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14 天の戦場


 ケインはぼんやりと天井を見上げていた。


 どうしていつも白い天井なのか。

 何度もリスタートされてループするゲームの中にいるような気がする。しかしこれは現実で、しかも目覚める度に状況は悪化している。プレッシャーに囲まれ追いつめられている。なぜ自分はこんな苦しい世界にいるのだろう。

 ケインは布団の中に頭まで潜り込んだ。


 病室に岩城たちが訪れてから数日が経っていた。

 ブレイン・バトル、トーキョーカップの決勝戦までもう時間もない。しかしバトルどころか、起き上がろうという気力さえ湧き上がって来ない。ケインは布団の中で胎児のように身体を丸め、眼を瞑った。


 —俺はずっと、騙されていた。


 自分の過去は操作され、失われた空白の記憶がある。

 それに関わったのは施設を飛び出したケインを拾い、育て上げた斉藤だった。


 —もう誰も信じられない。


 ようやく覚醒した妹のミオには、荒神という別人格が憑依していた。これでは何のために今まで深層記憶ダイブを繰り返したのかわからない。

 その荒神は言った。『障壁』を切り裂くためにお前は造られたのだと。

 人間を道具のように『造った』などとよくいえたものだ。そこには尊大で傲慢な響きしかない。

 全く意味が分からない。あの荒神とはいったい何者なのだ?


