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第3話:乾いた世界の絶対安全圏

【前回までの同期(第2話)】

夜のネットの裏側で、アカウント名『Nix』として圧倒的なプレイスキルでレンをハメ続けたトウヤ。

完璧な女の声音から最後はいつもの地声での『チェックメイト』を執行し、レンの精神を完全崩壊させる。

しかし、その絶叫と同時にPCモニターが激しく点滅し、トウヤは漆黒の幾何学模様に呑み込まれていく――。

第3話をお読みいただきありがとうございます。

丸腰のトウヤが手にした「意外な武器」でのハメ技をお楽しみください!

「・・・っ」


目を開けた瞬間、脳を突き刺したのは液晶モニターのブルーライトではなかった。


網膜を物理的に焼きにくる、苛烈(かれつ)な太陽光だ。


突き抜けるような青空に、ギラギラと輝く二つの不自然な太陽。


(光源が二つ。均等な放射熱から逆算すれば、現在の地表温度は最低でも52度を超えている)


足元に広がるのは、地平線の彼方まで延々と続く、黄金の砂、砂、砂。


ボロアパートの自室から一瞬にして、生命の存在を一切許さない、完全なる渇きの世界へと反転していた。


「・・・なるほど。空間転移か」


トウヤは、パニックにすらならなかった。


中学時代の壮絶ないじめの地獄を生き抜いた彼の脳は、非常事態において逆に温度を下げる機能を持っている。


ネット小説の知識はある。


だが、お決まりの「女神の白い部屋」もなければ、「チートスキルの選択画面」もない。


ただ、圧倒的に合理的な『死の危機』だけがそこに転がっていた。


じりじりと、肌を焦がすような熱波が襲いかかる。


家でネトゲをしていた時のままの、『NIX』の無地の黒パーカー。


熱の吸収効率としては最悪だ。


水分は、ゼロ。


(引きこもり上がりの貧弱な肉体だ。この熱量で水分補給がなければ、脱水症状で脳細胞が機能停止するまで、残り180分が限界値か)


素足に履いたスリッパの隙間から、灼熱の砂が容赦なく皮膚を焼く。


(女神だのチートだの、現実逃避のくだらない脳内妄想に(すが)っている暇はない)


(あと数時間で脱水症状によって細胞が死ぬ)


(水分、日陰、生存確率。それ以外はすべてノイズだ)


トウヤは深くフードを被り、少しでも遮光(しゃこう)できる遠くの岩場を目指して、よろめきながら歩き出した。


引きこもり上がりの肉体には、砂漠の一歩一歩が鉛のように重い。


シュル、と背後の砂が不自然に()ぜたのは、その時だった。


黄金の波を割って姿を現したのは、トウヤの身長を遥かに超える、巨大な甲殻を持った多足の魔物――『砂漠の捕食者』だった。


目のない頭部が、不気味な触角を激しく(うごめ)かせ、新入りの獲物であるトウヤの方向をロックオンする。


あまりの巨体と、突進の風圧。


トウヤの足がもつれた。


灼熱の砂床に、無様に倒れ込む。


目の前には、自分を両断せんと迫る魔物の鋭利な顎。


戦うための武器もなければ、魔法の使い方も知らない。


絶体絶命。リアルな『死』の輪郭が、目の前に迫る。


その瞬間、トウヤの脳裏に、中学時代のあの放課後の教室が激しくフラッシュバックした。


(いつもそうだ・・・。世界はいつも、僕を理不尽(りふじん)に殺そうとする)


(目立ったら、殺される。僕が何かをしたっていうんだ)


理不尽な世界のノイズに対する、激しい拒絶。


生存への執着のその先にある、極限の「消失欲求」が、心の底から爆発した。


(だったら――自分なんかいなくなればいいのに!!)


