第三章 迷彩収集 第二節 葡萄酒
急いで湯を浴びて塩気を落とし、借り物の乾いた衣服に着替えた角成たちは、柏原家の座敷で静太の部屋に隠してあった、あずき色の大きな風呂敷を広げる。
様々な物と共に、中から古い手紙が一通出てきた。
すぐに般若さんが解読にかかる。
「えっとぉ、……柘植の木で彫ったふくろうに全ての呪物を封じてある。そして追い出したキメラとこのふくろうを併せれば『人が持つ全ての力』がこのふくろうを持つ者に集まる。……っていう内容のことと、追い出し方、みたいなのがが書いてる」
般若さんの解説に玄宗さんは、
「ムリやろ、それ。この場合キメラの本質って呪いやから、それをふくろうの神様のところに持ってきたら、多分やけどその人死ぬで。それに、呪物をふくろうの彫刻に封じるとか、それはない。それトラップやで。呪いを複雑化させて解けへんようにしてるどころか、何らかのアクションで、キメラに力与える……。それでか、悪化したんは」と言った。
「そのムリをウチのバカ息子が通そうとしてるのか……」
「そうみたいですね。でもこれを信じるって、いったい息子さんに何があったんですかね? 俺らのやること妨害して、横取りしようとする、その原動力になるような……」
「玄宗さん、ひょっとして覚えてないのかい?」
「キャバクラでのことっすか?」
「それプラス、去年だか一昨年だか、上高地でのキャンプ場でのこと玄宗さん覚えてない?」
「確かに去年の初夏かな、行きましたね上高地。……そこでひょっとして息子さんと会ってます? 俺」
「うん、静太が『会った』って言ってた」
「う~ん、俺って女性の顔と名前は、脳に自動でインプットされるのに、男の人の顔はよっぽどのことでもない限り、覚えることないっすからね」
「それがなぁ、静太のヤツ、よっぽどのことが二回もあったから絶対に間違いない、玄宗さんのことは絶対に忘れないって……」
「それって、かけがえのない素晴らしき存在として息子さんの脳内に俺が存在してる、ってことは、……絶っっ対にないですよね」
「うん、残念ながら絶対にない。なんせ俺が上高地のことを聞いた時、アイツ悔し泣きしてたからなぁ」
「うっわ~、お父さんの前で悔し泣きっすか~。すいません、……ほぼ、覚えてません」
「うわぁ、静太さん魔女の杖投げたん、原因は玄ちゃんかぁ」
「せやね、申し訳ない。知らぬ事とはいえ、今からでも静太さんに誠心誠意謝るわ」
玄宗さんの言葉におやじさんは、
「いいよ、謝らなくって。あいつ人様の大事なもん海に投げたんだぜ。それだけで、じゅうぶん刑事事件じゃねぇか。ほんっとにあのバカ、どうしようもねぇ……」と、困り顔で言った。
般若さんが、
「だったら、静太さんは『……人の持つ力の全てがこのふくろうを持つ者に集まる』に反応したのかも……」と、話を戻す。
「なんで?」
「さっきは意訳したけどその部分「陰陽五行の五役を得る」って書いてあったんよ」
「おうねえちゃん、なんだその五役って?」
「五役は陰陽五行説の五役で、色・味・声・臭・音です。ちょっと違うんですけど、今で言う人間の五感が近いです」
「おいおい、それってもしかして、あのバカ『色』に……」
おやじさんは天井を見上げて、
「あの馬鹿野郎『これがうまくいけばモテモテだ』って、この風呂敷抱えて言ってたな」
そう言っておやじさんが風呂敷を指して言った。
「かっくん、本当に申し訳ない。俺の不注意というか無神経からこうなってしもて」
「もういいですよ。それよか時間がありません」
角成がちらりと借り物のスエットの上下を着たかえでを見る。
見た目に疲労の色が濃い。
角成も玄宗さんも疲れてはいるが、眠れば疲れは取れる。
だが、かえでは状況が違う。
かえでの疲れは、生命に対して重要な意味を持つ。
