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最強暗殺者、聖女に詰められ短足猫になる  作者:
第5部-冥静戦争開幕、三大組織の滅亡
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蹂躙-2.煉獄の鞭 vs マゼンタの剣

 

 第2支部の最奥、そこは「処刑の間」と呼ばれる、この世のあらゆる負の感情が凝固したような空間だった。石造りの壁には、幾重にも塗り重ねられた血が黒ずんでこびり付き、カリスの鋭敏な嗅覚は、そこに染み付いた「絶望」と「鉄錆」の匂いを、本能的な嫌悪感と共に捉えていた。


「……吐き気がするほど、下俗な香りですね」


 カリスが闇を見据えて呟くと、ジャラリ……と金属が擦れる不気味な音が響く。アソラは今かと獲物を待ち構えていたように、多節鞭『蛇骨刃』を蛇のようにくねらせる。


「月下狂牙の長よ。貴様もここで死ぬか? 444人リストにその身を置きながら、柄にもなく『復讐代行』の真似事とは。弱者に肩入れして命を捨てるか、笑わせてくれる」


 アソラの瞳には、強者を屈服させ、その尊厳を傷跡と共に削ぎ落とすことへの病的な執着が宿っていた。対するカリスは、静かに刀の柄を握り、マゼンタの魔力を高めていく。


「……あなたのその醜悪な笑み、死の香水のラストノート(残り香)には最適ですね。残念ですが、意識を保っていられるのは今のうちだけですよ。あなたが奪った少女の涙の代価、この刃で清算して差し上げます」


 カリスが抜刀する。抜かれた『マゼンタ・ローズ』の刀身が、暗い処刑室を鮮やかなマゼンタの残光で照らし出した。


「死ねッ! 麗しき獲物よ!」


 アソラが叫び、右腕を大きく一閃させる。

 多節鞭『蛇骨刃』が、空中で関節ごとに鋭い刃を広げ、予測不能な軌道を描いてカリスを襲った。それは「線」の攻撃ではない。空間そのものを網目状に削り取り、逃げ場を無くす死の結界だ。


「刻んでやる……! 貴様のその綺麗な顔に、薔薇よりも赤い傷をな!」


 鞭が空気を引き裂く爆音が轟く中、カリスは微動だにせず、攻撃の「核」を見抜いていた。

 彼女は神速の踏み込みを見せる。鞭が描く死の網目の、わずか数センチの隙間――そこを潜り抜けるようにして、彼女の体躯がアソラの懐へと滑り込んだ。


「切り刻まれるがいい。――その傲慢ごと」


 ガキィィィィィィィン!!


 カリスの放った鋭い一撃が、アソラの鞭の基部、持ち手に近い部分を完璧に弾き飛ばした。

 激しい火花が散り、行き場を失った鞭の先端が、周囲の石柱を豆腐のように容易く粉砕する。


「チッ、相変わらずの剣速か!」


 アソラは蛇のような身のこなしで後方に飛び退くと、着地の瞬間に袖口から隠し持っていた毒針の礫を放った。

「無駄だ! 俺の処刑からは誰も逃げられん!」


「逃げる? いえ、逃げているのは、私を直視できないあなたの『恐怖』ではありませんか?」


 カリスは空中で華麗に回転し、飛来する毒針をすべて剣の平で叩き落とした。その動作には一点の無駄もなく、舞踏のように優雅だった。着地と同時に放たれた地を這うような「一閃」が、アソラの肩口を浅く切り裂く。


「……ハッ。俺に傷をつけるか。価値がある……価値があるぞ、この女!」


 アソラは肩から流れる血を指で拭い、それを舌で舐め取ると、狂気的な笑みをさらに深く刻んだ。


「ははっ……いい、いいぞ! 444人リストの『マゼンタ』に傷をつけられるのは、冥府の羽音の拷問担当としてこれ以上の光栄はない! 貴様の悲鳴は、一体どんな旋律を奏でるのか!」


 血を浴びてなお、アソラの狂気は加速する。

 カリスは沸き立つ嫌悪感を抑え、冷徹な瞳のまま、切っ先をアソラの喉元へ向けた。彼女の周囲には、怒りの魔力による蓮の花弁が、静かに、しかし激しく舞っている。


「アソラ。最後に一つだけ聞き届けましょう。……あれほど無垢な少女から家族を奪い、笑いながら命を弄んだことに対して。あなたに、罪の意識はないのですか?」


 その問いは、かつて義賊として誇り高く生きてきたカリスの、唯一の譲れない「正義」だった。せめて、死ぬ前に人間としての心を取り戻させることが、奪われた者たちへの弔いになると信じて。


 しかし、アソラの返答は、カリスの予想を遥かに超える、絶望的なまでに欠落したものだった。


「……罪? 意識? 貴様、何を言っている」


 アソラは不思議そうに首を傾げた。その瞳に映っているのは、倫理でも反省でもなく、ただ純粋な「好奇心」だけだった。


「あの家族が死んだのは、私の多節鞭が美しく動くための『舞台装置』だったからだ。泣き叫ぶ親を前に、絶望する子供の顔……。その皮膚の引き攣れ、瞳の収縮、それらすべてが完璧な芸術だった。道具が壊れることに、誰が謝罪を求める? 私はただ、私の美学を完成させただけだ。それ以外の価値など、あの連中にあったか?」


 アソラは心底から愉快そうに、喉を鳴らして笑った。

「罪悪感などという退屈な感情で、私の芸術を汚さないでいただきたい。むしろ、私に刻まれたことを光栄に思うべきだ」


 さらにアソラは狂ったように天を仰ぎ、処刑室の湿った空気を震わせて笑い飛ばした。その笑い声には、人間としての倫理を完全に削ぎ落とした者だけが持つ、純粋でドス黒い毒が含まれていた。


「それと貴様、滑稽すぎて反吐が出るぞ、カリス! あとなぁ、奪われるのが嫌なら、最初から何も持つな! 親も、愛も、未来も……そんなものは脆くて壊れやすいガキの玩具と同じだ。守り抜く力のない弱者が、不釣り合いな幸福を持つから『略奪』され、守れないなら『放棄』される。それがこの世界の、唯一にして絶対の理なんだよ!」


 アソラの瞳に、主であるベスパの煉獄にも似た、しかしより執拗で暗い殺意が宿る。彼は歪な愛おしさを込めて、足元に転がる拷問器具の数々を見つめた。


「俺はあいつらを『救って』やったんだ。守りきれない未練や、明日への希望なんていう無価値な苦痛から解き放ち、何もない、空っぽの死という永遠の安息にな! あのガキも感謝すべきなんだよ、俺という芸術家に家族を『完成』させてもらったことをなぁ!」


 アソラの手元で、多節鞭『蛇骨刃』が激しくのたうち回る。それは主の狂気に呼応するように、まるで意志を持つ大蛇が獲物の喉笛を狙って舌を這わせているかのようだった。


 そのときカリスの瞳から、最後の一滴の慈悲が消えた。


「……理解しました。あなたには、言葉による調合すら不必要だ。あなたは生きる価値に価しない!」


 カリスの纏うマゼンタの光が、深紅へと変色し始める。

 それは、相手を人間としてではなく、ただの「肉塊」として剪定する決意の証だった。


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