「くそっ!」


 ケインは布団の中で足を蹴った。

 いくら考えても答えは出ない。

 どうすればこの閉塞した状況から抜け出せるのか。


 ドアがスライドする音がした。靴音が近づく。


「起きろ、ケイン」


 斉藤の声が言った。ケインは身体を固くして息を止めた。

 強引に布団がはぎ取られる。ケインはそれでも身体を丸めたまま動かない。


「いつまでもガキみたいに拗ねてるんじゃない」

 斉藤はジャケットをケインの上に投げた。

「行くぞ。服を着ろ」


 ケインは警戒しながら言った。

「行くって、どこに?」


「言ったはずだ。お前の過去を見せると」


「過去? 過去を見せるだって?」

 ケインは背中を震わせて笑い、尖った声で言った。

「そんなこと、できるわけが」


「できるんだ」

 斉藤は当然のように言い放った。


 ケインは一瞬息を止めた。

 自分はすべてを知っているような斉藤の口ぶりに怒りが込み上げてくる。


「いいかげんにしてくれ!」

 ケインは声を荒げた。

「そんなことが」


 ケインはベッドの上に身体を起こし、眼を見開いた。

 斉藤の後ろにラボ・タワーとイーノのセキュリティがずらりと並んでいる。


「荒神にも連絡してある」

 斉藤は強い眼でケインを見た。

「奴の力がなければ、入れないからな」


 病室から出たケインと斉藤は、護衛のセキュリティに囲まれながら廊下を進んだ。

 エレベーターホールに出ると制服士官が待機していた。やって来たかごにケインと斉藤、士官セキュリティだけが乗り込む。


 エレベーターには階数表示も操作盤もない。

 士官が小さなプレートに暗号化された階数番号を直接入力する。

 ドアが閉まり、かごは動きだした。下降だ。

 かなり長い間下降を続けてから減速する。足元に加重がかかった。


「着いたぞ、ケイン」


 ドアが開いた。ケインは外を見て絶句した。

 外は一面の暗闇だった。

 かごの照明が床面をほのかに照らしているが、数歩先はもう完全な闇の中だ。


「行くんだ」

 斉藤はケインの背中に言った。


「しかし」


「行け!」


 ケインは恐る恐る足を踏み出した。

 爪先に固い床の感触はある。しかし数歩進むと足元は黒く濃密な闇に覆われてしまい、その先に踏み込めば奈落の底に落ちてしまいそうな恐怖があった。

 ケインの背後でエレベーターのドアが閉まった。

 ドアの隙間から漏れていた光が消え、周囲は一粒の光もない暗黒になった。


「斉藤さん!」


 ケインは思わず声を上げた。

 平衡感覚が保てなくなり身体が揺れる。今にも倒れてしまいそうだ。

 何かを折る固い音がして、青緑色の光が灯った。

 斉藤は手にした発光スティックをケインに向けた。闇に浮かび上がったのは亡霊のように青ざめた顔だった。


「大丈夫か?」


 斉藤は発光スティックを床に置いた。

 ケインは1メートル先も見えない周囲の暗闇を見渡した。


「ここは、いったい?」


「十二宮のあるあま戦場いくさば


「あまの、いくさば……?」

 意味が分からない。ケインは困惑した。


「ここは、その入り口だ」

 斉藤は闇に顔を向け、静かに佇んだ。

「いつか、お前を必ずここに連れて来るつもりだった」


「いつか?」


「それは、今だった」

 斉藤は低く、独語するように言った。

「これでようやく、お前に過去を返せる」


 ケインは口をつぐんだ。

 斉藤は何を知り、何を隠してきたのか。

 問いただしたいことは山のようにある。しかし、一番わからないことは……。


「斉藤さん」

 ケインは眼を細めた。

「あんたは……いったい何者だ?」


 斉藤は真顔でケインを見返した。


「これだけ一緒にいてもわからないか?」


「わからないね」

 皮肉ではなく、正直にそう思った。


「実は俺も」

 斉藤はじっとケインを見つめた。

「ケイン、お前がわからない」


 冗談ではぐらかしているのではなく、斉藤も本当にそう思っているらしかった。


 突然、暗黒だった空間がちかちかと瞬いた。


 ケインは目を見張った。暗闇のあちこちに幾つもの映像が浮かび上がっている。

 3Dではなく平面的な映像で、古い映画のように色が褪せて朦朧としている。

 映像は様々な人型のシルエットだった。ケインは眼を凝らした。

 初めは西洋の甲冑を着た人形のように見えたが、それらは皆、ブレイン・ギアだった。

 それも何かしら古さを感じさせるデザインばかりの機体だった。


「なんだ、これは?」


「ブレイン・バトル黎明期、つまりルールもレギュレーションもまだ確立されていない頃のブレイン・ギア達だ」

 斉藤はケインに視線を向けた。

「お前がまだ子供の頃だな」


 確かに幾つかは見覚えのあるギアがあった。


「面白いだろう」

 映像の光を背にして、斉藤のシルエットがいう。

「ここは思念ドーム……記憶のイメージを映像化する部屋だ」


「どうして、そんなことが?」


「荒神と朝比奈博士が作った。今は、俺の送った思念を再生している」


「再生? それでは、これは?」


「俺の過去の記憶だ」


 空間を浮遊する様々なブレイン・ギアの中に、銀毛の狼と黒い大鴉がいた。


「あれは岩城さんの風牙か?」

 銀狼は今の造形よりも若々しく思える。


「そう、岩城と飛鳥だ」


「飛鳥?」


「あの大鴉はレイブン。バトラーは金城飛鳥という」

 斉藤は紋章のように両翼を広げた大鴉を指した。

「風牙とレイブンは、昔タッグを組んでいた」


 ケインは黙って斉藤の影を見た。


「二人は優秀なタッグパートナーだった。そして俺は、二人のマネジャーだった」


「マネジャー?」


「俺も駆け出しだった。もちろん、お前と会う前だ」


「十年以上、前か」


「ああ。ブレイン・バトルゲームはアメリカや日本だけでなく、世界各国で爆発的に広まった。そして国際共通通貨連盟が主導したビジネス化の流れに乗って、ゲームのハイアマチュア・プレイヤー達のプロ化が一気に進んだ」


