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15 終焉の焔


 ケインは怒号を上げて突っ走っていた。


 波に対して受けは効かない。一点で突破する攻撃しか選択肢はない。

 しかし闇雲に突っ込んでも包囲されて切り刻まれるだけだ。それを避けるためには相手を上回るものが必要となる。それは『速さ』だった。


「疾駆!」


 気合いと共にケインは前面の敵に斬り込んだ。


 接触する直前で向きを変え、別の敵に刀を叩き込む。予測とは違う攻撃に敵が混乱し間隙が生じる。一瞬の動作でダガーを連投すると同時にすぐさま反転して別の敵に斬り込んだ。

 混乱する敵の中で太刀の届く間合いを維持しながら旋回するように敵を斬りまくる。

 振りかぶった剣の下をかいくぐって相手の脇から腕を斬り飛ばし、太刀の軌道をそのままに背面の敵の胴を薙ぎ払う。対面の小手を斬ってからすぐさま反転し、押し包まれる前に別の敵に斬り込んで行く。

 反発されて動きが止まらないように押し切れる相手を瞬時に選んで判断することが最も重要だった。


 肩の防具に敵の一撃が叩き込まれる。

 長剣の重い斬撃に片膝を突きながら前の敵の足を薙ぎ、瞬時に前転して別の敵の胴を斬り上げる。返す刀で側面の敵の首筋を斬り下ろし手首を返して背後の敵の腹に突きを入れ、同時に片手に持ったダガーを前面の敵の喉に刺し、横から突き出された手槍のけら首を掴んで穂先を別の敵に突き立てた。

 密集空間で常に相手を上回る速さで動くことでケインは徐々に打ち倒す敵の数を増やして行った。


 一体どれくらいの時間が経ったのか。


 斬撃戦が続く中で、ケインの周りに徐々に広い空間が現れ始めた。

 黒い兵士達のほとんどをケインは一人で斬り伏せていた。しかし間合いが生じると密着して相手の動きを封じながら斬ることが難しくなる。


 鋭い羽音と共に矢が飛来した。

 水平の方向からだ。反射的に前転して矢から逃れる。

 腕の盾を瞬時に展開して身体を起こすと構えた盾に叩かれたような衝撃が走った。何本もの短い矢が刺さっている。


「ボウガン!」


 ケインは舌打ちした。

 いつの間にか新たな別のグループが接近していたらしい。

 高速の矢が次々に飛来する。

 射手の位置は斜め後方だ。ケインは一番近い隆起した岩場に向かって駆け出した。

 盾で矢を防ぎながら岩と岩の隙間に飛び込む。姿勢を低くして外を窺うと、荒れ地の起伏の向こう側に洋弓を構えた数十人の兵士達が散開して接近しようとしている。

 そのシルエットを見てケインは思わず罵りの言葉を洩らした。

 兵士達は西洋甲冑に身を固めた中世の騎士だった。


「どうする?」


 ケインは岩に背を押し当て、荒い息を着いた。

 盾で矢を防ぎながら斬り込んだとしても金属の兜や甲冑に太刀は弾かれてしまう。脇下などの鎧の隙間を狙って刺すくらいしか方法はない。

 甲冑騎士同士の戦闘はまず相手を落馬させ、長くて重い剣でひたすら叩き伏せるという剣術とは次元の違う戦いだ。

 そのため剣ではなく斧やハンマーを装備する者もいる。


「ハンマーか……」


 一瞬、教授のスレッジ・ハンマーが頭をよぎった。

 しかし射程が短く一対一の近接攻撃でしか有効ではない。

 この状況で闘うには……。


 ブレイン・バトルがコンピュータの構築した仮想空間なら、この荒涼とした大地は荒神の記憶から作り出された世界だ。騎士や戦士、武者達はそれぞれの剣術・武術・武装など戦闘の経験値で構築された一種のプログラムだといえる。

