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最強暗殺者、聖女に詰められ短足猫になる  作者:
第6部-東部戦争開幕、三大組織滅亡
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幻光-東部の夜を切り裂く多節の舞

 

 東部の街に、ねっとりとした、嫌に重い闇が降りていた。

 日中の喧騒が嘘のように静まり返った石畳の路地。数時間前まで、街の「プリズム研磨師」として貴族の装飾品や光学レンズに精緻な手仕事を施していたアルスは、仕事着のままアジトへの帰路についていた。


 彼女は、自慢の空色の髪を夜風になびかせ、一見すればどこにでもいる「少ししっかりした、働き盛りの女性」そのものの足取りで歩く。しかし、その内側は、彼女自身が磨き上げる一級品の宝石よりも鋭利で、冷徹な警戒心に満ちていた。

 表の顔を守るための仮面の下で、アルスの魔力感覚は周囲数キロに及ぶ光の屈折、わずかな熱源の揺らぎを、演算機のごとき精度で捉え続けている。


 東部戦争の火蓋は、すでに切って落とされている。

 リーダーのガレが『骸蝶の軍勢』の斥候頭、タロと接触し、負傷して戻った今、組織の「目」である彼女が歩みを止めることは許されない。アルスは、周囲の視線を欺くためにあえてアジトへの最短ルートを避け、複雑に入り組んだ廃屋街へと、誘い込むように足を向けた。


 その夜、彼女は単独でリュカの兵隊たちを探っていた。軍勢の末端兵士たちは、霧のように街に染み出し、音もなく獲物を探っている。だが、アルスの感覚はそれらを遥かに凌駕していた。


「(……リュカの兵隊共、しつこい。アタシたちの居場所を嗅ぎ回ってるつもりだろうけど、そう簡単に見つけさせるわけないじゃん。アタシの計算を甘く見ないでほしいよね)」


 アルスの瞳に、虹色の魔力が一瞬だけ宿る。彼女が歩くたびに、周囲の光がわずかに物理法則を無視して歪み、彼女の輪郭を背景の闇に溶かし、背景の一部として再構成する。


 だが、その「完璧な隠密」という名の数学的解を、暴力的な論理でこじ開ける者がいた。


「……誰?」


 アルスが足を止めた。声を発した瞬間、彼女の生存本能はすでに思考を追い越し、体は真横へとスライドしていた。

 直後、彼女が先ほどまで立っていた空間が、物理的な刃ではなく、目に見えない「因果の亀裂」によって縦に両断される。


 音はなかった。ただ、空間そのものが無理やり引き裂かれた際に発する、不気味な高周波の震動だけが残る。


「挨拶代わりの瞬間移動だ。不意を突かれ、そのまま息絶えるといい。それが戦士としての情けだ」


 背後。絶対的な死の至近距離。

 闇の隙間から染み出すように現れたのは、骸蝶の軍勢の幹部、セキだった。

 彼はその手に握る多節棍『百足ひゃくそく』を、血を求める大蛇のようなしなやかさで操り、アルスの首筋を狙って最短距離の軌道を「連結」させていた。


「(……っ、空間の距離を繋げて、移動のプロセスを省いた!?)」


 アルスは宝石のような演算能力でその一撃の軌道を読み、間一髪で回避する。石畳が爆ぜ、砕けた破片が彼女の頬をかすめ、一筋の紅を引いた。


「ガレの飼い犬。お前も一筋縄ではいかぬか。さすがは『蒼天の凪』の幹部、光の魔術師だ」


 セキの虚無的な瞳がアルスを射抜く。かつての生真面目な武人の面影を、リュカという「偽りの神」へのどす黒い忠誠心が塗りつぶしている。その立ち姿には、死を恐れぬ者特有の、気味の悪い静謐さが漂っていた。