そして今かえでの一分間は、ここに集まる者達の一分間と等価でないことを、全員が一瞬で認識する。
「そうだ、息子の妨害工作とかバカさ加減はどうでもいい、今は呪物とか言ったか? それがどこにあるかだ。この風呂敷に包まれてなかったのかい?」
般若さんが、
「残念ながら、何一つ……。それに関しては、蔵にある、もしくは、蔵にあったと」そう答えた。
「どういうこった?」
「さっきの杖に対する行動のように、すでに見つけて処分している可能性が……。ないとは思うけど」
般若さんの一言で部屋の空気の流れが止まる。
その空気を一掃するように、
「般若さん、今般若さんが知っていること、みんなで共有しましょう。お願いします」角成が言った。
柏原家の座敷では、ご先祖である弓弦斎が茂吉に宛てた手紙を、般若さんがこよりと共に広げている。
角成は、じっと涙をこらえるかえでの横にいる。
草書ほどではないが、どうしても古い文書は現代人には読みづらい。
なので般若さんが、ゆっくりと皆の前で手紙の文章を声に出して読む。
つぎ茂吉様と会ひしとき
これぞ自らの最後の良きさだめ
それがまがふことなきものなら
西国を馬上にて共に巡りしおもひで終生忘れまひと
未だ異国から聞こへるよな面白おかしきこともなき
それなりでしかなひ人生ゆへ後ろ振り返へらせていただいた
その時こそ茂吉様と赤きぶだう酒いただきたし
「アレだな。ご先祖様の栄七ってぇ人は、よっぽど茂吉って人と気が合ったんだな」
「本当、大事な友達だったみたいね。子孫ながら知らないことばっかだわ」
柏原夫妻が感心する。
「でも再会できなかったんですよね」
角成が言った。
「そうやねん、日記によるとこの手紙、茂吉さんの眼に触れてないんよ」
「そんな事より、その手紙に何かあるんじゃなかったんですか?」
かえでが少し苛立ちながら言う。
「せやった、ごめん、のんびり昔話に浸ってる暇なかった。このこよりやねんけど……」
皆が解いて開かれたこよりに注目する。
さいごくを めぐりしおりを おもひだし きめらのこりが われの手にあり
「この歌は、わざと手だけ漢字で書いてると思うんよ。その手が意味するのはちょっと飛躍するけど、こよりが手、と、思ったわけ」
「般若さん、時間がないです。もっと簡素にお願いします」
角成が急かす。
「ごめん、あたしの悪い癖やね。加速するからみんな付いてきてね」
全員が頷き固唾を飲む。
「この歌の上の句の『めぐりしおりを おもひだし』は、『しおり』を『思い出す』要するに、『このしおりを見たらその当時を思い出せ』ということを言っていると思うのね。これは『二人だけの昔の暗号みたいなもんを使うよ』ということを示唆してると仮定してみたの。それから、下の句の『われの手にあり』ね。これは、江戸時代とか明治時代って、紙は貴重というか結構高価だったから、紙の切れ端をよじって強化した『こより』ってしおりとかにも結構使われたの。そしてしおりにもなるこのこよりが結んであった=握ってるもの、それがこの手紙。そしてその「さいご、く」は「さいご=最後の一枚、句=言葉」で、最後の一枚だけ紙は同じで筆書き、という特長でわかりやすくしてある、と、私は考えたの」
一同感心しながら頷いている。
「それから、かえでちゃん、この手紙の一番下の文字、右から順番に読んでみて」
「き、め、ら、と、き、た、し……。 これって!」
「そう、柏原さんのご先祖様の栄七さんこと弓弦斎さんは、キメラの呪いを解きたがっていた」
「なんでウチのご先祖はそう思ったんだろうか?」
「それは……、ちょっと横道逸れるけどいい?」
般若さんがかえでに聞く。
かえでは手紙を凝視しながら頷く。
