戦塵-2.収穫の秋
移動要塞の残骸が燻り、焦熱の風が吹き抜ける戦場。その中心で、アストとルードの殺し合いは、常人には不可視の領域へと加速していた。
「貴様も凄まじい跳躍力だ。だが、この『庭』から逃れることはできん!」
ルードが巨大な裁断鋏を噛み合わせるたび、空間そのものが物理的に切り取られ、真空の断層がアストの肌を切り裂く。ルードは「貴族」出身。その洗練された立ち振る舞いの裏には、秩序を乱す者を徹底的に排除する、冷徹な剪定者の狂気が潜んでいた。
「おいおい挟まないでくれよ。食べたものが腹から出てきたらどう責任取るんだ?」
「そうか、ならば貴族らしい礼儀を見せてやろう」
突然ルードが巨大な裁断鋏を分離した。挟むだけでは攻撃範囲が狭いと察知した彼はコンマ1秒にも満たぬうちに体を旋風のようにくねらせた。
アストが一気に矢を番え、弓から三本の矢を同時に放つも、ルードは暴風のように薙ぎ払う。ルードから見たアストの矢など突然生えてきた植物の枝そのものだ。
「めんどくさいことをしてくれやがるなぁ」
「ハッ、野生の獣が吠えるな!」
ルードの巨鋏が再び合わさり、空間が断層となって弾けた。だがアストは、その破壊の余波を風切の翼の魔力で捉え、風の波を滑るように空へと跳ねる。
「『剪定』だと? 枯れ木と一緒にすんじゃねえ!」
アストは空中で独楽のように回転しながら、魔力の矢を五月雨のごとく乱射する。音速を超えた追跡弾が、四方八方からルードの四肢を狙い急降下した。
ルードは地を削るほどの踏み込みでそれを迎え撃つ。
「秩序なき枝は、へし折るのみ!」
火花と衝撃波が交錯し、二人の周囲の地面はもはや原形を留めていなかった。
ルードが分離させた鋏をもとあった位置に戻す。ここで鋏の角度を180度近くの最大限にあげ、必殺のギロチンを放とうとする。それに負けまいとアストも弓の最大出力を上げんと必殺の一撃に引き絞る。
「くたばれよ似非貴族のヒゲ面! お前のその『高貴』とやらは、ただの擬態だろうが! 腹の底じゃ、他人をハサミで切り刻むことしか考えてねえくせによ!」
猪突猛進の必殺のギロチンが放たれたが、間一髪で回避した。アストの必殺の一撃の弦がわずかに緩みかける。それでもなお、アストは空中で身を翻し、魔弓『風切の翼』から翠の光矢を連射する。アストにとって、ルードのような「管理」を謳う権力者は、自由な風を汚す最も忌むべき存在だった。
「黙れ、弓具屋が倒産した社会の恥の分際で! 貴様のような『野良犬』が、庭の美しさを語るな!」
ルードの罵倒が飛ぶ。彼らにとってこれは単なる殺し合いではない。互いの存在意義を懸けた、相容れぬ思想の衝突だった。アストの矢がルードの頬をかすめる。同時にルードのヒゲを1ミリだけだが、剃刀のごとく切り落とした。ルードの鋏がアストの翠の武装を切り飛ばす。
マンティとの闘いもあったのか、疲労が蓄積しながらも地面に着地したアストは振り返り、冷笑的な笑みでルードを挑発する。
「どうだ、もう一度やってみるか?」
「首を俺のもとに差し出したいのか?」
そのとき、すさまじい殺気の渦中に、不自然なほど「穏やかな空気」が紛れ込んだ。
「あらあら、やっぱり土がボロボロじゃない。これじゃあ、来年の春の芽吹きが台無しね」
その声は、爆音と怒号が支配する戦場において、あまりにも場違いで、あまりに平坦だった。
「……っ!? ピセア! 来るんじゃねぇ! お前、何しに来やがった! 死ぬぞ!!」
アストが驚愕に目を見開き、叫んだ。そこに立っていたのは、いつもの薬草農家の格好をしたピセアだった。彼女は燃え盛る戦車の残骸のすぐ横を、まるで近所の市場へ買い物にでも行くような足取りで歩いてくる。
「アストくん、そんなに大きな声を出さなくても聞こえるわよ。それより、お友達と遊ぶのはもうおしまい。お家に帰って、お仕事を手伝ってもらわないと」
「お、お友達……? 誰がこんなカマキリの部下と!」
アストは必死にピセアを逃がそうと動こうとしたが、ふと、彼女が背負っている大きなカゴに目を奪われた。
同時にルードの動きも止まる。本来なら敵がよそ見したらその隙を見て、胴体を一刀両断するチャンスがあるにも関わらずだ。
「こんなところに誰が小さな動物を連れて行くんだ?おとぎ話の世界じゃあるまいぞ」
そこには、既に「収穫」された一匹のロップイヤーが、悟りを開いたような顔でキャベツを齧っている。
「……おい相棒、お前もう捕まったのかよ!」
カゴの中のフォルトは、悲しげに長い耳を揺らした。そして、その横にもう一匹、不自然なほど毛並みの良い、グレーのチンチラが丸まっているのが見えた。
「ピク(アスト、気をつけろ……。こいつ、あの『庭の氷結』のレニまで、一瞬でチンチラに変えやがったんだ……)」
フォルトの思念が、アストの脳内に絶望と共に響く。
(小生にこんな屈辱......マンティ様のすべてを......我がコレクションにする野望が潰えたのか.......)
