13 失意と疑惑
車椅子に座ったケインのまわりをブレイン・バトル・ジャパン・カップの運営役員、技術委員、ドーピング検査技師が囲んでいる。
運営委員は中継用のハンディカメラに向かい、手に持ったデータパッドを指し示した。
委員は物々しい口調で言った。
「我々競技運営委員会は今回のケース、会場のコクーンではなく外部施設からのエントリーを特例として承認しました。バトラーの本人認証、ドーピング検査も終了しています」
モニター用のディスプレイにはブレイン・バトルの会場ステージが映し出されている。満員の観客席の中央に浮ぶステージにはケインのチームと、対戦相手であるロード・ウォリアーZのバトラーが整列していた。
岩城はいつものように白いスーツとサングラスで渋くキメている。
隣には顔の上半分を覆う仮面をつけた黒髪の女性が寄り添っている。大観衆を前にしても落ち着いた様子で、明らかにベテランの雰囲気を漂わせていた。
その横に立つレスラーのように体格の良い若者は、タトゥーの入った太い両腕を組み、不敵な笑みを浮べながら客席を見渡している。
女性はレイブン。
そして若者は防御専門のアイアン・グレイブだ。
ケインは新加入の二人とは一度も会っていない。
映像通信による戦術会議もなしのぶっつけ本番だった。
岩城と女性の間の空気感は、パートナーといっても良い近しいものがあった。
以前の戦術会議で、岩城と斉藤はレイブンと過去に何かの関係があったことがわかっている。岩城の言葉によればそれも因縁めいたものだ。
—あの三人に、何があった?
車椅子に座ったケインは考えた。
そういえば岩城に限らず、施設を出てから最も長い時間一緒にいた斉藤についても、過去を詳しく知っている訳ではない。
斉藤自身が語らなかったためでもあるが、それ以前にケイン自身が他の人間に関心を持てなかっためだ。
—自分のことで精一杯だった。とても人のことなど……。
ケインは自分の手に視線を落とした。
失われたミオの記憶を取り戻し、覚醒させること。
そのためブレイン・バトルで高額の賞金を得るため勝ち続けること。
それが、自分の生きる理由。
戦い続ける目的であり、人生のすべてだった。
—しかし、そうではなかった。
ミオの意識は記憶の深層に意図的に滞留させられていた。
それは意識の最深層にある『障壁』への中間点としてだ。
ケイン自身が妹を穢したという深い罪悪感は、中間点に到達するための強力な動機として心に埋め込まれたものだった。
—宿命を受け入れよ。
ミオは、そう言った。
覚醒したミオは、今までの妹ではなかった。
到底理解できないことだが、荒神という男の意識がミオの中に重なり合って存在している。
そして、その荒神は言った。
ケインは『障壁』に到達し、切り裂くために『造られた』のだと。
—信じられるものか。
拳を強く握り、頭を振った。
そうなればケインの成長に関わった人間は、少なくともブレイン・バトラーとしての訓練を行い実戦経験を積み上げて言った過程においては、その計画に加担していたということになる。苛酷な試練を与え、生死の境をくぐり抜けることでケインの精神を強靭に鍛え上げ、超深度の精神圧にも圧壊しないブレイン・ギアを得るためだ。
そして妹を助けた先には、実の母の救出が待っていた。
失踪したと思っていた母親は、荒神によって『障壁』に沈められていたのだ。
—許せない、絶対に。
やり場のない憤りがこみ上げてくる。
やり方が卑劣だ。汚すぎる。
人の心にありもしない罪悪感を植え付け、そのうえ親と子の愛情まで使って目的を達しようなどと、人間のすることではない。
「もしもし、もしもし!」
