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ソウル ロンダリング2(裏導師) 饒舌な鏡 ~南大阪御伽草子~(仮)  作者: 富田林 浩二
第三章 迷彩収集

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第三章 迷彩収集 第一節 彼方への接近



###



 大神様と隼神様が偵察に出ると、すぐにあたりの雰囲気が異様な感じになり始めた。

[なんかまた薄暗くなってきたぁ]

{あまり良い兆候とは言えないようですわね}

[んじゃ、このまま突っ込む~。姿勢低くしてどこに羽根が刺さってるのか、そのパッチリお目々で確かめて]

{かしこまりました}

 大神様と隼神様は、薄暗さが増すにつれて、負の波動が強くなる中心部に真っ直ぐ突っ込む。

{もうほんのすぐそこですから、ご注意下さいませぇ~}

[よっしゃ、見えた。このまま糞ったれの股ぐらに突っ込みま~す]

{運転手さんその表現どうにかなりませんこと?}

[ええやん、細かい事は。どうせ運転手とガイドさんだけ乗った、回送車やねんから]

 大神様は臆する事なく、真っ直ぐキメラに向かって行く。

 近付くと薄暗い中で徐々にキメラの姿がはっきりしてくる。

[ふ~ん。結構デカいな]

{私が来たばかりの時は小さい事を利用してうまく隠れていましたわ。ヤツが小さい間に何とか退治したかったんですけど、ごめんなさい}

[どうでもええけど私に謝らんといて。ほんならいつから? 糞ったれが大きくなり始めたんは]

{かえでが小学校一年生の時が最初の活性化で、それから大きくなるにつれて隠れなくなりました}

[要するに、糞ったれは小さい間に力蓄えて、大きなったらこっちに牙むいて来ょったわけ?]

{はい、そしてかえでが六年生になった時、やつは暴れ始めました。それからは、私が監視を強め、暴れないようにしっかり見張っていたんですが……。今年に入ってからです、急速に大きくなり、私に攻撃してきたのは}

[OKそんな感じなんやね。んじゃぁ、鳥目のお人にはちょっとしんどいかもしれんけど、糞ったれのどこに羽根が刺さってるか、穴が開くほど見つめて、なんやったら穴開けちゃってもかめへんからね]

{やってみます}

 大神様は頭を下げスピードを上げる。

 大神様の体高の五~十倍はあるだろうか。

 姿はカモメなのだが、翼や体に羽根はなくその代わりに分厚いうろこがびっしりと全身を覆っている。

 大神様は正面から急速にスピードアップするという大胆な方法で腹の下をくぐった。

[どう? あった?]

{ええ、見つけました}

[どこ?]

{右足の水かきに軽く引っ掛かるように、ピラピラしてましたわ}

[またそら微妙なとこに。まっ、コイツの身体見たら、硬ったいうろこだらけで刺さるとこないから。……あぁ、そうか、二本ともあのうろこに跳ね返されて、一本は下に落ちる時に水かきに刺さって、一本はどっか飛んで行ったのを、隼神様が回収したんやね]

{あの時は腹立ち紛れに狙いもせずに投げましたから、反省してます}

[よし、取り戻しに行きましょっ]

{今度は一本だけでも確実に命中させますね}

[二本あったほうが、もっと確実な嫌がらせできるかも、やしね]

{わかりました}

[じゃ、ガイドさんはここで降りて待ってて。すぐ戻ります]

{それは……}

[今なら、そんな危険な所に舞い戻るわけでもない。心配せんでも無茶はせんので]

{でも……}

[待つ身はつらい、よね。心配せんで大丈夫、ここに何しに来たか自分が一番わかってるんで]

{じゃ、くれぐれもお気を付けて下さいね}

 隼神様はそっと降りる。

[さてと、行ってきま~す]