 そうであるならば、荒神の経験から再現された戦士達の能力アビリティは生きていた時のレベルでフィックスされている。


 以前にサラは『イメージに限界はあるのか』と訊いた。

 そしてこうも言った。『相手のイメージを上回れば勝てる』と。


 ケインは顔を上げ、ぶるっと武者震いをした。


「イメージに限界はない」

 ケインは確かめるように呟き、拳を握りしめた。

「俺自身に、リミットを作るな」


 ケインは太刀を納め、両手にダガーを持って、岩陰から足を踏み出した。

 岩の左右から洋弓を構えた騎士達が回り込んで来ている。ボウガンによる挟撃は絶対に避けなければならない。


 ケインはダガーを持たないまま投擲とうてきの構えを取った。


 揃えた指先に意識を集中しイメージを凝集する。この手にあるのは、より速く、より鋭く、より強いダガー。弾丸のように飛び鋼鉄をも貫通する。

 当然、物理の法則ではありえないことだ。だが、この世界では……。


 ケインの掌に、鋭く尖った白銀の短剣が現れた。


 裂帛の気合いと共に、全力でダガーを投げた。鈍い音がして最前線の騎士の甲冑が振動し足が止まった。ダガーが盾の表面に突き立っている。

 一瞬硬直した騎士は迷わず洋弓を棄て、長大な剣を鞘から引き抜いた。盾を構え直し、足を早めて突っ込んでくる。


 ケインは新しいダガーを捧げるように天に差し伸べた。

 そのまま大きく振りかぶり、渾身の力で腕を振り抜いた。


 放たれたダガーは盾を貫き騎士の胸に深々と突き刺さった。騎士はそのまま声も立てずに倒れる。


 周囲の騎士達が一斉に地面を蹴った。


 ケインは殺到する騎士達に向かってダガーを前後左右に投げまくった。ダガーは糸で引かれたように一直線に飛び、盾も甲冑をも貫通し、背後の別の騎士にまで突き刺さった。ケインは一瞬の躊躇もなくダガーを投げ続けた。投擲するごとにその動きは速さを増し、乱舞する姿はまるで独楽のようだ。


 ケインは腕を止めた。投げるべき標的が視認できなくなった。

 気がつくと、周囲には打ち倒された甲冑騎士の躯が輪を描いて土嚢のように積み重なっている。

 ケインは両腕をだらりと下げ、深く息を吐いた。

 こみあげてくる強い疲労感に意識が朦朧としてくる。


 強烈な貫通力というイメージを凝縮して生み出した短剣を、常識を超えた速さと強さで投げ続けたのだ。イメージを生み出すのは脳である。脳は長時間の集中を続けると、その後の集中力は明らかに低下する。


 集中力は有限だ。一種の興奮・極限状態にあったケインは、避けられない疲労の谷に入ろうとしていた。


 ケインはよろよろと前進すると、積み重なった騎士の甲冑の上に倒れ込んだ。


 乾いた風が吹きすさび、ケインの衣服や蓬髪を巻き上げる。

 重くたれ込めた暗灰色の雲の下を、千切れ雲が奔馬のように駈けて行く。


『どうした? もう限界か?』


 ミオの声がした。それは風が運んで来た声ではなく、聴覚に直接伝わってくる。ケインはうっすらと眼を開けた。


 地鳴りのような低い響きが荒れ地を揺らしている。


 ケインは緩慢な動きで周囲を見渡した。自分が甲冑騎士の上に覆い被さって倒れているのに気がつく。

 突然、斉藤の声が頭の中に響いた。


『起きろ、ケイン! 死にたいのか!』


 地鳴りは激しさを増している。ケインは唸り声を上げながら立ちあがった。

 眼前の光景を見て、ケインは言葉を失った。


 前方の丘を越えて、黒い幟を立てた軍勢が接近していた。


 黒い幟の布地は古びて裂け、ほとんど襤褸のようだ。その幟を背に括り付けた黒ずくめの兵士が丘を越えて現れた。黒い幟はあっという間にその数を増し、高波のように一斉に丘を越えてくる。数百、いや、千に近い数だろう。