自分が呼びかけられていることに気がつき、ケインははっと顔を上げた。
「大丈夫ですか?」
コクーン技術者がケインの顔を見ている。
「あちらに移動してください」
ケインは周囲を見回した。
「中継は、終わったのか?」
正面に設置されていたカメラ機材の撤収が始まっていた。
その周りで数多くのセキュリティがスタッフ一人一人の動きを監視している。
このラボ・タワーに外部の撮影スタッフが入ったのはおそらく初めてかもしれない。
「それでは、コクーンへ」
技術者が促した。
ケインは演出用の車椅子から立ち上がり、通路に出てコクーン室に向かった。
入り口横に斉藤部長が腕を組み、壁にもたれて立っている。
「ケイン」
斉藤は低く言った。
「いろいろ聞きたいことはあるだろうが、それは」
「やっと」
ケインは言葉をかぶせた。
「正気に戻った気分だよ」
斉藤はケインに鋭い視線を向けた。
「今はバトルに集中するんだ。手強い相手だぞ」
「いわれなくても、わかっている」
ケインは目を合わせず、固い表情のまま開けられたドアから中に入った。
更衣室でメディカルパッチが内蔵されたボディスーツを着用し、コクーン室に入る。低代謝導入以前はこのコクーンを使用していたので、少し懐かしい気がした。
技術委員から手渡されたボンベで規定量の精神安定剤を吸い込み、シートに横たわる。キャノピーがゆっくりと閉じられると、周囲は完全な暗黒と静寂の世界になった。
『これよりUBDOのエントリー・フェーズにはいります』
コンピュータ音声が耳元で囁く。
『体の力を抜いて、ゆっくりと呼吸をしてください。体の力を抜いて……』
もう数百回も繰り返して来た仮想空間へ意識を移行させるフェーズだ。
その過程は習慣になっているといってもいいほど、脳と身体が覚えている。
ケインはゆっくりと腹式呼吸をし、手足から力を抜いて行った。
やがて体重の感覚が消え、骨格や筋肉という身体のイメージが溶け去って意識だけが暗い空間に浮んでいるように感じる。
『あなたのブレイン・ギアを想起してください』
コンピュータが想像的構築体の構築を呼びかけている。
ケインは暗闇の一点に意識をフォーカスし、ソードマスター・アカツキのフォルムを思い描いた。
微細な砕片が雲のように浮かび上がり、渦巻きながら収束して行く。
砕片の塊はいくつかのクラスターとなって人の形を作り始める。
その内部で稲光のような光が瞬くと、砕片は求心力を失ったように形を崩し、朦朧とした塊に戻ってしまう。
—どうした?
ケインは意識の中で自問した。再び強く意識を絞り込む。
イメージの砕片はいくつかのクラスターを形成し、交差しながら渦を巻いている。砕片の雲が中心に向かって収縮し、再び人の形が現れる。
—アカツキよ。
ケインは心の中で念じた。
流浪の剣豪、不撓不屈の最強の侍、もう一人のケイン自身を。
—姿を現せ。
闇の空間に蓬髪をたなびかせた侍の姿が浮かび上がった。
しかし次の瞬間、アカツキはその身体から激しい炎を吹き出し、藁の人形のようにめらめらと燃え上がった。
ケインは愕然とした。
一体何が起こったのか、理解できなかった。
自分の造り上げたイメージが、内側から吹き出した炎で焼き尽くされたのだ。
どこかで耳障りな金属音がなり響いている。
ひどく不快な音だった。
ケインは暗黒の空間の中で身体を丸め、両手で耳を塞ぎ、叫び声を上げた。
—うるさい!
金属音はどんどん大きくなる。
ケインは激しく頭を振り、闇に向かって絶叫した。
—やめろ! やめてくれ!
金属音はコンピューの音声となり、ケインに告げていた。
『ギアの構築が確認できません。エントリー・フェーズを停止します』
—なんだって?
