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最強暗殺者、聖女に詰められ短足猫になる  作者:
第5部-冥静戦争開幕、三大組織の滅亡
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深淵-2.無機質な処理と致命の代償


漆黒の細剣が空を裂き、視界を遮る濃密な魔力の霧が路地裏に立ち込める。アニルは驚異的な身のこなしで窓から躍り出た。


彼が向かう先は、石造りの建物が重なり合うようにそびえ立つ、迷路のごとき狭い路地裏だ。その先には、町の人々に愛される「おっとりとした女性」が営む、小さな孤児院が存在していた。


「どこに逃げ込む? 管理外の領域など、この大陸には存在しないというのに」


マンティの言葉は、逃げるアニルの耳元で囁かれたかのように明瞭だった。仕込み杖『エデン・シザー』の先が石畳を打つたび、マンティの身体は重力を無視した水平の加速を見せる。彼の瞳――『マンティス・アイ』は、逃亡するアニルの背中にある経絡の揺らぎを冷徹に捉え続けていた。


しかし、アニルはただ逃げ惑っているわけではなかった。すべては、大陸の天秤を操ってきた外交官の計算の内だ。彼はあえて、マンティが得意とする広域殲滅や不可視の魔糸による「網」が物理的に制限される、壁の迫る隘路へと誘い込んだのだ。


路地の突き当たり、逃げ場のない袋小路に追い詰められたふりをしてアニルが足を止める。


「ふふふ、鬼ごっこももうおしまいか。随分と見苦しい最後だな、アニル」


マンティがゆっくりと歩み寄る。その歩調は、獲物を追い詰めた捕食者のそれであり、同時に不要な枝を剪定しに行く庭師の足取りでもあった。だが、アニルが振り向いたその口元には、不気味なほどの余裕が戻っていた。


「いいえ。おしまいなのは、あなたの『無敵時間』ですよ。……全員、かかれ!」


その号令と共に、周囲の建物の屋上、そして地下の排水溝から、『冥府の羽音』の精鋭たちが音もなく飛び出した。彼らはこの死の路地裏で、アニルの信号を静かに待ち構えていたのだ。同時に、精鋭の一人が背後で通信石を起動させ、主君であるベスパへと緊急連絡を入れる。マンティの視界には、余裕の笑みを浮かべるアニルと、死を恐れぬ瞳をした暗殺者たちの姿が、無機質な数値として映り込んでいた。


「精鋭をいくら出したところで何だというのだ? 庭の広さが変わるわけではない」


マンティは感情を排した宣言と共に、仕込み杖から極薄の双鎌を展開した。指先の微細な動き一つで、周囲に「不可視の魔糸」を蜘蛛の巣のように張り巡らせていく。


しかし、アニルは自身の細剣を鋭く横一文字に振るい、その魔糸を物理的に「切断」してみせた。


「ここなら、あなたの好きな『光』は届きません。私の剣は、光をも吸収する深淵の化身ですから」


路地裏の影が、アニルの魔力に呼応して物理的な質量を持って濃さを増す。細剣と双鎌が激しく交差した。

キィィィィィィィン!!

マンティの『エデン・シザー』が、バターを切り裂くように厚い石壁を滑らかに両断していく。切断された壁は、数秒遅れて「自らが切られた」という事象に気づいたかのように、音もなく自重で崩落する。


「アニル、楽しかったぞ。お前のような毒草を刈る瞬間こそ、管理者の愉悦だ」


「ハハッ、手厳しいですね。ですが、私の舌が止まる時は、この大陸の経済と政治が完全に停止する時ですよ!」


アニルは漆黒の細剣を天に掲げた。


「味わいなさい。あなたの『庭』には決して存在し得ない、混沌という名の毒を。――得意魔術『煉獄の深淵』!」


瞬間、マンティの視界が致命的に歪んだ。

世界の色彩が瞬時に剥がれ落ち、底なしの闇がすべてを飲み込む。アニルの魔力によって生み出された数万もの「偽の殺気」と「偽の魔糸」が、全方位からマンティの五感に襲いかかる。完璧なる管理者の脳内演算に、未定義のノイズが洪水のように叩き込まれ、鉄壁の予測回路が狂いにかかる。


「どうですか、マンティ。何が真実で、どこに刃があるのか。あなたのチェス盤は、今、泥沼に沈んだ!」


アニルは闇に完全に同化し、マンティの背後――心臓を一突きにする死角から、光を呑む必殺の刺突を放った。


そこからは、常人には決して視認不可能な、超高速の斬り合いへと発展した。

一秒間に300回という、生物の限界を超越した斬撃の応酬。アニルの細剣は闇を裂き、マンティの鎌は空間そのものを削り取る。だが、その嵐のような混沌の中でも、マンティの瞳には一切の動揺がなかった。


