報告-マンティの冷淡なる選別
数日後、南の大陸の闇に鎮座するマンティの拠点。
そこへ、『庭の警笛』オーガが「完全失踪」したという報告がもたらされた。
ベスパとの全面戦争が激化し、一刻の猶予もないこの時期。右腕とも呼べる幹部の消失は、本来ならば組織を根底から揺るがす異常事態である。
しかし、最高管理者マンティは、執務机に広げた膨大な書類から目を離すことすらしない。
「……オーガが消えたか」
その声には、部下を失った悲しみも、戦力が欠けた焦燥もなかった。ただ、計算式の途中で不要な数字を削除するような、冷え切った淡白さだけが漂っている。
「ベスパの追手ではなく、想定外のノイズに捕らわれるとは。彼の『自己管理』もその程度だったということだ。私の完璧な庭に、捕食される側の『家畜』など不要。枯れ葉が落ちるのを惜しむ趣味は私にはありませんよ」
マンティにとって、任務に失敗した駒は、もはや管理する価値のない廃棄物であった。
しかし、彼はペンを止め、わずかに視線を上げた。その怜悧な瞳の奥に、感情とは異なる「知的な火花」が宿る。
「私に庭に、ベスパの飼い犬でもない、ましてやカリスらアサシンどもでもない、ただの事故だったのか……?面白い。この戦争に計算式に代入できない変数というのは、これほどまでに不愉快で、そして好奇心をそそるものなのですね」
彼が感じていたのは、予測不可能な「不純物」に対する冷酷な興味。完璧に管理された世界に現れた、たった一つの異質な色彩。
マンティは、そのノイズの正体を「解体」し、数値化して理解したいという、歪な管理者としての本能を昂らせていた。
「ルード。次はお前の番だ」
マンティは、傍らの影に控えていた巨漢へ短く告げた。
そこには、身の丈ほどもある巨大な裁断鋏を背負った男、ルードが立っていた。かつては貴族の地位にありながら、腐敗した同族を剪定し続けてきた彼は、組織の中でも「規律」と「統率」を重んじる武闘派幹部である。
「ノイズの正体を突き止め、必要とあらば根こそぎ刈り取れ。ベスパの連中との乱戦など、単なる背景として利用すればいい。だが我々の目的はベスパを殺害する。それだけだということを忘れるな」
マンティは眼鏡の奥で、カミソリのような鋭い眼光を見せた。
「だが、まずは周辺の敵対組織を潰せ。最近、我が組織の管理下から逃れようとする裏切り者や、勝手な動きをするネズミが出たと聞く。私の庭に、規律を乱す余計な枝は一本たりとも残さない」
「……御意。この鋏で、余計な枝葉をすべて整理してまいりましょう。主殿の望む『完璧な庭』のために」
ルードは慇懃に、かつ誇り高く一礼した。
エルバやオネブのような狂信的な冷酷さとは異なり、ルードには武人としての、あるいは義賊的な矜持がある。しかし、マンティという絶対的な管理者への忠誠は揺るがない。彼にとって、マンティの命令に従うことこそが、この混迷する大陸における唯一の「正義」であった。
ルードの巨躯が、音もなく闇へと消えていく。その鋏が鳴らす「シャキン」という金属音は、これから始まる無慈悲な市街戦の序曲でもあった。
マンティは再び椅子に深く腰掛け、通信用の魔導具へと手を伸ばす。
「さて……。星の動きを見るのが得意な彼なら、このノイズの正体が見えているでしょうか。ネールに連絡を入れるとしましょう」
マンティの視線の先には、南の大陸の夜空が広がっている。
そこでは、戦火を象徴する赤い星と、不気味なほどの静寂を湛えた青い星が、不吉な交差を見せようとしていた。
一方、ルードが「整理」に向かったその街の境界線。
そこには、かつての盟友であるルウやライを案じながらも、静かに主であるアイリスを守るために、月光を浴びて爪を研ぐ猫たちの影があった。
激突の刻は、もうすぐそこまで迫っていた。
その日、マンティはネールに通信石で連絡を入れていた。
「ネール。状況はいかがかな。オーガが行方不明になった。ですが、後方部隊であるあなたはわかっている。この戦争でミスすることは我々の死活問題だ」
「ごもっともですとも。私の観測によると、ベスパは恐ろしい計画を早める予定でしょうな。大規模すぎる略奪の兆候が迫ってきていると推測できる」
「その結論は信用に値するかどうかはわからんが、私もそろそろ動く準備をするとしよう」
ついに巨悪のボスが裏工作を始めた。彼にとっては庭の静寂を求めるだけの作業に過ぎない。
これがのちに水色の髪の女のさらなる逆鱗に触れる要因を作るきっかけになるということを、まだ本人は気づいていない。




