第四章 約束の場所 第二節 直感的思考(が常に正しいとは限らない)
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⁅やっぱし、ふくろうの神様帰って二人に戻ると、とたんにキツなったね⁆
そう言った大神様の前足を見た隼神様が、
{あらアナタ怪我なさったの?} 少し驚いて言った。
[おっと見つかっちゃった、これ? さっきあの糞ったれにはね飛ばされた時に、踏ん張ったら、ネイルが割れちゃったっぽい]
大神様の左右の前足の爪が数本ささくれ、そこに血がにじんでいる。
{じゃ、少しだけアナタの爪、いただけますかしら?}
[どうぞ、なんぼでも]
{じゃ失礼して}
そう言って隼神様はくちばしで爪の端を、ピッと引きちぎる。
[いだだだだだ……]
{あらごめんなさい。足の組織とかちょっと付いてますけど、これくらいが丁度いいかしら}
[ちょうどええって、何によ?]
{あっちが鳥と魚を合わせたモノなら、こっちは鳥とオオカミを合わせて対抗してやろうかと思いまして}
[そういうことか。それ成功したら痛い思いしたかいがある、っちゅうもんやね。がんばってよ]
{あら? 私の羽根は二本ありますから、もう一回痛がっていただかないといけませんわ}
[あらら、だったら急いでもう一回痛がらしてください。糞ったれが、また近付いて来た]
{私しつこいお方は苦手でしたが、本日をもって嫌いに昇格させました}
そう言って隼神様は先程梵字を書いた風切り羽根を出し、軸の先端部分に慎重に大神様の爪を刺す。
{おそれいります、ちょっと失礼}
隼神様はそう言って爪の根元のまだ乾かぬ血を自らの爪でそっと取り、大神様の爪を刺した部分へ接着剤のように血を塗る。
{これじゃ弱いわね。ちょっと失礼}
隼神様は大神様の前に回り、髭を一本抜く。
[痛ったぁぁぁぁぁ! なにしてくれてんよ!]
{せっかくのアナタの爪が抜けるとアレでしょ? だからきっちり糸を巻いて止めませんと}
[だったら先に言うて、覚悟せんと痛いやんか]
{はいはい、ごめんなさいごめんなさい}
[全く謝るつもりないみたい……、おっと、そんなこと言うてる場合ちゃうみたいやね]
{えぇ、かなり近いようですわねぇ}
[よっしゃ、私が引きつけてどっか行くから、その間にこっちの武装強化しといてくださいな?]
{どうしても私を後ろに下げておきたいようですのね}
[久しぶりに会ったんやから、一緒に元気に帰りたいやん。だから早く、もう一本爪と髭抜いて]
{わかりました、私は今塗ったアナタの血をフーフーして乾かしておきますから。もう一本の方も血は後でしか塗れませんので、早めにお帰りになって下さいな}
[は~い、行ってきま~す]
急いでもう片方の足の爪とさっきとは反対側の髭を抜いてもらった大神様は、向かって来る闇の気配が自らに向くよう、少し動きを大きくしながら走った。
しばらく走り大神様が振り向くと、キメラは見える所まで来ている。
キメラのスピードは明らかに落ちている。
これがふくろうの神様が言っていた、救う助けの成果なのだろうか。
[ここまで引き離したら充分やろ]
大神様が動きを止めて振り返る。
キメラは大神様の予想に反してかなり近くにいた。
しかも大きめのうろこが二枚飛んできている。
大神様は一枚に噛みついたが、もう一枚は反射的に避けてしまった。
[しもたっ!]
咄嗟に後を追うが、避けた一枚は暗闇に消えてしまった。
次も二枚飛んでくる。
今度はタイミングを測り二枚同時にキャッチする。
キメラは今までよりも執拗な攻撃を繰り返す。
しかも学習し、二枚三枚と複数枚のうろこを飛ばしてきたり、一回で防げないようタイミングを微妙にずらしたりと、攻撃のパターンを少しずつ変えてきた。
それにより、飛んできたうろこが暗闇に消える枚数が増える。
大神様は苦々しく逃したうろこの軌跡を見つめる。
それはかえでにダメージが行くことを意味する。
[糞ったれぇ。こらぁ埒あかんわ。直接行くしかないかぁ]
大神様がうろこの飛来攻撃に斜め前に突進するかたちでキメラ本体に突っ込んでいく。
キメラが翼を大きく振るより早く、大神様はキメラの翼の付け根をうろこごと噛み砕く。
カウンター攻撃を警戒し、大神様が翼を強く蹴って飛び退く。
キメラは翼の付け根からボトボトと血を流す。
着地して返す刀でもう片方の翼の付け根を狙い、大神様が飛んだ。
その瞬間、世界が『ぐらり』と揺れた。
[えっ、うそっ?]