「アタシ、どこかの誰かの犬じゃないし。……ガレとはビジネスライクな関係。おじさん、そういう古臭い煽り、全然センスないよ?」


 アルスは不敵に笑うと、指先を軽やかに弾いた。

 シュン、という清冽な音と共に、彼女の姿が左右に分裂する。いや、それは分裂などという生易しい現象ではなかった。


 5体、10体、20体。


 入り組んだ廃屋の路地全体を埋め尽くすように、同じ姿をした「アルス」が増殖していく。光の屈折を極限まで操作し、質量さえも伴っているかのような精巧な分身群。幻光の審判と呼ばれる彼女の真骨頂、光学迷彩の極致。


「……光の虚像か。だが、空間の理を知る者にとって、それは単なる『情報層』に過ぎん」


 セキは動じない。彼は『百足』の柄を地面に突き立てた。

 すると、彼の足元から黒い渦が広がり、地面そのものが「穴」となって消失し始める。


「……見つけたぞ。光を曲げようとも、空間の『繋ぎ目』に生じるわずかな重力の違和感までは消せぬ。座標は、既に私の手の中だ」


 セキの多節棍が、意思を持つ生き物のようにのたうち回った。

 空間のA地点とB地点を強引に繋ぎ合わせ、距離という物理的制約を無視して放たれた一撃。それはアルスの20体の分身を幻影として霧散させ、本物のアルスが位置する「空間の座標」を正確に射抜いた。


『百足』の節々がカチリと分離し、連結された鎖が伸びる。それはアルスの胴体を、逃げ場のない鉄の蛇となって巻き取ろうと高速で旋回する。

 背後からの不可視の強襲。物理的な回避はもはや不可能。アルスの背中に、死を告げる冷たい鉄の気配が触れた。


 しかし、アルスは恐怖に震えるどころか、むしろ待ち望んでいたかのように口角を上げた。


「……あは。アタシの本質、まだ見せてなかったっけ? おじさんの武器は『繋ぐ』ための多節だけど……。アタシのはね、もっと性格が悪いの」


 アルスは、自身の多節細剣『彩雲』を、自らの体に巻き付けるようにして急回転させた。

 次の瞬間、細剣の刃がカシャンと分離する。だが、それは壊れたのではない。それぞれの節が、独立した小さな「プリズムの欠片」へと変貌し、アルスの周囲に幾何学的な模様を描いて空中に完全固定されたのだ。


「アタシのは、『バラバラにして反射させる』ための多節なの! ――『彩華・万華鏡プリズム・カレイド』!」


 セキの多節棍がアルスの肌に食い込む直前、空中に固定された数千の小さなプリズムが、夜の微かな街灯、月光、そしてセキ自身が放つ「空間歪曲の残光」さえも一箇所に収束させた。

 そして――それを数万倍に増幅・指向させ、セキの顔面へ向けて一気に爆発させた。


「……ぐ、ぬぅっ!! 目が……視神経が……っ!」


 爆発的な閃光。

 夜の暗闇に慣れていたセキの視界は、瞬時に真っ白な虚無へと塗りつぶされた。それだけではない。収束された光は超高熱を帯び、セキの皮膚を、そして彼が展開していた「空間の穴」の縁を、レンズで焼かれる紙のように焼き焦がしていく。


