙を受け止めた。狼は昏倒して横たわっている。


「君は自然操作系に見られているが、実は違う。風や吹雪は『突き飛ばす』という動感モーメントを隠すためのもの」

 インフィニティはくすくす笑った。

「それが君の唯一の戦い方だ」


 シャドウは傲然と肩をそびやかした。

「俺達には全く通用しない」


 狼の姿がゆっくりと薄れて行く。

 ダメージを受けてギアを維持できなくなったのだ。


「岩城さん!」

 ケインは叫び、レイブンを振り返った。

「意識は回収されるのか?」


「わからない」

 レイブンは暗い声で言った。


「そんな者は放っておけ!」

 シャドウ・ライダーが言い放った。

「さぁ、見せてみろ! 大鴉の特殊なステルス・フィールド、そしてそれを切り裂いた、サムライの火焔を!」


 鉄兜の中の眼が赤黒くひかっている。それは天の戦場で遭遇した過去の強者の魂が持つ暗い眼と同じだった。いや、それ以上に戦いに愉悦を見いだす狂気が潜んでいる。


—こいつは本当に、殺人者か?


 ケインは柱の上の喪服のギアに視線を向けた。どうしてこんな連中と一緒にいるのか。

「エヴァ!」

 ケインは叫んだ。

「君とは戦いたくない!」


「無駄よ」

 隣に立つレイブンが冷たく言った。

「何があったかは知らないけれど、今は連盟に所属するギア。少なくとも味方ではないわ」


「敵でもない」

 柄頭に添えた手を離す。

「エヴァ、話を!」


 アカツキは初動も見せずに飛翔した。

 その頭上をかすめて水平に黒い線が走った。

 アカツキは急停止し、一瞬で抜刀する。

 黒い細い線は一本だけではなく、数十本が一斉に周囲の空間に走った。

 水平に平行する線、それらに直角に交差する線。更に垂直に立ち上がる線。

 線の集団は座標軸の三方向に沿って出現し、ケイン達を取り巻く黒い線の檻を形成した。


「何だこれは!」

 アイアン・グレイブが吼えた。

「こんな線で何ができる!」


 鋼鉄のボディが振動する。

 凄まじい勢いで射出された鋼鉄板が頭上に張り巡らされた黒い線の格子に突進した。線がワイヤーのような強靭なイメージで作られていたとしても、鋼鉄板の重量とスピードなら分断できないまでも影響を受けない訳にはいかない。


 黒い線に鋼鉄板が次々に激突した。


 その瞬間、時間が止まったように鋼鉄板が静止した。黒い線に触れた鋼鉄板はすべての動きを止め、斜めになったまま空間に固定された。


 ケインは息を呑んだ。黒い線はたわみもしなかった。触れた瞬間に鋼鉄板に込めた強烈な運動イメージが打ち消されてしまっている。


「回収するんだ!」ケインは叫んだ。


「ちっくしょう!」

 アイアン・グレイブがわめいた。

「力が入らない。コントロールできない!」


 アカツキは空中に浮んだ体勢のまま、一挙動でダガーを投げた。

 ダガーは空を切り、鋭い切っ先を細い線に突き立てた。そしてその角度のまま凍り付いたように静止する。

 アカツキは素早く納刀した。太刀で斬りつけていたらおそらく線から引き離すこともできないはずだ。


「イメージされた線はどこまでも伸びて行く」

 インフィニティの甲高い声が響く。

「この線には終わりがない」


 子供のギアは指先を左右に振った。

 空中に黒い点が現れ、次の瞬間には黒い線となってスタジアムの端から端までを一直線に貫いた。


「ここは完全な数理的空間だ。どこまでも平らな面、どこまでも歪むことのない線」

 インフィニティは感動したように声を高くした。

「ここには『無限』がある」


「あのガキは何を言ってやがる」

 アイアン・グレイブが呻いた。


「この線には『無限』の時間が流れている。つまり『永遠』さ」


「そういうこと」

 レイブンは呟くと、ケインに向かって言った。

「気をつけて! あの線は触れたものの時間を『永遠』に取り込んでしまうわ」


「お前達はいったい、何者なんだ?」

 ケインはインフィニティを見上げた。


「うーん」

 子供のギアが困ったように首を傾げる。

「僕が教えてもらいたいよ」


「ふざけんな!」アイアン・グレイブが怒鳴った。


「本当だよ」

 インフィニティは言った。

「この能力をどうして発現できたか僕自身にもわからないし、その仕組みも解明されていない。ただイメージできるんだ。この僕のような非常に特殊な特異性を持った人間が、連盟には集められている」


「それが連盟直属のギアなのか?」


「そう。でも勘違いしないで欲しい。連盟のギアはバトルのためにあるのではない。連盟は人間の想像力について解明しようとしている。通常の概念を超えたイメージを持つ者、それらは貴重な研究対象だ」