大神様は噛みつくことをやめ、翼を蹴りキメラから離れる。
キメラは大神様に攻撃も追跡もせずじっと痛みに耐えている。
[おいおい、ちょっと待ってよぉ。これってかえで……]
キメラはかえでと共に生まれ、かえでの成長に合わせて自らも成長し、本来ならば十二年でかえでの命を奪うという特性を持っていた。
それを大神様の力によりキメラを退治するため、もしくは活動をさせないようにという目的で隼神様はかえでに授けられた。
それはまるで、悪性腫瘍の細胞が、自分自身の細胞が変化したものであり、ある一定の大きさを超えると増殖速度の加速が見られたり、ゆくゆくは正常細胞どころか、本体そのものの生存を脅かす、そのことに似ていた。
そしてそれは、キメラとかえでを完全に分離した状態にしないと、攻撃はかえでのダメージになることを意味する。
キメラはかえでの一部分であった。
それに対処するために隼神様を授けようとしたのは、角成の祖母であり前の大神様のパートナーである汐ノ宮 葛葉、破魔子さん、である。
隼神様により自己免疫がアップすれば根治もありうる、と考えてのことであった。
しかしキメラはかえでの魂の奥深くに根をからめた存在である。
この場合遺伝子治療的なことを行わねば効果が薄い、ということに破魔子さんが気付いたのは、隼神様をかえでに授けた、あとであった。
そして、根治方法を常に調査し続けた。
最も効果的なのは呪いの解除、それは最初からわかっていた。
だがそれを行うためには、欠落事項が多過ぎる。
キメラは干支一回りで確実に人を殺す力を持つ、怪物である。
その相手に間違ったことをすれば、何がどうなるのか予想すらできない。
現に静太が勘違いして自分にキメラの力を向けようとした、はずなのに、力の方向は静太にではなくキメラに向かい、結果としてキメラをパワーアップさせてしまった。
それほどまでに厄介な存在であることを角成の祖母、破魔子さんは、感覚的に察知していた。
これは余談だが、静太はキメラの力を自分に向けている自覚として『強い倦怠感』があった。
それを静太は、
『負の存在だから、その力が自分に向くと、多少は何かの副作用副反応があっても不思議ではない』と思っていた。
実際エネルギーの流れは逆で、静太は吸い取られていたためのエネルギー不足による『身体のだるさ・重さ』であった。
その破魔子さんが、誰にも言わずひそかに行ったことが一つあった。
大神様の力で、キメラの力の方向を自分自身に向ける。
それは最後の手段、物理的な力を、細胞が異常増殖する力を、自分の物理的なもの、肉体だけに向けることにより、キメラの成長を抑え、かえでのダメージを最小限にとどめる、ということであった。
それは自分自身の身体の免疫力や抗酸化作用の問題でもあり、それが弱ってしまったり、または、キメラの力が予想よりも大きい場合は……。
破魔子さんが『残りの力の大半を使う』と表現をしたのは『自らの生命エネルギーを使い果たすまで』ということを隠してのことだった。
それは幼い角成と共に、仲良く遊び微笑み合うかえでの姿を見た時、笑顔で静かに決意し、受け入れた『苦』であった。
「自分の寿命を削ってでも幼い命、その子の将来を守りたい」
その気持ちが全てだった。
だが、生命に危機が及ぶ可能性のある自己犠牲、それはプロとして絶対に選んではならない選択肢である。
万一誰かを犠牲にして助かったとしても、助かった者は手ばなしに喜べない。
破魔子さん、汐ノ宮 葛葉はそのことを重々承知していた。
だからこの事、キメラの力の方向を自分に向けるということは、誰にも話さなかった。
そして、当然のことながら大神様は、その事を反対しながら手伝った立場だった。
承知も納得も、一切した訳ではない。