 大神様がゆっくりとキメラに向かって走り出す。




 柏原家で般若さんが、白猫の食事と飲み水の用意をしている。

「かわいい猫ちゃんね」

 動物好きな柏原 冴子が声をかけた。

 かえでも口では『かわいっ!』と言っているが、なんとなく白猫から距離を取っているように見える。

「この子の体調管理次第では、力を借りることができなくなることも……」

 般若さんがそこまで言った時、大きな物音と、男女の争う声が家の外でした。

 皆が急ぎ外に飛び出し、声がする方に走る。

「おらぁ、のぞきか? 変態。おい、何とか言うてみ、変態」

 皆がいた部屋の窓の下で、残りの資料を持って来た若菜が、男を地べたにうつぶせに、背中に膝を乗せ腕を逆関節に決めて取り押さえている。

「違う、だから違う。ここは俺の……」

「あ~っ、若菜姉ちゃん違う、その人はここの息子さん」

「自分ちでも女湯のぞいたら犯罪やろ?」

「だから違う、鍵をなくしたんで裏から入ろうとしただけで」

「だったらあんたの尻ポケットに入ってるコレ何や? 私はこれを鍵って呼んでるけど、あんたは何て呼んでんの? 見え透いた嘘こくなよ」

 ポケットから木彫りのふくろうのキーホルダーが付いた鍵を若菜が抜き取る。

「違う、だから、そこに落としてたのを拾ったところに、お前が来たんだよ……」

「盗み聞きね……」

 母の柏原 冴子が突然言った。

 取り押さえられている柏原 静太が視線を逸らせる。

「あんた何を隠してるの?」

「何も隠してねぇよ、それよか何で親戚んちに行ってないんだよ、ちくしょう!」

 若菜は黙って静太の鍵を、スッ、と顔の横の地面に突き刺し、痛そうに病み上がりの手を振っている。

「お嬢さん、ウチのバカ息子の面倒は俺が見る。だから交代しよう」

「うるせぇよ、おやじ何言ってんだよ、もういいだろ俺のことは。何も知らねぇくせに、放っといてくれよ」

「自分を育ててくれた親に向かって……、おやじさん、こいつ足腰立たなくなるまでどつきまわしていい?」

 若菜が静かに言う。

「すまねぇ、本当にすまないと思う」

息子に代わって、悲しそうな顔でおやじさんは謝る。

「わかった! あんた、先々週おじいちゃんのとこに来た人やろ」

 かえでの言葉に静太は顔を逸らす。

「ウチの古い日記読んでカメラに収めたって、この前おじいちゃんが言うてた、ふくろうのキーホルダーの人、あんたやったんや!」

「だからどうなんだよ、俺がキメラの秘術について調べて何が悪いんだよ」

「静太、立ちなさい。その言い草からすると、かえでさんの呪いを解こうとしてないわね、あんた」

「だったらどうなんだ? 息子が親戚の困りごと伝えて段取りもしたのに、それを無視する親に言われたかねぇな」

「その事なんだけど。さっき上ノさんから連絡があって……」

「えっ! ……ウソつくんじゃねぇよ、あの人は耳が遠くなったからって、携帯も家の電話もないって……」

「上ノさんの息子さん、海外勤務から帰って来てるの、静太知らなかったんでしょ? さっき息子さんに電話したら『今も自分の横で元気にしてるけど、どこも悪くないから入院なんてない、人違いでしょ』って言ってたんだけどっ!」

「おれは確かに聞いたんだよ、上ノの大伯母さんが……」

「もういい静太っ! もうこれ以上、恥ぃ上塗ってんじゃねぇ。観念してちゃんと答えろ。お前は何が目的なんだ?」

「目的なら、……陰陽師としてのスキルアップに決まってんじゃねぇか」

「またそんなことぬかしやがって、……まぁ、でも、それはあれか、かえでさんのことを無事解決すれば、ってことか?」

「当たり前だろ」

「ちょっと静太、あんたその割には態度悪いわね。何か隠してるでしょ? 言いなさい」

「うるさいなぁ、何もないよ。態度悪いのは今に始まったことじゃねぇし」

 高密度の険悪な空気が流れる。

「静太さん、見つけたんじゃないですか? 弓弦斎さんが残したキメラの秘術で使われた呪物を」

 角成が言った。

 静太が土に刺さった鍵とキーホルダーを拾い上げる。

「横取りしないって約束するなら話さなくもないけどな、ぼくちゃん。まぁ横取りするっていっても、そんなひ弱いぼくちゃんに取られる心配もないけどな」

 静太が角成を見下すように言った。

「おい、テメェ静太いい加減にしろ、この野郎っ!」

 おやじさんが怒鳴る。

「おいおい、おやじ、俺が持ってるんだぜ。この女の呪い解く鍵。ちょっとは俺のこと、尊重しようって気持ちない?」

 そう言って静太は人を小馬鹿にするように、ふくろうのキーホルダーをくるくる回した。

「ちっくしょぉ、この野郎っ! テメェ許さねぇ!」

「おやじ待てよ、今からみんなを案内するから、そうカッカすんなよ」

「案内するってどこにですか。静太さん」

「キメラの秘術の儀式が行われた場所だよ、ぼくちゃん。そこに俺が見つけた呪物と魔女の杖持ってきゃぁいいんだろ。ほら行くぞ」

 静太の態度に辟易していたその場にいた全員が、一足飛びの話の進展に瞠目した。



 柏原静太、母の冴子と父の昌史、白い猫のケージを抱いた般若さんとかえでと角成、それに般若さんから連絡をもらい、勤め先周辺におみやげ配達を終えて合流した若菜が、末広湯から車で十分ほどの距離にある岸壁に来ていた。