ケインは眼を見開いた。
暗闇に細いグリッドが瞬き、空間に座標が現れる。
暗黒だった世界がうっすらと青く明るくなった。それは夜明けの空に似た黎明の色。ケインの意識は現実世界に戻ろうとしている。
ギア構築に失敗し、アカツキは失格と判定された。
茫然としてベンチソファに座るケインの視界に、黒い靴先が現れた。
ゆっくりと顔を上げると、斉藤が立っている。ケインは眼を逸らし、再び顔を伏せた。
斉藤はケインの隣に腰を降ろすと、データパッドを差し出した。
「ケイン、これを見ろ」
ケインはいわれるまま、膝の上に置いたパッドに視線を落とした。
映像は今現在行われているバトルの生中継だった。画面は茫漠とした白い濃霧に覆われ、時折激しい爆発や閃光が走っている。
「風牙とレイブンが既に二機撃破している」
斉藤は言った。
「あのシューターが激昂して撃ちまくっているな」
ケインはぼんやりと画面を見た。
「二機も……? まだ、始まったばかりじゃ……?」
「もう一機、やったようだ」
画面上で残機が表示されている。光点が一つだけ残されている。
爆煙が途絶えると、不意に画面センターに赤い大きな文字が表示された。
斉藤は静かに言った。
「終わったな」
画面には大きく『ブルーチーム・降伏』と点滅している。
プロのブレイン・バトルでは滅多に見られない『降伏』表示は、チームにとってはこれ以上ない屈辱の二文字だ。
実況アナウンサーが叫んでいる。
『予想外の展開です! いったい、何が起こったのでしょうか?』
『いや、序盤の展開は予想通りでしたよ』
解説者が訂正する。
『レッド・チームのオフェンスである風牙がバトル開始と同時にフォッグを拡散し、ロング・レンジ・シューターの視覚を奪う』
『しかしそれはレッド・チームに索敵のための遠隔感応型コマンダーがいて成り立つ戦術ですよね』
別の解説者が反論する。
『ブルー・チームも予想通り自陣の周囲にトラップ網を敷設し、完全な迎撃態勢を取っていました。あれでは攻撃側のレッド・チームは接近できない』
『知覚カメラの映像には何も映ってはいません!』
アナウンサーはスクロールされる小画面を見て言った。
『バトラーの視覚を見てみましょう!』
モニターされていたブルー・チーム指揮官の視覚映像がメイン画面に現れた。周囲は一面の濃霧に覆われ、前衛であるオフェンス二機の背中がおぼろげに見える。左側のシューターが何かを発見したらしく、霧に向かって銀色のライフルを連射した。
分厚い霧を通して火焔が炸裂するオレンジ色の光がぼうっと浮かび上がる。
コマンダーの視界が急旋回する。
背後を向いたところで画面は真っ暗になった。
『今のは、なんでしょうか?』
アナウンサーが訝しげにいう。
『攻撃がヒットした?』解説者。
『ポイントは減っていませんね。まだ』別の解説者が数値を読む。
『スーパースローで見てみましょう!』
画面が再生される。
急旋回したコマンダーの斜め前方に小さな黒い塊が現れ、左右にぶれながら急速に接近して来た。黒い塊は一瞬で距離を縮め、衝突するように視界を覆った。視覚映像は真っ暗になった。
『ここからポイントが減っています!』アナウンサーが声を上げた。
『この闇の中で攻撃されている、のか?』解説者が呻くように言った。
『視界が奪われていることは確かですね』
もう一人が慎重にいう。
『風牙のフォッグとは別の知覚遮断系のフィールドが発生しているようです』
『これはあの、新規のバトラーでしょうか?』アナウンサー。
『まぁ。おそらくその』
解説者は言葉を濁した。
『ブラック・アビス、でしたか?』
『そうですね、おそらく、彼女でしょうか』
曖昧にいうと、解説者二人は黙り込んでしまう。
『ええ、ただいま』
アナウンサーは気を取り直すように言った。
『競技委員会では五人のジャッジにより、不正な攻撃がなかったかどうか審査が行われています。ここは見極めるのが難しいでしょう』
『確かに難しいですね』同調する解説者。