汐ノ宮 葛葉の体調が悪くなるにつれ、体内や魂の内側に強くなるキメラの臭い。
キメラ本体が汐ノ宮 葛葉の内側にいれば手の打ちようがあったが、マイナスの力だけをどこかから吸収するかたちだと、大神様にはどうしようもなかった。
そしてキメラの力が体中に拡がり、その時が来る。
いよいよという時、
「私にキメラの力ぁこじゃんと移したこと、誰にも言わんでよ……」やっと、大神様に言葉で伝えた。
そして、
「お願いねアナタ」それが、汐ノ宮 葛葉としての、大神様への最後の言葉であった。
その後も、拝み屋としての本名である『破魔子さん』として玄宗邸に留まり、大神様と共に過ごした。
その玄宗邸での十年ほどの年月の中で、一度も二人はその件について話さなかった。
玄宗邸での角成とのお別れの前に『やり残したことがある』や『もうあまり力が残っていない』と言っていたのは、死して尚、キメラの力を自分に向け続けていた事で、かえでを守り続けていたからだった。
本来ならば、角成への業務引継ぎのために、次か次々の満月までは玄宗邸に居るはずだった。
だが、キメラのパワーアップが思いのほか強く、実体化していることも難しくなり始めたため、バトンタッチを急ぎ行った。
そのため、破魔子さんから孫の角成に、詳しい話は何も伝えることもできなかった。
だが、大神様は角成にキメラのことは、伝えなくてよかった、と思っている。
角成のことだから、かえでの不安を和らげるために、祖母の汐ノ宮 葛葉同様、彼女が望む望まないにかかわらず、自らに呪いのエネルギーが来るようにしただろうから。
大神様は目を閉じ考える。
ここに来てから、それは常に頭の隅にあった、
だがそれを拒否し続けた。
汐ノ宮 葛葉は、独り黙って彼女なりにキメラに立ち向かい、そして自らですべてを受け入れた。
だが今回は、般若と玄宗と若菜、それに猫たちまでも力を貸してくれている。
それに現パートナーである角成は未開発とは言え、底知れぬ力を持つ人間、と大神様はみている。
[破魔子さ~ん、ついこの間までやったけど、一緒にペア組んでた時、……楽しかったぁ]
出血がおさまるとキメラが反撃のために、大神様の正面に向く。
[その破魔子さんに所縁のある人たちのこのチーム、私かなり気に入ってる。それにねぇ、今回は他にも色々な人らが力貸してくれてる。すんごいうれしい。やっぱし私、群れ生活動物出身や、って、今日再認識したわ]
再びうろこが飛んで来た。
[私は自己犠牲なんて、尊いとも何とも思ってない、そんなもん糞食らえ、って思とった。だから破魔子さんの痛み苦しみが、すごく歯がゆかった。……でもねぇ、破魔子さん、いいや、葛葉さん、私もちょっとわかった。わかってしもたぁ]
真っ直ぐ五枚のうろこが飛んでくる。
[それしかないから、選んだんやよね。……あの子、かえでちゃんを守るために。……かっくんの寝顔見て、泣きながら選んだんやもんね]
大神様がうろこめがけて斜めに飛ぶ。
[だから私もしゃぁないから、踏ん張ったるわ、精一杯。葛葉さんが守りたかった、あの子の、……かえでちゃんの未来のために]
刺さる瞬間、身体を回転させて威力を弱めているので浅くしか刺さらない。
[全然痛ないわ、糞ったれ。もっと投げて来い、あほ~~~っ]
大神様が威勢良く叫ぶ。
声にこたえるように、うろこが飛んでくる。
今度は四枚のうち三枚を噛み砕き一枚が浅く刺さった。
[七十五パー破壊したらなかなかのもんやん、私ってひょっとしてエライんちゃう? スゴイんちゃう? ねぇ、……はまさん]
柏原邸から車で移動中に、親父さんから玄宗さんに、上高地での一件を話してくれた。
*
それは、静太が必死にアプローチして、やっと女の子をキャンプへ誘うのに成功したときの話である。