 笠をかぶった黒い兵士達は帯刀せず、全員が長い黒槍を構えていた。


「なんだ、これは……」


 顔から血の気が引くのがわかった。数が多すぎる。これだけの軍勢に対して、たった一人で何ができるというのか。


『助けに行きたいところだが、こちらもなかなか大変でな』

 いっている内容とは裏腹に、ミオの声が淡々と響く。

『自分で切り抜けろ』


「くそっ」


 ケインは思わず呟いた。ミオにはこちらの状況が見えているのか。どうも知覚の一部が繋がっているような気がする。


 周囲は既に黒い敵兵の軍勢で取り囲まれている。武器は長大な黒槍だ。敵兵は長い槍を高く振り上げ、一斉に足を踏み出した。

 ケインの口から野獣の咆哮が迸った。この窮地をどう切り抜けるか考えている余裕はない。唯ひたすら敵を切り伏せるだけだ。もう何も、考えられない。

 ケインは獣のように低く背を屈めると敵の最前線に突っ込んでいった。


 敵の槍の穂先が届く寸前で跳躍する。空中のケインに向かって下方から長槍が繰り出される。咄嗟に空中で回転し、頭を下にした姿勢で槍の穂先をぐるりと薙ぎ払った。

 着地すると同時に再び跳躍する。空中で脇差しを抜き、下方から突き上げる槍を二本の刀で捌きながら着地点の黒い敵兵を垂直に斬り下した。

 腕を交差させ一瞬で太刀と脇差しを納刀したケインは、仰け反った敵兵の手から長槍を摑み取った。黒槍を脇に抱え低く腰を落とす。

 水平に構えた武器に強い気が込められ、黒槍は弾かれたように振動する。

 瞬時に槍はその長さを数倍に伸ばし、接近していた敵の影に突き刺さった。

 ケインは低く気合いを発すると、脇に抱えた槍を強引に真横に薙いだ。密集した敵がバラバラと引き倒され穂先で切り裂かれる。

 槍を収縮させ手元に戻したケインは、再び別の方向に槍を伸展させた。更に収縮させ、瞬時に伸展する。ケインは周囲の敵に向かって伸縮する槍を目にも留まらぬ速さで突き入れ引き戻した。

 周囲の空間が僅かに広がった。ケインは槍を風車のように頭上で回転させ、伸展した穂先で敵の軍勢を薙ぎ払った。空中に分断された黒影が木の葉のように舞い上がる。ケインは凄まじい疾風怒濤の嵐となって黒い軍勢の中に突入し、駆け巡った。


 ケインの意識の中で時間感覚の乖離が生じ始めた。


 周囲の敵の動きが緩慢になり、ついには静止したように動きを止めた。

 ケインは立ち並ぶ黒い敵兵を手当り次第に突き、斬り、薙ぎ払った。


 その時間がどれだけ続いたかわからない。

 不意に眼前の視界が開けた。


 ケインは槍を高く掲げたまま急制動をかけた。

 勢い余ってたたらを踏む。振り返ると周りを埋め尽くしていた黒い軍勢はすべてが打ち倒され、黒い水のように荒れ地に吸い込まれて行く。


『奴らもようやく開放されたという訳だ』


 ミオの声が頭に響く。

 ケインは周囲を見回した。ただ荒れ果てた大地が茫漠と広がっている。


「だが、まだ終わりではない」


 ミオの声が聞こえる。ケインは背後を振り向いた。

 武士の姿の斉藤を従えて、ミオがこちらに歩いてくる。

 白かったワンピースは土と泥にまみれ、あちこちが裂けている。

 槍を杖代わりにしている斉藤も片足を引き摺り、疲労困憊の様子だ。ケインと同じように壮絶な戦いを切り抜けて来たようだ。

 ケインの前まで来ると、斉藤は崩れるように地面に座り込んだ。


「大丈夫か、斉藤さん?」


「これは、キツ過ぎる」

 斉藤は泥まみれの顔を起し、頬を歪めて笑った。

「お前、凄いツラだな」


 ケインは自分の顔をなで回した。何か変わったのだろうか。


「荒神」

 座り込んだ斉藤はミオを見上げ、眼を細めた。

「もう、これで片はついたんじゃないのか?」


「そう思うか?」

 ミオは腕を組んだ。


「なに?」

 ミオは黙って地平線を指差した。


 その方向を見た斉藤は顔色を変えた。


 起伏の続く荒れ地の向こうに、大地を覆い尽くす大軍勢が姿を現した。


 今までの戦闘が小競り合いに思えるほどの、膨大な数の軍勢だった。

 鉄兜を被り小銃を構えた歩兵、鉄の装甲板で覆われた戦車。おそらく第二次世界大戦の装備だろう。どんなにイメージで威力を増しても、刀や槍が通用する相手でないことは考えなくともわかる。