『フォッグで視界を奪われていたのは両チームとも同条件でしょう』
別の解説者は言った。
『その中で直接近接攻撃ができたレッド・チームの索敵スキルは不明ですが、戦術の範囲内であったと考えられますね』
『なるほどー』
アナウンサーは受けてから、ためを作って言った。
『さぁ、今、審議結果が発表されました!』
画面に『勝者、レッド・チーム』の文字が明滅した。
『レッド・チーム、アルゴノーツが勝ちました!』
アナウンサーは声を張り上げる。
『決勝進出はアルゴノーツ!』
どよめく観客席を背景に、払戻金の数字が表示される。
『なんと、ソードマスター・アカツキが失格という大波乱がありましたが、そのハンデを覆す予想外の圧勝でした! 優勝候補のロードウォリアーZは準決勝で敗退となりました!』
『あの攻撃スキルについては競技委員会からの報告を待ちましょう』解説者。
『新メンバーのブラック・アビスですが、これも経歴が抹消された新規登録の機体です。今大会はリコンストラクションされたギアが多いですね?』
『レギュレーションでは認められていますが、これは今後見直されることになるのではないでしょうか』
『さて、決勝戦はアルゴノーツVS黒魔天となりました!』
アナウンサーは声のトーンを上げた。
『昨年の優勝チーム・アルゴノーツと、異様な強さで勝ち上がって来た今大会のダークホース・黒魔天との激突です! さぁ、いったい決勝戦はどういう展開になるのでしょうか!』
『ちょっと予想がつきませんね』
『乱戦になるのではないでしょうか』
二人の解説者は歯切れの悪い言い方をした。
『この黒魔天は今までにないタイプの戦術ですよね?』
アナウンサーが意気込んで訊く。
『はい、知覚を操作または干渉する攻撃スキルを持っています』
『つまり?』
『あえていうなら幻覚系でしょうか。非常に珍しいタイプです』
『幻覚系というのは?』
『物理攻撃のイメージをヒットさせるよりも、火炎、洪水、爆発、あるいは恐怖や不安、悲しみなどの感情を送り込んでバトラーの精神にダメージを与える訳です。人間は炎や大量の水、また猛獣や蛇などを恐れる本能を持っていますから』
『本能ですか?』
アナウンサーは疑わしげに言った。
『そうです。送り込まれた幻のイメージは本能的な恐怖を喚起します。それをどう跳ね返すかがポイントでしょうね』
『見る方としては何が起きているのかわかりにくいですね?』
『ですから決勝戦ではAIによる知覚カメラではなく、バトラーの知覚中継がメインになるでしょう』
もう一人の解説者が言う。
『黒魔天が攻撃として使用するイメージは、今までのブレイン・バトルでは見られなかった非常に刺激の強いショッキングな映像になると思われます。視聴には充分ご注意ください』
『ショッキングですか? それは楽しみですね!』
アナウンサーは期待に声を弾ませ、能天気に言った。
『来週の決勝戦は大波乱が予想されます。決勝では単機生存枠のベットも実施されます。とんでもない大穴がでるかもしれません!』
『本当に予想がつきません』解説者は諦めたように言った。
『今までにないバトルが展開されるでしょう』
エンディングテーマが流れ始める。
アナウンサーはひときわ高らかに叫んだ。
『決勝戦は来週のこの時間です! 来週もビッグチャンスをあなたに!』
斉藤は手を伸ばしてデータパッドを消し、隣に座るケインを見た。
「今までアカツキを構築できなかったことは?」
「最初の頃にはあったが……」
ケインはぼそぼそと答えた。
「もう、ずっと前のことだ」
「今日はなぜ構築できなかった?」
「わからない」
「理由はあるはずだ」
ケインは顔を上げて斉藤を見た。
しかし斉藤は責めているのではなく、平静な表情だった。
プロのブレイン・バトラーが自身のギアを構築できないなどまずあり得ない。
ほとんど自身の分身といえるほど条件反射的にイメージできるまで、繰り返し想起する訓練を行っているからだ。それだけにエントリー失敗はプロとしてこのうえない大失態といえる。