ガチリ、と世界の歯車が噛み合う不快な音がした。


突如として、視界が激しく反転する。


魔物の顎が喉元(のどもと)に刺さる寸前で、世界の時間がピタリと停止した。


砂の舞う音も、太陽の刺すような熱波も一瞬で消え去った。


世界からすべての『色』が失われ、完全なモノクロの静止空間へと切り替わる。


その静寂(せいじゃく)の底で、トウヤの脳内に、無機質なシステムコードが直接刻み込まれた。


『個体名:トウヤ Code:自己隠蔽(いんぺい)・無欲の極致を観測』


『――固有スキル【隠密(おんみつ)】を付与します』


それは、自分の存在コード(熱量、気配、ステータス)を【完全な0】へと固定する、念じ方のロジックだった。


18年間、世界から隠れて生き延びてきた彼の魂そのものが、この世界のシステムに承認された瞬間だった。


直後、モノクロの世界が弾け、時間が再び激しく動き出す。


トウヤは、反射的に脳内で「念じた」。


自身の存在数値を、全て『0』へ。


『・・・!??』


顎を突き立てようとしていた巨大な魔物が、砂を巻き上げて不自然に急停止した。


今さっきまで目の前にいた「巨大な獲物」が、因果律を無視して一瞬で完全消滅したという仕様の欠陥に対応しきれず、魔物は完全にフリーズしていた。


敵の敵対心(ヘイト)が、文字通り完全に『0』にリセットされたのだ。


目の前で混乱し、完全に動きを止めた魔物。


その隙を見て、トウヤの数理脳が覚醒する。


(なるほど・・・。念じるだけでヘイトが完全に切れる)


(なら――この世界の仕様の隙を突いて、一方的にハメ殺せる)


トウヤは無言のまま立ち上がり、迷いなく自身のズボンの腰元に手を伸ばした。


引き抜いたのは、一本の黒い革ベルト。


学校の校則で指定されていたから、ただ義務として、何の愛着もなく巻いていただけの頑丈なベルトだ。


規則という名の一方的な記号。


そんなものは、世界の底であるここには、最初から必要のないゴミに等しい。


なくても全く問題はなかった。


トウヤはベルトの端を右手にきつく巻きつけ、先端にある重厚な金属製のバックルをだらりとぶら下げた。


音もなく、魔物の完璧な『死角』へと滑り込む。


隠密状態からの、ノーダメージの「引き狩り」。


ヒュン、と空気を切り裂く鋭い音が響いた。


遠心力を乗せて完璧な角度で振り抜かれたベルトのバックルが、弾丸のような速度で魔物の最も柔らかい『触角の付け根』へと正確に炸裂する。


ベキィッ!!


『――ッ! ーーー!!』


激痛に発狂した魔物が、巨体を反転させて周囲を蹂躙(じゅうりん)しようとするが、トウヤは即座に脳内で念じる。


自身の存在数値が再び『0』になり、魔物はまたしても虚空(こくう)を見つめて完全硬直する。


攻撃を当て、隠れ、敵を見失わせて、また死角から打つ。


それだけの、淡々としたループ。


数分後。


一度の反撃すら許されず、ただ虚空を殴り続けて発狂した魔物が、どさりと砂の上に崩れ落ち、二度と動かなくなった。


(――戦闘終了、盤面の固定を検知)


トウヤの数理脳が、冷たくエネミーの完全な『死』を認識した、まさにその瞬間だった。


「・・・ッ、がはっ、あ、」


世界がモノクロから急激に、色を取り戻した刹那(せつな)


トウヤの肉体を、言葉にできない絶望的な拒絶反応が襲った。


バチバチと脳内の神経が焼き切れるような衝撃と共に、存在を『0』に保っていた反動(等価交換)が、一瞬で牙を剥いて心臓を締め上げる。


呼吸が、できない。


自身の生命力そのものを燃料として強制燃焼させていた肉体は、モードが解けた瞬間、


全能力値が文字通り『1割』の極限へと爆下がりする衰弱デバフが執行される。


視界が急速に狭まり、激しい耳鳴りが頭蓋骨を殴りつける。


立っていることすらできず、トウヤは砂床に膝から崩れ落ち、そのまま横倒しに引っ繰り返った。


(ハメ技が完璧であればあるほど・・・戦闘が解けた後のデバフが、重すぎる)


(生命維持のコードすら、消えかけている・・・)


全身の毛穴から冷や汗が噴き出し、心臓の鼓動が、1分間に数回という停止寸前の領域まで遅くなっていく。


命を刈り取った直後だというのに、トウヤは息を吸う権利すら奪われ、砂の上で白目を剥きかけたまま、動けなくなった。


「・・・これで・・・生存確率が、4%・・・上がっ・・・」


(かす)れた喉から出た声は、熱波の風音にかき消される。


意識が昏睡の闇へと完全に沈む直前、トウヤは最後の1フレームで、薄れゆく脳細胞に『存在の0化』の予約だけを必死に刻み込んだ。


無地の黒パーカーの襟元で、誰の目にも触れない「NIX」の白いタグが、倒れたトウヤの首元で、静かに二つの太陽の光を浴びていた。



【次回予告】

命を刈り取るハメ技の代償として、全能力値が1割へと爆下がりする過酷な衰弱デバフ。

砂の上に倒れ、白目を剥きかけたトウヤの元へ、乾いた砂を踏みしめる不快な足音が近づいてくる。

意識の途絶するラスト1フレーム、トウヤが必死に刻み込んだ『隠密の予約』が、世界の因果律に不気味な空白を作り出す。次回、第4話『因果律の空白』。

お楽しみに!

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