第7話 叫びの代償
その頃、美希は不安そうに暗い廊下を見ていた。
金塊があったという倉田の呼ぶ声に、大声で叫びながら走って行った金城。
2階の壁に書かれてあった手記は、やはり誰かの悪戯だったのだろうか。
――獣に見つかりそうになっても、決して叫んではならない。獣は叫んだ者の元へ姿を現す。声を殺し、沈黙せよ。それだけが唯一の方法である――
「みんなめっちゃ叫んでるじゃん」
美希には不満が鬱積していた。せっかくの肝試しも熊岡たちの登場でぶち壊しである。それに金塊?
何があったか知らないが、賢治はなぜ熊岡を呼んだのか。有佳子を連れてどこへ消えたのか。
そんな状況を考えると、今一番叫びたいのは美希自身なのであった。ただそれをしなかったのはただ一つ、熊岡たちの存在があったからだ。
美希は大きなため息をついた。
「マサル……大丈夫かな……」
美希がそう呟きながら前を見ていると、通路の向こうから赤い着物の女が現れた。裸足で音も立てず、静かにこちらへ来ている。
美希はギョッとした。なぜならその女の頭は牛だったからである。
「ちょっと佐々木さん、あれ見て!」
「あ?」
佐々木は顔を上げて美希が指差す方を見たが、何の反応もない。月山はスマホを弄っていて、美希の声は届いていない。
美希はその場で硬直した。
「まさか見えてないの?」
「はあ? おちょくってんのか?」
すると突然、熊岡が美希の腕を掴んだ。美希は思わず身を固くする。
「ちょっと、何をするんですか!」
「おい、お前、ちょっとこっちへ来い!」
熊岡はそう言うと、嫌がる美希を引きずって、奥の部屋の扉を開けた。美希は身の危険を感じて叫びたくなったが、背後には牛女がいるのだ。美希は悲鳴を飲み込んだ。
「嫌ッ、そういうの! ちょっと! あっ!……」
熊岡が、部屋の中へ美希を放り込む。ドンと突き押されて、美希は床へ倒れこんだ。
「くうううんっ!」
美希の目に涙が浮かぶ。
(マサル!)
何度も叫びそうになった。
(獣とは、あの牛女のことだったのだわ!)
美希は口を両手で押さえたまま、声にならない悲鳴を上げた。全身が震えている。涙が頬を伝った。
その様子を他の幹部2人はニヤニヤと笑いながらスマホをいじっている。
「兄貴も好きですねえ」
「勝手に入ってくるんじゃねえぞ」
熊岡は2人をひと睨みすると、そのまま扉を閉じた。
部屋に入った熊岡は、振り返って美希を睨んだ。そして懐中電灯を床へ投げ捨てると、美希へと躍りかかった。
「キャア!」
「逃げんなよ! オイっ!!」
熊岡が美希の服を掴むが、その薄い上着はビリリと裂けて、美希は背中から床へ転げ落ちた。
「ひいぃ……」
「ジッとしてろ!」
「大声ださないでよ! あいつが来るじゃない!」
「ははは! あいつってマサルのことか! 来るもんか!」
美希は声を殺したまま、部屋の中を逃げ回った。幸いなことに、部屋の中は広かった。美希は必死で逃げ回った。
「ハハハ、狩をしてるみてえだ!」
美希の眉間に皺が寄る。美希は叫びたかった。大声でマサルの名前を呼びたかった。だが美希は唇を固く引き結んで、堪え続けた。
狭い部屋で美希が逃げ回ってい時、熊岡の背後に牛女が立っているのを見た。美希は熊岡の背後を指差す。
「ああっ! 後ろ!」
美希は小声で熊岡の背後を指差す。
「え!何だ?」
「後ろよ! 後ろ!」
熊岡は不審に思って後ろを振り返った。そして周囲を見渡す。だが、熊岡の目には何も映らなかった。熊岡は振り返って大声で叫んだ。
「何の冗談だ、このアマ!」
熊岡は向き直って美希を睨みつける。美希は恐ろし気な顔で壁に背中を付けた。
