表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最強暗殺者、聖女に詰められ短足猫になる  作者:
第5部-冥静戦争開幕、三大組織の滅亡
74/153

激突-2.絶望のティータイム

 

 貯水施設を包囲する大気は、もはや熱核爆発の直前のようなプレッシャーに満ちていた。


『煉獄の剛腕』ビルは、もはや「音」を聴くことを放棄していた。オーガの高周波によって鼓膜はズタズタに裂け、三半規管は破壊され、視界は泥のように二重にブレている。平衡感覚を失った肉体は、立っていることさえ奇跡に近い。だが、彼を突き動かしているのは、脳の深淵に直接刻まれた「破壊」という名の生存本能だけだった。


(庭師の犬が……! 小細工で俺の命を、俺の野心を摘み取れると思うなよ!)


 ビルの内側で、煉獄の炎が逆流する。本来、外へと放たれるべき爆破の魔力を、彼はあえて自らの血管内に走らせた。痛覚を焼き切り、強制的に肉体を再起動させる。それは寿命を数年単位で削り取る禁忌のブーストだった。

「庭師の小細工ごと、お前を粉砕してやるッ!!」


 血反吐を吐きながら、ビルは残された全魔力を右拳の一点に凝縮した。それはもはや格闘技の粋を超えた、超高密度の物理的重圧の塊。野生の勘だけを頼りに放たれたそのストレートは、大気を断熱圧縮し、真空の道を作りながらオーガへと肉薄する。


 オーガは咄嗟に、肌身離さず持っていた銀の笛を盾として構えた。高周波のバリアを何重にも展開したが、ビルの拳が触れた瞬間、笛は悲鳴のような金属音を上げてひしゃげた。衝撃波はバリアを紙細工のように貫通し、オーガの胸板を直撃する。


「が、はっ……!?」


 肋骨が数本砕ける嫌な音が周囲に響き渡り、オーガの身体は制御を失った木の葉のように、後方へと吹き飛ばされた。


 地面を数十メートルも転がり、瓦礫の山に突っ込んだオーガだったが、彼は空中で無理やり魔力の奔流を制御し、姿勢を立て直した。


 口の端から鮮血を流し、純白の制服は泥と血に汚れている。だが、その瞳に宿っているのは、激情ではなく凍てつくような「処刑」の意思だった。彼は手元で無惨にひしゃげた愛用の笛を、ゴミを捨てるかのように放り出した。


「……野蛮な男だ。美学も、静寂も、主への献身も理解できぬ獣には、直接神経を焼き切る刑罰が相応しい」


 笛という増幅器を失っても、オーガそのものが「音」の化身であった。彼は細長い指先を、複雑な印を組むように絡め合わせる。彼が指先で空間の振動を直接操作すると、ビルの周囲の空気が、分子レベルで振動する高周波の「檻」と化した。


「あ、が……あああぁぁぁッ!!」


 ビルの強靭な筋肉が、内側から、細胞単位で痙攣を始める。皮膚の下で血管が次々と破裂し、どす黒い内出血が全身に広がっていく。筋肉の密度が高すぎるがゆえに、音波の共鳴による破壊力は倍増していた。


 両者、もはや立っているのが不思議なほどの満身創痍。しかし、ビルは溢れ出す血を飲み込み、喉を潰さんばかりに雄叫びを上げた。


「俺は……俺は裏社会の頂点に立つ男だぁぁあああ!! ベスパの野郎すら超えて、この世のすべてを俺の拳の下に跪かせてやるんだよぉッ!!」


 それは執念であった。南の大陸の支配者であるベスパという巨大な壁すらも、いつかは踏み台にせんとする、どす黒い野心。その野望が、死に体のビルの肉体を無理やり駆動させ、オーガの音波の檻を力ずくで押し広げていく。


