放浪-3.森を焼かれた者の悲願
森の境界線、夜の帳が全てを飲み込む中、パチパチと爆ぜる焚き火の音だけが響いていた。俺は火に当たりながら、今日街で目撃した「信じがたい光景」を頭の中から追い出せずにいた。
「おいアスト、今日街で変なもんを見た。……あの『破壊のティル』に面影がそっくりな、震えるチワワだ」
アストは愛弓の弦を張り替え、指先でその弾力を確かめていた。その手が一瞬止まり、そいつは鼻で笑った。
「ハッ、やっぱり噂は本当だったってことか。全世界444人リストの一角、伝説の猛虎がハンドバッグの住人とはな。……笑えねえ冗談だ」
「ああ。正直、自分の目を疑ったぜ」
俺は自慢の拳を握り、節くれ立った指を見つめる。
「だが、その隣にいた女……ルンとか言ったか。ありゃあ普通じゃねえ。殺気も魔力もねぇが、あの女が口を開いた瞬間、俺の直感が『近づくな』と警鐘を鳴らしやがった。あのティルが震えてたのも、ただの演技じゃねえ。魂の根っこから屈服させられてやがったんだ」
アストは冷たい月光のような眼差しを焚き火に向けた。
「……だが、俺たちの『翠影双翼』が捕まるなんてことは万に一つもねえ。奴らは正面から戦いすぎたんだ。俺たちは森そのものだ。森に入り込みゃあ、どんな魔女だろうが俺たちの庭。影を渡り、風に紛れる俺たちを捕らえる鎖など、この世のどこにも存在しない」
俺たちは炎を見つめながら、自分たちの「絶対的な優位性」を疑うことなく、次の粛清ターゲットへの作戦を練り続けた。
自分たちの背後、わずか数メートル。薬草を摘みながら鼻歌を歌い、静かに歩み寄るピセアの気配が迫っていることも知らずに。彼女の足音は、森の木の葉が揺れる音と完全に同調し、二人の「超感覚」さえもすり抜けていた。
月明かりの届かない深夜。森の境界線にある、苔むした古い社。そこには、絶望と怒りに震える一人の老人が膝を突いていた。その手は煤で汚れ、爪の間には焼けた土が食い込んでいる。
「……あ、あの悪党は……家も、先祖代々の森も、そして私の家族も……すべてを奪いました。それなのに、奴は軍の追及を逃れて隣町の活気ある街へと高跳びしたのです。今もそこで、奪った金で贅沢三昧をしているのです……!」
老人の涙が、乾いた土に吸い込まれていく。
俺は背後の暗闇から、巨躯を揺らして姿を現した。背負ったハルバードの柄を「ドン」と地面に突くと、地脈が共鳴し、老人の震えを鎮めるような重厚な振動が伝わった。
「安心しな。俺たちの森を汚したツケは、どこまで逃げようが追いかけて清算させる。それが俺たちの『仕事』だ」
「……ありがとう、ありがとうございます……!」
老人の感謝を背に、アストが影の中から静かに浮き上がるように現れた。その手には、月明かりを吸い込んで青白く輝く魔法弓がある。翠色のマントを翻し、奴は夜風そのものへと姿を変えた。
「フォルト、行くぞ。この街の『平和』の裏側に隠れた不浄を、一晩で土に還してやる」
俺たちの正義は、常に一方的で、常に残酷だった。しかし、その「暴力による救済」が、今まさに「教育による更生」という名の巨大な壁に激突しようとしていた。
-----
俺とアストは標的の潜伏先を特定するため、街の裏路地のさらに奥、腐った樽と泥水が支配する古ぼけた酒場『沈黙の止まり木』を訪れた。
「……よお、久しぶりだな。翠の旦那衆」
カウンターの隅、最も光の届かない席にいたのは、長年彼らと信頼関係にある情報屋だ。彼は脂ぎった顔に卑屈な笑みを浮かべ、カウンターの下から古びた地図を差し出す。
「例の外道は、表向きは商人を名乗ってこの街の北側に邸宅を構えてやがる。私兵を雇い、防犯結界も張っているが、旦那たちにゃあ、あんなもん障子紙みたいなもんだろ」
情報屋はそこで言葉を切り、酒を一口煽った。その瞳に、一瞬だけ本物の恐怖が走る。
「……だが、気をつけな。この街には最近、妙に『鼻の利く』連中が集まってきている。それも、裏社会の連中じゃねえ。表の法を司る最高峰の番人と、その……正体不明の保育士だ。下手に騒ぎを起こすと、例の『飼い主』だか何かは知らんが、そいつに嗅ぎつけられるぜ」
アストは情報の代価として金貨を一枚、無造作に投げた。金貨がカウンターで鋭い音を立てる。
「ハッ、俺たちを誰だと思ってる。風が吹く間に終わらせてやるよ。飼い主だか何だか知らねえが、森を焼いたゴミを掃除するのに、誰の許可も要らねえ」
「……ならいいんだがな。ただ、あの『チワワ』を見たんだろう? 旦那たちが『なにか』になって市場で売られるようなことにならなきゃいいが」
情報屋の皮肉を背中で聞き流し、二人は夜の闇へと溶け込んだ。
俺たちの目的は、ターゲットの邸宅。
しかし、そのルートの途中に、予想外の猫と偶然鉢合わせることになる。