「どういうことだ、これは?」

 斉藤はよろめきながら立ち上がるとミオを振り返り、険しい口調で言った。

「あんな近代の機甲部隊や歩兵はいなかったぞ!」


「今まで出さなかっただけのこと」


「なんだと」

 斉藤は眼を見開いた。

「まさか?」


「そういうことだ」

 ミオは無表情に言った。


 前方の視界は数千人の歩兵部隊と数百台の戦車群で埋め尽くされている。地面を踏みしめる軍靴の音とキャタピラーの軋み音だけが低く地鳴りのように響いていた。


 ミオは平然として言った。

「あれらをすべて片付ければいいだけのこと」


「……最初からそのつもりか」

 斉藤は低く唸った。

「どうしてここまでやる必要がある?」


「我々がここに入った目的は?」


 一瞬、斉藤は躊躇った。しかし、ケインに視線を向けるとゆっくりと言った。


「ケインのフレイムを発現させること」


「未だ発現していない」

 ミオは言った。

「必要とするほどの状況ではなかったからだ」


 キャタピラーの金属音が高まった。

 表面の低い起伏を先頭の戦車が越えてくる。砲塔がこちらを向くと、即座に砲口が光った。

 眼前の地面が爆発し、三人は地面に伏せた。

 ばらばらと固い土が降ってくる。ケインは頭を振って土を払い落とした。


 ミオは地面の石を掴むと、ゆっくりと立ち上がった。

 大きく腕を振りかぶり戦車に向かって石を投げた。空気が鋭く鳴り、割れ鐘のような破裂音と共に鉄の戦車が四散した。


「お前は焔を自分の意志で発現させなければならない」

 手の土を払うと、ミオは地面に伏せているケインを見下ろし、傲然と言った。

「焼き払え」


「焼き、払う?」

 ケインは立ち上がった。


 周囲の空気が振動し、ミオの身体から強い波動が広がる。

 それは輻射熱のように熱く、巨大なストーブの前に立っているようだ。

 ケインは反射的に腕で顔を覆った。


「来い」


 ミオはケインと斎藤に手を差し伸べた。

 ケインは熱気を浴びながらミオの手を取った。ミオはケインを前面に立てて自分は背後に回り、片手で斉藤の腰帯を掴んで引き寄せた。


「身体を離すな。一瞬で消え去るぞ」

 ミオは斉藤に言った。


「なにを、するつもりだ?」

 ケインは困惑し、背中に密着した妹を振り返った。


「ケイン! 前を見ろ!」

 斉藤が叫んだ。


 後続の戦車と歩兵部隊が横並びになり、一斉に丘を越えてくる。

 歩兵が小銃を肩に当てて構えるのが見えた。すべての銃口は三人に向けられている。

 ケインは麻酔をかけられたように全身が硬直して動けなくなった。

 数百の銃口に狙われ、今、撃たれようとしている。


「うつけが! 剣を構えろ!」

 ミオが叱咤する。


 ケインは戸惑いながら太刀を軍勢に向けた。刀一本でどうしろというのか。


「臆するな! 肚を据えろ!」

 背中でミオが叫ぶ。

「いくぞ!」


 突然、背後から突き飛ばされるような激烈なエネルギーの波動がケインを襲った。

 ミオ、いや、荒神が自身の気を強引に流し込んで来たのだ。

 ケインの全身に充満したその熱は一瞬で膨れ上がり、太刀の切っ先から紅蓮の炎となって噴出した。


「放て!」


 巨大な猛火が巻き起こった。

 焔は火の壁となってそそり立ち、左右に走る。

 灼熱の溶岩が垂直に立ち上がったようだった。

 刀から噴出する炎は更に火勢と熱量を増し、火の壁となって大地を走った。

 超高熱の火焔の壁が前方の軍勢に向かって高波のように突進して行く。

 接近していた戦車群と歩兵部隊が一瞬で燃える壁に呑み込まれた。屹立する溶岩の波は展開していた軍勢すべてを抱え込むように左右に焔の腕を伸ばしながら突き進んだ。

 戦車や兵士達を呑み込みながら、焔の壁は高さもスピードも少しも減ずることなく大地を嘗めるように焼き尽くし遠ざかって行く。


