決裂-2.瓦礫の審判、蝶の嘲笑
東部の街を見下ろす高台、『蒼天の凪』のアジト前。
そこは今、二つの正義、二つの意地が正面から衝突する臨界点となっていた。
ガレとグリ、リーダー同士の凍りつくような舌戦が火種となり、その火は瞬く間に最前線に立つ実力者たちへと飛び火する。
「……おやおや。シュバさん、随分と血の気が多いですね」
花屋の店主でありながら、その指先に数千の死を宿す男、ビオが一歩踏み出した。いつも浮かべている胡散臭い薄ら笑いは、戦場においては獲物の死を悼む葬送の仮面へと変わる。
「雨具職人なら、もっとしっとりとした情緒を解するべきではないですか? 私の花屋の庭に咲くスミレのように……静かに散るのがお似合いですよ」
ビオの袖口から、目に見えないほど細く、それでいて鉄骨をも易々と断ち切る魔力ワイヤーが、生き物のようにうごめきながら引き出される。
「抜かせ、花の野郎……。情緒だぁ? そんなもんは、自分たちの不始末を棚に上げて、濡れ衣を着せに来る連中に聞かせる言葉じゃねえんだよ」
シュバは、懐から数本の黒い針――多弾頭針『時雨』を抜き取った。かつてゴロツキとして泥水を啜っていた彼を、ガレが「まっとうに生きろ」と拾い上げてくれた。そのガレを、そしてチームを侮辱されることは、シュバにとって己の魂を汚されることと同義だった。
「お前、いきなり心臓と脳みそに穴を開けとけ。……慈雨の審判が、なめ腐ったツラに叩き込んでやる」
「先手、失礼」
ビオの指が、ピアノの鍵盤を叩くように軽やかに舞った。
次の瞬間、空中に張り巡らされた不可視のワイヤーが、シュバの首筋をめがけて全方位から収束する。
「ワイヤーの鞭だよ。薙ぎ払う」
「チッ……!」
シュバは反射的に身を翻し、手に持った針を空中にバラ撒いた。
ただの投擲ではない。ガレの『気圧操作』が介在せずとも、シュバ自身の練り上げられた魔力が針を加速させ、迫り来るワイヤーを弾き飛ばす。
キン、キン、と硬質な金属音が連続して響く。
常人には、二人がただ見つめ合って静止しているように見えるだろう。だがその実、二人の間には、触れた瞬間に肉を細切れにする死の網と、音速を超える鋼の雨が激しく火花を散らしていた。
(……いけねぇな。こいつのワイヤー、リーチが長すぎる。遠距離じゃ相性が悪いか?)
シュバは、空中に設置した針を足場に、一気にビオとの距離を詰めようと跳躍した。
ビオの『紫蕾』は、広範囲に網を張ることで敵の逃げ場を奪う。ならば、その網の中に自ら飛び込み、懐に潜り込むしかない。
(なら、俺の針をメリケンサックにして指に挟めばいい……! 近接で一気に脳天をぶち抜く!)
シュバは掌の中に針を束ね、鋼の拳へと変える。かつての荒事の経験が、彼に最も効率的な殺害方法を想起させた。
「おやっと、野蛮ですね。そんなに近寄りたいなら、全身を縛り上げて差し上げましょうか?」
ビオが指を引く。ワイヤーが円を描き、シュバの四肢を絡め取ろうと螺旋を巻く。
『極みの葬送』――その名の通り、一度捕らえられれば、抵抗すればするほどワイヤーが肉に食い込み、標的を幾何学的な断面へと変えていく。
「……そこまでだ、二人とも!」
「止せ、馬鹿野郎! ビオ、手を引け!」
臨界点に達しようとする二人の間に、二つの影が割り込もうとした。
ガレが杖を掲げ、空間の気圧を急激に上昇させることで二人の距離を物理的に引き離そうとし、グリが鞭を振るって、交差するワイヤーと針の奔流を強引に叩き落とした。
リーダー二人は、この小競り合いが全面戦争に発展することを、心のどこかで恐れていた。
だが、その介入すらも、背後に潜む悪意にとっては「舞台装置」の一部に過ぎなかった。
二人の殺気が最高潮に達し、まさにガレとグリがその中央に足を踏み入れようとしたその時。
アジトの門影から、ふらふらとした足取りで一人の男が姿を現した。
その男は、紫電の檻のメンバーでも、蒼天の凪のメンバーでもなかった。
うつろな瞳、焦点の定まらない視線。そして、その首筋には不気味な「蝶」の紋章が刻まれている。
「あは、あはは……。空を、飛びたいな~」