「……言ったはずだ。私の瞳には、すべての動体が『静止画の連続』として映ると。ノイズが増えたところで、一コマずつ、確実に処理すれば済む話だ」


「目の前にいるのに気配がないだと……!?」


マンティは、自らの生体反応を完全に「消去」した。心拍、体温、魔力の揺らぎ、果ては思考の残滓さえもゼロにする。それは「自己」という概念を風景の一部、あるいは一基の彫像へと溶け込ませる、究極の隠密技。アニルの幻術が対象とする「マンティ」という個体そのものが認識から消失したことで、術式は行き場を失い、霧散した。


闇の幕が剥がれ落ちる。その刹那、マンティが密かに放っていた「本物の」魔糸が、蜘蛛の巣のようにアニルを捕らえていた。


「捉えたぞ、毒草。剪定の時間だ」

「なっ……!? いつ、これほどの密度で……!」


アニルの細剣が、かろうじてマンティの左肩を浅く切り裂いた。だが、それはマンティが致命傷を与えるためにあえて許容した、最小限の「必要経費」に過ぎない。マンティの魔糸が、アニルの四肢の自由を無慈悲に奪い、鋼の拘束具となって彼を宙に固定した。


マンティの鎌が、ついに完璧な軌道を描いて振り下ろされる。


ザシュッ――。


「ぐはぁっ......」


一寸の狂いもなく、極薄の刃がアニルの心臓を、その周辺の組織ごと断ち切った。それは武道の極み、あらゆる無駄を削ぎ落とした「一歩必殺」の動作であった。


逃げ場を失い地面に倒れたアニルへの、冷徹なまでの言葉によるとどめ。

マンティは一歩、静かに踏み出した。


「アニル、最期の忠告だ。すべては私の庭だということを忘れるな。管理できぬ者は、土に還るしかない。お前の知略も、ベスパへの忠誠も、すべては不確定要素という名の『枯れ枝』だ」


マンティは、もはや反撃の意思さえ奪われたアニルに吐き捨てる。彼の全身から闘気は霧散し、戦場は死の静寂に支配された。


「カハッ……ッ、流石、だな……。完璧……すぎて、反吐が出る……。だが、ベスパ様は……お前のような……静かな死は……選ばないぞ……。お前が踏み込んだこの場所が……誰の領域か……理解しているのか……?」


アニルの瞳から光が消え始める。

アニルは最後、外交官らしい不気味な皮肉を浮かべた。その視線の先には、町の中心にある小さな孤児院の灯りが見えていた。大陸の政治を裏で操った稀代の策士は、崩れ落ちるようにその目を永久に閉じた。


「……お前は強かった、アニル。だが、私の庭に『嘘』という雑草は不要だ」


マンティは肩から滴る血を一瞥もせず、返り血のついた服を微弱な魔術で浄化した。

マンティの怪我は軽傷。対して、アニルは心臓を切り裂かれて絶命。


路地裏には再び、不気味なほどの静寂が戻った。


『冥府の羽音』の知恵袋であり、国家間のパワーバランスを冷徹な取引で維持していた参謀アニル。彼の欠落は、ベスパの組織にとって単なる戦力ダウンではない、修復不可能な「脳の欠損」となるだろう。外交的な後ろ盾を失い、緻密に張り巡らされた利権の網が解けた組織は、これから狂った破壊の獣へと変貌し、瓦解への道を歩むことになる。


しかし、マンティの心には、勝利の昂揚感よりも「確信」があった。

(ベスパとの戦争に勝利すれば、この南の大陸はすべて私の庭となる。完璧な管理による、永遠の平和だ)


それは、管理という名の徹底した支配であった。

マンティは杖を突き、夜の闇へと消えていった。彼の歩いた後には、原子レベルで平滑に切り出された壁の残骸だけが、鏡のように月光を反射していた。


彼はまだ、気づいていない。

この路地裏のすぐそばで、自らの「管理」を真っ向から否定する、圧倒的な存在が眠っていることを。

もし、この戦いの余波が、彼女の愛する子供たちの眠りを妨げていたとしたら。

もし、崩れた壁の破片一つでも、彼女の「善意」を傷つけていたとしたら。


マンティが夢見る「完璧な管理」は、南の大陸そのものが震え上がるような「悲劇を超えた絶望」によって、根底から塗り替えられることになるだろう。


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