 気がつくと、ケインの目の前には灼熱の火焔に蹂躙された、文字通りの焦土が広がっていた。


 炎熱の壁は既に遠く、遥か遠くの地平を細く赤く縁取っている。

 広大な地表は数千度の高熱の溶岩に嘗められて焼け爛れ、あちこちに赤黒いマグマ溜まりが残ってオレンジ色の焔を吹き上げている。

 黒雲が渦巻いていた空は燃える大地の照り返しを受けて赤黒い色に染まり、熱気に煽られた焔が花吹雪のように赤く瞬きながら空を舞っていた。


 ケインは眼前の光景の凄まじさに立ち竦んだ。


 火焔に焼かれて大地が燃えている。見たこともない凄絶さだ。熱気が烈風のように吹き付け、身体を揺さぶる。

 これは本当に自分が起こしたことなのだろうか。


 背後からミオの声が言った。

「そうだ」


 ミオはケインの背中に密着し、ケインの腰帯をしっかりと掴んでいる。斉藤は立てた槍を支えにして燃える大地を見回した。


「これはまるで」

 斉藤は熱気にむせながら言った。

「地獄だな」


「地獄など、こんなものではない」ミオは言った。


「あんたはまるで、見て来たようだな」

 斉藤は揶揄する口調ではなく、真剣な顔で訊いた。


「地獄とは、未来における終焉の日だ」


 斉藤は咳き込み、かすれた声で訊いた。

「なんだって?」


「我々は未来から投射された時空に存在している。未来は既にある」


「それは、決まっているのか?」

 ケインは背後の少女を振り返った。


「おおよそはな。しかし、不変ではない」


 突風のような熱波が襲いかかる。ケインは足を踏みしめ、熱風からかばうように背後のミオの身体を引き寄せた。

 斉藤が背を丸めて激しく咳き込んだ。笛のように喉を鳴らして苦しげに呼吸している。


「斉藤さん、大丈夫か?」


 咳き込みながら、斉藤はかろうじてうなずいた。


「急いでここを出よう!」

 ケインは背中のミオに叫んだ。


「出るのは、すぐにできる」


「それならば、早く!」


「だめだ」


 ケインは耳を疑った。

「何だって?」


「だめだ」

 ミオは繰り返した。

「この世界を消去してからだ」


「これでもまだ足りないのか?」

 焦土と化した大地を指差した。


「すべてが燃え尽きた! もう何も残っていない!」


 振り返ると、ミオはケインの顔をじっと見上げ、言った。


「違う。この世界そのものを消すのだ」


 ケインは唖然として声を上げた。

「そんなこと、できるわけがない!」


「できるわけがない?」

 ミオは眉根を寄せ、険しい声で言った。

「もう忘れたのか? お前は先程まで、たった一人で何をしていた? 数百、いや千人を超える軍勢にダガー、太刀、そして長槍一本で立ち向かい、一人残らず打ち倒したのはお前ではなかったか。そしてお前は身をもって知ったはずだ。イメージに限界はないと。お前は、そう確信したのではなかったか?」


「そ、それは……」


「槍一本で大軍勢を全滅させたとき、お前は無我夢中で必死に槍を振るった。それは、それまで想像もしなかった速さと強さだった」


 ケインは言葉に詰まった。


「何度も言わせるな!」

 ミオは声を荒げた。

「イメージしろ。ただそれだけだ」


「本当にできるのか?」

 ケインはごくりと唾をのんだ。


「……そんなにここで死にたいか」

 ミオは低く押し殺した声で言った。


 ケインはミオをじっと見つめ、ぶるっと身体を震わせた。

「わかった」



 焼け爛れた大地から激しい熱気が湧き上がってくる。

 マグマ溜まりが拡大して大地を火の沼のように覆っている。

 ケインは赤く瞬く地平線に眼をやった。


 ブレイン・バトルでレイブンの不可知領域に取り込まれ、その中で初めて発現した焔の剣。ミオの深層記憶の中の暗闇で、磔にされたミオを助けようと発現した溶岩の火柱。そしてたった今、荒涼たる荒れ地を焼き尽くした炎熱の溶岩の高波。