キャンプといってもたったの一泊、静太はそこで、
「ワイルドさと出来る男をアピールすれば……」と考え、準備万端気力満タンで当日を迎える。
上高地では昼間特別な何かをした訳ではない。
普段喧騒の中で暮す彼女に、美しい景色を見てもらう。
ただそれだけで心洗われたような感じになり、二人の距離は急接近。
それは静太の入念な事前調査と下見、という最大限の努力からの期待。
そしてキャンプ場に着いてもテントの設営から夕食の準備までを手早く整え、ここまでは出来る男として、静太自身の自己評価『百点満点中千二百点』くらい完璧だった。
しかし、
「さぁ乾杯」というところで静太が忘れ物に気付く。
「あのバカ、ワインのコルク抜き忘れやがったんだ」
「コルク抜きって、アーミーナイフや十徳ナイフならもれなく付いてる、あのぐるぐる渦巻きっすか」
「それそれ、そうなんだ。あのバカはカッコ付けてそういう便利なナイフ持って行かずに、折りたたみナイフ一本でワイルドさを強調したかったらしいんだ」
せっかくここまで順調だった静太は、焦りから少しばかり苛立つ。
そこに単車が一台来て停まり、
「隣にお邪魔していいですか?」と言った、のが玄宗さんであった。
「は~いどぉぞぉ~」
「うっせぇよ、バカ。どっか行けよ」
彼女と静太は同時に言ったそうである。
「はいはい思い出した、あの時ね。あの人息子さんやったんかぁ。暗くてよう見えへんかったからな。……で、俺なんかしたかなぁ……」
玄宗さんは必死に思い出そうと、まるで頭の中の記憶を、そこにかき集めるかのように眉根を寄せる。
「お邪魔そうですね、少し離れた所でテント設営しますんで」
玄宗さんはそう言って単車を押す。
「あのぉ。すいません、ワイン飲みたいんですけどぉ、コルク抜き忘れちゃってぇ」
彼女が単車を押して離れていく玄宗さんの背中に声をかける。
「そうなんですか、大変ですね」
単車を駐めた玄宗さんがヘルメットを脱いで近くに来る。
携帯用コンロとランタンの明かりで静太が玄宗さんだと認識し、思わず舌打ちした。
彼女は、
「どうしたの?」と、静太に聞くが、
「別に」と、素っ気なく答える。
だが、静太の腹の中では、キャバクラでの嫌な記憶が蘇る。
(またコイツかぁ~、勘弁してくれよぉ)
普通被害を受けたと思っている者は、状況や被害を与えた人物を忘れない。
だが、被害を与えていたことに気がつかない者は、平然としていた。
静太と玄宗さんは、今もこの時もそういう関係であった。
そしてその時、玄宗さんは男性が静太であることすら気付かないまま、
「お二人ともお酒は強いほうですか?」と聞いた。
完全に無視を決めた静太とは正反対に、
「はい、お酒大好きです」彼女がそう元気に答えた。
「そう、それは良かった。じゃ、飲み切りでいいですね。ボトルを拝借」
その言葉を聞いた彼女が、静太からボトルを強引に奪い取るようにして玄宗さんに渡す。
静太は嫌~な予感を、必死に無視しながら見ている。
「では失礼」
ボトルを受け取った玄宗さんがそう言って、コルクを指でゆっくりとボトルの中に押し込んだ。
「おっとっと、もったいない」
押し込んだ勢いでワインが少しこぼれたのを手の甲で受けて、玄宗さんがそれを舐める。
「ふくよかな香りのいいワインですね、これは。じゃ、失礼します」
そう言ってコルクを抜かずに力ずくで押し込んだボトルを受け取った彼女が、ボトルと玄宗さんを交互に見つめ、そしてポ~ッとした表情になる。
玄宗さんはそのことに全く気付かず、単車に戻り押して行く。
そして静太が彼女の表情をチラリと見た時に、嫌な予感が的中したことを知る。
その後は、何を彼女に話しかけてもうわの空の返事しか帰って来ないため、その日饒舌だった静太も急速に勢いを失う。
静かな食事が終わった。