 夕闇が濃くなり始めた。

「ここがキメラの秘術を行った場所」

「えっ? 砂浜とかじゃなくって、崖の上ですか?」

「地殻変動とか浸食とかで地形変わっちゃったんじゃないの、よく知らないけど。とにかくここだって、弓弦斎とかいう人が書いてたのは」

 静太は両腕を広げてぐるりと一回転する。

 静太を除いた全員があたりをきょろきょろ見回す。

「これってアレやんな。船越っさんが二十二時四十分頃に謎を解明するとこやんな」

「若菜ちゃんは自白する内容がないならちょっと黙っといて。言われてみれば決め手に欠けるけど、このあたりも候補地なのかも……」

 般若さんが若菜に持たせていた、ポータブルGPSを見て言う。

「確かにこのあたりは海流が直接岸に向かって流れる時期があって、昔と海岸線の位置はかなり変わってるらしいから」

「そうなんですか」

「それでぇ、持って来た魔女の杖、ちょっと見せてくんない?」

 角成は頷きジャケットの背中側からゆっくりと、ずっしりと重いが、見た目は単なる枯れ草でしかない魔女の杖を抜き出す。

「これです、重いですよ」

 角成が静太に手渡す。

「おぉっと、ホントに重いねぇ。ふ~ん、これが噂の魔女の杖ねぇ」

「 ……ちょっとすいません。私疲れたみたいなんで座っていいですか?」

 かえでが弱々しい声で言った。

「あっ、ごめんかえでちゃん。大丈夫?」

 角成がかえでの方を向いた時、

「あっ!」かえでが大声で叫び静太を指す。

 静太は自分から注意の眼が逸れる、このタイミングを待っていた。

 皆が静太を見ると、大きく振りかぶって魔女の杖を海に向かって崖から投げようとしていた。

「おうりゃ~っ」

 静太が掛け声と共に思い切り投げる。

「いや~っ!」

 かえでが叫びながら立ち上がる。

 その時、杖を追って岸壁から飛び込む者がいた。

 角成だった。

 それは咄嗟の行動であった。

 角成は杖を、なんとか空中でキャッチした。

 そして、非常に重い魔女の杖をしっかり握ったまま、真っ黒い夜の海へと落ちて行く。



###



 大神様は悩む。

 自分が好き勝手にキメラ相手に暴れれば、かえでがどのようなダメージを被るかわからない。

 それはわかっているのだが、隠れるとか、そっと動くというのは得意ではないし、何より好きではない。

 咄嗟に普段通りの行動を取らないよう自重するとともに、臨機応変に動く。

 これはある意味無茶な話しでもある。

 だがその無茶を大神様は、かえでのために受け入れた。

 そっと足音を忍ばせるように大神様が歩く。

 嫌な気配が近くなる。

 大神様が歩を止める。

 突然上からキメラが大神様を襲う。

[どこまでもクソ生意気な糞ったれやわ、ほんまにキライ]

 大神様は前後の脚を縮め、横方向に数回ゴロゴロと回転してかわす。

 かわした方向にキメラが向きを変える。

 巨体なので動きは少しスローだ。

 キメラは大神様に向かって素早く脚を繰り出す。

[脚出すんやったら、空気読んで羽根刺さったほうの脚出してよぉ]

 身を低くして、もう一度横に回転して避けながらつぶやく。

 素早く体勢を立て直した時、羽根の刺さった方の足、右足が大神様に向かって伸びる。

 大神様が上を向いた時、キメラの右足はすぐ目の前にあった。




 崖の上で、魔女の杖を投げた柏原 静太が海を覗き込む。

 その時、静太が突風に横に吹き飛ばされ、何かを頭からかぶせられた。

 咄嗟に防御の姿勢をとった静太より早く、脇腹に拳が一発入る。

 当然のことだが突風に拳はない。

 かえでが突如猛スピードで静太に革のジャケットを投げて一発殴り、そしてその勢いのまま角成を追って海に飛び込む。

 一方角成が落ちたところは、満潮から潮が引き始めた影響からか、沖向きの流れと下方水流が速い。 

しかもかなり深く落ち窪んでいる地形であった。

どうやら静太は、投げ入れれば絶対に見つからない、こういう地形と水流の場所を選んだようだ。

 魔女の杖は重く、角成がバタ足で水面を目指すが、ゆっくりと沈んでいる。

 単車用のブーツでは動きに制限がありすぎて、足を動かしても浮上するための推進力はほとんど得られない。

 角成は沈みながらもポケットをさぐり、かえでにもらったライトを出す。

 ライトのストラップを魔女の杖に通して締め、スイッチを入れる。

 LEDの光軸が海中に鋭く伸びる。

 次に角成は右足の長いファスナーと面ファスナーを外してブーツを脱ごうとした。

 だが左足のブーツのファスナーが引っかかり外れない。

 角成が冷静にファスナーを下ろそうとするが靴下でも噛み込んだのか、上がりも下がりもしなくなった。

(だめだ、このままじゃ息が続かない)

 角成が杖を一旦手放すかどうか決断しなければならなかった。

 今この海は流れが猛烈に早く、このまま杖を手放せばどこに行ってしまうかわからなくなる可能性大である。

 そして沈んだ杖をこの広い海から再捜索する時間が、果たしてかえでと加津佐にあるのか。

 万一沈んでしまっても探しやすいように、杖にライトを付けた。

 しかし、このライトの防水や耐圧性能を角成は聞いていない。

 あれこれ考えていると角成の意識が遠のき始めた。

 薄れる意識のなか、角成は右腕を誰かにつかまれた気がした。

(約束通り、……僕のピンチに、助けに来てくれた………)

 そう思いながら角成は気を失った。

 それは幻覚ではなく、かえでが角成に追い付いたのだった。

 最初に右腕をつかみ、そして後ろから身体を抱えるようにして水中で支える。

(派手なオレンジのジャケットを選んどいて良かった)