 すべてはたったひとつの焔から生み出されている。

 それはある数を冪乗するような爆発的な増殖だ。

 その乗算には限りがない。

 元々イメージに限界などなかったのだ。


「教えてくれ」

 ケインはミオに言った。

「このフレイムは、なんというんだ?」


「メギドの火」ミオは答えた。


「メギド?」


「それは未来の人類が目にする最大にして最後の炎」

 ミオは静かに言った。

「その終焉の炎によってこの惑星は燃え尽きる」


「終焉の炎……」

 ケインは呟いた。

「しかし、まだ起きていない未来をどうしてイメージできるんだ?」


「我々はもうそれを見ている」

 ミオは静かに言った。

「唯、思い出せないだけだ」


「どういうことだ?」


「時間の次元を超えた意識の世界がある。人は皆そこから来ている」


「わからない」ケインは首を振った。


「今それを知る必要はない」

 ミオは赤黒い空を見上げた。

「その時間もない」


「……わかった」


 ケインは足を踏みしめ、腕を伸ばして両掌を地平線に向けた。

 燃え盛り爆発するように広がる炎を思い描く。しかし、炎はイメージできても、世界を焼き尽くすほどの火焔など想像もつかなかった。


「見せてやろう!」

 突然、背後からミオの声が響いた。

「これが世界を焼き尽くした終焉の炎、メギドの火だ!」


 ケインの頭の中で紅蓮の炎が炸裂した。

 その炎のイメージは猛烈な勢いで脳に流れ込んで来た。

 それは視覚野すべてを覆い尽くす火焔の坩堝、万物を塵一つ残さずに焼き尽くす完全なる破滅だった。

 巨大な雪崩のように押し寄せた炎の爆流は一瞬で脳の許容量を超えた。

 ケインの全身から火焔が噴き上がった。

 注ぎ込まれた火焔はケインの中で乗算され巨大なエネルギーとなって溢れ返り、伸ばした腕の先から怒濤のように噴出した。



 大地が鳴動している。

 ケインは眼を見開いた。揺れ動く地面に両手をついている。

 顔を起こし、天を仰ぐ。頭上に広がる空が、燃えていた。

 全天が灼熱に輝く真っ赤な火の海に変貌している。

 ドロドロに溶けた赤熱の溶岩が乳房雲のように垂れ下がり、自らの重みで千切れ、巨大な火焔の柱となって次々に落下を始めた。

 大地に激突した火柱は轟々と音を立てて崩壊し、膨大な火焔を周囲にまき散らす。激しく弾けて広がった炎が周囲を火の海と化した。


 天から落下する火柱はあっという間にその数を増し、地表は瞬く間に燃え盛る溶岩で覆われ、もはや僅かな黒い土の欠片さえ見ることはできない。空から降り注ぐ巨大な火柱は天と地を繋ぎ合うように切れ目なく滴り落ち、その間を赤く輝く火球が豪雨のように降り注いでいる。


 空が燃え、大地が燃え、その間の空間さえも燃えている。


 目に見える視界のすべてを真っ赤な炎が埋め尽くしていた。


「燃える、燃える」

 ミオがうたうように言った。

「こうして世界は消滅したのだ」


 ケインとミオ、そして斉藤は、いつの間にか宙に浮いていた。

 落下しないようにお互いの身体をしっかりと抱え合っている。

 下方には煮えたぎった真っ赤なマグマの海が広がっていた。


「あれを見ろ!」斉藤が叫んだ。


 ミオの指し示す先に、小さな黒点が現れている。

 その黒い穴の縁がちらちらと赤く光りながら燃えて行く。

 空間に開いた黒い穴はその直径をどんどん広げつつあった。


「飛べ!」

 ミオはケインの肩を掴み、大声で叫んだ。

「あれに飛び込むんだ!」


 ケインは二人を抱え込んだまま、その穴に向って飛翔した。

 降り注ぐ火球を避けながら接近して行く。

 周囲には無数の黒い穴が開き始めていた。縁を赤く燃やして広がる穴の中は、入るのが躊躇われるほどの暗黒の世界だ。


 この空間自体が黒い穴に浸食され、内部から消滅しようとしている。


 巨大な火球がすぐ傍らをかすめて猛スピードで落下した。

 巻き込まれれば一瞬で消え去ってしまうだろう。


「急げ!」ミオが叫んだ。


 ケインは最初に指示された穴に飛び込んだ。

 濃密な暗黒の泥濘に呑み込まれたように一瞬で知覚がブラックアウトする。

 飛んでいるのか落下しているのかさえ判らない。

 まとわりつく暗闇に押し包まれて、自分という存在さえ保てなくなっていく。


『自分が消える』


 それはこれまで感じたことのないほどの凄まじい恐怖だった。

 ケインは叫び声を上げようとした。

 しかし『叫ぶ』という感覚さえ自覚できず、ケインの意識は闇の中に溶け去った。

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