「あなた、何も見えてないのね?」
美希は怯えているが、熊岡には何も見えない。だが、部屋全体を包み込む、強烈な冷気に熊岡は振り返った。
部屋がぼんやりと明るくなる。ここへきて初めて熊岡は顔を青くしていた。
「おい! 何が見えるっていうんだ!」
「ああ! ああ! もう手遅れよお」
「手遅れって何だよ、オイ! ちょ、待てよ、何が見えてるんだ、お前!」
熊岡は大声を上げている。
美希は見えていた。熊岡の背後に、赤い着物を着た牛女の姿を……そして彼女は手に斧を握っていた。
「牛女よ!」
美希が小声でそう言った瞬間、牛女は斧を振りかぶって、熊岡の首をズパーッっと吹き飛ばした。
「ぎゃああ!」
熊岡の絶叫とともに、血が噴出する。
棒が倒れるように、どさりと床に倒れる熊岡。床一面に血が吹き出して真っ黒になった。
美希は顔を真っ赤にしながら、悲鳴をこらえた。
「何が起きたんじゃ、コラ!」
熊岡の悲鳴を聞いた佐々木と月山が大声を上げながら部屋へ入ってきた。ドアがバンと開かれると、足元に血が広がっている。
月山は顔を上げて美希を睨みつけた。
「て、てめえ!」
「違うの……私じゃない……ああ! あなた後ろ! 後ろよ! もう嫌!」
月山が振り返ると、赤い着物を着た牛女が斧を振りかぶっているのが、月山は見えた。
「ひぃやああああ!」
月山が頭をバッと下げると、その斧は隣でボーッと立っていた佐々木の眉間へと突き刺さって、頭蓋骨を美希の足元まで吹き飛ばした。
それを見た美希は、袖口を歯で噛みながら、ムーッと唸った。
(あーーもう嫌っ! マサルーっ!)
美希は恐怖を堪えながら、眉を八の字に寄せた。
「おおお、助けてくれ!」
月山は部屋を飛び出すと、何が何だか分からないが、階段を駆け上がり始めた。
「ひいい何が起きているんだ!」
月山が階段から1階のエントランスに出た時、目の前には斧を持った女が立っていた。月山はその姿を見ながら硬直した。
その女は有佳子だった。
月山は有佳子を睨みつけた。
「ど、どけ! ぶん殴るぞ!」
すると有佳子はフンと鼻を鳴らした。
「悪事を働き世を乱す極悪人ども……」
有佳子が月山をキッと睨むと、その顔が急に歪みはじめた。顔がぼこぼこと波打ち、段々と鼻面が肥大してくる。
月山の顔が、恐怖に硬直する。その姿を見て、有佳子が笑った。
「ぎやあああああ!」
「ハハハハハハ!」
口が前へせり出して行く。そして前歯が前へ突き出し、首がグングンと太く、長く伸びる。長い髪が、馬の鬣のように風に揺れた。
「ああ……馬女だ!」
月山が振り返って階段の下を見ると、牛女が階段を上がって来ている。
月山は恐怖に震えながら向き直って馬女を見た。
するとその馬女は、ゆっくりと斧を構える。
「まもなく地獄の門が開く。お前たちはここから直接、地獄送りだ!」
「許してくれ! まだ死にたく……あああっ!」
月山は後退りしながら許しを乞うが、馬女はジリジリとにじり寄った。背後からは牛女も迫っている。
「お前の体からは悪事を働く者が持つ黒い霧が立ち込めている。もはや許しを乞う段階はとうに超えているわ!」
「ひいい!」
逃げようともがく月山の襟首を、牛女が掴んで押し上げる。月山は抵抗しようとするが、猛烈な力に抵抗できない。
「あああっ!やめて!やめて!お願い……お願いしま……あーっ!」
窓から差し込む月明かりが、床に馬女の馬の陰を落とした。
その陰は斧を振りあげ、そのまま下へ振り下ろす。
「ああああ!」
馬女が振り下ろした斧が、月山の額に突き刺さった。そしてそれはそのままズバーッと月山の体を切り裂いて、竹を割ったように真っ二つにした。