 夜の海中にLEDの光とそれを反射するオレンジ色のジャケットと空気の泡。

 そしてこの派手な色のジャケットは、防寒のために通気性があまりない。

 ということは、綿の間の空気が水中でもある程度は抜けにくい。

 LEDの光軸の目印にこれほど早くかえでが追いつけたのは、ジャケットの空気が沈む速度を遅らせたからであった。

 様々なことが、かえでと角成に味方した。

 かえでは意識を失いぐったりする角成を抱えて、懸命に水面目指して足を動かす。

 かえでの鼓膜がそれなりの水深を知らせている。

 角成のジャケットからもう気泡はほとんど出ない。

 水圧がかなりの量の空気をジャケットから押し出したようだ。

 ここにきてジャケットは水の抵抗を増すものになる。

 角成を支えて懸命に足だけで浮上を試みるが、ゆっくりとしか浮上できない。

 かえでは両足で角成を捕まえて杖を角成の手から外そうとする。

(婿殿、私と加津佐は運命を受け入れる。 ……だからもういい、もう。……ごめん、 ……加津佐)

 気を失ってもしっかり握られた角成の手から杖を抜き、海の底へと杖を放す。

 LEDの光が螺旋を描きながら沈んでいく。

(これでいい。これで、少なくともこれで婿殿は助かる。これでいい……)

 左腕一本で角成を背後から抱えたかえでは懸命に足を動かし水面を目指す。

(もっと早く、もっと。だから婿殿がんばって)

 かえでは大きな足の動きに変えて浮かび上がろうとする。

 だが完全に空気の抜けたジャケットは、水の抵抗が予想外に大きい。

 しかも角成は息を吐き切っているらしく、放せば沈んでしまうほど自身の浮力を失っている。


 かえでは涙がでた。


 角成の大神様は強力な力を持つ。

 その大神様に生まれる前から見込まれた、ひとつ年下の許婚。

 長い間会う機会がなかったが、様々な意味で角成はかえでにとって大きな存在となっていた。

「婿殿の力に、少しでもなりたい」

 裏山でアスレチックのようなことをして身体を鍛え始めたのも、かえで自らが幼い頃に決断したことで、誰かに言われたからではない。

 そしてこの数ヶ月、症状が進むにつれ、

「今会ってもせめて足手まといにならないようにしなきゃ」

 そう考えるようになっていた。

 そして今朝、まだ夜も明けぬ東南の空、角成が暮らす方角を見つめ、

「今ならまだギリギリ婿殿の役に立てるかな?」

 そう考えて即行動に移した。

 かえでは角成に今の姿を見られたくなかった。

 それは女性としての気持ちであった。

 そしてそれと同時に、角成という大神様の後継者、その人に寄り添える者として、たった一人で頑張り通し培った自覚やプライドが、ここまで体力が落ちた状態では会ってはならない、と言っている。

 だがそんな想いなど、角成と会えた時に全て吹き飛び、

「逢いたかった人と、逢えて嬉しい」頭に浮かんだ言葉は純粋にそれだけであった。

 単車の後ろに乗せてもらえて嬉しかったことや、末広湯での足湯、角成と交わした言葉と笑顔。

 この数時間がかえでにとって、夢のように幸せな出来事であった。

(もう悔いも思い残すことも何もない。ありがとう、婿殿……)

 さまざまな思いが感情とともにわきあがり、涙が海の中でそっと目尻と頬を撫でる。

 だがその一方で、その程度の速度でしか浮上していない事に、かえでは苛立つ。

 薄暗い海の素潜りは、確かな深度の感覚がない。

 かえでは己の様々な感情と戦いながら、できるだけ早く浮上できるようしっかり足を動かす。

(婿殿を助けたい)

 かえでは今にも切れそうな一本の細い糸を手繰る。

 少し息が苦しくなり始める。

 一瞬の不安がよぎった、まさにその時、

[かえで、よくがんばりましたね。安心なさい]

 聞いたことのない声が、かえでの頭の中に響いた。

 それは救助を意味するのだろうか。

 それとも、極楽浄土へ続く道の関所の大門に、手がかかった事を意味するのだろうか。


 次の瞬間!

 かえでが何かに肩を掴まれ、角成もろとも海中へ引きずり込まれた。



###



 キメラの右足の下に大神様がいる。

[おいおい、これはどういうことなん。なんでこいつ、私をこんなにふんわり押さえるん?]

 試しに少し体を動かしてみる。

 横にズレるとそちらに向かって力を入れてくる。

 その力は決して弱くはない。

 そのことで、水かきの部分で押さえられていることに大神様は気が付いた。

 ぐるりと見回すがどこにも羽根は刺さっていない。

 中指をまたがないと羽根には行きつけないらしい。

 大神様は決断し、即行動に移す。

 大神様が水かきを食い破り飛び出した。

 だが大神様が飛び出したのは中指側ではなく、羽根が刺さる逆側だった。

 大神様は、ペッとキメラの足の組織を吐き出して、

[しもたっ! 左右間違えた] そう言いながら体を丸め、転がりながら着地する。

 大神様たちがいる世界が、一瞬ぐらりと揺れた。

 水かきにダメージがあったからだろうか。

 すぐさまキメラは、大神様に攻撃をしかける。

 今度は硬いうろこに覆われた翼を向けてきた。

 翼の先端部が目前に迫る。

[よけたらあかんねんね、かっくん]

 大神様は翼の先に噛みつき、そのまま地面に背中から叩き付けられる。

「パリッ」

 大きなうろこを一枚噛みちぎり、転がりながらゆっくりとキメラから離れていく。

 大神様が止まった時、キメラは真上に移動して来た。

[もう一回踏まれたら、コイツの足の裏から腹ん中まで直行して臓物食い荒らして散らかしたるから!]

