庭園-不気味な静謐
南の大陸、その最南端に位置する「静寂の庭園」。
そこは、外界の戦火が嘘のように思えるほど、不気味な静謐に包まれていた。高く聳える漆黒の防壁の内側には、狂気的なまでに整えられた幾何学模様の庭園が広がり、一葉の枯れ葉、一匹の羽虫の侵入さえも許さない「完璧な管理」が敷かれている。
その中心、大理石の円卓。
中央に座る男――マンティは、芸術品のように完璧な所作でティーカップの縁を指でなぞっていた。
「静寂の捕食者」の長。すべての「略奪者」を害虫として駆除することに生涯を捧げるという名目でこの大陸を自分たちの「庭」として支配しようとする男。
その向かいには、不動の姿勢で控える「庭の警笛」オーガ。
そして傍らで、退屈そうに自らの指先を眺めている「庭の漂白」エルバ。
大陸を震撼させる「444人リスト」の猛者たちが揃うこの空間は、他者が踏み込めば呼吸さえ忘れるほどの重圧に満ちていた。
「報告によれば、各支部にベスパの放ったゴミ共が紛れ込み、我が庭を汚しているようです。……特に、政治家を始末したオネブが真っ先に狙われるのは明白。野蛮な炎が、ついに庭の垣根を越えようとしていますね」
マンティの声は、氷の板を滑る剃刀のように冷たい。
開戦から二週間。発端は、ベスパと協力関係にあった汚職政治家を、マンティの命を受けたオネブが「庭を汚す略奪者」として解体・標本化したことだった。それ以来、ベスパの組織『冥府の羽音』は、狂った蜂の群れのごとく各地で暴威を振るっている。
「……オーガ。騒がしい害虫の羽音が、耳障りです。根源から断ち切りなさい」
「御意。我が主。制裁を加えてやりましょう」
オーガは恭しく頭を下げ、胸元に下げられた銀色の笛――高周波によって対象の脳を直接焼く凶器に触れた。
「不快な音の主には、報いとして永遠の静寂という名の墓標を与えてやりましょう。庭の静寂を乱す者は、一人として生かしては帰しません。たとえ、あの忌々しい『月下狂牙』のカリスであろうとも……。我が笛の前に、例外はありません」
「カリス……か。アソラを仕留めたというあの女は、少々『剪定』しがいがある枝かもしれませんね。月下狂牙は利用しましょう。私たちが敵に回さない限りは」
マンティが薄く笑う。
彼らにとって、ベスパは破壊の化身であり、カリスは美しき死神である。だが、それはあくまで「人間」という範疇での評価に過ぎない。自分たちこそが、この大陸における絶対的な管理者であり、最上位の捕食者であるという自負に、微塵の揺らぎもなかった。
「俺は、その後の掃除……証拠隠滅を。それだけをすればいいのか」
薬剤師であるエルバが、皮肉めいた笑みを浮かべて立ち上がった。
「生命活動という『汚れ』を真っ白に漂白してやるさ。ゴミが散らばったままじゃ、マンティ様の庭が台無しだからな。ベスパの連中が流す下劣な血も、カリスの撒き散らすマゼンタの悪趣味な花弁も、すべて俺の毒ガスで無に還してやる」
「ええ、期待していますよ。我々の優先順位はベスパの殺害。これが最重要となる剪定するべき枝だ。あの男の『炎』は、私の管理する庭に最もそぐわないノイズですから」
マンティは紅茶を一口啜り、窓の向こうの空を見据えた。
そこには、ベスパが焼き払っているであろう都市から立ち上る赤黒い煙が見える。
「……ところで、マンティ様」
オーガがふと思い出したように口を開いた。
「この街の近くに、元『白爪』のリーダー……ルウという男が潜伏しているという噂を聞きました。今は『便利屋』などという卑賤な真似をして、一般人の女の尻に敷かれているとか」
その名が出た瞬間、円卓にわずかな嘲笑の空気が混じった。
かつては自分たちと同じリストに名を連ね、大陸最速の暗殺者と謳われた男。だが、今の彼らは、伝説の凋落を蛇蝎のごとく嫌い、見下していた。
「ああ、あの『社会のゴミ』ですか。かつての仲間たちと共に、アイリスとかいう保育士の女に飼われているそうですね。……ふふ、あんなお人好しの女に屈するなど、牙を抜かれた犬以下の存在。もはや脅威にすら値しません」
マンティの言葉に、エルバが肩をすくめる。
「全くだ。あいつが100メートルを1秒を切る速度で走れたのは過去の話だろう。今じゃ女に甘やかされて、家事の手伝いでもしているんじゃないか? そんな無害な家畜、ベスパの炎に焼かれるまでもなく、俺たちの『庭』に置く価値さえない」
彼らは知らない。
自分たちが「無害な一般人」と見下している保育士のアイリスが、実際にはこの世界の理そのものを支配し、キレれば「死よりも恐ろしい事象」を招く絶対者であることを。
そして、その傍らで花を愛でる庭師ルピナが、マンティが誇る「庭の管理」など比較にならない規模で、世界の因果そのものを剪定する怪物であることを。
「……『白爪』や『焔牙騎士』のことは放置しておきなさい。彼のような『かつての猛者の成れの果て』は、今の南の大陸には不要な存在です。我々が相手にするべきは、ベスパ。そして、邪魔立てするならばカリス……。害虫駆除は、迅速かつ美しく……それが『管理者』の流儀ですから」
マンティがそう断言した瞬間、円卓の温度がさらに数度下がった。
「冥府の羽音」の猛炎が迫り、「月下狂牙」のマゼンタの刃が閃き、そして「静寂の捕食者」の冷徹な剪定が始まろうとしている。
三つの勢力が激突するその爆心地点に――自分たちの常識が一切通用しない「聖域(孤児院)」があることに、マンティたちはまだ、これっぽっちも気づいていない。
「せいぜい暴れすぎるなよ、オーガ。必要最低限にしておけ」
「わかっている、エルバ。……私はただ、マンティ様の邪魔をする者に制裁を加えるだけだ。相手が誰であろうとな」
オーガは銀色の笛を手に、静かに席を立った。
エルバもまた、懐の毒薬を弄びながら、獲物を待つ蜘蛛のような笑みを浮かべる。
マンティは、空になったティーカップをテーブルに置いた。
ガチャン、と硬い大理石が音を立てる。
それは、大陸の平穏が完全に崩壊し、血塗られた粛清が始まる合図のように聞こえた。
彼らの眼下では、数百の精鋭部隊が「庭の静寂」を護るべく、あるいは敵を喰らうべく、音もなく展開を始めていた。
大陸最強を自負する二大巨悪。
だが、その頂点に立つ男たちでさえ、これから自分たちが「保育士」や「庭師」といった、自分たちの語彙にはない存在の手によって、抱きかかえられるほどの小さな存在にされるという魔の手が伸びていることをまだ知らない。
「……さあ。お掃除の時間です」
マンティの独白が、冷たい風に乗って消えていった。