「弓弦斎さんと茂吉さんはさっき柏原さんが言ったみたいに、実の兄弟かそれ以上に仲が良かった。でもキメラの秘術の実行から後は、急速に疎遠になってしまった。だからその契機となったキメラを、弓弦斎さんは取り除きたかった、また元の仲の良い二人に戻りたかった、と、私は考えたの」
「なるほどな、ありがとよ。話の腰折っちまってすまねぇ、続けてくんな」
「あとはこの手紙に書かれていることの中身なんですが、柏原さんが暮すここって、栄七さんの代からですか?」
「もとは、栄七さんの嫁さんの実家らしいぞ、ここって」
「だったら、蔵ってあります?」
「一応あるぜ、取り壊し寸前の小さい蔵だが。、二棟」
「ひょっとして、西と東に?」
「う~ん、そうそう。言われてみれば、二つ並んでるから、東と西だ」
「般若さん、なぜそう思ったんですか?」
角成がそう言った時、かえでが『西国を馬上にて共に巡りし思ひでを終生忘れまひと』の部分を指した。
「そう、そこ。茂吉さんと弓弦斎さんは、商売で西国の各地を巡ったんよ」
「それがなぜ?」
「その時代に商人が馬に乗って移動した、というのは、制度的なことと金銭的なことで非常時以外はちょっと難しいの。ということは、馬の上、要するに馬の背中に乗っているものといえば、くら。だから蔵」
「なるほど! 蔵にあるとしたら、蔵のどこにあるんですか?」
「ご主人、お宅の蔵にはお面が飾ってありますか」
「おう、面ならあるある、かかってる」
「よっしゃっ!」
般若さんに合わせて、角成がハイタッチする。
「ただな、蔵が二つあって、どっちにもお面かかってんだ」
「 ……ということは、呪物を分散させたんですか?」
「どうだろ? 分散、分ける、分離、離す、手紙には一切なかったから、違うと思う」
「じゃ、どっちかにあるってことですか?」
「そうだと思う」
かえでが、
「おばさん、弓弦斎さんの手紙、もう一度見せて」そう言った。
「これね、どうぞ」
「かえでちゃん、この人には般若さんっていう名前があってね……」
角成がかえでをたしなめようとするが、般若さんは、
「かっくん、今日移動中にみんなからおばさんおばさんって呼ばれたから今日はいいよ、今日だけは。でも明日おばさん呼ばわりされれたら、その時は嫌っていうほどかえでちゃんをくすぐるから、かっくんは羽交い絞めで協力お願いね」そう言って笑った。
角成はこの言葉に自分の空気の読めなさを痛感し、
「すっ、すいませんっ」、と苦しそうに謝った。
「ねえ般若のおばさん……」
かえでは照れからか、そう呼んだ。
「何か気付いたことでも?」
「うん、なんで最初の三行は無視すんの?」
「各文の最後の文字を続けて詠むと?」
「きめらときたし」
「最初の三行の最後の文字は『きめら』で残り四行が『ときたし』だから、きめらはいらない、ときたしに意味がある。そう判断したの」
「なるほど。じゃ、あとの四行はさっき言ってたよね。蔵の中のお面がどうって」
「おう、そうだったそうだった。行ってみるかい?」
おやじさんが言う。
「行きましょう」
角成がかえでに優しく肩を貸し、おやじさんを先頭に玄宗さん般若さんらと蔵へ向かう。
西と東の二つの蔵の前でおやじさんは言う。
「老朽化が激しくってよぉ、ちょうど建替え取り壊しの準備してたところなんだ。だから各自色々と気をつけてくれよ」
その蔵はおやじさんの言葉通り、長い間全く使われておらずただそこに存在していただけの蔵だった。
白壁の下の方は壁土が大きくひび割れたり剥がれてたりしており、場所によっては中の竹で編んだ格子が露出していたりと、かなりの傷み具合であった。
そして、良く見ると蔵全体もほんの少しだが、傾いでいるような感じがした。
その蔵のそれぞれの入り口が、通路を挟んで向かい合わせにある。
「東と西、どっちから見る?」
おやじさんが聞く。
「西国のことがたくさん書いてあったから、西側からで」
般若さんが即答する。
「おっしゃ、行くぜ」
