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全盛期-2.死神の受諾

 

 その夜。街が深い眠りにつき、アイリス姉さんの穏やかな寝息が孤児院の二階に響くのを確認してから、僕は「便利屋」の仮面を脱ぎ捨てた。

 僕は懐にあった通信石を取り出す。魔力を吹きかけるだけで、何があったのかをすぐに察知できる。


「通信石からの通知か......パぺだな……」


 僕は通信石を音を立てずに懐にしまった。

 夜の冷気が、剥き出しになった凶暴性を刺す。僕は影に紛れ、人知れず街を抜けた。

 ハヤブサのごとき音速。それは獲物を屠るためだけでなく、こうして闇に紛れるための翼としても機能する。数里離れた深い山奥――地図から忘れ去られた廃屋へと、僕は瞬き一つの間に降り立った。

 そこは、僕の「裏の顔」を呼び出すための合図を送った依頼者が待つ、血と絶望の吹き溜まりだ。


「……その格好は、一体何があったんだ」


 廃屋の腐りかけた扉を潜ると、そこには既に仲間たちが揃っていた。


「リーダー。……この人の姿を見てくれ」


 僕の前に進み出たのはライだ。酪農家として重いバケツを運ぶその丸太のような腕は、今は傷ついた老人を支えるためにある。巨漢の彼は、惨劇を見慣れているはずの僕らの中でも、一際静かな怒りをその瞳に湛えていた。


「わかった、ライ。彼を横にしてやれ。……ボーン、後で処置を」


 僕が指示を出すと、廃屋の隅、月光さえも拒絶するような暗がりに老人が座り込んだ。ボロボロの衣服から覗く肌は泥と痣にまみれ、濁った瞳は行き場のない殺意に震えている。その姿は、かつて雪穴の中で凍えながら死を待っていた、幼き日の僕の記憶を不意に揺り起こした。


「息子は……、あの子はただ、あの領主に楯突いただけだったのです……」


 老人の声は掠れ、肺の奥から絞り出すような悲痛さに満ちていた。


「村の広場で見せしめにされ……、役人も、教会も、誰も助けてはくれなかった。法なんてものは、結

局、奴ら強者が弱者を踏みにじるための靴底でしかないのだ。……頼む、ルウさん。どうか、あいつに……あいつに、息子と同じ、いや、それ以上の苦しみを与えてくれ……っ!」


 老人は這いつくばるようにして、血の滲む手で泥にまみれた「金貨一枚」を差し出した。

 それは単なる通貨ではない。彼の全財産であり、絶望の果てに削り出された、命そのものの重みだ。


 僕は無言で老人の前に膝をついた。

 便利屋としての「僕」なら、この老人の痩せた肩を抱き、温かいスープでも差し出しながら慰めの言葉をかけただろう。けれど、今ここに立っているのは慈悲を知らぬ「死神」だ。僕は残酷なまでに静かな、凪いだ声で、依頼者の覚悟を問う。


「あなたに、その覚悟はありますか? 復讐は救済ではありません。あなたが今差し出したその金貨は、その男を殺すための代価であると同時に、あなたの魂を永遠に地獄へ繋ぎ止める鎖になる。それでも、あなたはやるのですか」


 老人の瞳に、一瞬だけ鮮烈な「赤」が灯った。それは理性を焼き切った純粋な殺意の光だ。


「……構わん。あいつが、あの男が地獄へ落ちるというのなら、わしは喜んで道連れになろう……!」

 慟哭と共に放たれたその言葉に、偽りはない。彼はもう、光の差す場所へ戻ることを諦めている。いや、その必要さえないと悟っているのだ。


「……承りました。あなたのその想い、確かに受け取りました」


 僕は恭しく、汚れきったその手から金貨を受け取った。

 指先に触れる泥の冷たさと、微かな鉄錆の匂い。それが心地よく、僕の心臓の奥にある「殺害スイッチ」を重く押し下げる。


「安心して眠りなさい。明日、あの男はこの世から消える。……痕跡一つ、この世への未練さえ残さず、完膚なきまでに」


 その瞬間、僕の瞳から人間らしい光彩が完全に消失した。

 孤児院で見せる柔和な微笑みも、便利屋としての愛想も、すべては虚像。現れたのは、絶対的な死を司る「最悪の終焉」の貌。


(――待っていろ。お前は今日、飢えた狼に食われるのだ)


 老人はその圧倒的な威圧感に、恐怖を超えた救いを見出したのか、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。安堵の涙が、泥にまみれた頬を伝っていく。


 夜風が廃屋を吹き抜け、僕の漆黒の外套を揺らした。

 いよいよ、俺の時間が始まる。ここからは月の見えない夜に相応しい、血塗られた処刑の時間だ。


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