静寂-第8支部の激突
南の大陸の夜は、どす黒い噴煙と、遠雷のように響き続ける破壊の音に支配されていた。
その大陸のどこかの地下。
巨大組織『冥府の羽音』の本拠地。その最奥にある謁見の間は、溶岩が脈打つような赤黒い魔力光に満たされている。
玉座に深く腰掛けるのは、破壊の権化、ベスパ。
その傍らには、獄炎の王杓『デス・スティンガー』が不気味な熱気を放ちながら鎮座している。彼の前に跪くのは、組織の知恵袋である参謀アニルと、影の暗殺者ソルの二人だ。
「……月下狂牙のネズミどもが、オネブを先に仕留めたか。死体愛好家の分際で、随分と無様に掃除されたものだな。マンティが引き金を起こさせた人物が狙われるほどの悪党だったとは、あの組織も腐ったもんだな」
ベスパの低く、地響きのような声が室内に響く。その瞳には、かつて数万の命を焼き尽くした時と同じ、底知れない「放棄」の冷徹さが宿っていた。
「奴が死んだこと自体は、当然の帰結だ。そもそもこの下らない戦争に火をつけたのは、管理を気取ったあの男の独断。己の不始末で身を滅ぼすのは理にかなっている。だが……」
ベスパは王杓の柄を指先で叩いた。
「気に食わん。俺が『放棄』すると決める前に、他人の手が混じるのはな。だが、油断するな。まだ本丸の気取り屋の『庭師』が生きていおる。黒幕が死なぬ限り、この大陸のゴミは片付かん」
その言葉を受け、影の中に溶け込むように立っていたソルが、感情の欠落した声で報告を重ねる。
「ベスパ様。こちらに入っている情報によれば、こちらのビルも、先の戦いで重傷を負い戦線を離脱と伺いました。今頃、向こうの組織『静寂の捕食者』は統制を失い、大混乱に陥っています。……ただ、奇妙な報告が相次いでおりまして」
「奇妙だと? 言ってみろ、ソル」
「は。末端の兵たちが、戦場であり得ない『超常現象』を目撃したと口々に騒いでいます。……曰く、『般若に睨まれて魂が抜けた』だの、『お花にお水をあげたい衝動に駆られた』だの。到底、正気とは思えぬ出鱈目ばかりです」
ベスパは鼻で笑った。
「そういえばビルもふざけたことを言っていたが、俺たちが敵対するマンティたちも随分と惚けた連中に成り下がったのか。恐怖で部下を縛りすぎて、ついに幻覚でも見始めたか。……まぁいい、敵が自壊するのはこちらにとって好都合だ」
次に、外交担当としての顔を持つ参謀アニルが、懐から数通の親書を取り出し、恭しく一歩前へ出た。
「我々側の進捗は極めて順調です、ベスパ様。汚職まみれの政治家連中との外交関係は、私の手で完全に掌握いたしました。彼らをマンティの手から『救い出す』という体面でこちらの陣営に引き入れる。彼らが泣いて縋る利権は、すべて我が組織の血肉となるでしょう」
「フン、寄生虫どもが。管理できぬ利権など、一度燃やして灰にした方が清々するのだがな。アニル、お前の知略には一定の信頼を置いている。計画通り、連中を骨までしゃぶり尽くせ」
「御意に。公の場での立ち回りは、この私にお任せを」
ベスパは立ち上がり、背後の窓から燃える街の風景を見下ろした。その脳裏にあるのは、この大陸そのものを巨大な火葬場へと変える、究極の「掃除」の姿だ。
「……武器開発担当のドラアからも、順調だとの連絡があった。あいつの頭にあるのは破壊と火遊びだけだが、嘘はつかん男だ。新兵器の調整も最終段階に入っている。プレゼントを奴からいただくとするか」
「スラム街を捨てる……。この大陸の腐敗した秩序を、一息にプラズマへと変える、ベスパ様の至高の審判ですね」
ソルの瞳に、わずかな虚無の光が宿る。
「そうだ。守れぬ命、管理できぬ都市。それらはすべて放置されたゴミと同じだ。俺がそのすべてを焼き尽くし、跡形もなく消去してやる。それがこの世界に対する、唯一の慈悲だ」