あまりワインもすすまなかった。
「まだだいぶ残ってるね」
静太がそう言った時、
「じゃ、手伝ってもらいましょうか」そう言って彼女が立ち上がり闇に消える。
静太の嫌な予感は、より嫌なものへと進化する。
「呼んで来ちゃった」
彼女は、玄宗さんの手を引っぱって連れて来た。
しかも彼女は、その日見せた中で一番良い笑顔を静太に向けた。
ものすごく嫌な予感は、ドスッという音と共に静太の心のド真ん中に命中し、最悪の現実として襲いかかってきた。
超酒豪である玄宗さんが、すぐにワインを飲み干すと、
「なんか他にないの?」と、彼女が静太に少しぞんざいに、まるですぐにお酒が出てこないことが落ち度のような言い方をした。
しかし玄宗さんは腰を上げ、
「いえいえ、俺はお邪魔っすから」と言ったが、
「いいのよ」この彼女の一言に、静太がキレる。
「よくねぇよ、絶対によくねぇよ。なんでコイツに酒おごらなきゃいけねぇの? 冗談じゃねぇよ、っったく」
静太がそう言うと、
「 ……ちっさ」彼女がボソリと言った。
男にとってこういう一言をこのタイミングで言われる時、大声で言われれば、なんとか笑い飛ばすこともできる。
だが小声で言われると、完全に取り付く島どころか、流木一本すらない。
静太は今までの努力が全て水の泡になり、その泡の大海原でなんの浮力もない中、溺れないよう必死の思いで、もがきあがいて持ちこたえようとする
だが彼女の表情から、何を言おうが無意味だということを悟る。
何もかもが面倒になった静太が、バッグからそこそこ高級なワインを、
「ほらよ」と乱暴に取り出し、その勢いでボトルの首をテーブルに当てて割ってしまう。
「うわっ、もったいない。ちょと待っとって」
玄宗さんはダッシュで自分の荷物のところまで行き、またダッシュで戻ってきた。
「お兄さん大丈夫、ケガしてない?」
そう聞き、静太の返事を待たず、
「それとこのワインね、ガラスの破片が入ってると危ないから、残りをこうやってコーヒーのフィルターで漉したら飲めるよ」と言って、紙コップの上にコーヒーフィルターを乗せた。
「すごい! 私感動~。ワイルドな人ってステキ~」
玄宗さんが女性から誉められたり、ステキと言われるのは、子供の頃から慣れている。
だからこの時も全く気にとめなかった。
だが静太には、この女性に対して行った『全て』が無に帰した瞬間だったため、この一言は忘れようにも忘れられない言葉になった。
そして玄宗さんは、ほとんど一人で高級ワインを漉して飲んでしまう。
その間も彼女は玄宗さんの方を向いたままで、しかも、
「全部飲んで帰りの荷物軽くしてくれたんだから、ワイルドさんにお礼言いなよ」とまで言った。
そして玄宗さんが自分のテントに戻ると、
「私屋外で寝るの初めてで怖いから、外で見張っててくれない?」と言った。
静太は首の皮一枚残したギリギリのところで耐えて、嫌々ながらもそれを承諾し、テントの近くまで車を移動し、運転席に座ったまま毛布にくるまって朝を迎えることになった。
寒さで眠れなかったが夜明け頃になり疲労からうとうとしていると、彼女がテントから這い出す物音で目を覚ます。
車から降りた静太の横で、彼女は折りたたみテーブルを指す。
そこにはコーヒー豆のパッケージを重石に、ペーパーフィルターにメモ書きしたものが置いてあった。
『お酒ごちそうさま。
先を急ぎますので、
お声がけせず、これを置いて行きます。
目が覚めたらどうぞ」
これを読んだ彼女は、
「やっぱカッコいい人は何をやってもサマになるね」そう言った。
この言葉で静太は完全に壊れる。
その直後、雄叫びを上げながらコーヒー豆をあたりにブチ撒く男と、自分の荷物だけ持って呆れ顔で立ち去る女がいた。
角成は般若さんと相談し場所を決めた。