 そう言いながら、キメラの後方に回転移動した。

 自分の足で一瞬大神様の姿を見失ったキメラは、あたりをキョロキョロ見回す。

 その一瞬の隙をついて尾の陰で視線を避けていた大神様は、隼神様の羽根をくわえてスッと抜き、キメラの後方にとんぼ返りして逃走を試みる。

[クッソォッ! さっき私が食いちぎったとこ、もう再生してたやん。コイツの体の構造どないなってんの]

 その挙動に気付いたキメラが、クルリと振り返る。

 大神様はもう一度フェイントを使ってキメラの目を逃れようとする。

 だが二度同じ手は使えなかった。

 今度はキメラが動かずに、大神様の動きをよく見ていた。

 キメラは大神様の動きに合わせるように翼を振り下ろす。

 さっきと違い大神様は羽根をくわえていて、歯で硬いうろこの攻撃を受けることはできない。

 大神様はキメラに全力ではね飛ばされた。

「馬鹿力が自慢やろうけど、次は相手の逃げ道に向けて飛ばさんように注意しよな、この糞ったれ。これで隼神様のハンケチゲットぉぅ、ボケナス~!」

 くるくると空中を回転しながら大神様は言った。




 かえでが身をよじって抵抗するが空いている右手の自由は全く利かない。

(せっかくあそこまで、あそこまで浮いたのに)

 悲痛な叫びが悲しみを怒りへ、そして弱気を負けん気に変換する。

 それなりの速度で沈みながらも、かえでは両足で角成をしっかり挟み、左手で肩を掴む手をひねり上げようと、その手の急所を指先で押さえる。

 相手はそれをいとも簡単に外し、かえでの左腕を強引につかむ。

 かえでは水中戦も得意としていたので、自由になる両足と左手一本だけでも本来ならば充分対抗できた。

 だが角成を両足で抱えていてはどうしようもなかった。

 しかしあきらめている暇などない。

 かえでの顔に何かが当たり、額で押し返す。

 その時相手の手が頬に一瞬当たる。

 咄嗟にその方向に向かって噛み付く。

 何かが歯に当たるが、噛み付くことはできなかった。

 かえでは腕を振りほどき、その腕で愛おしそうに角成を抱き締め、しっかり頬に頬を付ける。

(渡さへん! 誰にも。死神相手に刺し違えてでも、絶対にこの人だけは渡さへん!)

 その瞬間であった。

 かえでの左脇に強引に何かが差し込まれた。

「ボウン!」

 海中に大きな音が響く。

「バシュッ」

 次の音が鳴ると、かえでが角成を抱き締めたまま猛スピードで浮上した。


 左の脇の下にはガスで膨らむタイプの非常用ライフジャケットが挟まっている。

 かえではジンジンと鳴る耳の痛みを無視して、角成の後頭部をライフジャケットに乗せ、両足を懸命に動かし岸を目指す。

「来る!」

 かえでが身構える。

 ポケットの中を探りたかったが、角成を支えているのでそれはできない。

 かえでは背後から角成を両足で挟み、再度愛おしそうに角成を左腕で抱き締める。

「婿殿、もしサメが来ても私が先に食べられてあげる。それがこうなっちゃった今の私の精一杯。だからその時は大神様、婿殿を起こしてあげて下さい。お願いします」

[いやや、断る。自分のことは自分で決める。お前が、かえでが勝手に決めた事に神様巻き込むんは隼の神様だけにしといて。この、自分に悪酔いしてるバチ当たり娘!]