ケインは再び床に目を落とし、苦しげに声を絞り出した。
「アカツキが、イメージしたフォルムに収まり切れない感じだった。どうイメージを絞り込んでも形が変化して……まるで、捉まえられない砂のようだった」
「そうか」
斉藤は座ったまま、大きく背を伸ばした。
「で、決勝はどうする」
「どうするって?」
「出るのか?」
「当たり前だ」
ケインは答えたが、すぐに声を落とした。
「俺は……ブレイン・バトラーだ」
斉藤はゆっくりと答えた。
「わかっている」
ケインは大きく息を吸った。
「ブレイン・バトルはチームの戦いであり同時に俺の戦いだ。俺はバトラーとして最後まで闘う」
賞金を稼ぐ目的だったミオが覚醒した今、確かにブレイン・バトルは初めてケイン自身の戦いになっていた。しかし、それなのに、自身のギアが構築できないとは。
斉藤はケインをじっと見つめ、念を押した。
「次は、本当に大丈夫なんだな?」
「……」ケインは唇を噛んだ。
「不安か?」
「エントリー・フェーズの、テストを、したい」
ケインは言葉を区切り、喘ぐように言った。
「テストをすれば、問題に対処することも」
「もういい」
斉藤は言葉を遮った。
「ケイン、今のお前はエントリーできない」
「な?」
ケインは目を見開き、斉藤に向き直った。
「何をいうんだ?」
斉藤は表情を引き締めた。
「わかっているはずだ。アカツキは変わったのだと」
「変わった……?」
「その変化をお前自身が気づいていない。だからイメージが掴めない」
「どうして?」
ケインは訴えるように言った。
「どうしてアカツキは変わったんだ? なぜなんだ?」
「記憶の最深部『障壁』に到達した」
「あれが何か関係あるのか?」
ケインは記憶を振り払うように頭を振った。
「俺には、わからない!」
「想像を絶した体験だったはずだ。影響を受けないわけがない」
ケインは顔を上げて、まじまじと斉藤を見つめた。
「どうしてそれを知っている?」
「あの深層ダイブの報告は受けている」
「真樹さんか……」
ケインは視線を逸らした。
「とても信じられないだろう」
「いいや、信じる。というか、俺は知っている。ずいぶん前からな」
「何だって?」
ケインは驚いて声を上げた。
斉藤はベンチから立ち上がり、厳しい顔でケインを見つめた。
「見せてやろう」
「なにを?」
「いや、もう、見せてもいいはずだ」
斉藤は独り言のように呟く。
「だから、何を?」
「お前の知らない、お前の過去だ」
その言葉の意味を理解した瞬間、ケインの脳に衝撃が走った。
「どういうことだ?」
ケインは斉藤を見上げた。斉藤は感情を映さない眼でケインを見下ろしている。
「どういうことだ!」
ケインはくってかかるように言った。
「俺の知らない過去を、どうしてあんたが知っているんだ?」
途切れていた疑惑の線が繋がった。
やはり斉藤は知っていたのだ。
ショートしたように頭の中が真っ白になった。
ケインは絶叫した。
「あんたは俺に何をしたんだ!」
ケインはベンチから立ち上がり、斉藤に掴み掛かっていた。
経験したことのない凶暴な力が爆発し、身体を突き動かしている。
「答えろおおおッ!」
ケインは斎藤のスーツの襟を掴み、狂ったように揺さぶった。
過去の記憶は操作されていた。長い間欺かれ、騙されていたのだ。
それもブレイン・バトラーとして自分を育て上げた最も身近にいた人間に。
苛酷な訓練を乗り越え、苦しみも喜びも共に分け合って来たはずの人間に。
裏切られた思いは一瞬で怒りとなって爆発した。
「があああああああ!」
何かが野生の獣のように吠えていた。それは自分だった。
揺さぶっていた斉藤の身体が大きく沈んだ。次の瞬間、身体が宙に浮いて周囲が回転した。
背中から床に叩きつけられ、激しい衝撃に息が止まる。
そう感じたと同時に、ケインは意識を失った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その翌日。