おやじさんが扉にかけてある比較的新しい南京錠を外す。
扉を開けようと取っ手と格子に手をかけるが、ギシギシと何かが引っかかるような音がしてなかなか開かない。
「重いな畜生め。もうついでだから玄宗さん、あっちの、東の蔵も開けといてくんねえか」
そう言っておやじさんは玄宗さんに、
「重いし汚ねぇから気ぃつけてな」
という言葉と共に鍵を渡す。
歩いて数歩の東の蔵の扉の錠前を外し玄宗さんが取っ手に手をかける。
「あれっ?」
東の蔵はそれほど力を入れなくても開いた。
般若さんが懐中電灯を持って引き戸になった両方の蔵の扉を見る。
「おじさま、もう一回扉閉めて」
横で角成に支えられて見ていたかえでが言う。
「なんでだ?」
「上と下の隙間があっちの蔵と違い過ぎるの」
「あれっ? 言われてみりゃぁホントだ。下がやけに広くって、上は桟に当たってるじゃねぇか」
おやじさんは十センチほど開いた扉を一旦閉め、また開く。
さっき開いた所までは軽く開くが、またそこまでくると何かが引っかかる感じだった。
「ちょっと失礼」
般若さんが扉の隙間から中を照らす。
「ん? おやじさん、いや、おじさま、細くて丈夫なものありませんか?」
「おう、この前取り壊しの相談の時に、工務店さんが置いてった番線がそこにあったな」
そう言っておやじさんが般若さんに番線を渡す。
般若さんはそれを扉の下から壁際に突っ込み、その番線で何かを向こうに押しやる。
壁際で「ガコン」と何かが転がるような音がした。
「おじさま、これで開くと思います」
般若さんの言葉通り、蔵の引き戸は先程の半分以下の力で楽々とスライドした。
かえでが、
「みんなどいて」
と、足音もなく前に出て、般若さんから懐中電灯を借りて皆を後ろに下がらせる。
「異臭、火薬臭ナシ」
そう言いながら懐中電灯で蔵の中を照らす。
「用心深いんだな、嬢ちゃん。 ……おっと、かえでさんだったな」
そう言っておやじさんが蔵の中に入ろうとするのを、
「おじさま、ちょっと待って」
かえではおやじさんを制止する。
「今そこで光った、っていうか、反射した」
入り口の高さ三十センチのところにそっと手を伸ばすと、そこに透明な釣り糸が張ってあった。
かえでがそっと覗き込み、釣り糸の両端を見る。
片方は柱に打った釘に巻き付けてある。
だがもう片方は、防犯ブザーにつながっていた。
「古典的な鳴子の手法ですね」
かえでは糸をプツンと、歯で噛み切りブザーもついでに外し、白熱電球のスイッチを見つけその明かりをたよりに蔵の中を慎重に念入りに点検する。
「かえでちゃんすんごいワイルドやな、益々気に入った」
玄宗さんが言う。
「兄ちゃん、ちょっとすまねぇ」
おやじさんが角成に小さな声で呼ぶ。
「今お嬢ちゃんの腕が俺の腕に触れた時に思ったんだが、彼女、異常に体温が下がってねぇか?」
「おやじさんも気付きましたか。僕も実はさっき肩を貸した時に思いました」
「夕方見た時にもかなり疲れてるな、と思ったから足湯を勧めたんだが、もうこれ以上ムリさせねぇ方がいいと思うぜ?」
おやじさんが心配そうに角成に言う。
「そうですね。おやじさん、厚かましいんですけど、居間お借りしていいですか」
「居間よりその隣の部屋に柔らかいソファがあるから、そこで横にならせてやんな」
「はい、ありがとうございます」
そう言って角成はかえでに休息を提案する。
「私は大丈夫。加津佐のためにも一刻も早く呪いの解除方法を」
「だめだ、かえでちゃん。今かえでちゃんが無理したら取り返しのつかないことにもなりかねない。だからお願い。あっちで休んで待ってて」
角成の言葉にかえでは、
「 ……はい、……わかりました」
と、素直に従う。
「ただし!」
「なっ、何?」
「婿殿のピンチには、再度駆けつけますんでご安心を」
