到着-3.薬草園のフォルト
夜の森は、本来なら俺たちの独壇場だ。だが、焚き火の爆ぜる音さえ、今夜は何かの警告のように聞こえてならない。
俺はルウ(あの無残な苺ドレスの猫)との対話を、アストから聞いた。
「……あの『最悪の終焉』ルウが、猫の姿で必死に頼み込んできやがった。滑稽だが、正直、笑えなかったぜ」
俺が弓の弦を丹念に磨きながら呟くと、フォルトはハルバードの巨刃を焚き火に照らし、低く、重い声で応えた。
「ああ。気に食わねぇが、あの野郎の言うことも一理ある。……ルウとティル、あの二人が表舞台から消えちまってから、大陸の空気は淀んでやがる。あいつらが掃除してた『法の届かないゴミ』どもが、最近じゃあ我が物顔で森を汚し始めてるからな」
フォルトは大きな拳を握りしめ、地面を睨みつけた。
「……もし俺たちまであいつらみたいに消えちまったら、誰が依頼者の復讐をやるんだ? 誰が、あの老人みたいな連中の涙を止める? 悪党どもが野放しになるのは、俺たちの寝覚めも悪い」
俺たちは444人リストの中でも、特に「森と弱者」に執着してきた。ルウとは何度も標的を巡って衝突したが、根底にある『歪んだ正義』だけは認め合っていた。彼らがいなくなった空席を埋めるのは、今や俺たち『翠影双翼』しかいない。
ルウを助けるのは、同情ではない。この大陸に「死神」という名の抑止力を取り戻し、俺たちの平穏な狩り場を守るための、必要不可欠な共闘だった。
「……ピセアという女が何者だろうと、俺たちはまだ『表の客』だ。フォルト、お前の出番だぞ。俺よりもお前の方が、あの女には気に入られてるからな」
「ケッ、お安い御用だ。あの『青い月見草』とやら、掠め取ってきてやるよ」
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数日後。俺は「林業屋」としてのガワを完璧に被り、ピセアの薬草園へと足を運んでいた。
背中には、彼女が注文していた一級品のトウヒの材木を担いでいる。足取りは軽く、顔には「気のいい木こり」の笑みを貼り付けた。
「……よお、ピセア。注文してた材木を持ってきたぜ。こいつぁ特別製だ、薬草の棚を作るにゃあ最高の乾燥具合だぞ」
材木を地面に下ろすと、地響きが起きた。ピセアは薬草を弄っていた手を止め、パッと顔を輝かせてこちらへ向かってくる。
「あら、フォルトさん! いつも丁寧な仕事をありがとう。これなら素晴らしい棚が作れそうね」
彼女の笑顔は、相変わらず春の陽だまりのように穏やかだ。この女が、あのルウを震え上がらせる「あっち側」の人間だとは、どうしても思えない。だが、油断は禁物だ。
俺は努めて自然に、ルウから指定された「切り札」の名前を口にした。
「ああ、喜んでもらえて何よりだ。……それで、ついでに頼みがあるんだが。うちの職人が近頃珍しい薬草を探しててな。あんたのところならあるんじゃねぇかって聞いたんだ。……例の『青い月見草』、少し分けてくれないか?」
心臓の鼓動がわずかに早まる。これがもし、彼女の「逆鱗」に触れるキーワードだったら? 444人リストの戦士としての本能が、最悪の事態――この瞬間に俺がロップイヤーに変えられる未来――を想定し、筋肉を硬直させる。
「青い月見草ね……」
ピセアは人差し指を顎に当て、少しだけ考え込むような素振りを見せた。
俺の手が、無意識に懐のナイフへ伸びかける。……だが、彼女の口から出たのは、拍子抜けするほど朗らかな言葉だった。
「ええ、ちょうど今朝摘んだばかりの良いものがあるわ。少し貴重なものだけど、フォルトさんにはいつもお世話になっているもの。特別に分けてあげるわね」
彼女は鼻歌を歌いながら、奥の乾燥棚から美しく透き通った青い花を取り出し、丁寧に紙で包んだ。その所作には一点の曇りも、疑念も、ましてや強者特有の威圧感も存在しない。
ただの、人の良い薬草農家が、馴染みの木こりに商品を譲る――そこにあるのは、どこまでも透明な日常の風景だった。
「はい、どうぞ。大切に使ってくださいね、フォルトさん。お友達の弓具屋さんにも、よろしく伝えてちょうだい。またニンジンジュースを冷やして待ってるわ」
「……ああ、恩に着るぜ。大切に使わせてもらう」
俺は丁寧に包みを受け取ると、伝説の暗殺者とは思えないほどの手際の良さでそれを懐に隠した。
背中にピセアの「またね」という穏やかな声を聞きながら、俺は足早に薬草園を後にした。
(……勝った。あのルウが恐れた女から、まんまと獲物を掠め取ってやったぜ)
懐にある薬草の重みを感じながら、俺は内心で勝利を確信していた。彼女は何も気づいていない。俺たちの正体も、この薬草が「死神」を復活させるための鍵であることも。
だが、俺はまだ気づいていなかった。
ピセアが去りゆく俺の背中を見つめながら、その穏やかな笑みのまま、ポツリと独り言を漏らしたことを。
「……あらあら、あの子たち。そんなに急いでどこへ行くのかしら。……でも、ちょうどいいわ。あの月見草、実は位置情報探知機能が備わってるもの。計画通りね」
彼女の周囲で、因果の糸が音もなく書き換えられていく。
俺が持ち帰ったのは、復活の切り札か、それとも「完全な家畜化」を促すための最後の一押し(トドメ)か。
