追跡-2.落日の審判
東部の断崖、その頂は今や巨大な発電所のごとき熱量と殺気に包まれていた。
空を統べる気象予報士、ガレと、影に潜む諜報頭、タロ。二人の距離は、肉眼では捉えきれない速度で伸縮し、衝突のたびに火花を散らす。
ガレの肩口からは、タロの爪が残した鮮血が滴り、岩肌を赤く染めていた。しかし、その痛みさえも、ガレの脳内で行われる膨大な気象演算の「燃料」に過ぎない。ガレは負傷した肩の筋肉を、局所的な高気圧で強制的に圧迫し、止血と同時に無理やり可動させていた。
「……ひとつ聞きたいが、どこの誰だ。あんとき爆破させた輩は」
ガレは、低く、押し殺した声で問うた。
「俺の予報に泥を塗った不快なノイズの正体を知らねぇままじゃ、寝付きが悪くなる。……犯人の名前くらいは、帳簿に付けさせろ」
対するタロは、自身の影を崖の亀裂に滑り込ませながら、感情の読み取れない声で応じる。
「今日ここで死ぬのに、それを聞いてどうする? 死人に名は必要ない。お前が知ってもいいのは、明日、この街に『新世界』の夜明けが訪れるという確定事項だけだ」
「……予報の修正だ。明日の天気は、お前の血で染まる土砂降りだよ」
ガレの全身から、バチバチと青白い放電が弾け飛んだ。杖『シーガル・レイザー』を天に掲げた瞬間、周囲の空気が一変する。絶対零度の冷気が周囲の摩擦熱と混ざり合い、イオン化した大気が凶悪な渦を巻く。ガレの体表を無数の雷蛇が這い回り、彼自身がひとつの「雷雲」そのものと化した。
「(影に潜むなら、影を消すほどの光で焼き尽くすまでだ。ここで雷を使えば、稲光で見えてくるもんがある……!)」
ゴロゴロゴロゴロ……!!
大気を引き裂く重低音が地響きとなって伝わる。次の瞬間、ガレを中心に、全方位に向けて数億ボルトの雷光が解き放たれた。
『絶滅の雷鳴』。
「……雷雲での範囲攻撃か。だが、どこにいようとも丸見えだぞ。同時にお前への盗聴も継続している」
タロは動じない。彼は『暗歩』の極致を使い、雷光が網膜を焼く寸前、コンマ数ミリ秒の「光の隙間」を縫うように影を跳ねた。雷撃は周囲の岩を粉砕し、樹木を一瞬で炭化させるが、タロはその破壊の渦中を、まるで水面を滑るアメンボのように回避していく。
「……捉えた!」
タロの姿が、ガレの正面に実体化した。雷撃を放った直後の、わずかな「魔力の硬直」。その一瞬を突いて、タロの隠し爪がガレの喉元へと肉薄する。腕を雷光が掠め、タロの肌が焼ける臭いが漂うが、彼は眉一つ動かさない。その狙いは、ガレの命一点のみ。
だが、ガレは最初からこれを誘っていた。タロの爪が喉笛を裂く直前、ガレは視界をあえて「遮断」した。光に頼るからこそ、影に惑わされる。ならば、五感すべてを「気圧の揺らぎ」にのみ委ねる。
「……甘いな」
ガレは地面を蹴った。水平方向の迎撃を想定していたタロの意表を突き、自身の足元に爆発的な上昇気流を発生させ、垂直方向へと跳躍。一瞬で上空へと逃れる。
「空中を動こうとも丸見えだ!」
タロが叫ぶ。彼は既に戦場の各所に、自身の隠し爪の一部を「影の楔」として設置していた。空中であろうとも、そこに微かな塵の影があれば、そこはタロの攻撃範囲内だ。
「墜ちろ、予報士!」
タロの影が空中で不自然に膨れ上がり、数条の黒い触手となってガレの四肢を絡め取ろうと伸びる。だが、空はガレの領域だ。ガレは空中で体を翻し、『シーガル・レイザー』を力任せに振り下ろした。それはただの打撃ではない。杖の軌道に沿って「超高圧の真空波」が形成され、タロの影の楔ごと、空間を縦に一閃した。
パァン!!