ベスパはソルに向き直った。
「ソル。貴様はドラアの実験場へ向かい、あの計画の進捗をその目で見届けてこい。……アニル。貴様はあの議長殿との信頼関係……いや、『首輪の締め具合』を間違えるなよ。奴が余計な色気を出せば、その瞬間に都市ごと放棄する」
「承知いたしました」
「……仰せのままに」
二人の幹部が影に消える中、ベスパは再び玉座に身を投げ出した。
誰も知らない。この数日後、彼が望む「慈悲」と、運命が用意した「慈悲」が、決定的に食い違っていることなど、今の彼は知る由もなかった。
今の彼はただ、燃え盛る煉獄の炎の先に、完璧な「無」を見つめていた。
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南の大陸、峻険な岩山に穿たれた『冥府の羽音』第8支部。そこは、周囲から隔絶された巨大な兵器実験場となっていた。火山の地熱と火薬の匂いが混じり合う中、兵器開発者であるドラアは、巨大な火炎重戦斧を担ぎながら、狂気に満ちた笑みを浮かべていた。
「ソル、ちょうどいいぜ! 見てな、俺の最新作が吠える瞬間をよぉ!」
岩陰から音もなく現れたのは、葬儀屋を騙る暗殺者のソルだ。彼は葬送の鎌を背負い、冷徹な瞳でドラアが調整している巨大な魔力集束砲を眺めた。
「ドラア、その兵器の調整を間違えるなよ。……あのお方が民衆や余計な勢力に言いふらされたら、我々の積み上げてきたすべてが水の泡だ。特に、最近この界隈を嗅ぎ回っている『謎』の耳に届くことだけは避けねばならん」
ソルの言葉には、冷酷な暗殺者らしからぬ慎重さが含まれていた。彼らは、あの冷徹なる鉄のような審判の恐ろしさを本能的に察知し始めていたのだ。
「ケッ、わかってらぁ。子分たちの報告によると、現在の有効殺傷半径は3kmだ。中心地の熱量は太陽表面に届くぜ。……行くぞ、試射だ!どうせその奴らが来たとしてもこれがあるだろうが」
ドラアがレバーを引いた瞬間、大地を揺るがす轟音が響き渡った。
ドォォォォォォン!!
赤黒い光条が虚空を貫き、対岸の岩山を一瞬で蒸発させる。だが、その爆音こそが、彼らにとっての破滅の呼び鈴となった。
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「なんだ……!? なんだ今の音は!?」
支部の外壁、高圧電流の配線工事を行っていた一人の男が、作業の手を止めて飛び起きた。
『焔牙騎士』の門番にして、雷鳴の戦槌を操る義賊だった男、レイだ。
彼は今、ルンの「法的処置」という名の実質的な強制労働により、大陸のインフラ整備という過酷な奉仕活動に従事させられていた。
「おいおい、冗談じゃねえぞ! せっかくルンさんに言われたノルマを終わらせて、静かにしてようって時に……こんなデカい音立てやがって! これじゃ俺がサボって火遊びしてると思われちまうだろうが! ルンさんにバレる前に、音の主を黙らせねえと……俺の奉仕期間延長に関わる!」
レイは必死だった。
彼はティルを「親方」と慕う豪胆な男だが、ルンという存在の前では、その雷鳴の槌も震える小枝に等しい。彼は逃げるように爆心地へと駆け出した。
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「オラァ!仕事の邪魔すんじゃねぇ!」
怒髪天をついたレイがいきなり戦槌を振るい、第8支部の門を雷鳴のごとく破壊した。ペナルティを受けている最中の勝手な行動とはいえ、義賊としての彼すれば彼らの蛮行は見過ごせるものではない。
「なんだ、カチコミか!?」
レイの轟音でベスパの兵士たち阿鼻叫喚の声をあげる。
ほとんどの兵士がパニックになり、レイの殺戮オーラにすぐさま勝てないと悟ったのか、裏口から逃げ出した。