 オーガは指先を血に染めながら振動を加速させ、ビルは自らの命をまきとして最後の一撃を放とうと、残りの魔力を右拳に全集中させた。

 二人の怪物による相打ち。どちらかが、あるいは両者が、肉片となって消滅する――誰もがそう確信した、その瞬間だった。


 戦場を支配していた焦熱、そして神経を削り取るような不快な振動が、あたかも「ビデオのテープを巻き戻された」かのように、唐突に、そして完璧に霧散した。


「……あらあら。随分と大きな音が聞こえると思ったら。お庭の掃除中ですか?」


 聞き覚えのない、しかし抗いようのない「圧倒的な慈愛」を含んだ声。


「誰だ。なぜ兵士でもない一般人が戦場に立っている?貴様も死にたくなければこの聖戦を忘れることだ...」


 オーガが問う。彼やビルなどの猛者たちからすれば戦場に武器を持たぬ一般人が普通に立っていられることそのものが異常以外何物でもない。

 このようなことは超常現象が起きたとしてもあり得なかったはずだ。


 そのとき、ルピナが穏やかな表情で言葉を発する。


「お庭を散らかす悪い子はどこのどなた?」


 地獄のような惨状に似つかわしくない、穏やかで涼しげなその声に、二人は弾かれたように動きを止めた。いや、止められたのだ。


 崩れ落ちた貯水タンクの頂上。瓦礫の山の頂に、お気に入りの日傘を優雅に差し、白いレースの手袋をはめた女性――ルピナが、にこやかに立っていた。

 彼女の周囲だけは、戦火のすすさえ届かない別世界の庭園のように、清らかな風が吹き、どこからか花の香りが漂ってくる。


 ビルもオーガも、絶句した。

 彼女が手にした小さなジョウロから水が零れ落ちると、戦場に充満していた殺意の剣気は、一瞬にして「雨上がりの虹」へと変質し、無害な光となって散っていった。


「な……んだ、あの女は……?」


 ビルは、拳を振り上げた姿勢のまま金縛りにあったように硬直した。

 オーガもまた、指先の振動が霧のように消えていくのを呆然と見ていた。

 444人リストに名を連ね、勇者すら凌駕すると自負していた二人の怪物は、本能の最深部で理解してしまった。

 目の前に立っているのは、自分たちが戦ってきた「強者」の延長線上にいる存在ではない。この女性の微笑みの背後には、想像を絶する広大な「虚無」と、逆らえば因果ごと消去されるという絶対的な世界の法則が横たわっている。


 ルピナの微笑み。それは「ルピナス」の花言葉そのもの。

「空想」と「いつも幸せ」。

 彼女が微笑むたび、二人が積み上げてきた戦う理由、憎しみ、野心、そのすべてが不必要な「伸びすぎた枝」として、脳内から剪定されていく。彼女にとって、この凄惨な戦争さえも、少し手入れの行き届いていない「庭の不始末」に過ぎないのだ。


 オーガは、自分たちが信じていた世界の序列が、根底から崩れ去る音を聞いた。

 ベスパは恐怖で支配する。マンティは圧倒的な力で統制する。それは、理解できる「強さ」だ。対抗策を練る余地がある。


 だが、ルピナは違う。

 彼女は、戦場を戦場として認識していない。

 オーガやビルを、「殺し合う怪物」ではなく、「少し行儀の悪い、手のかかる子供」として見ている。

 彼らが命がけで行っている殺し合いを、「庭の掃除」と同じレベルのルーチンワークとして捉えているのだ。


(これが……これこそが、本物の怪物ではないか?)


 彼女の微笑み。それは慈愛に満ちているが、その慈愛は「人間」に向けられたものではない。「庭園」に向けられたものだ。

 もしオーガやビルが彼女の「庭」の均衡を乱す「枯れ葉」だと判断されれば、彼女は一切の憎しみも罪悪感も持たず、この微笑みのまま、ハサミで彼らの因果ごとパチンと切り落とすだろう。


 彼女の前では、「速度」も「攻撃力」も、そして「覚悟」さえも無意味化する。

 彼女が「幸せ」であると空想すれば、世界はその通りに書き換えられる。


 その絶対的な法則の前に、自分たちが如何に矮小で、滑稽な存在であるか。

 彼らは「野生の勘」で、理屈を超えた圧倒的な「格差」を悟ったのだ。


 オーガはプライドをかなぐり捨て、冷や汗を流しながら影に溶けるように撤退を開始した。

 逃げなければならない。この、母性という名の「虚無」から。


 しかし、ビルを追うつもりでいたオーガは立っていられるのもやっとだった。

 体に力が入らない。普通の人間ですら軽く吹き飛ばすビルの拳の影響か、内臓に衝撃が走っている。


(肺呼吸がしんどい......。これが...『煉獄の剛腕』か...)


 ルピナは、まるで悪いことをして逃げ出した子供の背中を見守る母親のように、逃げゆくビルと座り込むオーガの背中に、慈愛に満ちた声をかけた。


「ふふ、そんなに急がなくても大丈夫ですよ。この大陸の『庭木』たちは、少し教育が必要なようですもの」


 彼女はゆっくりとハサミを取り出し、空中に浮かぶ枯れ葉を一つ、パチンと切り落とした。


「その時には、たっぷりとお時間を取りますから、『反省文』の準備をしておいてくださいね? 悪い子には、それ相応の『しつけ』が必要ですから」


 その言葉は、どんな死の宣告よりも重く、二人の魂に消えない刻印として突き刺さった。

 この後、『静寂の(サイレント・)捕食者(プレデター)』の幹部として忠誠を誓っていたオーガに幸せな絶望の瞬間が訪れることになる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