「うん、お願いする。心強いよ。だからしっかり休んでて。約束」
角成はかえでに左手の小指を差し出す。
この時かえでと角成は同時に同じことを、フラッシュバックのように思い出した。
*
隼神様を授けるために、幼いかえでと角成が一緒に暮した時のこと。
かえでは幼い頃から、人並みはずれた集中力を持っていた。
その持ち前の集中力と共に、大人の言うことを良く聞き、そしてそれが納得できることであれば、必ず守り抜く一途さ、も持っていた。
それらがうまく噛み合ったので、幼いながらに成し遂げることができたのだった。
そしてそれは、子供とはいえ大きな達成感、満足感を得ることができた。
だが呪い云々、神様云々は幼いかえでには現実感のない話。
かえでにとってのこの時の現実は、隼神さまが無事授かり、角成が喜んでくれたことや、角成が何か成功するたび、その都度『エライ』や『スゴイ』と褒めてくれたこと。
角成と一緒にいることが本当に楽しかった、ただそれだけだった。
だからどんなにキツい修行や儀式よりも、すべてが終わり角成と一緒に居られなくなることを悟った時が、かえでにとって最もツラい瞬間であった。
そして別れの時、
「角成クンありがとう。角成クンがピンチの時には今度は私が、何があっても絶対に助けに行く」そう言った
「うん、ありがとう」
角成とかえでは固い指切りげんまんをした。
*
かえでは涙を流す。
「婿殿本当はね、腕の…………、腕の痛みが強くなってきてん。出来たら急いで」
珍しくかえでが弱音を吐く。
「任せて、かえでちゃん」
角成が優しく頷き、何も言わずかえでを抱き上げて連れて行った。
「玄ちゃん、かっくん今日一日でここまで成長したんやね」
「なんか、男の子から男性になった感じやな」
「私、なんか、……すごく悔しい感じがする」
「大事な弟、取られたね」
「彼女、かえでちゃんのことは破魔子さんから聞いてたから、ある程度の想像はしてたけど、あんなに素直でかわいい子やったとは」
「それよか俺らの仕事仕事っ。急ぐで、時間ない」
「うん、それじゃぁ玄ちゃん、東の蔵にトラップないか確かめて」
玄宗さんはおやじさんと東の蔵の内部に異常がないか確かめに、般若さんは西の蔵で弓弦斎の手紙に書かれたことの確認に急ぐ。
角成に連れられてかえではソファで横になる。
ソファの背もたれに掛けてあった毛布にくるまると、すぐにかえでは眠ってしまった。
角成が大神様の犬歯から作られた牙笛を、かえでの自由が利かない右手首に葛葉おばあちゃんの髪で編まれた紐をぐるぐると巻き、そして手のひらに本体である牙の部分をお守りとして握らせた。
(大神様、僕なりに頑張るから、必死に頑張ってみるから。 ……だから見てて)
かえでが眠るのを確認した角成は、決意も新たに眼光鋭く立ち上がった。
般若さんは西の蔵の白熱電灯の下、眉間に知的な皺を寄せながら弓弦斎の手紙を見ている。
つぎ茂吉様と会ひしとき
これぞ自らの最後の良きさだめ
それがまがふことなきものなら
西国を馬上にて共に巡りしおもひで終生忘れまひと
未だ異国から聞こへるよな面白おかしきこともなき
それなりでしかなひ人生ゆへ後ろ振り返へらせていただいた
その時こそ茂吉様と赤きぶだう酒いただきたし
般若さんは『西国の馬上』を『西の蔵』と考えた。
その西の蔵に『想い出終生忘れまいと』とは『忘れてはならないもの=大切なもの』と仮定し、この場合キメラの秘術の呪物、呪いの解除用の品が西の蔵にあると解釈した。
そして『面白おかしきこと』はそのまま『面白おかしき=趣のある白いお面』ではないかと蔵に入るとそう思った。
それは、この蔵の四方の壁にはお面が掛けてあったからだ。
それは西国の、現在の岡山から広島を中心に、広くにわたって伝わる備中神楽のお面であった。
四つの壁に四つのお面。