末広湯から車で十分かからないところにある、児童公園に隣接するグランドに到着し、 角成はかえでを支え、黙って先頭を歩く。
玄宗さんは知っている限りの真言を唱えながら、呪物を入れたおかみさんの小豆色の風呂敷包みと一斗缶を持ってついて行く。
おやじさんが般若さんの資料と毛布を持ち、般若さんの指示で静太は公園の水飲み場へ、水タンクに水を汲みに行く。
そして般若さんは合掌するおかみさんの背後を歩きながら、玄宗さんの真言に合わせておかみさんの背中に向けて空間に梵字を書く。
角成がグランド南側のフェンスの手前数メートルのところにある、立派なくぬぎの木の根本で立ち止まる。
「ここです」
角成がかえでを支えながら振り向き、皆に向かって言う。
般若さんがポータブルGPSで確認する。
「ここやね、かっくん」
「……おい、ここは例の寺の跡だけど、本当にここでいいのか?」
水タンクをどすんと置いて静太が言う。
「そうです」
「お前わかってるのか? ここは準備に使われた場所、要するに呪物を仕込んだ所であって、儀式を行った場所じゃねぇんだぞ?」
静太が純粋な心配顔で言う。
「わかってます、ここでいいんです。儀式の場所がわからないなら、僕がここから辿ってみます」
角成が力強く言う。
「おい、河内だったなお前の名前」
「はい」
「河内にできるの? そんなウルトラC。やったことあんの?」
「ありません、……今、やってみます」
「お前そんなオッズの高い賭け……、それよか、いくつか候補あるんだから、そこに近くから順番に行けば……」
「それが良いのかも知れませんが、その時間が今は惜しいんです。でも、ここは間違いのない場所、だったら……」
「お前っ、……でもその真剣な眼はふざけてるんじゃなさそうだし、なんか手があるのか?」
「僕だけではなく、白い猫さんの力を借りれば……」
角成が自信なく笑うような表情は微塵もなく、しかも語気強く言った。
おやじさんが、
「じゃ、まだ荷ほどきしなくていいのか?」そう言い、護摩木代わりの割りばしや、さらしの入ったビニール袋を指す。
「おやじさん、もう少し待ってください。儀式の場所がわかるまで……」
角成が唇を引き締める。
「かっくん心配せんでええぞ。ここにおる人間で、ここまで強力な呪いを解除したヤツは誰もおらん……、よね? あのぉ、なんていう名前やったっけ? 末広湯の息子さん」
玄宗さんが静太の方を見て言った。
「あんたもないのか?」
静太が意地になって自分の名前を言わず、しかも玄宗さんの名前を呼ばずに聞く。
「ここまで強力な呪いはまだないですよ、ふくろう息子さん、略してふく息子さん」
「玄ちゃん、その呼び方ってなんか、恵比寿様の境内で笹売ってて、全然売れへん男の子みたいで嫌やわ」
般若さんがそう言った。
「ちょっと待てよ。寒空に笹を売ってるのに全然売れない、マッチ売りの少女的な想像しちゃったじゃねぇか、チクショーっ」
静太が苦笑する。
「でもふく息子さんの体型なら、目の周り真っ黒に塗ったら笹食いそうやから、売れるんちゃう? それなりに……、どうにもならんか?」
玄宗さんのこの言葉に皆が少し笑った。
だが一人全く笑わない男がいた。
「時間がないんですぐに始めます」
角成のこの言葉に皆が緊張する。
「かえでちゃん疲れた? ここにちょっと座ろうか」
角成がそう言って土の上にそっと膝をつき、かえでを支えて座らせようとする。
「おう兄ちゃんほれ、ここにかえでさんを、なっ」
おやじさんが毛布を敷く。
「おじさまごめんね、手間ばっかりかけさせて」
その言葉におやじさんが、
「なぁ、かえでさん、あんたもうこれ以上謝んなくってもいいよ。それよかかえでさんがみんなに言わなきゃなんねぇのは『ごめん』という謝罪の言葉じゃなくって『ありがとう』っていう感謝の言葉だと思うぞ? こんな時に、小うるせぇことを、ごめんな」優しくそう言った。