アルゴノーツのメンバーがラボ・タワー地下階の病室を訪れた。
士官セキュリティに先導されて部屋まで来た岩城は、半ば呆れたように口を開けた。廊下には制服姿のラボ・タワー・セキュリティと、私服を着たイーノ・セキュリティのスタッフが何人も立っていたからだ。
「なんて警備体制だ」
サングラスを押し上げる。
「とんだVIP待遇だな」
「ていうか、犯罪者じゃねえの?」
レスラーのように逞しい体格の若者が鼻で笑った。
ドアが解錠され、スライドする。セキュリティが促した。
「お入りください」
岩城は足を踏み入れた。
さして広くない病室の中央にベッドが一つ。その横に置かれた簡素な応接ソファセットに斉藤と飛鳥が座っていた。
岩城と若者は、二人に向かい合ってソファに腰を降ろした。
「で」
若者はベッドを指差した。
「あいつは使い物になるのか?」
ケインはベッドに横たわったまま、ぼんやりと天井を見上げている。
岩城は眉根をよせてケインを見つめ、斉藤に視線を向けた。
「この病院で、何があった?」
「ケインの妹が昏睡状態でここに入院していたことは知っているな?」
「ああ。あいつはそのために賞金を稼いでいる」
「ケインは記憶深層ダイブを行い、妹は覚醒した」
「本当か?」
岩城は声を上げた。
「そいつは、良かった!」
隣で若者が退屈そうに欠伸をした。
「だがそれは、今までにない危険なダイブだった。ケインは強烈なショックを受けた」
「……そうだったのか」
岩城は声を落とした。
「あんた、それを知っててエントリーさせたのかよ?」
若者がじろりと斎藤をにらみ、無遠慮に訊いた。
斉藤は気分を害した様子もなく、首を振った。
「ギア構築に影響が出るとは、予想できなかった」
「そりゃまぁ、そうだろうな」
若者はあっさりというと、体格に似合わない俊敏さでソファから立ち上がり、ベッドの枕元に立った。
「俺はアイアン・グレイブの本田だ」
本田は太い首をごきごき鳴らすと、拳を握った腕を高く上げた。
「よろしくなっ!」
拳を振り下ろした。ケインは反射的に手で顔を覆った。
「ちっ!」
本田は寸止めした拳を引き、顔をしかめた。
「一応は防御するんだな? 情けない野郎だ!」
「本田、やめとけ」
岩城は声をかけてから斉藤に顔を向けた。
「どうするつもりだ、斉藤さん。決勝戦はもう来週だ」
「それまでには、回復させる」斉藤は言った。
岩城はどさりとソファの背にもたれた。
「ずいぶん簡単にいうな」
「岩城君」
それまで黙っていた飛鳥が口を開いた。
膝の上で組んだ白い指に視線を落とし、囁くようにいう。
「ここの医療技術は優秀よ。きっと治療できるわ」
「俺にはわからん」
岩城は飛鳥を見ないように視線を逸らし、憮然として言った。
「こんなんでバトルになるのかよ?」
本田は大声を出した。
「俺はギャランティがもらえれば文句はないが、みっともない負け方はしたくねぇからな!」
「負けると決めつけるな!」岩城が鋭く言った。
「ちっ」
本田は乱暴にベッドの端に腰を落とした。ベッドが波打ち、揺れる。
「いっとくが、あの『黒魔天』ってチームは相当ヤバいぜ」
本田は自分のこめかみを指した。
「やつらが送り込むイメージはマジでヤバイ。あいつら絶対まともじゃねぇ。わかってんのかあんたら?」
「てめぇ、ビビってんじゃねぇぞ!」
岩城が本田を睨む。
「知覚攻撃……」
飛鳥がぽつりと言った。
「幻に、力はないわ」
本田は低く口笛を吹いた。
「いうじゃねぇか、おばさん」
「あなた」
飛鳥は初めて本田に視線を向けた。
「本当に負けると思っているの?」
「なんだとぉ?」
本田は威嚇するように眼を見開いた。
「あのチームがそんなに怖いの?」
「な!」
本田は怒声を上げた。
「ふざけるなッ!」
声が空間に消える瞬間、飛鳥は囁くように言った。
「恐れないで」
本田は一瞬鼻白んだが、すぐに掠れた声で笑った。
「誰が?」
飛鳥は黙っている。本田は飛鳥を睨みつけた。
「誰がって訊いてんだよ!」