 空間に浮ぶギアは今では見られない極端にデフォルメされた奇怪な造形や、アニメそのままのロボットのようなものまでいる。


「連盟はブレイン・バトルを実質的な合法賭け試合として運営を始めた。しかし初期の頃は興行団体が幾つも乱立し、集客を競い合う混沌としたものだった」


「ブレイン・バトルの発展をリアルタイムで見て来たんだな」


「まぁ、めちゃくちゃな時代だった」

 斉藤は腕を組んだ。

「一晩で大変な金額が動く。バトルで負けた連中チームに明け方オフィスを襲われたこともある」


「本当か? 暴力的すぎる」


「命がけだったよ」

 斉藤は淡々と言った。

「興行主は地下組織に繋がっている者もいたし、業界内部で露骨な引き抜きや潰し合いもある。ただブレイン・バトルで勝てばいい、強ければいいだけでは済まなかった」


「すごく面倒な話だ」

 ケインは顔をしかめた。


「岩城と飛鳥はトーナメント戦の度にいろいろなチームから声がかかり、国内ランク上位にのし上がって行った。マネジメントは順調だった。そして」

 斉藤は付け加えるように言った。

「飛鳥は俺を愛し、岩城は飛鳥を愛するようになった。俺達は、そういう関係になった」


「ずいぶんと」

 ケインは眉をひそめた。

「冷たい言い方だな」


「飛鳥は心に深い傷を持っている」

 斉藤は言葉を続けた。

「それがあの特異性『不可知領域』を発現している。だが、飛鳥の精神のバランスは次第に不安定になり、バトル中に破壊衝動が抑えられなくなった」


「それで審判を暴行し、引退か」


「そうだ」


「しかし、それがなぜ今、復帰したんだ」


「まだわからないのか?」


 斉藤がゆっくりと言う。ケインはむっとして斉藤の影を見た。


「レイブンの作り出す闇『不可知領域』に取り込まれなければ、お前のフレイムは発現しなかった。そして、その焔がなければ障壁は切り裂けない」


「それでは」

 ケインは拳を握りしめた。

「俺からあの焔を引き出すために?」


「そうだ。すべてが『障壁』に繋がっている」


 確かにミオ、いや荒神は『お前は造られた』と言った。

 今までのすべてが計画されていたとしたら、ケインの成長や妹のミオの出生さえその過程として計算されていたことになる。

 ケインの背中に悪寒が走った。

 そんなことは到底受け入れられない。しかし、それが真実だとしたら。


 —俺という存在は、いったい……?


 ケインは自分自身が希薄になっていくような心細さを感じた。


「これは事実だ」

 斉藤は心を読んだように言った。

「眼をそむけても、現実は何も変わらない。受け入れて、前へ進むんだ」


 ケインはかっとして斉藤を睨みつけた。


「なにを、勝手なことを!」

 ケインは怒りを込めて言った。

「あんたにとっては他人事だ。わかったようなことはいわないでくれ!」


 ケインは斉藤に背を向けた。

 斉藤は、何も答えなかった。



 沈黙の時間が過ぎた。


 浮んでいた映像はいつの間にか消え、二人の周りにはただ虚ろな闇が広がっていた。

 重い溜息が聞こえた。

 振り返ると、斉藤の前に小さな映像が浮んでいた。

 美しい女性と、まだ幼い女の子だった。斉藤はそれを食い入るように見つめている。


「それは……」

 ケインは声をかけた。

「もしかして?」


 斉藤は手を横に薙ぎ払った。映像は霧のように掻き消えた。


「なんでもない」

 顔をそむけて言う。声が微かに震えていた。


 ケインは直感した。


 —家族か。


 ケインの知っている斉藤はずっと一人暮らしだった。

 おそらく過去に家族がいて、そして何かの理由で失った。

 時として人を峻烈に拒絶する斉藤の孤高は、その痛みから来ているような気がした。


 突然、ケインの眼前にアッシュの映像が現れた。

 それは白いブレイン・ギアではなく、車椅子に頭を固定された少女、シンシアの姿だった。シンシアはおそらくもう一生動けない。それでも生きて、生き続けて行かなくてはならない。


 シンシアはじっとケインを見つめている。

 何も見えない瞳は、憂いも曇りもなく青い宝石のように透き通っている。

 まるで何かを問いかけられているようだ。

 ケインは息苦しくなり、美しい少女から眼を逸らした。


 —俺に何ができる?


