決裂-1.紫電の咆哮
東部の街を一望する断崖に築かれた『蒼天の凪』のアジト。その白亜の門前には、かつてない濃密な「紫」の殺気が渦巻いていた。朝靄を切り裂くようにして現れたのは、自警団『紫電の檻』の精鋭たちである。
アジトの監視塔で双眼鏡を覗き込んでいた気球乗りのヌヴは、レンズ越しに映る光景に息を呑んだ。
「……何? グリに、ロショ、アマ、ビオ、ウバ……。主要メンバーだけじゃない、下っ端まで全員連れて、完全武装でここに来ているだと!?」
ヌヴの指先がわずかに震える。肉体を霧化させ、物理的な痛みすら透過する能力を持つ彼でさえ、これほどまでの「実体を持った集団の怒り」に気圧されるのは初めてだった。
「……チッ、リーダーに知らせなければ! いや、もう間に合わんか!」
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ヌヴが通信石に手を伸ばすより早く、アジトの重厚な鉄門が、重々しい金属音を立ててゆっくりと開いた。そこから姿を現したのは、リーダーのガレ。そして、彼の傍らには、すでに得物に手をかけている雨具職人のシュバが控えていた。
ガレはポケットに手を突っ込んだまま、階段の下に陣取った紫の軍勢を、氷のような眼差しで見下ろした。その視線の先には、多節剛鞭『紫垂れ』を腰に携え、静かな、しかし今にも爆破しそうな怒りを燃やすグリが立っている。
「おい、グリ。……なんで末端まで連れてきた。説明しに来たいなら、一人で来たらいいだけの話だろうが。他の連中も、表の仕事を離れる暇はねえはずだ」
ガレの声はどこまでも事務的で、自身の「精密な計算」を乱されたことへの不快感に満ちていた。ガレにとって、この騒動は「非論理的な誤解」であり、一刻も早くデータと数式で解決すべき事案に過ぎない。だが、グリは一歩も引かず、地を這うような低い声で応じる。
「仕事だと? 街があんな火の海にされた翌日に、平気な顔して店を開けるほど、俺たちは薄情じゃねえんだよ。……ガレ。メンバー全員の目を見ても、まだそんな寝言が言えるのか?」
ガレの特殊能力『天変の瞳』が、グリの背後に控える面々を機械的にスキャンする。
宝石商のアマ、染物師のロショ、花屋のビオ、果実商のウバ……。かつて共にこの大陸の夜の静寂を守り、時には酒を酌み交わした「戦友」たちの瞳には、今は共通の、昏い拒絶の色が宿っていた。
(……チッ、これだけ武闘派の人間が揃いも揃って来られたら、厄介なもんだな。数的な不利は明白。今日ここで俺のチームを潰すつもりか)
ガレは内心で舌打ちした。彼の観察眼を以てしても、紫電の檻のメンバーに「嘘」の気配は微塵もなかった。焦りも、演出された動揺もない。そこにあるのは、純粋な憤りと、自分たちが守ってきた『家族』を傷つけられたことへの、烈火のごとき報復心だけだった。
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グリが、懐から黒く焦げた布切れを取り出し、石畳の地面に叩きつけた。それは昨夜の爆破現場で、無残に焼かれた子供の服の一部だった。
「昨日の爆破で、俺たちの『家族』が何人傷ついたと思っている。……アマ、報告してやれ」
宝石商のアマが、鋭いカットの施された紫色の結晶の破片を指先で弄りながら、吐き捨てるように言った。その声には、冷徹な宝石商としての仮面を脱ぎ捨てた、一人の男としての情念が混じっていた。
「北西区画の民家、全焼が3棟。煙を吸って倒れた子供たちが12人……。その中には、あんたの店を贔屓にしてた婆さんの孫もいたんだぜ、ガレさん。……あんたが『快晴』だと予報したその空の下で、俺たちは泥水を啜りながら火を消してたんだ。……あんたの観測網が『死角』だったってんなら、それはもう『無能』じゃ済まされない……明確な『加担』だ」
その「加担」という言葉が、早朝の静寂に鋭く突き刺さった。ガレの表情が、凍りついたように動かなくなる。彼にとって、「無能」と言われること、そして自分が守るべき街の「観測」に穴が開いたことを指摘されるのは、何よりも耐え難い侮辱だった。