 かえでの頭の中で心なしかかすれ声の大神様が怒鳴る。

「 ……ごめんなさい」

 素直に謝ったその直後、

「ドバシャッ!」

 かえでの数メートル後ろで勢い良く何かが飛び出した。

「耳痛ったぁぁぁぁっ!」

 そのまま振り返ると角成を盾にしてしまうので、半身で声のした方を向く。

 懐中電灯の鋭い光軸が、海面をあちらこちらとふらりふらり揺れている。

「まさか……」

 かえでが白い光を見て声を上げる。

「おっ、声が聞こえた。ちょっと待っとって。今そっちに行くから」

 光の方から声がした。

 かえでが角成を揺さぶる。

「どうしよう、婿殿助けて、なんか怖い」

かえでの頭の中で、巨大なサメが襲って来る映画のBGMが鳴る。

 ぱちゃっ、ぱちゃっ、と、水をかく音がゆっくり背後に近付く。

 そちらを向こうとするのだがいくら体をそちらに向けようとしても、流れの影響で光の方に背中が向いてしまう。

 ばちゃっ、ばしゃっ、音はすぐうしろに来た。

 かえでの右肩を誰かが掴む。

 すっと掴まれた方向に身体が向く。

「きゃぁぁぁぁっっ!」

「大丈ブハぁぁ!」

 片手にLEDが付いた魔女の杖を持ち、角成の頭の下にあるライフジャケットと同じものを腕にかけた玄宗さんが、思いっきり平手で殴られた。

 海上の夜の闇を、LEDの冷たい光と、玄宗さんの暖かい鼻血が彩りを添える。





 角成は夢を見ていました、

 間近の木の陰から、キメラの秘術の儀式を。

護摩壇三つに次々火が点けられ、ゆっくり燃え上がる。

そして護摩壇の炎がいっそう大きく上がり、布が焼け落ちてキメラが燃え上がり始める。

茂吉が磐城に何か言いながら、紙を渡す。

何かを書いた紙を、磐城が茂吉に渡し、背中を向けた茂吉はその紙を懐に入れ、懐から同じ紙を出して、磐城に見えるように、炎が上がりキメラが燃える護摩壇にくべる。

「我が家と同じ不幸を。……願わくは、干支一回りののち天美の家へと」

 磐城の悲痛な叫び声が、角成の耳に届く。

 そして、バサバサと大きな羽音と共に、護摩壇が崩れ、キメラは炎を纏い飛翔した。

 波打ち際で、バシャバシャと魚が暴れる音がする。

 茂吉が護摩壇の残りや燃え残った布切れを火にくべる。

 儀式は終焉を迎えた、角成がそう思った時、磐城の身体が横倒しに倒れる。

 茂吉が磐城を背負い、声をかける。

「磐城のだんな、今から菜めし屋に向かいやす。こんな時にあれだが、ちぎりいし、……ちぎりいしは、ちゃんと隠してくれましたか?」

「……あぁ、わかりにくいところに、な」

「そうですか、それならよろしゅうございやす」

「あとでありかを茂吉さん、……お前さんに、……伝えるから……」

 そう言って磐城は意識を失った。




「俺しかおらんやろ、かっくんにマウストゥーーッ、マウスで人工呼吸すんのは」

「黙れ! 変態」

 かえでは玄宗さんに一喝する。

「はーいはい、いっつもかっくんのほっぺにキスしてる私」

「色ボケのおばさんは。すっこんどれ!」

 般若さんにも噛み付く。

「ねぇ、かえでちゃんって言うたっけ? 昔からコイツの面倒みてる私が、って言うても、一回人工呼吸コイツに私してるし……」

「おばさん何言うてんの? 意味不明なんですけど、あなたの存在自体が」

「おばさんってだれのことかな? んぁぁ? 二十歳そこそこの人間つかまえておばさんって、どの口がぬかしとんねやぁ~?」

 若菜は一瞬にして獰猛な顔プラスコテコテの関西弁になり、かえでを不敵な笑顔で睨む。

 その若菜に向かってかえでが、

「ほれほれ、この口、見える? おばさん。あっ、ひょっとして老眼?」

「まぁ困ったわぁ。私のかわいい角成が目ぇ覚ました時に最初に見るんが、鼻血出してる自分のフィアンセやとは」

 若菜がかえでに左のジャブを繰り出す。

 かえでは避けもせず、半歩下がって左手でその拳を受け止めた。

「おばさんなのにいいパンチ出すじゃな~い」

「ありがとぉ~。でもこの左手はあんたに褒めてもらうためやなくって、あんたの前歯と鼻骨をへし折るために、この世に存在するんよ~」

「本当に当たってたら鼻骨は危なかったかも。……そっかぁ、本気な訳ね」

 そう言ってかえでが若菜の拳を、ぐっと間合いを取りながら放して一歩下がり、

「左手一本で充分よ、おばさん相手ならね」と、左手の人差し指を『ちょいちょい』と上向きに曲げて、若菜を挑発した。

「上等やんけ、クソガキ! 久っさしぶりに本気出したろやないか、おい」

 と、右手が病み上がりであることも忘れて、若菜が挑発に乗る。

「あなた達いいかげんになさい! まだ意識は戻ってないのよ、この人、河内くんは」

 末広湯のおかみさん、柏原 冴子が角成の様子を見ながら怒鳴る。

「ウチのバカ息子のやったことは許されることじゃないけど。あなた達まで、なんてバカなの!」

 ちなみにバカ息子、静太はまたしても姿をくらませていた。

「ごめんなさい……」

 かえでが素直に謝り、その場に崩れるように座り込む。

 般若さんが駆け寄り、

「大丈夫? 肩貸そうか?」

 その言葉にかえでは、

「ありがとう、このままじっとしてたら大丈夫です。婿殿のほっぺを奪ったおばさんA」

 と言い、

「大丈夫そうね」と、般若さんが顔をしかめた。


