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最強暗殺者、聖女に詰められ短足猫になる  作者:
第3部-翠影双翼滅亡
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覚醒-静かなる怒りのトリガー

 

 狂乱の戦火が収まったはずの広間に、あまりにも場違いな、そしてあまりにも恐ろしい音が響き始めた。

 ――ペタ、ペタ、ペタ。

 それは、寝起きの人間が廊下を歩くような、無防備で締まりのないスリッパの音。だが、その一歩一歩が刻まれるたびに、屋敷を満たしていた血生臭い殺気が、まるで浄化されるように霧散していく。


 崩れ落ちた巨大な大理石の瓦礫を避けるようにして、その女性――ピセアさんは、ゆっくりと僕たちの前に姿を現した。

 花柄のパジャマに、少し寝癖のついた髪。どこからどう見ても、深夜の騒音に目を覚ましただけの「一般人」だ。しかし、彼女の穏やかな瞳が、粉砕されて無惨な肉塊と化したベニタデの死体と、返り血を全身に浴びて黒く汚れた僕たち四人の姿を捉えた瞬間、空気の密度が数倍に跳ね上がった。


「……あら、あらあら。……ひどい。せっかく私が綺麗に整えたお庭も、この建物も……ぐちゃぐちゃじゃない」


 ピセアさんの声から、一切の温度が消えた。

 彼女にとって、目の前の惨状が「444人リスト」の怪物による死闘の結果であるか、あるいは倒れている男がどれほど救いようのない外道であったかなんて、これっぽっちも興味がないのだ。

 ただ、自分の管理する森のすぐ傍で、耳障りな音を立て、命を無造作に散らし、美しい風景を台無しにしたというその事実。

 彼女は、静かに…。


――この雰囲気は「ガチギレ」だ。


 背筋を極寒の刃で撫でられたような、根源的な恐怖が俺という意識を目覚めさせる。喉の奥が引き攣り、言葉が上手く出ない。だが、ここで屈すれば終わるというアサシンとしての本能が、無理やり俺の口を動かした。俺は白狼剣を握り直し、彼女に鋭い圧をかける。


「……ピセアさん。君は、今ここで何も見ていないはずだ。これはただの掃除だ。……いいか、今すぐここを立ち去れ。証拠もろとも消されたくなければ、今すぐ忘れろ」


 精一杯の脅しだった。国家一つを震え上がらせる死神の宣告。だが、ピセアさんは首を傾げ、まるで理解できない言語を聞いたかのように、ふんわりと微笑んだ。


「ええ、見ていないわ。だって、『人間』なんて、ここには一人もいないんですもの」


 その言葉と同時に、ピセアさんが手に持っていたニンジンカゴを、コトリと地面に置いた。

 その瞬間、視界が真っ白に染まった。屋敷全体が眩い翠色の光に包み込まれる。その光は温かい春の陽光のようでありながら、触れた瞬間に俺の意識の根幹を焼き切るような絶対的な権能を孕んでいた。


「こうなったら、サレからもらった記憶消去の塩を......」


 俺はすぐに動く。

 懐から予備動作抜きで塩を空気中に撒き散らしたつもりだったが、その塩の能力すらも目の前にいる彼女の柔らかい権能に書き消されていった。

 俺の中にあった「俺」という傲慢な自意識が、急速に霧散していく。伝説の暗殺者、死神ルウ。そんな虚飾が剥がれ落ち、強制的に「僕」という、何かに守られ、飼い慣らされるべき矮小な存在へと引き戻されていくのを感じた。


「待て! 俺たちの話を聞けッ! 俺たちは外道の掃除をやっただけだ!」


 フォルトが、その巨躯を揺らして一歩踏み出した。説得か、あるいは威圧か。だが、ピセアさんの瞳には、彼の姿すら映っていない。ただ「庭を荒らし回る害獣」を、憐れみをもって眺めるような、透き通った無関心があるだけだ。