「……そうかよ。だが、うちのネボが精密に調査した結果、あの爆破は外部からの隠密工作だ。それも、俺の気象計を狂わせる特殊な魔力遮断が施されていた形跡がある。……俺たちの観測網に引っかからなかったのは事実だが、それは俺たちが手を貸した証拠にはならん」
ガレの論理的な反論に対し、グリは視線をさらに鋭く尖らせた。一歩、また一歩と、二人の距離が縮まる。石畳が、グリから溢れ出す紫色のプレッシャーでピシリと音を立てる。
「確かにそうかもな。……だがな、ガレ。あんたの計算に狂いがないのが自慢だったはずだろ? その完璧な計算が『今回だけ』綺麗に外れた。……それを偶然で片付けるには、俺たちは裏の世界を長く歩きすぎたんだ。……誰かが手引きしなけりゃ、あんたの『天変の瞳』を欺けるはずがねえんだよ!」
「誰かが……俺を欺いたと?」
ガレの声が低くなる。それは、自分自身の誇りと、仲間の忠誠心を真っ向から疑われたことへの、静かな激昂だった。
ガレの背後に控えていたシュバが、我慢の限界だと言わんばかりに鼻で笑い、一歩前に出た。彼にとってガレは暗闇から引き揚げてくれた命の恩人であり、その計算を否定されることは、自らの存在理由を否定されるに等しい。
「おいおい、さっきから黙って聞いてりゃあ……『加担』だぁ? 俺たち6人全員が、自分たちが守るべき街を焼くようなゲスだとでも言いたそうな目をしてやがるな。……それとも何だ、自分たちの防衛網に穴があった無能を、俺たちのせいにしたいだけか?」
シュバの足元。石畳の隙間に、無数の多弾頭針『時雨』が、主の殺気に呼応するように不気味な光を放ち始めた。彼はガレを制止するようにその前に立ち、グリを指差して冷笑を浮かべる。
「いいか、俺たちが観測した結果が『すべて』なんだよ。そこに映らなかったんなら、それは存在しなかったも同義だ。……ガレの兄貴の計算が間違っていると言いたいなら、言葉じゃなく力で証明してみな。わかったなら今すぐに帰りな、お仲間を引き連れてよ!」
シュバが放った剥き出しの敵意。グリが一瞬だけ動揺し、次の瞬間、その顔を激しい怒りが支配した。
「いいのか貴様。不干渉の暗黙の了解を破る気か……。それをするというなら、俺たちは容赦しねえぞ……!」
「あぁん? やってやらぁ。雨具職人が、自警団の面を紫から真っ赤に染め直してやるよ!」
グリへの侮辱に、即座に反応したのは花屋のビオだった。
いつも浮かべている胡散臭い薄ら笑いが、今は仮面のように冷たく固定されている。その瞳には感情がなく、ただの「兵器」としての色が濃く滲んでいた。
「……おやおや。雨具職人のシュバさん。随分と威勢がいいですねぇ。……私たちのリーダーを指差すその汚い指、私のワイヤーで『花びら』のように散らしてあげましょうか?」
ビオの袖口から、目に見えないほど極細の魔力針金『紫蕾』が、獲物を狙う蛇のように這い出した。朝の微風に揺れるそのワイヤーは、触れるものすべてを輪切りにする死の旋律を奏でている。
シュバがガレを制止して前に出た。それと同時に、ビオもまた反射的にグリの前に滑り込む。
「シュバ、何やってんだ! 下がれ!」
ガレの声が響く。だが、一度熱を帯びたアサシンの本能は容易には止まらない。
「ビオ、待て! 勝手な真似をするな!」
グリの制止も、今のビオの耳には届かない。ビオにとって、グリへの侮辱は自分自身が否定されること以上に「許しがたいエラー」だった。
「『時雨』――展開!」
シュバの叫びと共に、数百の針が雨のように空を舞い、一点に集中してビオを貫こうとする。
「無駄ですよ。……『紫蕾』――開花」
ビオが指を弾くと、空間に張り巡らされたワイヤーが幾何学模様を描き、シュバの針をすべて空中で叩き落とし、さらにはシュバの四肢を絡め取らんと襲いかかる。
「止まれと言っているのが聞こえんのか!」
二人の実力派アサシンの間にある空気が、限界を超えてパチンと弾けた。