西側の壁を見るとホコリの跡がわずかにズレており、その下にある木箱を見ると、真新しい靴跡がついていた。
般若さんがその木箱に乗ってお面を外してみる。
そのお面だけ他の三方向の壁に掛かる福々しいお面とは違い、鼻が長く顎や頬、それに眉にも長い毛を生やしており、それはどう見ても美白に成功した天狗であった。
その豊かな表情のお面の内側を見ると、長年のホコリが積もりに積もっている。
お面は斜め下を見下ろす様に壁に掛けられていたので、鼻の内側辺りは最もホコリが積もっている箇所のはずである。
なのにそこだけ全くホコリのないところがある。
静太はこのお面の、ここで発見したのであろう。
般若さんは念のため東・南・北、残り三方向の壁に掛かるお面も確かめた。
だが残念なことに、残りのお面からはホコリ以外何も見つからなかった。
「アカン、遅かったぁ…………」
般若さんの落胆が涙声になり、こぼれ落ちる。
どうやら静太はここ、西側の蔵の西の壁にかかる白い天狗のお面から、木彫りのふくろうと呪物一切を持ち去ったようである。
「般若っちどうよ? なんか見つけた?」
「うん、残骸っぽいもんやったらね」
覇気のない言葉と、気だるげな仕草で箱に付いた靴跡を指して言う。
「静太の靴だ、これ。 ……これつうことはアレか、うちのバカ息子があんたらが探してるもんを持ってるのか?」
「そうみたいですね……」
「おっと、電話だ……」
おやじさんが蔵から出る。
「かあちゃんが病院で手続き終わったから、あんたらのお仲間のお姉さんの洗濯物持って帰るから、迎えに来いって。ちょっくら迎えに行って、そのついでにうちのバカ息子探し出して引っ張って来る。だからすまねぇが、この蔵ん中勝手にひっくり返しといてくれねぇか? どれを壊しても、何が無くなっても絶対に文句は言わねぇし、それよか欲しいもんがあったら何でも持ってってくれ、あげっから。だからあとはそっちで頼んだぜ」
おやじさんはそう言って玄宗さんに、あずき色の風呂敷を預けて蔵から出て行く。
その時玄宗さんが、般若さんが持つお面に気付く。
「あれっ? それ猿田彦の命様のお面やろ、何で白いん? 普通真っ赤やろ?」
「そうなの? 私そのへんさっぱりで」
「俺、子供の頃岡山におったやんか。その時に何回かお神楽見て、ちょこっとだけ知ってんねんけど……」
「玄宗さん、だったらそれってひょっとして!」
角成が蔵に入って来て言った。
「かっくん、かえでちゃんに付いてなくて大丈夫なんか?」
「大神様に全権委任しましたから、あとは僕ができることを懸命にやるだけです。般若さん、弓弦斎さんの手紙の『面白きこと』のあたりに何て書いてありました?」
「うん、ちょっと待って。……未だ異国で聞くよな面白おかしきこともなき……」
「それって、お面が白いことがおかしいこと、ではないって読み取れませんか?」
「なんか、もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対、みたいなややこしさやな」
「玄ちゃん、忙しいからちょっと自重して」
般若さんが軽くたしなめて続ける。
「そうなんやけど、でもこの場合、お面が白い=おかしなことじゃない、っていう意味よね」
「猿田彦の命様は赤ですよね」
角成がごそごそポケットを探りながら玄宗さんに問う。
「うん、赤い」
「だったらそこにあった呪物とかは偽物、ひっかけですよ。異国で聞く=キメラの秘術って外国の呪いですよね。だから、キメラの呪物は白いはずがないお面のところにはない、そうなりませんか?」
「フェイント? フェイクか! だったら、本物はどこ?」
三人が手紙を覗き込む。
「あっ、これっ!」
一番先に反応したのは玄宗さんだった。
「未だ異国で、いまだいこく、……東にかかってるだいこく様、大国主の命様や!」