角成たちがダイブした崖から少し離れたところにある砂浜に皆がいはいた。

「かえでちゃんだっけ、あなた角成君の手を握ってあげてくれる? 救急車が来るまで。水を飲んでなかったみたいで、自発呼吸も戻ってるから、あとは意識が戻るだけ」

「はい……」

 ふらつきながら立ち上がり、冴子が跪く反対側に、そっと角成に寄り添うように座る。

 かえでは自分の膝に右手を置き、その上に角成の左手を乗せ、そっと自分の左手を乗せる。

「脈も呼吸も大丈夫、安定してる。でも意識が戻らない状態。 ……まさか飛び込んで頭を打ってるとか」

 冴子が看護婦として状況を掴もうとする。

「お母さん、かっくんならたぶん大丈夫ではないかと」

 右鼻に鼻血止めのティッシュを詰めた玄宗さんが言う。

「空から突然降ってきた人が何言っても説得力ないわよ。この白い猫ちゃん見なさいよ、こんなに健気に河内くんに寄り添って……、あら、あなた、誰?」

 冴子が「キッ」とした表情で角成から顔を上げたが、すぐに「ポッ」となった。

「息子さんから聞いてませんか? もしくはご主人から。今日は右鼻の調子が悪いので、顔面左側のみで失礼します」

 玄宗さんが膝をついて、右側を手で隠した左顔半分で冴子を覗き込む。

「よし決めたっ! この拳はダーリンの前歯たたき折るために使う!」

 若菜が指の関節をポキポキ鳴らしている。

「ちょっといいかしら、イケメンさん」

「ながのげんしゅーっていいます」

「あらそう、イケメンさん。それでどうして河内くんは大丈夫なの?」

「もしもかっくんが危ない状態やとしたら、その猫が俺かそっちのお姉ちゃんに、何か言うてきますから」

「言うって?」

「そう。その猫が」

「この?」

「その白くて小っちゃい毛むくじゃらが。かわいいでしょ?」

「ごめんなさい。私、とんでも系の話とか全くだめなの。いっつも息子とそれで口論になるんだけど……。 あっ、思い出した。玄宗って、あなたひょっとしてうちの父ちゃんとキャバクラで意気投合した、例の驚異的にモテる人?」

「モテるかどうかは俺自覚がないんでアレですけど、その白い猫とは仲良しさんですんで……、えぇっと、何と言うたらいいのか……」

「わかった、信じるわ。それどころか疑ってごめんなさい」

「をいをい、あんたのダーリン鼻血たらしなが一瞬で熟女たらしこんでるよ」

 般若さんが面白がって若菜に言う。

「鼻血とか鼻水とか、百歩譲っておしっこ、千歩譲ってうんこまではたらすの許そう。でも女たらすのは、しかも相手が熟女ときたら、いくら温厚な私でも許す訳にいかん」

「へ~、温厚なおばさんだったの?」

 かえでが若菜の怒りの炎に、別方向からふいごの風を送る。

「違うのよ。イケメンさんがかっこいいから信じるんじゃなくって、ウチの父ちゃんの人を見る目を信じるの、私は」

「あっ、何か聞いてますか?」

「ええ、その時の写真見ながら色々聞いてるわよ。息子がいれあげてた娘、あなたの横に座った瞬間「好き」ってっ、瞬殺した話とか。あなたがお店に入って三十分以内にお店の女の子全員あなたの周りに来て、女の子全員貸切り状態&男性客全員涙目状態になってたとか。あとぉ……」

「俺が悪かった、もう勘弁して下さい許して下さい」

「ちょっとすいません。息子さんその件があって、魔女の杖投げたとか?」

 般若さんが聞いた。

「ありうるわね、というか、多分そうね。私が言うのも何だけど、うちの息子って執拗に執念深くって粘着質なのよ」

「で、玄ちゃんが協力をお願いしてくれ、って言うた人たちの中に、ゴリゴリに恨んでる静太さんが入ってた、と。これってある意味、うっかりミスによる人災?」

 般若さんがそこまで言った時、心臓マッサージされていた角成の目が開き、むっくりと身体を起こした。

「婿殿っ!」

 かえでが手をしっかりと握リ直す。

 角成は少しむせて、

「 ……ただいまかえでちゃん。ここは、……かえでちゃんがいるということは、……今、だよね」と、掠れる声で言った。

「かっくん大丈夫か? どっか打って痛いとかないか? それと気分悪いとかもないか?」

「はい、気分は、……大丈夫、問題はありません。今の今まで夢を見ていました。キメラの呪いの儀式、僕見ました! ……というか、玄宗さんがなぜここに? いつここに?」

「さっきウチのバカ息子があなたの物を投げたでしょ。あの時バラバラ音が聞こえたと思ったら、このイケメンさんが降ってきたの」

「九州あたりから星とか赤とか青とかの線入ったマークが付いたマッハなんぼかで飛ぶモノに乗ってこのへんのどっかの基地について、そこからヘリに乗り換えて降りるとこ探してたら魔女の杖を追ってダイビングする若者二人見つけたもんやから、咄嗟にヘリに積んでた金属性のクソ重たい輪止め何個かと、ライフジャケット二着ヘリから盗んで逃亡したら、海の中の崖みたいになったとこに魔女の杖が引っかかってて、それ持って水面に上がったら鼻血出た。そして今輪留めとライフジャケットの窃盗罪で訴えられたら、保釈金は誰が払ってくれるのか心配してる」

「ちょっと待って下さい。玄宗さんそんなに離れてても、魔女の杖が見えたんですか?」

「うん、光ってるやん、これ。ぼぉっとうっすらやけど。破魔子さんが言うてた通りや。水中はあかんよ、水中めがね無かったら、目ぇ、めっちゃぼやけるやん。せやからLEDの光無かったら見失ってた」