「あなたよ、アイアン・グレイブ」
「てめえ……」
本田は形相を変えた。
飛鳥は怒りのこもった本田の視線を絡めとるように見返した。
「忘れないで」
柔らかな声が部屋に響く。
「なに?」
「あなたの防御スキルは、あんなものにはビクともしないわ」
「え?」
本田は息を呑んだ。
「あなたの防御は鉄壁なのよ」
部屋が静まり返った。
飛鳥はゆっくりと、確信を込めた口調で言った。
「どんなイメージも、あなたなら跳ね返せる」
「う……」
「あなたの防御は、どんなイメージにも負けない」
「俺は……」
「あなたは強い」
飛鳥は言い切った。
「自信を持ちなさい」
「あ、ああ」
本田は口ごもり、小さく言った。
「……わかった」
「私を護ってくれる?」
飛鳥は柔らかく微笑んだ。
「当たり前だ!」
本田の眼が輝いた。
「俺が絶対に、護ってみせる!」
「頼むぞ」
斉藤が重々しくうなずいた。
「これでディフェンスは盤石だな」
「ああ、安心した」
岩城は硬い声で言った。
岩城は飛鳥が暗示をかけたことに気づいていた。
数年ぶりに再会した飛鳥は以前より更に巫術的な雰囲気を身にまとっていて、低く響く声に気持ちを惹き付ける蠱惑的な力が強まっていた。
「後はオフェンスだな」斎藤は言った。
「どうするつもりだ?」本田が訊く。
「方法はある。かなり荒っぽいがな」
岩城は深い溜息をついた。
「斉藤さん……何を隠している?」
斉藤は黙っている。
「隠し事があるならはっきりいってくれ!」
飛鳥が小さく言った。
「岩城君、止めて」
「飛鳥」
岩城はサングラスをとり、身を乗り出した。
「お前はどうして復帰したんだ? いや、それより今までどこに」
「止めて」
飛鳥は顔を背けた。
「岩城君……」
「しかし」
岩城の顔が苦渋に歪んだ。ずっと堪えて来た感情が溢れ、抑えられなくなっている。
「すべて、話す」
突然、斉藤が言った。
「決勝戦が終わったらな」
岩城は斉藤の顔を凝視した。
「……本当だな?」
「ああ」
「信じていいんだな?」
「ああ。俺を信じてくれ」
「わかった。約束だ。絶対に守ってくれ」
「必ず、守る」
斎藤はうなずいた。
岩城はすっと立ち上がった。
「どこへ行く?」
斉藤は岩城を見上げた。
「華凛のところだ」
岩城はサングラスをかけた。
「NCUから一般病棟に移っている。聞いてないのか?」
斉藤は小さく首を振った。
「あいつの治療は長引く。近いうちにもっと安い病院へ移すつもりだ」
「そうか」
「心配しなくていい。あいつの面倒は俺が見る」
岩城は抑えた声で言った。
「一生な」
岩城は病室から出て行った。
その姿を茫然と見ていた本田が、はっとしてベッドから立ち上がった。
「俺も行くぜ!」
本田は音を立てて拳を掌に撃ち込んだ。
「トレーニングだ! じゃあ決勝戦でな!」
本田は足音も高く部屋を出て行った。
病室の中が静かになった。
斉藤は大きく吐息をつき、ソファに深く身を沈めた。
深い疲労感が全身ににじみだしてくる。
隣の飛鳥が身体を寄せ、そっと斎藤の腕を取った。長い髪から立ち上る微かな芳香が斉藤の鼻腔をくすぐる。
懐かしさに甦る記憶を封じるように、斉藤は飛鳥の手を外した。
「本田は使えそうか?」
「ええ、なんとか」
飛鳥は低く答えた。
「彼は死ぬ気で私を護ってくれる。それで一秒でも長く持ちこたえてくれればいい。そうすれば……」
斉藤は大きく息を吸った。
「全員を、取り込むことができる?」
「おそらく、一回だけ。荒神も力を貸してくれる」
「飛鳥」
斉藤の指が動いた。一旦は外した手を探り、強く握りしめた。
「これが最後だ」
「……あなた」
飛鳥は斉藤を見上げた。
「これで、すべてが、終わる」
斉藤は声を絞り出した。
「これで、ようやく……」
「いいえ」
飛鳥が言った。
「違うわ」
斉藤は眼を細めた。
「なん、だと?」
「これから始まるのよ」
飛鳥はここにいない誰かに語りかけるように、静かに言った。
「この世界の……終末が」




