捕食-2.巨悪、邂逅
「……ッ、身体が、感覚が……消えていく……!」
カリスは、自身の指先がマゼンタ色の柄を握っている感触さえも、希薄になっていく恐怖に戦慄していた。
マンティが展開した最終領域『停滞する銀世界』。その内部では、空気の振動である「音」も、光の反射である「色彩」も、そして生命の脈動である「熱」さえもが、マンティの絶対的な管理下に置かれ、停止を強要されていた。
五感が剥奪されるということは、自己の境界線が曖昧になるということだ。カリスは自分が立っているのか、あるいは既に斬られているのかさえ判別不能な極限状態に追い込まれていた。
上空で静止していたはずのアストもまた、見えない重圧に押し潰されるように高度を下げていた。彼の誇る『千里眼』は、色の消えた世界で対象を捉えきれず、焦点を結ぶことすら叶わない。
(クソッ……魔力が、放ったそばから凍りついてやがる……!視界が白黒で歪んで......頭が痛くなるぞ......というか生きているのか、俺?)
アストが放つ魔力の矢は、放たれた瞬間にマンティの「因果の固定」によって空中で静止し、慣性さえも奪われて無残に砕け散る。
「……私の庭に、不確定な未来はいらぬ。全ての動きは、この瞬間に固定され、剪定されるべきだ」
マンティが双鎌『エデン・シザー』を静かに横に構える。彼の一歩は、もはや物理的な移動ではない。停滞した空間の隙間を滑る、死の確定事項だ。彼が鎌を振るうという「結果」だけが、このモノクロームの世界で唯一の真実となろうとしていた。
「アスト……! 意識を、繋ぎなさい……!あなたの共鳴対象はフォルト以外にもできるはず......」
カリスが喉の奥で絞り出すように叫ぶ。その声は音として響くことはなかったが、義賊としての魂の波動が、空中のアストへと届いた。
言葉という音では空気中からは感じられずとも、超常現象を捉えるような第六感でアストは察した。
二人の天才義賊が、死の淵で手を伸ばす。互いの感覚を共有する『共鳴する獣性』。
カリスの「嗅覚」が、色の消えた世界で唯一揺らめく、マンティの冷徹な殺意の「匂い」を嗅ぎ取る。
アストの「俯瞰」が、マンティの領域内に生じた、わずかな魔力の歪みを座標化する。
モノクロームの世界に、一筋のマゼンタと翠の閃光が無理やり引き出された。
「『一閃万華・蓮華双翼』!!」
二人の全魔力を込めた合体奥義。
狙いを定めた座標の位置は正確かつ高精度。
カリスの神速の抜刀と、アストの追尾弾が一点に収束し、マンティの喉元へと肉薄する。だが、その決死の一撃さえも、マンティの鎌が描く円弧に触れる寸前、不自然な「静寂」によって勢いを失った。
「……無駄だ。因果は既に、私が固定した。貴様たちの『反抗』という枝は、既に切り落とされているのだ」
マンティの鎌が、二人の喉元を同時に刈り取ろうと、冷徹な軌道を描いて閃いた。
その瞬間だった。
地鳴りのような咆哮と共に、上空の雲が真っ赤に焼け落ちた。
「――――ッ!?」
マンティの鎌が止まった。いや、彼自らが攻撃を中断し、跳躍して間合いを取ったのだ。
アストとカリスがそれに呼応するかのように動きが止まった。
乱戦が激化し、地上の兵士たちが血みどろの殺し合いを続ける中、マンティだけは微動だにせず、その遥か頭上を見上げていた。
浮遊を開始し、周囲の雲を割りながら上昇する移動要塞『アバドン』。その最上部、展望デッキの縁に、一人の男が立っていた。
見上げた距離はおそらくは40メートルから50メートルぐらいだろうか。
炎を纏う黒鉄の王杓『デス・スティンガー』を肩に担ぎ、燃え盛る双眸で地上を見下ろす破壊の権化。
『冥府の羽音』の首領、ベスパである。
「……見つけたぞ、ベスパ」
マンティの唇が、この日初めて、微かな笑み……あるいは、獲物を前にした捕食者の歪な歓喜によって吊り上がった。
彼はこの瞬間を、静かに、しかし狂おしいほどに待ち望んでいた。自分から全てを奪った「略奪」の象徴。そして今、再び世界を「放棄」しようとする不純物の極致。
「……フン。庭師の親玉が、わざわざ犬どもを連れて掃除に来たか。管理だの秩序だの、相変わらず虫唾の走る男だ」
ベスパの声が、魔力に乗って戦場全体に響き渡る。はるか上空にいるにも関わらずだ。
彼は、自らの至高の計画を邪魔しに現れたマンティに対し、隠しきれない不快感を露わにしていた。
「貴様のその『庭』ごと、灰も残さず焼き払ってやる。放置されたゴミに相応しい末路をな」
「……焼けるものなら焼いてみよ、略奪者。貴様のような『不確定要素』こそが、この世界の美しさを損なうノイズなのだ」
大陸を二分する巨悪の首領同士の視線が、戦火の空で激突する。その火花だけで、周囲の空間がパチパチと悲鳴を上げた。
「アスト、カリス。……お前たちの処分は、後回しだ」
マンティは鎌から真空波のようなものを出し、2名の猛者に衝撃波で瞬時に吹き飛ばし、後退させた。
マンティの身体が、深淵のような漆黒の魔力に包まれた。
彼はもはや地上の義賊たちに興味を示さなかった。重力を無視し、噴水のように漆黒の魔圧を噴き上げながら、垂直に急上昇を開始する。目指すは雲の上の玉座、ベスパの待つ要塞の頂。高度は100メートルをも越えようとする。
「おい、待て……! 行かせるかよッ!」
アストが焦燥感に駆られて弓を構えるが、地上にはベスパが残した精鋭組織『冥府の羽音』の兵士たちが、まるで自爆特攻を仕掛けるかのように群がってくる。
「クソッ、そこらの兵士、お前らに用はねぇ! カリス、これじゃ追いきれねえ!」
アストは弓を構えようとするが、弓を近接武器にして群がる兵士たちを薙ぎ払い、要塞を追跡しようとする。
「落ち着きなさいアスト! 今、要塞に向かうのは自殺行為よ……。でも、あの二人がぶつかれば、要塞自体が保たないかもしれない」
カリスも名刀で雑草を剪定するかのように冥府の羽音の兵士たちを薙ぎ払う。
地上では、主を失った二つの組織の残党たちが、憎悪に身を任せて更なる地獄の殺し合いへと突入していく。
上空では、黒い静寂と紅蓮の劫火が、空を二つに割りながら激突の瞬間を迎えようとしていた。
マンティとベスパ。
自分たちの「正義」を疑わぬ二人の怪物は、まだ知らない。
この激突こそが、彼らが積み上げてきた「444人」としての歴史に終止符を打つ、最後の一撃へのカウントダウンであることを。
そしてルウたちが要塞に乗り込んでいることすらもまだ知らない。
「さあ、始めようか……ベスパ。完璧な剪定の時間だ」
マンティの処刑鎌と不可視の魔糸が、要塞の防壁を分子レベルで切り裂き、展望台へと躍り出た。




