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最強暗殺者、聖女に詰められ短足猫になる  作者:
第3部-翠影双翼滅亡
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放浪-2.震える猛虎


 数日後。二人は放浪の足跡をさらに進め、深い森の境界に位置する、霧に包まれた小さな集落へと辿り着いた。

 今回の目的は、アストが使う「魔法弓の弦」に適した特殊な繊維と、フォルトの肉体疲労を癒やすための貴重な薬草を手に入れることだ。


 その取引相手として指定された場所にいたのは、質素なエプロンを身に纏い、庭先で薬草を干している一人の女性だった。


「こんにちは。弓具屋さんと林業屋さんのコンビですね? 注文されていた『トウヒの心材』と、薬草の束はこちらですよ」


 ピセアは、二人の「亡霊」が放つ圧倒的な殺気や威圧感を完全に無視――というより、そもそも感知すらしていない様子で、おっとりと微笑んだ。


 アストは無意識に、彼女の指先、視線の動き、そして立ち居振る舞いを「暗殺者」の視点でスキャンしていた。


(……指にタコはない。呼吸は深く、一定。足運びも素人そのものだ。魔力の残滓すら感じない。本当に、ただの村娘か?)


 アストの『千里眼』をもってしても、彼女の背後に隠された「調律師」としての本性は見えてこなかった。彼女の周囲数メートルにおいては、アストの鋭すぎる洞察力さえも「凪」の状態に変換されていたのだ。


「……ああ、助かる。あんた、ここの管理人か? 随分と手入れの行き届いた森だな」


 アストは警戒心を解かないまま、ぶっきらぼうに荷物を受け取った。


「ええ、ただの薬草農家ですよ。皆さんが森を大切にしてくれるので、助かっています。特に、悪い方々を追い払ってくださる『誰か』のおかげで、この辺りはとても静かですから」


 ピセアは小首を傾げ、ふふっと笑った。


(……悪い方々、だと?)


 フォルトは眉をひそめた。自分たちが昨晩、一軍の傭兵団を肥料に変えたことを言っているのか。だが、彼女の瞳には皮肉も恐怖も一切ない。ただ、庭に咲く花を愛でるような、絶対的な包容力があるだけだ。


「この薬草は、お風呂に入れるとよく効くわ。あなたたちのような、お仕事で体を酷使される方にはぴったりですよ。あ、そうだ……お礼に、この『特製のニンジンジュース』を飲んでいきませんか?」


「ジュースだと? 俺たちは酒以外は……」


 フォルトが断ろうとした瞬間、ピセアが差し出したコップから、言葉を失うほど「清らかな」香りが立ち上った。


「あら、そんなこと言わずに。森の恵みを摂るのも、自然の一部になる第一歩ですよ」

 ピセアは、まるで子供に言い聞かせるような優しさで、二人の怪物に接した。


 この時、フォルトとアストの胸中にあったのは、強者への警戒心ではなく、奇妙な「安堵感」だった。血生臭い戦場、裏切りと策略の世界。そこから遠く離れたこの場所で、ただの薬草農家に「お疲れ様」と言われる。その日常の甘い毒が、彼らの研ぎ澄まされた牙を、ゆっくりと、しかし確実に溶かし始めていた。


 ピセアはまだ、目の前の二人が累計6万人以上の命を奪ってきた絶望の象徴であることも、そして遠くない未来、自分の手によって、彼らが長い耳を揺らしながらニンジンを齧る「もふもふ」に変貌することになる運命も、全てを知りながら、本能的に穏やかに微笑み続けていた。


「さあ、遠慮しないで。……うさぎさんみたいに、元気に跳ね回れるようになりますからね」


 その言葉の真意を、二人が理解することはなかった。

 ただ、彼女の背後のケージの中で、すでに「調律」を終えた小鳥たちが、静かに歌を歌っていた。


-----


 南の大陸でも指折りの活気を誇るこの街は、俺にとっては「騒がしすぎる鳥籠」にしか見えねえ。

「……ったく、どいつもこいつも、随分と浮かれた面してやがる」


 俺は一本で家が建つほどの巨大な丸太を、片手でひょいと担ぎ直し、人混みをかき分けていた。周囲の連中が「ひっ」と短い悲鳴を上げて道を開ける。この筋肉と、隠しきれねぇ戦場の臭いが、平和ボケした市民どもには刺激が強すぎるらしい。


 アストの野郎は「目立ちすぎるのは趣味じゃない」と言って、弓具の納品に別のルートへ消えた。俺は指定された市場の資材置き場へ向かう途中、ふと、広場に面した瀟洒しょうしゃなカフェのテラス席で足を止めた。


 そこには、この街の「平和」を象徴するような、実にお上品で、実に反吐が出るほど優雅な光景があった。

 だが、俺の視線が釘付けになったのは、並べられた高級なティーセットでも、談笑する着飾った女たちでもねぇ。


 テーブルの上、真っ白なクロスのすぐ隣に置かれた高級ブランドのハンドバッグ。その影で、借りてきた猫……ならぬ、借りてきた犬のように小刻みに震えている一匹のチワワだ。