「それが私達というわけ?」レイブンは言った。


「君達はもうここから出られないよ」

 インフィニティは短い指を立てた。

「時間がない。始めよう!」


 プリーチャーが石柱から浮かび上がった。


「あのレプリカ・ギア・システムは非常に複合的なプロジェクトだ。ジャパン・カップ決勝戦でいきなり稼動させたのはリスキーだったが、観客やネットワーク上の反応のデータは充分に得られた」


 プリーチャーは黒い檻の上空に移動し、儀式を始めるように両手を広げた。


「さぁ、あのレプリカに入力されていない『特殊なスキル』を発現させるんだ」


「そんな簡単なものではないのよ」レイブンが言った。


「わかっている」

 プリーチャーの背後に後光のように揺らめく光が立ち上った。

「だからちょっと苦しい眼に遭ってもらおう」


 上空が暗くなった。

 降り仰ぐと、直上から黒雲のような塊が落下してくる。

 それは無数の長槍の集団だった。


「くそっ!」

 アイアン・グレイブは叫んだ。


 展開できる鋼鉄板のすべてをアカツキとレイブンの上に重ねる。

 長槍が鋼鉄板に命中する金属音が響き、周囲には黒い槍が垂直に突き立った。地面が見えなくなるほどの密度で落下は続く。


「なめるな!」


「では、これはどうかな?」


 スタジアムの天井付近に現れた岩魂が次々に落下してくる。

 岩の塊が鋼鉄板を打ち叩く雷鳴のような轟音が鳴り響く。アカツキの頭上に保持されていた鋼鉄板が激突の衝撃と共に歪み、どんどん低くなってくる。


「うおおおおお!」


 アイアン・グレイブが怒声を放った。

 ひしゃげていた分厚い鋼鉄板が弾かれたようにまっすぐな形態を取り戻した。

 数枚の板が空中に舞い上がり、落下する岩塊に当たって軌道を変え直撃を回避する。


「大した精神力だ。敬服に値するよ」

 プリーチャーは賛嘆の言葉とは裏腹に気のなさそうに言った。

「さて、タフな君を恐れさせるには、何を見せれば良いのかな?」


「黒い線が移動している」

 レイブンが鋼鉄板の端から上空を見上げて言った。

「落下物のコースを開けているわ」


「次がチャンスだ」

 アカツキの眼が赤く光る。

「脱出するぞ」


「そうはいかない」

 プリーチャーが鼻で笑った。


 スタジアム全体が轟々と揺れ始めた。

 アカツキが背後を振り返ると、観客席の屋根の向こう側から、スタジアムの高さを越える巨大な波が迫ってくる。


 アイアン・グレイブが呟いた。

「……マジかよ?」


 巨大な高波は圧倒的な重量でスタジアムの大屋根を圧し潰しながらグラウンドに雪崩れ込んで来た。観客席が崩壊し瀑布のような水流が迫ってくる。

 アカツキは引き抜いた太刀を深々と地面に突き刺した。


「つかまれ!」


 差し伸べた手を掴んだレイブンを引き寄せ、抱え込む。

 その身体に波が襲いかかった。


 コンクリートの壁に激突したような衝撃だった。

 水流に翻弄されながら深く刺した太刀の柄を必死で握りしめる。流されて黒い線に触れれば『永遠』の時間に吸い込まれてしまうだろう。

 不意に水圧が緩んだ。眼の前に鋼鉄板が立っている。


「俺は泳げない」

 アイアン・グレイブは自分に言い聞かせるように言った。

「しかしこの水は単なるイメージだ。溺れることはない」


「それはどうかな?」

 プリーチャーの声が水中に響いた。


 周囲は青緑色の水に満たされている。濁った流れの奥に、無惨に潰された観客席や屋根の瓦礫が散乱しているのが見えた。

 雪崩れ込んだ水はスタジアムを器にして満たしているらしい。


「どうする、コマンダー?」

 鋼鉄の塊はえぐれた地面に半分埋まっている。

「打つ手なしだぜ」


「不可知領域を出せないのか」

 蓬髪を水藻のようにたなびかせ、アカツキは訊いた。


「まだよ」

 レイブンは水の中でも平然としている。


「まだ?」

「来る!」


 初めは水中を伝わる低周波のような微かな振動だった。しかしその振動は急速に強さを増し、ギアの機体が揺さぶられるほどの激しさになった。


「なんだ、これは?」

 ケインは周囲に眼を配った。相手の姿は見えない。


「皆、耳を塞いで!」

 レイブンは増大する振動に負けまいと声を張り上げた。


「無理だ!」

 アイアン・グレイブは波動に揺さぶられながら叫んだ。

「俺には『耳』がない!」


 ブレイン・バトルのルールでは聴覚・嗅覚など感覚への直接攻撃は真っ先に禁じられている。どのギアも音を遮断できる構造にはなっていない。

 振動は水中でもはや轟音といえるほどにその振動を激しく高めている。

 巨人の手で掴まれ揺さぶられるような低周波に加え、脳神経に突き刺さる甲高い不協和音が響いた。


 アカツキは音を振り払うように首を振った。

「これは歌、なのか?」


 ディストーションのかかった金属的な叫び声、不規則な打撃音、とてつもなく不快な音響が耳をつんざく巨大な音塊クラスターとなって襲いかかる。