レニ。444人リストの中でも「芸術的な凍結」を好む狂信的な大悪党。マンティさえも凍らせようと企んでいたあの男が、今はただの、手のひらサイズの「ふわふわした齧歯類」に成り果てていた。
「(嘘だろ。ありえねぇ……。あの大悪党が、ただのペットに……!?)」
ルードもまた、この異常事態に動きを止めていた。マンティ特有の権能『略奪者の選別』を例え持っていたとしても、目の前の女から「殺意」も「魔力」も一切感知できない。ただ、彼女が近づくにつれ、自身の心臓を突き動かしていた凄まじい闘争心が、霧が晴れるように消えていくのを感じていた。
「誰だ貴様は。……初対面で随分と無礼な振る舞いだな。我々の神聖な『剪定』を邪魔するつもりか?」
ルードは巨大な鋏をピセアに向けた。部下の報告にあった「要注意人物」の正体がこの女か、と直感する。だが、ピセアはおっとりと微笑むだけだった。
「剪定? まあ、素敵。私も庭仕事は大好きなのよ。でも、貴方のハサミは少し大きすぎるわ。それじゃあ、可愛いお花まで傷つけちゃうもの」
「ピセア! 逃げろって言ってんだろ! 相手はガチの巨悪だぞ! 444人リストの幹部、数万人の命を奪ってきた戦争犯罪者なんだぞ!」
アストが叫ぶ。だが、ピセアは首を傾げた。
「戦争犯罪者? ……うーん、私には、少し肩こりがひどくて、情緒不安定になっている男の子にしか見えないわ。アストくんもそうでしょう? 悪いことをする子は、みんな寂しいのよ」
「……何?」
ルードの顔が屈辱で歪んだ。
「一般人風情が何を……! 貴様のその傲慢な平和ボケを、今すぐ切り裂いてやろう!」
ルードが跳躍した。因果を断ち切る最強の鋏が、ピセアの細い首を狙って振り下ろされる。アストは「終わった」と思い、目を背けようとした。
だが、ピセアは動かない。ただ、手に持っていた小さな移植ゴテを、まるで迷子をたしなめるように、ふわりとルードの額へ向けた。
『全生変換』
刹那。ルードの身体を包んでいた漆黒の魔圧が、黄金色の光へと変換された。その光は破壊の力ではなく、高密度の「静電気」と「タンパク質の再構成」という、生物的なエネルギーへと姿を変える。
「あら、貴方は少し毛並みを整えたら、とっても品のあるアンゴラウサギになりそうね」
「な……身体が……縮んで……魔力が……っ!?」
ルードの叫びは、数秒で「キュッ」という可愛らしい鳴き声に変わった。
戦場を恐怖に陥れた『庭の裁断』。巨大な鋏を振り回していた高貴なる暗殺者は、今や、真っ白でふわふわの、最高級の毛並みを持つアンゴラウサギへと姿を変え、地面に転がっていた。
アストは、その光景を呆然と眺めていた。
最強のライバルだと思っていた男が、今はピセアの手によってひょいと持ち上げられ、カゴの中へと放り込まれている。
「さて、アストくん。貴方もそろそろ、その『尖った耳』はおしまいよ」
「ま、待てピセア! 俺はまだやることが……ベスパとマンティを止めなきゃ……!」
「いいえ、お掃除の時間よ。夕飯の前には、ちゃんと手を洗わないとね」
ピセアが指先でパチンと音を鳴らす。
その瞬間、アストの視界が急激に高くなった……いや、世界が大きくなった。
「キュ……!(嘘だろ、またこの姿かよ!)」
アストの身体は、銀色の毛並みを持つロップイヤーへと戻っていた。先ほどまでの「天空の亡霊」としての圧倒的な覇気は、すべて「尻尾のふわふわ感」へと強制変換され、戦う意志さえも「美味しい野菜が食べたい」という根源的な欲求に塗りつぶされていく。
ピセアは、二匹のロップイヤー(アストとフォルト)、一匹のチンチラ(レニ)、そして一匹のアンゴラウサギ(ルード)が詰まったカゴを、よっこいしょ、と背負い直した。
「さあ、帰りましょう。今日はとびきり新鮮なキャベツが採れたから、みんなで食べましょうね」
ピセアは何事もなかったかのように、激戦の跡地を歩き出した。
彼女の通る場所だけは、立ち込めていた毒ガスも、燃え盛る炎も、すべてが「植物の肥料」へと変換され、足元には名もなき小さな花が咲き乱れていく。
墜落した要塞、狂奔するビルやエルバ。そして、死闘を続けるベスパとマンティ。
その全てを背にして、伝説の『調律師』は、ペットになった大悪党たちを連れて、夕暮れの森へと消えていった。
戦場に残されたのは、ただ、爽やかなハーブの香りと、異常なまでの「静寂」だけだった。