男は薬物によって理性を焼き切られた、骸骨と蝶の紋章を左腕に巻いた末端構成員だった。
「なんだ、こいつ……? 部外者か?」
シュバが攻撃の手を止め、男を凝視する。
ビオもまた、ワイヤーを張り巡らせたまま眉をひそめた。
だが、シュバの目は、男の服の下にある「致命的な違和感」を見逃さなかった。
ボロボロのシャツの隙間から見えたのは、鈍く光る大量の魔導爆薬。それも、ただの爆薬ではない。爆発の衝撃に特化した、自爆テロ用の狂った設計。
「……なんだこいつ? 爆弾を巻いていやがる……!?」
シュバの背筋に氷のような冷気が走った。
男は笑いながら、グリやガレたちが対峙している中央広場へと、スキップするように近づいていく。
「きれいな空だなぁ……。俺も、あそこまで……ドカンと、行けるかなぁ!」
「……しまっ……!!」
シュバが叫ぼうとした瞬間、男の胸の中央にある起爆魔石が、真っ赤に充血した眼球のように輝いた。
「みんな離れろおおお!!」
グリの絶叫が、アジトの静寂を切り裂いた。
リーダーであるグリの超感覚が、男が「爆発」に変わる直前のエネルギーの暴走を察知したのだ。
ガレもまた、瞬時に空気を圧縮して防壁を作ろうとした。
だが、すべては一瞬だった。
「ひゃはははは! 昇天ッ!!」
カチッ、という小さな音が、世界の終わりを告げる号砲となった。
次の瞬間、視界は真っ白な光に塗りつぶされた。
爆風は、アジトの堅牢な外壁を紙細工のように引き裂き、高台の土を抉り取った。
シュバは咄嗟に腕を交差させ、数本の針を防御壁代わりに展開したが、圧倒的な圧力の前に体ごと吹き飛ばされる。
「くっ……あああああ!!」
ビオのワイヤーも、高熱によって一瞬で焼き切られた。
爆炎は容赦なく、対峙していた二つの組織を、リーダーたちをも含めて飲み込んでいく。
ドォォォォォォォン!!
東部の山々にこだまする爆音。
かつてない規模の爆発によって、蒼天の凪のアジト前は、一瞬にして瓦礫の山と化した。
吹き飛ばされたシュバの視界の端で、白亜の門が崩れ落ちるのが見えた。
煙が立ち込める中、ガレが仲間を呼ぶ叫び、グリが部下の安否を確認する怒声。
そして、その混沌の闇の中から、静かな、それでいて不気味な「羽ばたき」の音が聞こえた気がした。
それは、自分たちが必死に守ってきた平和が、文字通り木っ端微塵に砕け散った音だった。
爆発の余波が収まった後、そこには地獄のような光景が広がっていた。
アジトの門は半壊し、美しい白亜の壁は黒く焦げている。
「……おい、生きてるか……」
瓦礫の下から、シュバが這い出した。服はボロボロになり、自慢の針も大部分を失っている。
少し離れた場所では、ビオが膝をつき、肩を激しく上下させていた。彼の頬にはワイヤーが跳ね返ったのか、鋭い切り傷が深く刻まれ、そこから血が滴っている。
「……あ、はは……。情緒も、スミレも……台無しですね」
ビオの薄ら笑いが、初めて完全に消えていた。
その目は、爆発の中心地――あの『ヤク中』が立っていた場所に残された、一匹の「蝶」の死骸のような紋章を見つめていた。
ガレとグリは、爆風をそれぞれの能力で防ぎきったものの、その顔はこれまでにないほど険しい。
彼らは理解した。
自分たちが意地を張り、小競り合いをしていたその足元で、本当の「悪意」が牙を剥いていたことを。
そして、この爆発はただの攻撃ではない。
「自分たちが犯人ではない」と主張していた蒼天の凪のアジトで、自爆テロが起きたという事実。
これが街に伝われば、もはや弁明の余地はない。
「……ハメたのか? ガレ」
グリが、煤けた多節鞭を握りしめながら呟いた。その声は震えていた。裏切られた怒りか、あるいは予測できなかった自分への怒りか。
「……何。こっちにとっても計算外だ。これほどまでに『不快なノイズ』が入り込むとはな」
ガレの天変の瞳は、今もなお空の気流を読もうとしていたが、そこに映るのは暗雲だけだった。
東部戦争は、もはや組織同士の対立という枠を超え、誰一人として予測できない「混沌」へと突入しようとしていた。