その答えを知る時は、もうすぐそこまで迫っていた。
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夕暮れ時の孤児院。アイリス姉さんが他の子供たちの寝かしつけに入った隙を見計らい、僕は裏庭へと音もなく降り立った。そこには、かつて『白爪』で僕の右腕として、あらゆる金属をドロドロに溶かしてきた『最悪の腐食』アルムが待っていた。
今は、洗濯板を抱えたエプロン姿の「お人好しな孤児院スタッフ」だ。
「ルウくん、ミルクの時間ですよ」
アルムは周囲を慎重にうかがい、誰もいないことを確認すると、膝をついて僕に囁いた。
「アルム、あの2人の状況はどうだ?」
僕は猫の鳴き声に擬態しつつ、鋭い意識を彼に飛ばす。
アルムは微笑みを崩さぬまま、袖に隠した通信石を指先で弄んだ。
「翠影双翼の二人はうまくやっていますよ。僕のように『腐食(溶かす)』なんて真似ごとをすれば、森を大切にするピセアさんのターゲットになりかねませんが……。報告によると、薬草の入手は無事に成功したそうです。さすがは現役、まだ『牙』は錆びついていませんね」
僕の瞳に、わずかな希望の光が宿る。
(……よし。あとはあの薬草をどう精製するかだ。ペセに連絡を取れ。僕たちが元の姿に戻り、この屈辱のドレスを脱ぎ捨てる日は近い)
「何?ペセさんと連絡が取れなくなっている」
(まさか、彼女は...おい、ティルやほかの焔牙騎士のメンバーはどうだ?)
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「キャン! キャンキャンキャンッ!!(助けてくれー! 誰か、誰でもいいから俺をここから出してくれッ!!)」
ルンの屋敷の庭園。かつて一振りで大軍を灰にした『破壊神』ティルは今、ピンクのフリルが付いたリードに繋がれ、必死に地面を掻きむしっていた。
だが、その叫びは通行人には「元気なチワワの鳴き声」にしか聞こえない。
「ティル。……今、『待て』と言いましたよね? 許可なく土を掘るのは、マナー違反です」
ルンが眼鏡を冷たく光らせ、法律書の角でコツンとティルの頭を叩く。
「ヒ、ヒィン……(ま、待てって言われてもよぉ……!)」
ティルに課せられたのは、ルンによる「地獄のマナー教室」。お座り、伏せ、そして極め付けは「潤んだ瞳で首を45度に傾ける」という、猛虎のプライドを粉塵にする屈辱のポーズだった。逆らえば、ルンの冷徹な論理による2時間の説教(精神攻撃)が待っている。
(ルウ……! 早くしろ! 俺の精神が、チワワの皮に完全に飲み込まれちまう前に……!)
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一方、孤児院の厨房。そこでは、かつて一国を毒霧で沈めた『轟く死兆』ペセが、絶望に満ちた表情で巨大なジョッキを抱えていた。
「うぅ……親方、ルウさん……。私、もう……お腹がタプタプです……」
彼女の目の前には、アイリス特製の「超絶苦い健康青汁」が波打っている。前回の脱走を手伝った「連帯責任」として、彼女は毎日3リットルの完飲を命じられていた。
「あらペセちゃん、まだ半分残っているわよ? 栄養満点だから、全部飲んで元気になりましょうね」
アイリスが背後に立ち、優しく、逃げ場のない聖母の微笑みを投げかける。
「あ、アイリスさん……これ、さっきから味が『雑草』から『腐った泥』に変わってる気がするんですけど……」
「気のせいよ。さあ、ぐいっと」
結局、ルウの期待していた最強の調剤師は、青汁のあまりの苦さと満腹感で思考が停止。薬草を精製するどころか、自力で立ち上がることすらままならない状態だった。白爪メンバーの「ペセに精製を頼む」という作戦は、アイリスの健康管理(物理的制圧)によって、呆気なく潰えたのである。
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その頃、街から離れた深い森の奥。
月明かりの下、アストは一人の老調合師と密会していた。老人はかつて、私欲にまみれた貴族に村を焼かれそうになった際、ティルの『焔牙騎士』に救われた依頼者の一人だった。
「……これを。かつてティルの旦那に村を救ってもらった恩返しだ。……今のあんたたちなら、正しく使えるはずだ」
老人は震える手で、古びた羊皮紙をアストに託した。そこには、ピセアの「青い月見草」を、本来の調律効果を反転させて一時的に「獣化を解除」するための特殊な抽出レシピが、命懸けで書き写されていた。
アストはそのレシピを懐に入れ、影のように不敵な笑みを浮かべる。
「助かる。……ティルの旦那は、今やチワワになって『お手』の練習中だがな。これがあれば、あの猛獣たちを檻から出す準備が整う」
「アスト、準備はいいか。ルウに合図を送るぜ」
森の影から、フォルトがハルバードを背負って現れる。
最強の二人が手に入れたのは、ピセアの薬草と、老人の恩義。
彼らは確信していた。この薬さえあれば、ルウとティルを人間に戻し、再びリストの猛者たちが並び立つ「伝説」が復活すると。