 自分自身さえままならないのに、シンシアのために何をしてやれるというか。

 現実の世界は容易に変えられはしない。

 変えられると思うのは、それはとんだ思い上がりだ。

 ケインは大きく息を吸った。

 自分にできることはブレイン・バトルしかない。今までそのためだけに生きて来た。だがエントリーに失敗するという致命的なミスを起こしてしまった。

 もしこのままずっと、アカツキを構築できなかったら……。


「くそっ!」


 ケインは拳を握りしめた。

 突然、闇が光った。

 暗黒空間のあちこちに炎が噴き上がった。炎は幾つもの火球となって目まぐるしく空間を飛び交った。


「ケイン!」

 斉藤が叫んでいる。

「どうしたんだ!」


「わからない!」

 ケインも叫び返した。

「急に炎が!」


「これは思念の焔だ」

 飛んで来た火球を身を屈めて躱す。

「何を考えた、ケイン?」


 立ち上がった斉藤は足を踏みしめ半身に構えた。指を揃えて片腕を上げ、空間が裂けんばかりの裂帛の気合いと共に振り下ろす。

 周囲の火球すべてが吹き飛んで、暗黒の世界が戻った。


 床に置いていた発光スティックはどこかへ消え、文字通り鼻をつままれてもわからない暗闇だ。


「やれやれ」

 闇の中から斉藤が言った。ケインはその方向に声をかけた。


「斉藤さん、今のは?」


「あれは、お前が作り出したイメージだ」


「そんなはずはない」


「その答えがわかる」

 斉藤は声を低めた。

「来たようだ」



 闇の中に小さい赤い光点が一つ。それはエレベーターの着階表示だった。

 ドアが開き、白く四角い光が現れる。

 その中に痩せた男と車椅子に乗った少女のシルエットが浮んだ。男は介護ハンドルを握り、車椅子をゆっくりと前進させる。

 ドアが閉まると空間は再び真っ暗闇になった。


「ここは?」

 小さく問う男の声がした。


「天ノ戦場」

 少女の声が答える。

「お前は初めてだったな、湯浅」


「ミオ?」

 ケインは思わず叫んだ。

「ミオなのか?」


 闇の中からミオの声が響いた。

「待たせたな、斉藤」


 ケインは妹に呼びかけた。

「ミオ! 何をするつもりだ?」


「聞け」

 威圧感のある重々しい声でミオは言った。

「御門の子よ」


 ケインは愕然とした。

 今ははっきりと荒神の人格が現れている。


 ミオは言葉を続けた。

「いずれ、ここへは来なければならなかった。これは最後の仕上げなのだ」


「仕上げ?」


「今からお前は過去を取り戻し、欠けることのない存在となる。ここで得たすべてを自覚し、父母から得た血脈の力をもって最強の覚悟を得るのだ」


 いっている意味が理解できない。ケインはうろたえ、声を上げた。


「ミオ、いったい何をいっているんだ?」


「荒神」

 横から斉藤が問うた。

「覚悟とは?」


「限界を超えた精神の力よ」


 ミオは愉しそうにくつくつと嗤った。


「いざ!」





 ◇     ◇     ◇     ◇     ◇





 乾いた風が渺々《びょうびょう》と吹き荒れている。

 ケインは足元の荒れ地を踏みしめ、体勢を立て直した。


「ここは……?」


 ケインは周囲を見渡した。どこまでも続く荒涼とした灰色の大地が広がっていた。

 うねうねとした起伏の続く荒れ地には隆起した大きな岩場が点在している。空には暗鬱な黒雲が渦を巻き、時折雷鳴が轟いている。

 吹きつける砂まじりの風に顔をしかめながら、ケインは自分の身体を見下ろした。

 すり切れてぼろぼろになった衣服。大きく開いた袖口、袴のようなもの。腰に巻いた帯には重い二本の太刀を挟んでいる。

 頭を触ると長い髪の毛はぼうぼうに乱れている。

 これではまるで……。


「アカツキだ……」


 ケインはボソリと言った。


「そうだ、ケイン」


 背後から野太い声が響いた。


「それがここでの、お前の姿だ」


 振り向くと斉藤が立っている。

 やはり着物を着て腰の帯に太刀を差した日本の武士のような出で立ちだ。

 しかしケインとは違い、ライフル弾の並んだ弾帯をたすきに掛け、左右の手には長大な槍とスコープの装備されたアサルトライフルを携えていた。

 ミオの声が聞こえた。