「でも私、呪いを解くためにこんなにみんなに迷惑かけて……。 …………それに見た目もこんなだから、みんなに気を遣わせてそれが迷惑かな、って、これはずっと思って……」
角成は両手で優しくかえでの顔を挟み、
「あれでしょ? ほら、かえでちゃんは元気になってから、言おうと思ってるんでしょ? 感謝の言葉」
そう言いながら、愛おしそうに青いうろこのような首の皮膚をそっと撫でた。
その皮膚の周りにある血管が異様に盛り上がり、強く激しく脈打ちかなり熱を持っている事に角成が気付く。
「かえでちゃん、ひょとしてかなり痛い?」
「婿殿が撫でてくれたから、だいぶましになった。それよりも、これ、あずかって……」
かえでが顔をゆがませながら、誤魔化すように服の中に手を入れ、首から下げたお守り袋を出す。
「このお守りね、袋はお母さんが作ってくれたの」
それはアサガオのような白い花と緑の蔓、の模様の生地で作られている。
「それで、中に入ってるのが…………」
かえでが左手だけで器用に紐をゆるめ、角成の手のひらにお守り袋の中に入っている物をころりと出す。
「この小さな木彫りの、……かえでの葉と、それとこの小さな将棋の駒もおじいちゃんが作ってくれたの」
そう言ってかえでは、角成の手のひらの上の、何も書かれていない小さな将棋の駒を裏返す。
そこには一文字『馬』と彫られていた。
「おじいちゃんが、婿殿といつも一緒にいられるようにって、ね」
角成は、葛葉おばあちゃんが言っていた、自分の名前の由来を思い出す。
「あなたのおじいさん、源蔵さんがね『王や玉やとトップにならんでもええ。その人らのために働ける馬になった方が人生何かとオモロいからな。わしも角が裏返った馬止まりで、しかも、へぼ将棋 王より角を かわいがり、そのまんまの人生やからな』っていう言葉から取ったんよ、角成っていう名前」
うっすらと微笑んだ角成の心の中に、大神様から声が掛かる。
「大神様だ、かえでちゃん、ちょっとだけ待ってね」
[かっくん、よ~く聞いて]
(はい、大神様)
[ ……かえではもう限界近い。ここからはかっくんが何とかして……]
(大神様、……わかりました)
[かえでの中で、何代も前から巣くうキメラに対して、私らはほんの数年前に来た新参者。言わば私らにはアウェイ戦、めちゃめちゃ不利で、今私らもうフラフラボロボロなんよ]
(えっ? そんなに……。あっ、大神様ひょっとすると)
[うん、そう。私、もう腹くくっちゃった 。もしかえでが、……かえでちゃんが、助からんって判断した時には、私らがキメラの首根っこくわえて、……地獄まで連れて行く]
(そっ……)
角成が言葉を探す。
[言うとくけど、一回地獄までキメラ連れて行って、またこっち戻って来るって、無理やからね。コイツ雑魚とかモブとちゃうから、私らが地獄で眼ぇ光らせとかんと、何をどうするかも予想がつかん。だからキメラ監視が私らのその後の仕事になる。……かえでと加津佐の『魂』を救う手段、……私らには今のところ、この方法、道連れ以外持ち合わせてない。……でも、それ以外の、キメラだけ地獄送りにできる方法、二人の命救うための手がかり見つけ出すんは、キミっ、河内 角成。だからおねがい、私、……キミらともっと一緒におりたい]
大神様の声音が、いつになく優しかった。
角成が、じっと目を閉じる。
「大神様、僕必ずやるから。かえでちゃんも大神様も必ず絶対助けるから」
角成が声に出して言った。
[は~い、お願いね。私っていう保険は、最悪の事態の後にしか発動せん事忘れんといてね。よしっ、角成っ! 思う通りやれぇぇぇっ!]