「(……なんだ、あの犬は?)」


 俺は担いでいた丸太の重さを忘れ、思わずそのチワワを凝視した。

 本来なら、俺のような「山の怪」が睨みつければ、並の愛玩犬なら恐怖で失禁するか、キャンキャン鳴き喚いて逃げ出すはずだ。


 だが、そのチワワは違った。

 震えてはいる。足元はガタガタだ。だが、その大きな瞳の奥底……暗い瞳孔のさらに深淵に、俺は見覚えのある「光」を感じた。

 それは、かつて戦場で、三日三晩斬り合ったライバル――全てを焼き尽くすような凶暴な赤雷、あの破壊の化身『ティル』が放っていた、獲物を食いちぎる直前の捕食者の残光。


 それが、ほんの、ほんの数ミリだけ……絶望的な屈辱の色に混じって、確かに残っていた。


「さあ、ティル。ご褒美の時間ですよ。今日は『低脂肪のササミジャーキー』です。しっかり味わって、そして『感謝』しなさい」


 チワワの前に、細く切り分けられた肉片が差し出される。

 差し出したのは、氷細工のように冷徹な美貌を持つ女性だ。

 そのチワワ――俺の知る猛虎と同じ名を持つその犬は、屈辱に顔を歪め(犬にそんな表情ができるのかは知らねぇが、俺にはそう見えた)、情けねえ声を漏らしながらジャーキーを食んだ。


「(……いや、ねえな。あり得ねえ)」


 俺はブンブンと頭を振った。


「(あんな情けねえツラして、女の指先をペロペロ舐めてるような奴が、あの『破壊神』のはずがねえ。名前が同じだけの、ただの臆病な駄犬だ。俺も最近、戦いすぎて感覚がイカれちまったか……?)」


 あのティルなら、たとえ四肢を落とされても女に媚びたりはしねぇ。吠え、噛みつき、最後の一撃で心中を狙うはずだ。目の前の、フリフリの首輪をつけられた震える塊と、あの豪傑を結びつけるのは、俺の「野生の勘」をもってしても無理があった。


 俺が立ち止まって凝視していたのが不審だったのか、チワワの飼い主――ルンが、冷たい手つきで眼鏡をクイと押し上げ、射貫くような視線をこちらへ向けた。


「……何か? 私のティルに何かご用でしょうか、林業屋さん」


 その声を聞いた瞬間、俺の背筋に、冬の深夜の森で一人佇んでいるような、底冷えする感覚が走った。

 ルンの瞳は、単なる好奇心で俺を見ているんじゃない。それは、獲物の構造をミリ単位でスキャンし、どこを叩けば「法的に」社会から抹殺できるかを測定している、精密機械のような眼差しだ。


 彼女はまだ、俺が「444人リスト」に名を連ねる亡霊だとは気づいていないだろう。彼女にとって俺は、ただの「ガタイのいい、マナーのなっていない労働者」だ。だが、その「見下されている」感覚そのものが、俺の闘争本能をこれまでにない形で逆撫でした。


「……いや、なんでもねえよ。随分と変わった犬だと思っただけだ。そいつ、中身が虎なんじゃねえかってな」


 俺は精一杯の皮肉を込めて言ったが、ルンは眉一つ動かさなかった。


「虎? いえ、これはただの教育が必要な、臆病な『チワワ』です。……それ以上、私の愛犬を怯えさせないでいただけますか? 通行の邪魔ですよ」


「ケッ……悪かったな」


 俺は逃げるようにその場を去った。

 担いだ丸太が、妙に重く感じた。

 背後から、ルンが「ティル、瞬きが多いですよ。……もう一度最初からですね」と冷酷に命じる声が聞こえてきた気がして、俺は思わず足早になった。


 あの女は何だ?

 魔力も、剣気も、殺気すらもない。だが、あの女の前に立てば、どんな大軍勢も「校則違反の学生」みたいに縮こまるなど絶対にないはずだ。

 俺は街の市場へ向かいながら、冷や汗を拭った。


(……アストの言う通りだ。ルウやティルが本当にやられたってんなら、それは相手が悪すぎたんだ。あんな『怪物』どもがこの街に潜んでるなんて、冗談じゃねえ)


 だが、俺はまだ確信していた。

 俺たちは違う。俺とアストは、あのピセアというおっとりした薬草農家のところで、日常の平穏を謳歌できている。あんな氷の女や、般若みたいな女とは無縁だ。


「よし、納品が終わったらピセアのところへ帰ろう。あそこのニンジンジュースを飲んで、この気味の悪い感覚を洗い流すんだ」


 フォルトは、自分が自ら「屠殺場」へ向かう家畜のように、軽やかな足取りで街を後にした。

 その頃、カフェのテラスでは、チワワのティルが遠ざかるフォルトの背中を見つめ、心の中で絶叫していた。

 ティルと名乗る犬は、異常に発達した嗅覚で何かを察したかのように訴えようとしているのかは今はわからない。

 

(フォルト! 逃げろ! 逃げるんだ! その街の市場にも、その先の森にも……そいつはどうせ悪魔だぁぁぁ!)


 しかし、その叫びが声になることはない。

 彼に許されたのは、ルンの冷徹な視線の下で、震えながら「お手」を繰り返すことだけだった。


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