「空間を繋いでる間、おじさんの意識もその『穴』の座標に集中してるでしょ? 繋がれた先から光の速さで脳みそまで直接焼かれる気分、どう? けっこうキツくない?」


 アルスの挑発が、虹色の光の渦の中から響く。

 彼女の戦術は、セキの「空間連結」という強力な能力を、そのまま「光の伝導路」として利用し、逆流させるという極めて高度なカウンターだった。


 視界を奪われ、全身に焼けるような熱傷を負いながらも、セキは一歩も退かなかった。

 彼は多節棍を自身の体に巻き付け、強制的に守備を固める。光に焼かれ、意識が朦朧とする中で、彼の心を支えているのは、狂信に近いリュカへの忠誠心のみだ。


「……面白い。光に焼かれながらも、私の忠誠は揺るがぬ。アルス、貴公を捕らえぬ限り……リュカ様に、新世界の王に顔向けができん……!」


 セキの全身から、それまでの冷静な武人のオーラをかなぐり捨てた、どす黒い魔力が噴き出した。

 その魔力は、アルスの閃光によって崩壊しかけた空間の穴を無理やり再固定し、強引にアルスのプリズム領域を侵食し始める。


「(……うわ、まじ? あの光を至近距離で喰らって、まだ立てるわけ? このおじさん、ちょっと根性ありすぎなんですけど……。アタシの計算、少し修正が必要かな)」


 アルスの顔から余裕が消える。

 彼女の『彩華・万華鏡』は、自身の魔力を大量に消費する、まさに一撃必殺の大技だ。対してセキは、自らの肉体を燃料として削りながらも、空間そのものを無理やり繋ぎ止め、彼女を泥沼の接近戦へと引きずり込もうとしている。


 東部の夜を彩る、美しくも残酷な虹色の閃光と、すべてを飲み込もうとする漆黒の空間の歪み。

 二人のアサシンが放つ魔力は、周囲の建物の壁を分子レベルで削り、石畳を粉々に粉砕しながら、さらにその出力を高めていく。


「アタシのプリズム、お前のその暗い忠誠心ごと反射してやるよ……! ここからは、我慢比べじゃ済まないからね!」


 アルスが多節細剣を再構成し、光り輝く七色の剣身を構え直す。

 セキは血を吐きながらも、空間の裂け目から無数の『百足』の節を、次元を超えた触手のように突き出させた。


 虹色の閃光がレンガの壁を焼き、漆黒の空間の亀裂がそれを飲み込もうと牙を剥く。激突の衝撃波によって、周囲の古い建物は飴細工のようにぐにゃりと歪み、崩落の瓦礫さえも滞留する魔力に翻弄されて宙を舞っていた。


 プリズム研磨師としての繊細な指先と、暗殺者としての冷徹な計算力を併せ持つアルスは、多節細剣『彩雲』を万華鏡のごとく展開。数千の光の欠片を空間に固定し、セキが展開しようとする「空間の繋ぎ目」を、反射の檻で封じ込めていた。


 だが、セキの執念はアルスの予測を遥かに上回っていた。

 至近距離で光に焼かれ、網膜が白く塗りつぶされ、脳が沸騰するような激痛に苛まれながらも、彼は自らの多節棍『百足』を媒介に、血を吐きながら「次の座標」を無理やりこじ開ける。


「……ッ、真っ暗なのにまぶしすぎる。貴様は戦場に街灯でも持ち込むつもりか……!」


 セキの咆哮が、歪んだ路地に反響した。彼は視覚という情報源を完全に捨て、空間の歪みに残る微かな魔力の残り香だけを頼りに、生存率を無視した最大距離のテレポートを敢行。

 次の瞬間、セキの姿はアルスの直上十メートル、月の影を背負って出現した。重力加速度を味方につけ、加速を伴った必殺の打ち下ろしが、アルスの脳天を目掛けて振り下ろされる。


 しかし、アルスは動じない。空色の髪を夜風に躍らせ、不敵な笑みを浮かべて見上げた。その瞳の中の虹色が、宝石の深淵のような輝きを放つ。


「……おじさん、そこに来るの、アタシの計算済みなんだけど?」


 路地を埋め尽くしていたアルスの分身たちが、一斉に上空へ向けて『彩雲』を突き出した。実体化された光の刃が、セキの足の甲を串刺しにせんと殺到する。だが、セキもまた修羅の場を幾度となく潜り抜けてきた魔戦士。空中で驚異的な身のこなしを見せ、体を独楽こまのように高速回転させると、多節棍を360度全方位へ叩きつけた。


 衝撃波がアルスの分身数体を霧散させる。石畳に着地したセキは、傷口から漏れ出す魔力を無理やり抑え、肩で息をしながらも、背後に控えていた軍勢の精鋭たちへ鋭い命令を下した。