パニックから数分後。第8支部の中心部で、三人の男たちが対峙した。
レイは目の前にいる狂喜じみた2人を一瞥する。
「お前らか、住民たちをビックリさせる輩は?」
ドラアは侵入者の姿を見るなり、戦斧を構えて吠える。
「あぁん? 焔牙騎士の残党か。ちょうどいい、新型の的にしてやるよ!」
だが、ソルがそれを手で制した。
「ドラア、邪魔が入った。こいつは私が片付ける。お前は予備のデータを持って、先に第4支部へ行け。……この男、焦っているが魔力の質が尋常ではない」
レイは直感ですぐに察した。焔牙騎士の門番だった頃の経験のためか、彼は他人の裏をかこうとする。
(逃がすのか......こいつ何か裏があるな...。)
「チッ、わかったよ。ソル、後で溶岩遊びに付き合えよ!」
ドラアが裏道から離脱するのを確認し、ソルは葬送の鎌をゆっくりと構えた。
レイは怒髪天を突く勢いで雷鳴の戦槌を地面に叩きつける。
「何を考えてやがる!? あんなデカい音を立てて、やべぇ実験をやってんじゃねぇ! 俺の平和な奉仕活動を邪魔する奴は、この俺が消してやらぁ!」
「……お互いに、リーチの長い武器同士か。面倒なことだ」
ソルが影の中に溶け込み、一瞬でレイの死角へと回る。だが、レイの反射神経は音速を超える閃電のそれだ。
「そこだぁッ!」
バリバリバリッ!!
戦槌から放たれた極大の雷撃が空間を焼き、ソルの鎌を弾き飛ばす。
「……お前、地震がやかましいぞ。静寂の中にこそ救いがあるというのに」
ソルが不快そうに呟き、再び影から影へと転移する。
「そっちこそ、俺の仕事の邪魔をするんじゃねぇ! これ以上暴れて、屋根が崩れてルンさんに怒られたらどうしてくれんだ!」
「それくらい自分で責任を取ればいい......」
レイは焦燥感のままに槌を中央の地面へ深く突き立てた。
「こうなったら、中央の基部ごと破壊してやる! アジトをブッ壊して、お前らの計画もろとも埋めてやるよ!」
第8支部の内部は、ソルの影の刃によって刻まれ、レイの雷によって炭化し、崩壊寸前だった。互いに軽傷を負いながらも、一歩も引かない泥沼の戦闘が続く。
「はぁ、はぁ……しぶとい野郎だ。だが、これで終わりだ!」
レイが全魔力を槌に込めようとした、その時。
戦場に、冷ややかな、それでいて絶対的な「圧」を持った声が響いた。
「……随分と、景気のいい工事の音ですこと」
その瞬間、ソルとレイの動きが完全に止まった。
支部の入り口に立っていたのは、眼鏡を光らせ、六法全書を片手に持ったルンだった。崩壊する音を立ててしまったのか、すぐに気づかれるもの当然だ。
「なっ……ル、ルンさん!?」
レイの顔面が蒼白になる。
「なんだ、あの男が怯えるだと......?」
ソルは直感した。この女に自分たちの大きな火種の片鱗でも見られた瞬間、組織そのものが差し押さえにされると。
「……ここまでか。一般人ごときに正体がバレるわけにはいかん。撤退だ」
ソルは煙のように影へ沈み、撤退を選んだ。
「待て、逃げるな!」
レイが手を伸ばしたが、ソルの気配はすでに消えていた。
残されたのは、半壊したアジトと、激怒した表情のルン、そして冷や汗が止まらないレイだけだった。
「レイさん。……器物損壊、騒音公害、および無許可の魔力行使。……奉仕活動の内容を『大陸中のマンホールの清掃』に切り替える必要がありますね?」
「そ、そんなぁ……!」
レイは地面に膝をついた。だが、その頭にはソルの言葉がこびりついていた。
「あいつら……ただの暴力組織じゃねえ。めちゃくちゃやばい計画をしていやがるな……。ルンさんに伝えるべきか、それとも俺たちが止めるべきか……ならば今生き残っている組織に連絡を......」
南の大陸に渦巻く陰謀は、雷鳴の騎士の心に深い影を落としていた。