玄宗さんが般若さんの手から懐中電灯を取り、東の壁の柱にかかる大国主の命様のお面のところに別の木箱を置き、お面とその周辺を念入りに確かめる。
「 ……ごめん、何もなかった」
玄宗さんが木箱から降りて言った。
「じゃ、手紙の次の部分にはなんて書いてありますか?」
角成が般若さんに聞く。
「えっと『それなりでしかなひ人生ゆへ後ろ振り返へらせていただいた、その時こそ茂吉様と赤きぶだう酒いただきたし』」
「それって、犬が西向きゃ尾は東? 東の蔵?」
「玄ちゃん、私その説に乗った。それなりの物しか西の蔵にないから振り返るんよ、東に」
「なるほど! さすが玄宗さん」
「さっき確認しに東の蔵に行った時、壁にお面掛かってた?」
「ごめん、全然見てない」
「じゃ行きましょう」
角成を先頭に、数メートル離れた所に立つ蔵へと三人が急ぐ。
蔵の開いた扉から三人が入る。
東の蔵は西の蔵よりも更に老朽化が激しく、壁の崩れが内側にもそこかしこに見られた。
三人が入って真っ先に見たのは、それぞれの方角の壁の中心の柱だった。
西の蔵と同様に四方向とも、お面が飾ってあった。
「東が大国主の命様、西が猿田彦の命様、南が足名槌の命様、北が手名槌の命様、……やと思う、あんまし自信ないけど。ということは、西の蔵と東西南北全く同んなじお面やな」
「玄ちゃん、その神様たちのこと何か知ってる?」
「ごめん、ほとんど知らん」
「僕はお面の裏に何か隠してないか確かめてみます」
角成が頑丈そうな木箱を西の壁際に持って行き、お面の裏側を確かめる。
「何もないですね」
角成はそうやって四方向のお面の裏側を全て調べる。
だが何も見つからなかった。
「くそっ、くそっ、くそぉぉっ!」
珍しく角成が感情的になり激しく毒づく。
「般若っち、ちょっと懐中電灯貸して」
玄宗さんが東の壁の柱のところに行き、西の壁を見上げる。
「この辺かな、 ……ん? 釘に提灯かかってる……」
玄宗さんが提灯を手に取り、そっと広げると、丸に八の字が書かれていた。
「玄宗さんどうしたんですか?」
「俺お神楽好きやったんやけど、実は猿田彦の命様の話くらいしか知らんねん。確か猿田彦の命様って道案内役しはった神様やねん。だから、その鼻が指すのはちょうどこのあたりかな、と思ってここ見たら不自然な釘に、提灯かかって……、あれっ?」
玄宗さんが釘の周りを触って興奮気味に叫ぶ。
「なんかある! この釘のところ、なんかある!」
「どうしたんですか? 何か見つけたんですか玄宗さんっ!」
角成と般若さんが駆け寄る。
「ここの木目見てみ、ここ」
玄宗さんは柱のホコリやくすみをゴシゴシこすって落としながら二人に言う。
「ここだけ木を丸くはめ込んである」
「ホントだ!」
「うわホンマ! 玄ちゃんエライ!」
「切り取ろか、ここ?」
「大丈夫ですか? この柱の下の方、かなり腐ってますよ?」
「そっか、この蔵って上に行くほど微妙にしぼんでるっていうから、構造上この柱のここ切ったら、間違いなく内側に倒壊するわ」
般若さんが蔵の中を眺めながら残念そうに言った。
「ちょっと待って下さい、その釘、玄宗さんが普通に釘って言ったから僕は丸い釘と勝手に思ったけど、その釘って断面が四角ですよね」
「うん、昔の釘って手造りやからだいたいこんな、額縁掛けみたいな形やで」
「その釘、回せませんか? これ回して外せませんか?」
「それひょっとして「ぶだう酒の栓」! かっくん天才! やってみよ!」
「よっしゃ、ほんならかっくんはこの提灯持ってて。俺は若菜っちの車の工具から、プライヤ持ってくるわ」
そう言って玄宗さんが扉に向かって、一歩踏み出した時であった。
扉が勝手に閉まる。
そして、ガチリ、と頑丈な錠前が閉まる音がした。
「おいおい、太ったちゃ~ん、これ以上のおいたはキミのためにならんよぉ~」