 玄宗さんは『ぼおっとうっすら光ってる』と言うが、その言葉に頷いたのはかえでだけだった。

「そっか、大神様の力……。今大神様はかえでちゃんのところに行ってるから、それで光って見えるのかな」

「そうそう、水中で君らを見つけた時、金色の光に導かれて一直線に向かっていけたんやけど、あれってひょっとしてかえでちゃんの?」

 かえでは水中で聞いた声を思い出す。

「じゃぁあの時の声って、ひょっとして……」

「それは隼の神様とかえでちゃんとの橋渡し役の大神様が、十何年ぶりかに間に入ったから聞こえたんちゃう?」

 般若さんが憶測で答えた。

「今まで一回も隼神様の声聞いたことなかった。加津佐を翼で守ってくれた時も、黙って一つ頷いただけうやったのに。そっか、大神様か……」

「 ……って、かえでちゃんって、ものごっつ可愛いやんか」

 玄宗さんが驚いたように言う。

「玄ちゃん、その子はかっくんの許婚やからアカンよ」

「そやで、ダーリン。もしちょっとでもなんかしたら、私がダーリンの身体中の、穴という穴から血ぃ噴き出さしたるから、そのつもりで」

「そういえばかえでちゃん、玄ちゃん見ても何ともない?」

「はっ? コレですか? 私ムカデとかイモリとかの爬虫類はあんまし得意じゃないんで」

 かえでが、あからさまに嫌な顔をして言う。

「かえでちゃんそれどっちも爬虫類じゃないよ」

「あっ、わかった!」

 若菜が、ポン、と手を打つ。

「かえでちゃん、あんた水から上がったダーリンをいきなり殴ったんは、ひょっとして、ダーリンの目ぇが妙な色してたから?」

 かえでが強烈に顔をしかめてウンウン頷く。

「なるほど、これで敵は一人減った」

 若菜がほくそ笑む。

「あっ、救急車来たわね」

 柏原冴子がホッとした表情で言う。

「ひょっとしてその救急車は僕用ですか?」

「そうだけど?」

「キャンセルできませんか?」

「どうして? 今病院に行って検査してもらった方がいいわよ。水面って飛び込むと意外と硬いからお医者様に診てもらったほうが……」

「その時間が僕にあっても、かえでちゃんにはありません。どうにか、ごまかしてくれませんか」

「最近は下手な小細工したら、密航者を隠してる疑いとかで警察に通報されるかも。そしたらもっと時間取られちゃうから、やめといた方がいいわよ」

「ダーリン居酒屋にごはん十回、う~ん、五十回、いんや、百回以上連れてけよ」

 一方的な約束を突如海に向かって叫んで飛び込み、若菜がびしょ濡れで帰ってきて、

「私しかおらんやんか、この中でオカルト系に関係なくって、荷物運びくらいしか仕事でけへんの」皆が唖然と見つめるなか、そう言った。

「居酒屋の件は承知した。場所は俺が決めるけど、支払いは頼むぞ」

「若菜姉ちゃんごめん。僕からも今度埋め合わせするから」

「うっさい、そんなもんいらん。お前は絶対に彼女救え、何が何でも。もし失敗したら今後絶対に、お前のためにメシ作ったれへんからな」

「しーっ、静かに! 救急さんたち来たから後は私に任せて」

 柏原 冴子が若菜に膝枕をし、そっと肩に手を乗せた。

「慰安旅行帰りにダーリンから運び屋頼まれて、助手席の友達は三つもエチケット袋使うし、ここ来るときも、速度違反しまくってパトカー振り切りまくったから、今日はもう神経的にくたくた。病院でゆっくり寝てるから、終わったら誰か起こしに来てや」

 若菜はそう言って皆に「バイバイ」と手を振る。

 かえでは黙って左手だけで拝む動作をした。

「こら、そこの小娘。その動作は私に謝る時まで、どっかに仕舞い込んどけ。またな」

 若菜は「シッシッ」と手を動かし目を閉じた。

 急にかえでが若菜のところに来てガバッと抱きつき、

「病院に着いたら、ついでに更年期障害の検査もしてもらってね、婿殿の唇奪ったおばさんB」

 耳元でそう言って、全速力で走って逃げた。

「今度会う時は、その日がお前の閻魔様記念日じゃぁぁぁ。 ……あっ!」

「どうしたの若菜姉ちゃん!」

 角成が反応する。

「私、慰安旅行帰りやから保険証もマイナンバーカードもそこのポーチに入ってるわ。なんという適材適所って言うか、これは完璧に私の仕事やん。あ~あ、最後まで見たかったぁ」

 そして救急隊員が到着し、角成たちは野次馬のふりをしてその場を離れ、急いで車のところへと戻る。

 静太の車はすでになく、若菜のピンクのキャロルと柏原家の乗用車が空き地に停まっている。

 玄宗さんは辺りをキョロキョロ探し回る。

「玄宗さん何探してるんですか?」

「おう、あったあった。これや」

 玄宗さんはゴミ袋をワシャワシャ鳴らせて持って来た。

「ヘリからこの車の周辺に俺の私物入れた袋落としてもらってたんよ」

 それは玄宗さんの私物を入れたコンビニ袋と、大きなゴミ袋と粘着テープで作った即席のパラシュートだった。

「よっしゃ、これで免許不携帯にならんで済む、行こか。このゴミ袋は割いて広げてシートに敷いて。キャロルのシートに海水つかへんようにしてあげて」

 その時、車内に置きっぱなしだった角成のスマホが鳴る。

「おう兄ちゃん、バカ息子が隠してる物見つけた。すぐにウチまで来てくれ」

「わかりました。すぐに向かいます」

 角成がそのことを皆に伝え、この日数百キロ走らされているキャロルが、皆を乗せて末広湯へと向かう。



第三章 第一節 彼方への接近  終


第三章 迷彩収集

第二節 葡萄酒

        に続きます。

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