「……チッ、俺一人では手数が足りんか。……奴を囲め! 逃がすな、光を逃がす隙間を1ミリも残さず、完全に包囲せよ!」


 闇の中から、訓練された足音と共に十名の兵士が姿を現す。彼らは銃剣を構え、アルスの「幻光」に惑わされないよう、魔導遮光ゴーグルを装着していた。リュカの軍勢が、いかに『蒼天の凪』の能力を研究し、対策を練ってきたかが伺える周到さであった。


「……うわ、まじ? 数で押すとか、アタシみたいな繊細な女の子相手に大人気なくない?」


 アルスは毒づきながらも、その瞳に宿る光を一段と強めた。

 一瞬。路地に百人以上の「アルス」が溢れ出した。分身たちは銃剣をかいくぐり、プリズムの刃で兵士たちの急所を的確に貫いていく。


「女の子だと? 貴様こそ、数で押すだけの美しき女狐だろうが!」


 セキが叫ぶ。兵士たちが次々に倒れていく戦場。だが、セキは微笑んでいた。その余裕は、リュカという絶対神への信頼から来るものか、あるいはさらなる罠の予兆か。


 しかし、その乱戦の最中。

 戦士たちの殺気も、魔力の激突も、すべてを無効化するような異質な気配が、路地の角から静かに、あまりにも自然に現れた。


「あらあら……。こんな夜更けに、ずいぶんと賑やかね。お洗濯物が乾かないくらいの熱気じゃないかしら」


 場違いな、あまりにおっとりとした、春の陽だまりのような声。

 籠を抱え、水色の清楚な服を纏った女性――川辺の洗濯屋、サリックスだった。

 彼女は、血生臭い暗殺者たちの殺し合いの渦中へ、近所の公園を散歩でもするかのような平然とした足取りで入り込んできた。


「(……えっ、サリちゃん!? なんでこんなところに!?)」


 アルスの背筋に戦慄が走る。サリックスは表の顔の「飲み友達」であり、大切な友人だ。彼女のような一般人を、この凄惨な魔戦士の戦いに巻き込むわけにはいかない。


「(正体を知られるわけにはいかない。……ごめん、サリちゃん。ちょっとの間、お昼寝してて!)」


 アルスは即座に指先を動かし、サリックスを眠らせるための「優しい反射」を放とうとした。……しかし。


 アルスが光を放つよりも、セキが空間を裂くよりも早く。

 サリックスが「トントン」と、抱えていた洗濯板を指先で軽く叩いた。


 その瞬間。


「…………っ!? な、なんだ、この……圧倒的な、圧迫感は……!!」


 セキが、今までにない苦痛と戦慄に顔を歪めた。

 それは、主君であるリュカから受ける威圧感よりも、あるいは死の淵を覗いた時の本能的な恐怖よりも、遥かに根源的で、逃れようのない「重圧」。

 彼が操っていた空間の亀裂は、まるで洗濯板で頑固な汚れを落とされるかのように、跡形もなく、物理法則ごと「消去」された。


「……お洗濯の邪魔をする、お行儀の悪い風さんは誰かしら?」


 サリックスが、困ったように首を傾げて微笑む。

 その微笑みを見た瞬間、セキの背筋を、氷を這わせるような戦慄が走った。彼の「武人としての直感」が絶叫していた。この女には、触れてはならない。この女の前で「殺意」という名の不協和音を奏でれば、自分という存在の楽譜ごと、この世から消されてしまうと。


「……ひっ、……退け! 全員撤退だ!! ここは異常だ!!」


 セキの悲鳴に近い叫び。

 最強の忠臣と呼ばれた男が、一人の華奢な女性を前に、腰を抜かさんばかりの勢いで空間を飛び越え、逃走を図った。兵士たちも、リーダーの異常な取り乱しように恐慌状態に陥り、我先にと路地を駆け出す。