 その中から細い歌声が流れてくる。


「エヴァ?」


 水平に走る黒い線の向こう側に、喪服のギアが現れた。

 ドレスの裾が濁流にゆらゆらと揺れる。帽子から垂れた黒いレースがふわりと持ち上がると、ヴェネツィアの仮装マスクのような顔が見えた。

 暗く虚ろな眼の縁には涙をかたどった深紅の宝石がちりばめられている。

 ナイフで裂いたような薄い唇から、暗鬱なメロディーが聞こえる。


「エヴァ! 攻撃をやめてくれ!」ケインは叫んだ。


「攻撃?」

 喪服のギアは首を傾げた。

「私は歌っているだけ」


「やめてくれ!」

 アカツキは胸を押さえた。

「その歌は、心が苦しくなる!」


「私は後悔している」

 エヴァは穴のような眼をじっと向け、低く沈んだ声で言った。

 現実であれば鼓膜が破れそうな轟音の中でも、なぜかその声ははっきりと聞こえた。

「後悔?」

「あなたを助けようとしたことを」


「なん、だと?」


「あの時、私が早く気がついていれば、教授は助かった」


「カジノ・ライツのバトルか」

 アカツキは拳を握りしめた。

「あれはロシア・チームがやったことだ! エヴァに責任はない!」


「そうじゃない。私はあの人を裏切った」

 喪服のギアは悲しげに顔を振った。

「一瞬でも、あなたのことを気にかけてしまったの……」


 アカツキの中で、ケインは絶句した。


「教授はロストしてしまった。私のせいよ。私はあの人に会いたい」


 エヴァの姿が漆黒から色合いを変え、暗い赤に変わった。緋色の喪服から毒が流れ出すように、赤い色がどんどん水中に広がって行く。


「……ケイン」

 エヴァはぼそりと言った。

「私と、死んでちょうだい」


 茫然とするアカツキの腕を掴み、レイブンがぐいと引き寄せた。

 鳴り響く不協和音の中で、声の限りに絶叫する。


「彼女は洗脳されている!」


「なんだって?」

 ケインも叫び返した。気が狂いそうな爆音が充満している。


「彼女を助けたい?」レイブンが叫んだ。


 アカツキはうなずいた。


「では、焼き尽くしなさい!」


「なに?」


「皆を救うためよ!」

 レイブンはアカツキの肩を揺さぶった。


「どういうことだ!」


「あの炎は破壊衝動ではなく、願うことで発現する。救おうと願えばあの炎は救いの火となるのよ!」

 レイブンは人が変わったようにアカツキを掴んで揺さぶり、声を張り上げた。

「ここで死にたいの?」


「しかし」


「荒神の助けがなければ発現できないの?」

 レイブンは手を振り上げ、絶叫した。

「いい加減に目覚めなさい!」


 大した力ではなかった。

 しかし頬を叩かれたアカツキは後ずさり、片膝を突いた。


「……くそっ……」


 望んで得た力でもないのになぜ叱責されなければならないのか。あれは世界を焼き尽くす『終末の火』だ。そんなに都合よく出せるものか。


 ケインはアカツキの手の平に目を落とした。

 怒りとも悲しみともつかないやるせなさが渦を巻く。

 手の上に、ぼうっと小さな灯りが灯った。

 その小さな灯りは今にも消えそうに瞬いている。

 それは深層の闇に沈む母親の姿を思い起こさせた。


 —母さん。


 またあの意識の最深層、障壁に行くことがあるのだろうか。

 自分はあの壁を切り裂き、闇の底に沈められた母を救い出すことができるのだろうか。

 感覚が痺れ、意識が朦朧としてくる。

 誰もが自分を利用しようとする。それは自分が得体の知れない巨大な計画の中に取り込まれているからだ。この仕組まれた運命から抜け出すには、荒神の望む通りに計画を完遂するしかないのかもしれない。


 気がつくと赤く染まった水がゆらめきながらアカツキの身体を包もうとしている。エヴァの悔恨と悲嘆の心が染み入ってくる。

 悲しみを超えようとする者もいるし、それに殉じようとする者もいる。しかし少なくとも今わかることは、エヴァの教授を悼む心を、連盟が利用しているということだ。


「本田さん」

 ケインは背後の鋼鉄に声をかけた。

「レイブンを守ってくれ」


「気持ち悪いんだよ。急に名前を呼びやがって」

 アイアン・グレイブは泥に埋まりかけたボディを震わせた。

「俺は言わねぇからな」


 レイブンが膝をついて背を屈めると、分厚い鋼鉄板が何枚も斜めに重なり、その姿を覆った。


 ケインはアカツキの手の平を重ね、小さな炎を捧げ持つように腕を差し伸べた。

 周囲の水は既に濃密な赤色に染まっている。

 その中にひときわ赤い喪服のエヴァが寂しげに立っている。

 目尻の赤い宝石がちかちかと瞬いた。


 —これは、赤い涙か。


 ケインはぼんやりと思った。そして意識を閉じた。


 手の平の小さな火だけを残して。

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