「何だ、この格好は」


 振り向くとミオが白いワンピースの裾をつまみ、憮然とした表情で立っている。少年のような短い髪の毛が逆立ち、小悪魔の角のようだ。


 より精悍な面構えになった斉藤は、ミオを見て小さく溜息をついた。

「とてもあんたが荒神とは思えないんだが……」


 ミオは口をへの字に曲げ、斉藤を睨んだ。

「俺は『荒神』であり、あの『少女』」


「ミオだ」

 ケインは強く言った。


「『ミオ』でもある。姿などどうでもいい」


 ミオはいまいましげに片腕を振り回した。

 腕を振ったその先に旋風が巻き上がり、土煙がもうもうと舞い上がる。


「まだ力が出ない。俺の力はこんなものではない」


「あんたの力はわかっている」

 斉藤は恐ろしげに声を低めた。

「で、どうするんだ」


「一気に決着けりをつける」


「決着?」

 斉藤は訝った。

「どういうことだ?」


 ミオは薄く笑った。

 微笑むようでもあり冷笑するようでもある。


「『天ノ戦場』の最終フェーズ」

 ミオは凛として声を上げた。

「十二宮無き後、彷徨っていた兵士の魂を掻き集めた。奴らすべてに引導を渡してくれよう!」


 斉藤の顔色が変わった。

「冗談だろう?」


 ミオは遠方を見透かすように眼を細めている。


「荒神」

 斉藤は訴えるように言った。

「十二宮を巡るだけで何年かかった? それを残った兵士すべてと戦うなど、いったいどれくらいの時間が」


「黙れ!」

 ミオは叫んだ。


 話が見えない。痺れを切らしてケインは声を上げた。


「一体何の話だ? 斎藤さん、ここはどこなんだ!」


「言ったはずだ。ここは過去を再現すると」


「誰の過去だ?」


「俺だ!」

 ミオの声が高らかに響いた。


 ミオは風上に顔を向けて細い腕を組み、武将のように足を踏みしめて立っている。風が強まってワンピースがはたはたと翻った。


「この世界はな」

 ミオは凄絶な笑みを浮かべた。

「俺が経巡へめぐって来た、千七百年の修羅場よ」


「千七百年?」

 ケインは猜疑の眼を向けた。


「『稀人まれひと』という極端に長命な人間がいる」

 斉藤が口を挟んだ。


「まれひと?」


「その名の通り、極僅かしかいない。荒神はその一人だ」


「理解、できない」

 ケインは思わず首を振った。


「当然だ。理解など到底できるものではない。それを受け入れるかどうかだ」


「あんたは信じるのか、斉藤さん?」


 斉藤は答えずに視線を遠方に向けた。

 先程からミオも同じように遠くを見つめている。

 急に張りつめた緊張感に、ケインはごくりとつばを呑み込んだ。


「どうしたんだ?」


「聞こえないか?」


 ケインは耳を澄ました。確かに地鳴りのような低い音が響いている。その音は聞いている間にもどんどん増大しつつある。


「これも、計画の内なのか?」

 斉藤が険しい顔をミオに向けた。


「ああ」

 ミオは眼を閉じると黒雲の渦巻く空を仰ぎ、大きく息を吸い、吐いた。

「すべては大きな流れの中にある。これも必然なのだ」


「だから、その姿でいわれてもな」


 斉藤は憮然とした顔のまま片膝を地面に突き、槍を置いた。

 慣れた動作でアサルトライフルを構え、スコープに目を当てる。

 地鳴りのような低い轟きはますます大きくなっている。それは何か大勢の足音と、うめき声が入り混ざったような重苦しい響きだった。


「……来たぞ」

 斉藤が呟いた。


 起伏のある大地の彼方から黒い人影がわらわらと現れ、接近してくる。

 ケインは驚愕して目を見開いた。

 遠目ではよくわからないが、誰もが武具や武器を身につけている。その装備や武器も様々な時代のものが入り交じっているように思えた。


「あれは、なんだ?」

 ケインは息を呑んだ。


「戦場の修羅の亡霊。荒神によって蒐集された戦士や兵士達の魂だ」


「魂、だと?」


「魂魄とは高次な情報集合体だ」

 ミオは言った。

「死ねば回収されるが一旦リンクを切って現世に留めてある」


 ケインはぶるぶると頭を振った。妹の言っていることは理解不能だ。


「十二宮から解き放たれたとはいえ雑兵と侮るなよ。皆、一騎当千の手練れ共だ」

 ミオは高揚した口調で言った。