玄宗さんが閉じた扉に向かって言った。
「長野さ~ん、この蔵ね、取り壊すんですよ」
静太が半笑いの不快な話し方で言う。
「知ってるよ~ん」
「本来なら来週か再来週か、そのあたりらしいんですけど、変更になりました」
「まさか……、おいおい」
「そうです、今です」
「そうかわかった。けどな、かっくんと般若っちは関係ない。だから二人は外に出せ」
玄宗さんが上のほうにある窓を見上げる。
だが蔵の中にある物を積み上げてもそこまでは届きそうにない。
その時、玄宗さんのスマホが鳴る。
「玄宗さん申し訳ねぇ。病院の帰りに宗教関係のヤツらんとこに行って来たんだが、静太のヤツそいつらと何かあったらしくって、もうそこにはいなかった」
「静太さんなら今蔵の外ですよ」
「おいっ! それってまさか、玄宗さんらを閉じ込めたんじゃねぇだろうな!」
「ピンポ~ン」
玄宗さんがおやじさんに心配をかけまいと軽い調子で言った。
その時、蔵の中の明かりが消えて真っ暗闇になる。
「玄宗さん何してるんですか? 警察にでも電話してるんですか」
優位に立つ静太が調子付いた口調で言う。
「お望みなら警察でもFBIでも、どこにでも通報したるぞ、米軍以外やったらな。どこかリクエストあるか?」
「どうぞお好きな所に。そうしたら事情聴取でたくさんの時間が浪費されて。あの呪われた女の子は助からないでしょうね」
「んっ……」
玄宗さんが絶句する。
「僕のところに大いなる力を集めるには、どうしても犠牲が必要なんですよ。わかるでしょ、玄宗さんもこの業界の人間なら」
「どういうことや? 俺にはさっぱりわからん」
「ニブイ人だなぁ。昔から人身御供とかいけにえとかあったじゃないですか。あれですよ」
「そんなこと言うてない。俺は、誰かを殺してまで手に入れたい力、っていう意味のことを言うとんねん」
「いやだなぁ、長野さん。誰も殺しませんよ」
静太はフンと一つ鼻を鳴らし、
「だって殺さなくっても、待ってたらもうすぐ死ぬじゃないですか。呪いの力で」
そう言った。
その時静太のスマホが鳴る。
おやじさんからだった。
「今若い兄ちゃんから電話あったが、おいてめぇ、何やってるかわかってんだろうな」
「おやじ、今不法侵入者を生け捕りにしたんで、警察に電話してこの人達には事情聴取受けてもらうことにしたから」
「ちょっと待て、そんなことしたらかえでってお嬢さんが、 ……てめぇ、まさか時間稼ぎ」
「ごめんおやじ、気が変わった」
「おい、お前今朝取り壊す前に蔵の中整理するって言ってたけど、まさかなんか細工でもしたんじゃねぇだろうな」
「おやじ、くさびって知ってる?」
「くさびがどうした」
「この蔵の柱、全部の内側にⅤ時の切り目入れてね、そこにくさび打ち込んだんだ」
「なんだとこのヤロー」
「俺は一本ずつ安全確認しながら入れたから大丈夫だったけど、一斉に全部抜いたらどうなるかな?」
「やめろ馬鹿ヤロー! 四方の壁が内側に、馬鹿ヤローテメェそんな事したらおいっ!」
おやじさんは怒りで絶叫した。
「それと、ちょっと時間遅いけど今から取り壊すわ、このオンボロい蔵。テレビでやってるみたいなインプロージョンには程遠いけど、内側にドサドサーッって破壊できたら結構壮観かもね」
「まて、このバカヤロー。てめぇそこまでして犯罪者になりてぇか」
「大丈夫、俺は絶対に捕まらないから。それと、絶対に、大いなる力を手に入れてやる」
そう言って静太は電話を切り、足元にあるロープを手に取った。
「おやじ、これを引くだけで俺は一気にレベルアップだ」
そう言ってロープを手にしっかりと巻きつけ、
「残念だったね、長野 玄宗さん」
そう言って、ぐっ、とロープを握り直す。
第三章 第二節 葡萄酒 終
第三章 迷彩収集
第三節 馬鹿も刃物も
に続きます。