「おい、コケるな!」

「待ってくれ、置いていくな……ッ!」


 逃亡の際、末端の兵士二人がもつれた足に引っかかり、無様に転倒した。

 その兵士たちの目の前に、サリックスが立っていた。

 兵士たちは、自分たちが鍛え上げられた精鋭であるという矜持にすがり、眼前の女性を排除しようと試みる。夜の戦場に一般人が立っているという事態を、脳が拒絶していた。


「おい、そこをどけ、この女!」


 兵士の一人が銃剣を突き出し、サリックスを怒鳴りつける。


「……まあ、足元がこんなに汚れてしまっているわ。きれいにしてあげないと、風邪を引いてしまうわよ」


 サリックスは優しく、だが逃げ場のない絶対的な力強さで、転倒した二人の兵士の襟首を、まるで濡れた手拭いでも扱うようにひょいと掴み上げた。


「……ひ、ひいぃいぃ!! 離せ、助けてくれぇ!!」

「……おやすみなさい、良い子たち。明日の朝には、もっと清らかな音色になっているはずよ」


 サリックスの穏やかな微笑みが、夜の闇に吸い込まれていく。

 二人の兵士の絶叫は、彼女が洗濯板を叩く「トントン」という、世界の波長を整える乾いた音によって、綺麗に掻き消された。


「…………何、今の」


 一人残された路地で、アルスは多節細剣を握ったまま、呆然と立ち尽くしていた。

 セキという、自分でも苦戦した怪物を、たった一言と「叩く音」だけで追い払ったサリックス。


 アルスは、籠を抱えて去り行く彼女の背中を見つめながら、一人物思いにふける。


「(あんなサリちゃん、見たことがない。……アタシの光も、あのおじさんの空間も、まるでもともと『存在していなかった』みたいに消された……。裏表がないはずだと思っていたけど……)」


 アルスは、自身のプリズムよりも鋭い観察眼で、今の光景を反芻する。

 サリックスの纏っていた、あの絶対的な、抗えない気配。それは、最近裏社会の噂で耳にする、あの「アイリス」や「ルン」という、伝説級の魔戦士たちをペットへと作り変えてしまうという、不可解な女たちの正体に酷似していた。


「(このあたりに、『飼い主』なんて名乗る怪しい女性はいないはず。……でも、サリちゃんは末端兵相手にも、全く動じていなかった。ここは今、血みどろの戦場になっているのに。普通、あんなふうに笑って洗濯板なんて叩けない……)」


 アルスは、自分の手の震えを止めるように、剣を鞘に収めた。

 彼女が知っているサリックスは、川辺で鼻歌を歌いながら白い布を洗う、儚げで守ってあげたくなるような女性だったはずだ。

 だが、今の彼女が見せた「調律」の力は、この世界の因果律そのものを漂白し、書き換えてしまうような、神の指先に似た恐ろしい何かだった。


「(……リーダーに、報告すべきなのかな。……でも、もしサリちゃんが本当にあっち側の人間……『飼い主』だとしたら、アタシたちはどうなるの……?)」


 アルスは空を見上げた。月は美しく輝いているが、その光さえもサリックスが洗ったばかりの布のように澄み渡っていることに気づき、奇妙な錯覚に襲われる。


「……ま、いっか。アタシたちのサリちゃんが、アタシたちを傷つけるわけないし……たぶん、だけど」


 アルスは自分に言い聞かせるように呟くと、気圧の乱れを察知してアジトへと急いだ。

 だが、その心に芽生えた小さな「不穏」という名の傷跡は、決して消えることはなかった。


 -----


 一方その頃。

 川辺に戻ったサリックスは、鼻歌を歌いながら、大きな洗濯桶の中に、先ほどの「二人の兵士」をまるでお洗濯物のようにつけ置きしていた。


「さて、この子たちはどんな色に染まるのかしら……。ふふ、楽しみね。少しばかり汚れが酷いから、念入りに調律あらいをかけないと」


 川のせせらぎに混じって、静寂に包まれた東部の夜。

 世界の調律師の鼻歌が、明日という「予報」を静かに、そして完璧に書き換えていく。


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