角成が黙ったまま力強くうなずく。
「かえでちゃん、小刀貸してくれる?」
かえでが隠していた小刀を角成に渡す。
「ありがとう、ちゃんと返すからね」
かえでは黙ってうなずく。
角成に一つのことが浮かび、かえでに
「じゃぁちょっとだけ待っててね。僕がもう一度、潜ってみるから」と言った、
その言葉でかえでは、痛みのためかうれしさからか涙目になる。
角成がかえでの耳に自分の唇をそっと近付け、そしてごく小さな声で言う。
「僕の本当の名前のことなんだけど……」
そこまで言うとかえでが静かにうなずきながら、
「婿殿が頬ずりしてくれたから痛みが消えちゃった……、婿殿、……私、愛してる……」
少しうわずった、震える声で言って涙を流し、
……かえでが、がくりと脱力し気を失った。
末広湯のおかみさんが察知してかえでに駆け寄る。
「体温がだいぶ下がってるわね、首のあざ、……なにこの熱さ。脈も呼吸もまだかろうじて力強いわね。でも ……私としては現時点での病院搬送を強引にでも勧めたいところだけど…………。いいわ、婿殿。あなたの力、私に見せて驚かせてちょうだい」
「おかみさん、ありがとうございます」
「ただし!」
おかみさんの言葉に角成は姿勢を正す。
「私の判断でこのお嬢さんが危ないと思ったら、勝手に救急車呼ぶわよ。いいわね?」
「はい、その時は、ナースストップする時は、よろしくお願いします」
おかみさんは角成を見つめ、
「あなた今から何をするか知らないけど、自分のパートナーを自力で守る、助ける。オトナになりたきゃ死ぬ気で、彼女の魂の緒をしっかり握ってあなたも元気に帰って来なさい。あなた達の朝日は自力で昇らせるのよ、いい? これはあたしからの命令よ」と言った。
「はい、約束します」
おかみさんは優しい笑顔で、
「お風呂沸かしとくから、早く帰ってらっしゃい」そう言って、角成の肩に優しく左手を乗せたあと、そこに落ちていた大きなクヌギの実を角成の手の平に乗せた。
角成が、
「はいっ!」と力強く返事をした。
木彫りのもみじと片面にだけ「馬」と彫られた小さな将棋の駒と、大きなくぬぎの実を、お守り袋に入れる。
角成の左手とかえでの右手の指を組み合わせ、二人の手でお守り袋をしっかり握る。
そして角成はかえでを後ろからしっかり抱きしめる。
「婿殿、そのお守り袋の絵柄何かわかる?」
おかみさんが聞く。
「アサガオですか?」
「似ているけど、それは私、ヒルガオだと思うの」
「そうなんですか」
「うん、今は忙しそうだから、あとで、ね」
「わかりました、あとで。般若さん、白いニャンコいますか?」
「今そっち連れて行く」
ケージを置いた般若さんの腕をつかみ、公園の隅にある石碑と五輪塔のところへ角成が連れて行く。
「僕が目覚めない時は、本当の名前なんですけど、…………です」
誰にも聞こえないよう声を顰めた。
「えっ、うそっ! 破魔子さんが……、それって、そうなん?」
「僕も今日すごく驚きました。名前、覚えてもらえましたか?」
「忘れる訳ないやんか、安心して」
角成がかえでのところに戻る。
角成は頷き、かえでの頬に自分の頬を付けかえでと呼吸を合わせる。
二人の呼吸が合った時、
「オンコロコロセンダリ マトゥギソワカ……」角成の口から自然に真言が出る。
「かえでちゃん、もしもどこか痛かったら、この言葉を唱えるんよ」
葛葉おばあちゃんが、昔かえでに言った言葉である。
二度、三度と唱えるとまた昔の事を思い出す。
「それでどうしても困った時、その時はお地蔵様、地蔵菩薩様のお力も借りたらええきにね」
そう言って二人で教わった真言。
「……オンカァカァカ ビ サンマエイ ソワカ」
角成がかえでの呼気に合わせ、静かに唱える。
三度目で意識のないかえでの口が真言に合わせて動く。
それを見て玄宗さんが般若さんに頷きかけ、般若さんが二人の横でケージの扉を開く。
五度目の時、かえでがごく小さな声で唱和するように角成の真言に合わせる。
そして七度目の真言を二人が唱え終えた瞬間、白い猫が角成とかえでの間に入り、そっと目を閉じる。
その瞬間、
角成の意識が途絶え、後ろから般若さんが、二人を抱きかかえるように支えた。
第四章 第二節 直感的思考(が常に正しいとは限らない) 終
第四章 約束の場所
第三節 間合い
に続きます。