 ピセアさんは、フォルトの言葉を遮るように、静かに、しかし断定的に告げた。


「おしゃべりは、もうおしまい。お庭を壊す子は、お口を閉じていなさいね?」


「……っ!? こいつ、俺たちの話が通用しないぞ! 言語や概念そのものが噛み合ってねぇ!」


 アストが、その冷徹な理性をかなぐり捨てて戦慄した声を上げる。


「どうする、逃げるか消すかだ!」


 ティルが叫ぶ。その瞳には、かつて見たことのない動揺が走っている。彼は震えるチワワのように大剣を構えていた。


「ふざけるなッ! 誰に物言ってるのか教えてやる!」


 フォルトが吠えた。地脈の全エネルギーをハルバードに注ぎ込み、衝撃波で屋敷ごと彼女を粉砕せんと地面に叩きつける。

 同時に、アストは神速の指裁きで魔力矢を番え、ピセアさんの眉間を一点に狙い定めて放った。

 ティルもまた、生存本能を振り絞り、周囲の空間を焼き尽くすほどの赤雷を最大出力で解放する。


 アドレナリンが限界まで吹き出た僕も、0.5秒先の「勝利」という因果を掴み取るべく、双剣を逆手に持ち替え、影の中へと深く沈み込んだ。

 伝説の四人が、一人の「一般人(パジャマ姿)」を相手に、国家転覆級の殺意を同時に叩きつけた。かつてない、そして二度と訪れることのない、最強の同時攻撃。


 しかし、その全てが無駄だった。


 アストが放った、音速を超えるはずの必殺の矢は、彼女の数センチ手前でふわりと「タンポポの綿毛」へと姿を変え、夜風に乗って可愛らしく舞った。

 ティルの猛烈な赤雷は、ピセアさんの足元に眠る草花の種を急成長させるための「肥料」へと瞬時に変換され、瓦礫の隙間から色とりどりの小花が咲き乱れる。

 そして、フォルトが渾身の力で振り下ろしたはずの斧槍は、地面に触れた瞬間、ただの「湿った枯れ枝」になって、ポキリと情けない音を立てて折れた。


「……あ、あ……」


 僕の白狼剣が、彼女の影に触れることさえできない。影そのものが、柔らかい「腐葉土」のような、全てを包み込む慈悲深い感触に変わり、僕の体は底なしの平和の中へと沈み込んでいく。

 抵抗の意思が、殺意が、力が、物理法則そのものが彼女の周囲で「無害な自然」へと書き換えられていく。


「夜更かしして暴れる悪い子には……みんな、お揃いの『可愛いお洋服』が必要ね」


 ピセアさんが、困った子供を嗜めるように、パチンと指を鳴らした。

 その音は、死神の鎌の音よりも冷たく響いた。

 瞬間、視界が急激に高くなった。……いや、違う。自分たちが、絶望的なまでに小さくなっているのだ。


「なっ、体が……!?」「にゃあ!?」「キャン!?」


 数秒前まで世界を震撼させていた「444人リスト」の亡霊たちは、抵抗する術もなく、翠色の光の奔流の中に飲み込まれた。

 バキバキと鳴っていた鋼のような骨の音は、いつしか「モフッ」という柔らかい音に変わり、漆黒の戦闘衣は純白の毛皮へと、鋼の筋肉は丸っこい肉体へと、因果ごと書き換えられていく。


 光が収まった時。

 そこには、自分たちが壊した要塞の瓦礫の中で、呆然と立ち尽くす(座り込む)四匹の小動物がいた。


 イチゴドレスを脱ぎ捨てたはずが、なぜかまた勝手に装着されている全裸のマンチカン。

 ガタガタと震えながら、自分を見失っているチワワ。

 

 そして、その隣には、新しく「家族」に加わった二羽のロップイヤー。

 一羽は、フォルトの面影を感じさせる、がっしりと大きめの体格をした「茶色のロップイヤー」。

 もう一羽は、アストの冷徹な瞳をそのまま宿した、神秘的で美しい「白銀のロップイヤー」だ。


「(……俺の体がウサギに……! 冗談じゃねぇ! 逃げるぞ! アスト!)」


 茶色のロップイヤーになったフォルトが、必死に短い足を動かしてジャンプしようとするが、慣れない長い耳を踏んづけて、その場にごろりと転がった。白銀のロップイヤーにされたアストも、俊敏な身のこなしを試みようとして、あまりの「もふもふ感」に自分の重心を見失い、ポテリと横倒しになる。


「……にゃ、にゃあ(……終わった……。僕たちが、最強チームだったはずなのに……)」


 僕は力なく地面に突っ伏した。

 一度ならず二度までも。この理不尽なまでの「平和」という暴力の前に、僕たちの誇りは粉々に粉砕されたのだ。


 ピセアさんは満足げに微笑み、ジタバタする二羽のウサギと、震えるチワワ、そして真っ白な僕を、ひょい、ひょいと優しい手つきでカゴの中へ放り込んでいく。


「さあ、みんなでお家に帰りましょうね。明日の朝ごはんは、とびきり新鮮なキャベツですよ。音楽隊の練習も、明日からまた頑張りましょうね」


 要塞だったはずの更地には、ただ静かな夜風が吹き抜けるだけだった。

 伝説の亡霊たちの「反乱」は、一人のパジャマ姿の女性によって、わずか数秒で「深夜の迷子保護」へと調律されたのだ。


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