大気が破裂するような衝撃波が広がり、タロは地上へと叩きつけられる。しかし、タロは地面に触れる寸前、自身の体を霧のように霧散させ、驚異的な受身で衝撃を逃がした。
「(……人間離れした回避能力だ。ドブネズミの分際で、化け物め)」
ガレが着地し、再び杖を構え直したその時。遠くから、鋭い笛の音と、鎧が擦れる規則的な音が聞こえてきた。
「……憲兵団か。住民の通報だろうな」
ガレが舌打ちをする。この街の治安維持を司る組織が介入してくれば、これ以上の派手な戦闘は目立ちすぎる。それは、隠密を本領とするアサシンにとって、最も避けるべき事態だった。
「……今日はここまでか。存分に楽しめたぞ、ガレ。貴様の首は、明日の本番まで預けておいてやる」
タロは不気味に微笑み、自身の影を周囲の闇へと溶け込ませ始めた。去り際、タロは自身の袖に肘打ちをするような、奇妙な動作を見せる。
「……ここまでだ、気象予報士。お前の明日が『予報通り』にならないことを祈っているぞ」
タロの姿が完全に消え、入れ替わるように憲兵団の松明が崖の下に見え始める。ガレは追撃を断念し、自身の心拍を整えようとした。
「……ふぅ。やれやれ、逃げる間際まで笑えねぇ野郎だな。……ん?」
ふと、脇腹に違和感を覚えた。ガレが自分の防護服をめくると、そこには黒い、極細の針が深く突き刺さっていた。
「……気が付けば、こんなところに刺さっていやがる。あの肘打ち……挑発の裏で、暗器を飛ばしたのか」
ガレの絶対防御気層をも、逃げ際の「気の緩み」を突いて突破していたのだ。
「……クソが。毒は……入ってねぇようだが、嫌な感触だ」
ガレは躊躇なく針を引き抜き、掌の中で握り潰した。彼は既に『蜃気楼』を展開し、憲兵団が崖を登り切る前に、その場から音もなく消失していた。
-----
数分後。東部の街の路地裏、地下室へと移転した『蒼天の凪』の新アジト。
いびつな静寂が漂うその空間は、憲兵にも骸蝶の軍勢にも探られないよう、幾重もの工作とカモフラージュが施されている。
肩と脇腹を負傷したガレが帰還すると、プリズムを磨いていたアルスが真っ先に駆け寄ってきた。
「リーダー! 大丈夫ですか、その傷!」
「……ああ、かすり傷だ。アルス、移転作業の進捗はどうなっている」
「ほぼ完了してます。でも、タロと接触したってことは、ここも時間の問題ですね……」
「……計算の範囲内だ。互いに軽傷、か。だが、奴の『影』の特性は掴んだ。次はこうはいかん」
ガレは治療を受けながら、窓の外を見つめた。タロとの一騎打ちは引き分けに近い形で幕を閉じたが、これは前哨戦に過ぎない。500人の軍勢、そしてリュカの側近たちが次々と集結している。その脅威は、今や目前まで迫っていた。
-----
一方その頃、街の反対側の廃倉庫。
闇の中から現れたタロは、焼けた腕を無造作に包帯で巻きながら、待機していた二人の男に声をかけた。
「……戻ったぞ。ガレはなかなかの化け物だ。あいつには、毒は入っていないと言ったが……あれは遅効性の、神経系に作用する『影の沈殿毒』だ。あいつの動きは、明日の夜には確実に鈍る」
闇の中から、巨大な大盾斧『断頭台』を背負った巨漢、スカ。そして、多節棍『百足』を弄ぶ男、セキが姿を現した。
「先にお前が出たか、タロ。我々もリスクが大きいぞ。深追いは禁物だと言ったはずだ」
大盾斧を持ったスカが、重々しく忠告する。彼はこの組織が蒼天の凪や紫電の檻に気づかれるというリスクを誰よりも理解していた。
「何を言う。リスクなど常につきもの。これが俺たちの世界の鉄則だろう。それとも、かつての情でも湧いたか?」
セキが多節棍を鳴らし、冷たく言い放つ。
「リュカ様の『新世界』の邪魔をする枝は、俺たちがすべて剪定する。それ以外に道はない」
スカは黙って斧の柄を握りしめた。タロは口角を上げ、再び闇の中へと視線を向ける。
東部の平穏を巡る戦いは、主力メンバーの合流により、さらに苛烈な殺戮劇へと加速していく。空を統べる予報士と、影を這う魔戦士たち。激突の刻は、もうすぐそこまで迫っていた。




