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音は減らない


 昼休みのチャイムが、いつもより少しだけ長く尾を引いた気がした。

 余韻が消えきる前に、校内放送が入り込んでくる。

『えー、お昼の時間です』

『今日もやっていきましょうかね』

 軽い声。いつもの調子。

 それだけで、教室の空気が少し緩む。

『なんか最近、音が変じゃない?』

『急に入るね』

『いや、さっきの曲さ、終わったあとも鳴ってた気がして』

『それは余韻でしょ』

『余韻って、そんなに残るもんだっけ』

『残るよ。いい録音ほどね』

 笑いが混じる。

 そのタイミングが、妙に揃っている。

『でもさ、終わったものって、普通は消えるじゃん』

『物理的には消えてないけどね』

 軽く返される。

 会話はいつも通り流れている。

『音ってさ、結局“減ってる”だけなんだよね』

『減ってる?』

『うん。広がって、薄くなって、聞こえなくなる』

『ああ、エントロピー的な?』

『そうそう、それそれ』

『急にそれ出すんだ』

 一瞬、間が空く。

 その間だけが、やけに綺麗に揃っている。

『でもさ』

『うん』

『もし減らなかったらどうなると思う?』

 軽い調子のまま、その言葉だけが残る。

『減らない?』

『うん。ずっと残る』

『それはただのノイズじゃない?』

『いや、ノイズとも違うんだよね』

 ターンテーブルの回転が、ほんのわずかに揺れる。

 誰も触っていない。

『なんていうか、時間の中に留まる感じ』

『時間に残る音?』

『そう。消えないで、重なっていく』

『それ、聴こえたらうるさくない?』

『普通はね』

 二人が同時に笑う。

 ぴったりと揃う。

『でも、もし全部がちょっとずつズレてたら?』

『ズレてる?』

『完全に重ならないで、少しずつ位置が違う』

『それって、むしろ聴きやすくなるんじゃない?』

『でしょ』

 カチ、と音がする。

 針が、勝手にほんの少しだけ動いた。

『だからさ、音って減らないんじゃないかなって』

『増える?』

『うん。ズレながら』

 その瞬間。

 放送室の時計が、一度だけ止まる。

『……今、止まった?』

『いや?』

『気のせいか』

 秒針が動き出す。

 何事もなかったみたいに。

『じゃあ次の曲いきますか』

『どうぞ』

 針が落ちる。

 音が鳴る。

 ほんの一瞬だけ、同じ音が二重に聞こえた。

 重なっている。

 同時ではない。

 ほんのわずかに順番がずれている。

 先に鳴った音を、あとからなぞるみたいに。

 消えていない。

 ただ、位置が違う。

 朝の違和感と、放送の言葉が、同じ場所で重なる。

 音は減らない。

 ズレながら残る。

 その理解だけが、少し早く届く。

 音は、昼のざわめきに溶けていく。

 放送が終わる。

 けれど、言葉だけが残る。

 音は減らない。

 明は廊下に立っていた。

 いつの間にか、教室を出ていた。

 誰かが横を通る。

 足音がする。

 その音が、ほんの少しだけ早く聞こえた気がして、振り向くタイミングが合わない。

 ズレている。

 昨日、自分たちがやったこと。

 あの部屋で鳴らした音。

 あれは——

 消えていない。

 ただ、位置が違うだけで。

 音は減らない。

 ズレながら、残る。

 だったら。

 自分たちは、“ズレを作った”んじゃない。

 “ズレを固定した”。

 その考えが、急に形になる。

 美遊の声が重なる。

 消えないときもある。

 明は、教室の方を見る。

 教室では、笑い声が上がっていた。

 いつもの昼休み。

 いつもの光景。

 唯も笑う。

 ——遅れる。

 ほんのわずかに。

 今度は、はっきり分かった。

 自分の声が、自分のものじゃないみたいに、少し後からついてくる。

「……え?」

 小さな声が出る。

 その声も、少し遅れて聞こえた気がした。

 唯はペンを握る。

 ノートを開く。

 線を引く。

 ——二重になる。

 一瞬だけ、同じ線が二本見えた。

 すぐに戻る。

 でも、確かに見えた。

 呼吸が合わない。

 吸うタイミングと、身体が動くタイミングが、わずかにずれている。

 遅れる。

 ほんの少しだけ。

 椅子から立ち上がる。

 音が——遅れて鳴る。

 自分が動いたあとに、世界がついてくる。

 その瞬間。

 ほんの一瞬だけ。

 世界が、分離する。

「……今、ズレた」

 初めて、自分で言葉にする。

 明は、それを聞いた。

 距離はある。

 それでも、はっきりと届いた。

 唯が、初めてズレを認識した。

 その瞬間。

 教室の空気が、ほんのわずかに遅れて揺れた。


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