戦場いくさばで精根尽きるまで戦い抜き死んで行ったもののふ共だ。息絶えてなお大剣を振るった強者もいる」


 風を切って矢が飛来した。矢は三人の前方の地面に深々と突き立った。

 斉藤はトリガーに指を当てた。

 乾いた射撃音が響き、黒い影の一つが音も無く倒れた。


「天ノ戦場は過去を巡る旅だ」

 スコープに眼を当てたまま斉藤は言った。

「ケイン、お前は日本刀を振ったことはあるか?」


「ない」


「ダガーを投げたことは?」


「ない」


「抜刀術や槍術、体術、縮地法を誰に習った?」


「習っていない!」

 ケインは苛立たしげに叫んだ。


「ではどうしてソードマスター・アカツキはそれらすべてを体得した百戦錬磨の剣士になったのか?」


 斉藤は続けざまに引き金を引いた。

 低く垂れた雲に発射音が反響する。


「経験したことのない動きを、脳は再現することはできない」

 斉藤は素早く弾倉マガジンを交換した。

「イメージしただけで動けるほど都合のいいものではないからな」


「どういうことだ?」

 ケインは困惑した。

「つまり、それは……?」


「お前はすべてをここで会得したのだ」

 ミオが言った。


「なん、だと?」


「記憶は消してある。しかしその経験値はすべてアカツキの中にある」


「では、アカツキの持っている技は、ここで?」


「そうだ」

 ミオは深くうなずいた。

「十二人の達人を師として鍛錬に励み、技を極め、そして最後にはその師を打ち倒した」


「斉藤さん、あんたも、ここにいたのか?」

 ケインは振り返り、声を絞り出した。


「隠していて悪かったな」

 斉藤はこともなげに言った。

「俺はずっと、お前の保護者だった」


「そんな……」


 斉藤は前方の空を見上げた。数十本の矢が集団で飛来してくる。


「盾!」

 ミオが叫んだ。


 左腕にずしりと重量が加わり、ケインはよろめいた。

 分厚い金属製の盾が腕に装備されている。ケインはミオに駆け寄ると、その華奢な身体を抱えて巨大な盾の下に身を隠した。斉藤が近くの大きな岩に駆け寄るのが見えた。

 盾が金属音と共に激しい衝撃に揺れ、弾かれた矢が飛び散る。

 周囲の地面にも矢が突き刺さった。


「移動しなければ狙い撃ちだ」

 ケインの腕の中でミオは愉快そうに言った。

「さて、どうする?」


「勝手が違うな」

 岩陰から斉藤は声を上げた。

「技の伝承では一対一だった。なぜ多くの相手を?」


「鍛錬は既に終わっている。次は集団戦だからだ」


「集団戦、だと?」

 斉藤が眉をひそめる。


「次って、いつだ!」

 ケインは叫び、右手を太刀にかけた。


「もうすぐだ」

 急にミオは表情を引き締め、声音を変えた。

「愚か者! ここを切り抜けなければ、次などないぞ!」


 斉藤はアサルトライフルをフルオートに切り替えて撃ち始めた。

 銃身を振ると黒い影が薙ぎ払われるように倒れて行く。


 低く轟いていた地響きが強さを増した。

 前方の低い丘を越えて、黒い波のように新たな戦士達の姿が現れた。その数は数百人はいるだろう。


 ケインは唖然とした。

 たった二人で相手にするには数が多すぎる。


 斉藤は黒い戦士達に休みなく銃弾を撃ち込んでいる。被弾した戦士が次々に倒れるが、後方から押し寄せる他の兵士はたちどころにその身体を踏み越え、僅かな足止めにさえならない。迫り来る大波に向かって石つぶてを投げているようなものだった。


「斉藤さん!」

 ケインは堪らずに叫んだ。

「銃は無駄だ!」


 斉藤はトリガーから指を外すとケインに視線を向けた。


「確かに、銃は、効果的ではない」

 斉藤は確認するように言った。

「そうだな、ケイン?」


「ああ」

 ケインはうなずき、同時に気がついた。

「まさか……!」


 鋭い矢音がした。

 ケインは軌道も見ずに上体をひねって飛来した矢を躱す。


「それを俺に、わからせるために?」


「ここは精神で作られた仮想の世界」

 斎藤は重々しく言った。

「イメージをぶつけあうブレイン・バトルと同じだ。必要とされるのは自分自身の強靭な精神力。既存イメージで作られた武器の機能や性能に頼れば、いずれは圧倒され押し切られる」


 斉藤はアサルトライフルを地面に置くと、代わりに太い長槍を拾い上げた。石突きを突いて垂直に立て、周囲を見渡す。


「ケインよ。どんなに多勢でも負けると思うな。絶対に諦めるな」


「斉藤さん!」

 ケインは叫んだ。

「なんであんたが、こんなことをする必要が?」


 稲妻が光った。

 折れ曲がった光の筋が垂直に輝き、黒い戦士の集団の中に落雷する。

 一瞬の間を置いて、耳をつんざくような破裂音が轟く。


「荒神」

 斉藤はミオを振り返った。

「確かに俺は腑抜けていたかも知れんな」


「世を呪うお前の心は凄まじいものがあった」

 強風に煽られてミオの髪が逆立つ。ミオは上目遣いに斉藤を見つめた。

「それ故、俺はお前を助けたのだ」


「何を言っているんだ?」

 ケインは二人を交互に見た。


「忘れたか。あの無惨な姿を」

 ミオは少女とは思えないしゃがれた声で言った。

「辱められ、ゴミのように棄てられた妻と娘の姿を」


 ケインの顔に叩きつけるように突風が吹いた。

 砂粒が石のような強さで肌に当たる。風は猛然と吹き荒れ、吹き飛ばされそうになる。

 ケインは足を踏みしめ、顔を上げた。風の中で微動だにしない斉藤の背中が見えた。

 暴風は斉藤の身体から巻き上がっていた。


「お前は怒り、絶望し、すべてを呪った!」


 ミオの声が風に負けじと叫ぶ。

 気がつくとミオはケインのすぐ傍らに立ち、ケインの着物の袖を強く握りしめていた。


「そしてお前は誓った。この世に終焉をもたらすと!」

 ミオは風を巻き起こす斉藤の背に叫んだ。

「今更引き返せはしないぞ!」


 突然、強風が止んだ。


 いきなり訪れた静寂は時間が止まったかのようだった。

 しかしその幻想はすぐに打ち砕かれた。前方の大地から、伏せていた黒い戦士達が一斉に身を起こしたのだ。

 黒い波が立ち上がったようだった。押し寄せる軍勢を見てケインは言葉を失い、視線を左右に振った。


「道は一つしかない。闘うのだ」


 声がしてケインは振り返った。

 ミオが大きな岩の上に立ち、ケインを見下ろしている。


「俺は、ミオを守らなくては」


 岩に駆け寄ろうとしたケインにミオは鋭く叫んだ。


「勘違いするな!」

 ミオの険しい声にケインは足を止める。


「お前が、俺を護れ」

 ミオは斉藤に短く告げると岩に座り、胡坐を組んだ。


「わかった」


 斉藤は大岩の前に立ち、門衛のように長大な黒槍を構えた。

 ケインは驚きを超えて放心しそうになった。


狼狽うろたえるな」

 ミオの冷静な声が響く。

「よく見ろ。十二宮という要《(ハブ》を失った武者達は、新たに組織化されたようだ」


 ケインは迫ってくる黒い兵士達を振り返った。

 確かに全体が統率された動きをしているようだった。


「しかし、数が多すぎる!」

 ケインは思わず叫んだ。

「どうすればいいんだ!」


「……愚か者め」

 ミオはそっぽを向いた。


「ミオ!」


 岩に座ったミオは視線を戻すと、呟くように言った。

「アカツキには俺の過去のすべてが詰まっている」


「アカツキに?」


「わからぬか」

 ミオは苛立たしげに言った。

「アカツキは俺であり、同時にお前自身だ。お前はここで百年を超える戦いをくぐり抜けて来た。苛酷という言葉など生温いほどのな」


 その意味に、ケインは息を呑んだ。


「生死は表裏、紙一重。人は儚い皮膜の上を漂って居るに過ぎぬ」


「……」


「その僅かな境界に活路を見出せ」


 静かに語るミオの声が、波立ったケインの心を落ち着かせた。

 ケインはゆっくりと息を吐き、背を伸ばした。


「そうだ」

 ミオは満足げにうなずいた。

「それで、いい」


「ここでの死は意識の消滅だ」

 斉藤が真剣な顔で言った。

「ケインよ、絶対に生きて戻ってこい」


「大丈夫だ! こいつは強い。心配するな」


 斉藤が驚いた顔をしてミオを振り返った。岩の上でミオはケインを指差して言う。


「決して忘れるな。お前に限界はないと!」


「ああ」

 ケインは岩の上のミオを見つめた。

「忘れない」


 ミオは眼を細め小さく笑みを浮かべた。それはミオと、妹の中にいる荒神が初めて重なり合って見せた表情のように思えた。


 ケインは急迫する軍勢に向き直った。

 鯉口を切って、ずらりと太刀を引き抜く。


 身体の中に荒々しい炎が燃え上がった。

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